体が熱くて、ベッドの中でまだ冷たい箇所を求めて足がさまよう。かと思ったら、肩のあたりが寒くなって、温かいものを探す。その繰り返しだった。
 ぼーっとしたまま、何度か汗を拭かれて着替えさせられたが、おおむね眠ってばかりいた。そしてある朝、目を覚ますと身体がすっきりしていた。
「うーん……よく寝たな。朝陽が目にまぶしいぜ」
「なに言ってんだか」
 くすくすと笑うのはアルフォンスだった。手には何枚かタオルとシーツを持っていて、取り替えに来てくれたのだとわかる。
「おはよ」
「おはよう、エドワードさん。具合、だいぶよさそうだね」
「おう。もうばっちりだ。……色々すまなかったな、迷惑かけた」
 申し訳なさに苦笑いを浮かべると、アルフォンスは「それは言わない約束でしょ」と茶化してみせ、朝は食べられそうかと聞いてきた。
「もちろん。もー、腹減ってしかたねえし。今も、ぐーって腹が鳴って目が覚めたんだ」
「とんだ食いしん坊だなあ。待ってて。いま用意してくるから」
 その背に、「ありがとう」と声をかけると、「気にしないで」と返ってきた。
 よかった。動揺を見せずに済んだ。
 朦朧としながら、自分が何をしたのかは覚えている。何をしたのか、というよりも、されたのか、といったほうが正しいのかもしれない。
 二日酔いのアルフォンスに自分がしたように、アルフォンスは口に含んで水を与えた。
 あのとき、熱に浮かされ、水が欲しかった。でも、欲しかったのはそれだけじゃなかった。 水を求めると同時に、アルフォンスからの口づけを求めた。きっともう、与えられることなどないだろうから。
 エドワードがアルフォンスにあんなやり方で水を飲ませたのは、アルフォンスという人間をそういう対象としてまったく意識していなかったからだった。ただ世話の一環としてやっただけ。だから、アルフォンスもそうなのだろう。病人の世話をした、というだけ。
 感染のリスクを考えていないのは愚かではあったが、アルフォンスは気が優しいから、どうにかして水を飲ませてくれようとしたのだ。
 それなのに、キス……したかったのだと知られたら。……とても顔向けできない。アルフォンスから向けられる好意が変わったのに、自分がこんな想いを抱いているなんて。
「……駄目だ、な……こんなんじゃ」


 朝食が終わると、アルフォンスに強引にベッドへと押し戻された。体調はもう平気だと訴えても、だ。
「熱が下がったってまだ身体は疲労から回復してないんだから」
 さすがにその弁には逆らうことが出来ず、午前中は大学へ行かなければいけないアルフォンスをベッドに横になったまま見送った。
 ハボックが来るまで、一人きりになる。他には誰もいない。
 今日も休むなら、考える時間はいくらでもあった。
 たとえ熱にうなされていようが、何を想って何を考えたのかくらい、いやになるほど記憶に残っている。
 弟として、愛してる。
 それは裏を返せば、愛するためには弟でいてもらわなければならないことを意味した。弟でなければ、家族でなければ、愛することが出来ない。
 これまでにつきあった皆のことが好きだった。一緒にいれば満たされたし、抱きあうことも幸せだった。でもいずれ、別れが来るのだと知っていた。そして別れたら、縁は切れなくても絆は保てないのだとわかっていた。好きな気持ちは本物でも、そこにはいつも諦めがあった。
 唯一愛せたかもしれない人も結局は、他の誰かと身体の関係を持った。近くにいたってこうなのだ。遠く離れれば気持ちが離れるのだってあっという間だ。
 愛に形があれば、ずっとそばに置いて、飽きることなく眺めて、大事に育ててやるのに。そして欠けたりひびが入ったりしない限り、愛して愛されることを信じられるのに。
 目に見える愛がないから、身の内に感じられる「血」を信じた。まだ概念だけが浮きあがったばかりの遺伝子とやらが、人と人を繋ぐものとして血に介在する。その遺伝子が母と自分、弟と自分を繋ぐのだと信じた。
 あのとき、もしかしたら、と思ったのだ。形のない愛もあるのかもしれない、と。信じることが出来るかもしれない、と。ロイが相手だったら。
 信じたかったのだと思う。だから、彼が数度の浮気をしても別れなかった。でも、繰り返されるたびに、ああ、彼も皆と一緒なんだ、と諦めに似た気持ちに支配されていった。他の誰でもいいんじゃないか、と。自分もまた、彼じゃなくていいんじゃないかと。
 求めていたのは、互いに唯一無二であること。
 思えば皆、エドワードのそんな心情に気づいたからこそ、別れを切り出したり、こちらから切り出すのを待ったりしていたのかもしれない。恋の衝動を過ぎてしまえば、重く感じるばかりの感情は、彼らとは相いれないものだった。もちろん、彼らだって唯一の相手を求めていただろう。でも、唯一の相手、というものに傾ける気持ちは人それぞれだ。相手にとってのそれと、エドワードにとってのそれが、違っただけのこと。
 エドワードはロイもそう想っていてくれることを期待したけれど、ロイにとっては唯一の相手など必要なかった。愛情は、確かにあるのだ。好いてくれているのは痛いほどにわかった。でも、ときに他の誰かを経由してもたらされる愛情なら、欲しくはなかった。全てを傾けてほしかった。全てを注いでほしかった。贅沢でも我がままでも、全てが欲しかった。そうじゃないと信じられない。だから、血という繋がりしか信じられない。
 アルフォンスは母に似ている。どこか遠いところで、血の繋がりがあるんじゃないだろうか。
 結局はそういうことだった。アルフォンスに全てを望むことは出来ないから、薄い血の繋がりがあることに期待して、それならば信じられるだろうと。
 愛したかったのだ、アルフォンスを。
 でも、きっと自分がこんなふうではいずれ破綻する。関係は壊れてしまう。繋がりを失ってしまうのは恐ろしかった。だから、穏やかにともにいられるような関係を保っていたかった。
 元からあったアルフォンスへの気持ちは、あの告白で育まれ、アルフォンスとの口づけで開花したのだろう。答えは出たけれど、ずっと無意識に抱いていた気持ちはこんなに臆病で、情けなくぐちゃぐちゃと澱み、あまりに貪欲なものだった。全部が欲しいだなんて。
 アルフォンスは綺麗な気持ちで愛してくれたのだろうに、自分が抱く気持ちはこんなにもきたない。とてもつりあわない。
 だから、これでよかったのだ。アルフォンスの気持ちが愛情でなくなったのは。
 大丈夫、忘れられる。この気持ちはきっと、すり替えられる。
 いい友人として、仲の良い同居人として。アルフォンスがここにいる間だけでも。
 いや、忘れられるのではなく、忘れなければならない。アルフォンスが大学にいる間しかもう、一緒にはいられないのだから。
 この先わずか数年間を、大切に過ごすために。


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