聖ウァレンティヌスの贈り物 <<ハボック編>>

 ジャン・ハボックは体力自慢で体育教師で、当然のように顧問として運動部を一つ受け持っていた。ちょうど二月の中旬である今は、同僚がインフルエンザで倒れてしまい、男子部だけでなく女子部の面倒も見ている。テニス部だったら女子のひるがえるスコートから覗く絶妙なラインを拝めたものを、と呟くハボックはバスケ部の顧問だった。
 冬場は屋内を使う運動部も増えるため、バスケ部に割り当てられる面積も時間も少なくなる。大会は春先だから躍起になって練習する必要はなくても、レギュラーを目指して真面目にこつこつと練習をする女子部員につきあって、今日も朝から出勤だ。
「先生、おはようございます!」「今日もよろしくおねがいします!」と次々にかけられる声に応えて、ハボックはまずは身体を温めるための軽いランニングと柔軟体操をするよう指示をした。その間は手持ち無沙汰のため、体育館の入口近くの壁に寄り掛かって今日の授業の内容をざっとさらってみたりする。
「おはよ、ハボック先生」
 扉をちょろっとだけ開けて顔を出したのは教え子の一人で、幼い頃からその成長を見守ってきた少年だった。
「おはよう、エド。あれ? お前、自由登校だろ。授業ないのに何しに来たんだ?」
「あんたが早く来すぎるからだろーが。家行ったらもういねーんだもん」
「何か用でもあった?」
「……なきゃわざわざこんな早くから学校なんて来ねえよ」
 とりあえず、こっち来い、と手招きすると、エドワードは仏頂面で入ってきた。
「いっつもこの時間に来てんのか?」
「年明けからは、週の半分はな」
「……鼻の下、伸びてるぞ」
 ハボックの隣で壁に背を預けたエドワードは、体育館をぐるぐる走っている女子部員たちをじっと見つめている。
 ああ、なるほど。エドワードの仏頂面の理由に、今日の日付とこの目つきでピンときた。
「……何、その手」
 じろりと睨まれてもこわくはない。少し頬が紅潮しているのがほほえましいくらいだ。
「なにって、受け取る準備だけど」
 はたしてエドワードがどう出るか、と反応を待っていると、後ろ手に持っていた包みを二つ、ボンボンと渡された。というか、たたきつけられた。
「二つ?」
「どっちがどっちか当ててみろよ」
「片方はトリシャさんか」
 そっけない紙袋を開けると、中から現れたのはさらに透明な袋に包まれた、ショコラのカップケーキだった。どっちの袋の中身も同じだ。一見しただけではわからない。
「これ、当てんの?」
 こっくりと小さな頭が頷く。
「当たったらご褒美は?」
「むしろ当てなかったら罰ゲームだ」
 げっ、と顔を歪めてしまったのは、これまでエドワードにされた数々のかわいらしいいたずらを思い出してしまったからだ。かわいらしいっていうか、えげつないっていうか……。
 ちなみに最凶のいたずらは、朝起きたらベッドに裸のエドワードがいて、自分がそれを抱きしめていたことだった。あのときは本気で焦った。三軒隣、エルリック家の女主であるトリシャさんに、三つ指をついて「息子さんを僕にください!」をやるべきなのかと!
 実際は、裸だったのは上半身だけでエドワードはちゃんとパンツを穿いていたし、二人の間には何もなかった。蒼い顔をするハボックを見てげらげら笑うエドワードは本当に性質のわるいこどもだった。
 罰ゲーム。何だろう。いますぐ、とある国のとある州に行って新しく籍を作りましょうね!とかだったらどうしよう、やっと手に入れた教職だし、まあエドワードはあと一か月で卒業だから教師と生徒の関係からは解放されてまわりの目はそれほど厳しくはならないだろう、しかし学生結婚というのも。でもエドワードが望むなら叶えてやりたいし。いやいや、罰ゲームで強制されるようにしてプロポーズというのはよくないなうんぬんかんぬん。
 ハボックの頭の中がすでに罰ゲームのことで占められているのに気づいたのか、エドワードは「答え、楽しみにしてるよ」と笑って体育館を出て行った。


 期限は昼休み、と区切られたのでハボックはその昼休みに職員室で二つのカップケーキを目の前に置いてじっくりと観察することにした。それぞれ、黄色とピンクのリボンがかけられているほかはまったく違いが見受けられない。
「うーん……見た目だけじゃ無理か」
「食べないならいただこうか」
 ひょいっと視界からカップケーキが消え、慌てて追うと先輩である同僚がにやにや笑っていた。
「いただきます」
「うわあああ、駄目! 食べちゃ駄目!」
「冗談だ」
 あっさりと言って机に戻したマスタングは勝手にハボックの隣の机から椅子を引いて座る。
「せんぱ〜い、もう、勘弁してくださいよ……」
「悩んでいるようだから、相談に乗ってやろうとしたのに」
「じゃあ、もっとわかりやすく素直に言ってください」
 それでも頭のまわるこの先輩ならば何か打開策も見つかるか、と一応経緯を説明してみると、マスタングはこれまたあっさりと言った。
「食べてみればいい」
「先輩はエドのことをよく知らないからそんなことが言えるんですよ」
 どういう意味かとまなざし一つで問われて、ハボックはぶつぶつと呟く。
「どっちかがエドの作ったので、もう一方がトリシャさんの作ったのなんです。ということは、エドのは口にする時点で何か仕込まれてるかもしれないから、食べるに食べられない」
「エドワードは食べ物にいたずらするような子か?」
「決して食べられないものにはしませんが、かなり独創的なセンスの持ち主ではあります」
 普通に作ればけっこうおいしいというのに。
「まあ、とりあえず匂いでもかいでみたらどうだ。さすがに納豆が練りこんであるなんてレベルだったら匂いでわかるだろう」
 マスタングの妥協案にしぶしぶ従ってリボンをひっぱり中をくんくんと嗅いでみたが、チョコとブランデーの匂いしかしない。というか、かなりいい香り。
「納豆もにんにくも奈良漬も梅干しも入ってなさそうです」
「もういっそ食え。食ってしまえ」
 えー……?と溜め息をつくハボックがのろのろと匂いをかいでいると、マスタングはさっさと袋を横からかっさらい、中身を取り出して一口ほどのサイズをつまむと、強引にハボックの口に放り込んだ。
「……んぐっ――」
 もしや中から山海漬……と覚悟して噛んで飲み下す。
「……あれ?」
「どうだ?」
「……普通っす」
「普通か」
「むしろ、うまいです」
「どれ、御相伴に――」
「却下!」
 えーいままよ!とばかりにハボックはもう一方のカップケーキもかじった。
 ……あれ? あれ? 超フツーです。普通っていうか――
「うまい……」
「味に違いは?」
「あの……どっちもちょっと甘さひかえめでブランデーが聞いてて、しっとりした具合が絶妙です」
「それで違いは?」
「……絶妙です」
「わからんのか……」
「……はい」
 がっくりと落ち込んでしまう。食べてもわからないなんて。
 味は本当にいいのだ。どちらも。本職の人が作ればいい原料で、多くの人がほめたたえるようなものが出来上がるだろう。でもこの手作りのカップケーキはハボックの好みを熟知しているかのようなすばらしい味だった。本当に。
「原点に立ち返ってみよう。これを渡した時のエドワードは何と言っていた?」
 そのときの状況を、頭の中で出来るだけ忠実に再現してみる。

 エドワードは持っていた紙袋を目の前に出して、こう言った。
「どっちがどっちか当ててみろよ」
「片方はトリシャさんか」
 そっけない紙袋を開けると、中から現れたのはさらに透明な袋に包まれた、ショコラのカップケーキだった。どっちの袋の中身も同じだ。一見しただけではわからない。
「これ、当てんの?」
 こっくりと小さな頭が頷く。

「ハボック、エドワードは確かに言ったんだな、『どっちがどっちか当ててみろ』と。それにお前はなんと答えた?」
「かたっぽがエドなら、もうかたっぽはトリシャさんが作ったんだなって、そう言いましたけど」
「ならば、エドワードは確かに”言ってない”んだな? 『片方を母親が作った』のだとは」
「……あ!」
 その様子だと思い当ったみたいだな、とマスタングは満足げに腕組みし、ちょうどガラガラと音を立てて開いた職員室の扉に視線を向ける。
「おでましだ」
 がんばれよ、と言い置いてマスタングはエドワードに場を譲った。
「答え、わかった?」
 そのにやにや顔はマスタング先生にわりと似てるよ、なんて言ったらエドワードは怒るだろうか。
「正解は『どっちもどっち』だ。両方、エドが作ったんだろ?」
 にやにや顔は即座に苦い顔に変わり、エドワードは「ちぇっ」とつまらなそうにふてくされた。
「何でわかった?」
「どっちも同じ味だったから」
「じゃ、どっちも母さんが作ったってこともありえるぜ?」
 そんなふうに言うこの年下の少年が、ハボックにはかわいくてしかたがない。
「登校する必要もないのにわざわざ、しかも朝一で渡してくれたのには意味があるんだろ? 他の子より先に渡したいってさ。そこまでしたエドが、自分のじゃなくてトリシャさんのをくれるなんて、ありえない」
 全てが図星だったらしい。みるみるうちに真っ赤になった顔が、くしゃっとゆがんだ。
「オ、オレ、帰る! ご、ごごごごほうび、何がいいか考えとけよ!」
 来たときの余裕が嘘みたいに動揺して走り去って行ったエドワードの後ろ姿に、マスタングが声をあげて笑い出した。
 よかった、職員室に他に人がいなくて。


 その夜、ハボックはエルリック家のチャイムを鳴らした。
 ぱたぱたと足音が近づいてきて、扉を開けてくれたのはトリシャだった。
「夜分にすいません。あと、エドワードを俺にください」
 あらあら、まあどうしましょう、と言いながらもまったく動揺したふうもなく微笑むトリシャの後ろでエドワードが目を丸くしている。
「いいわよ。でもあと二年待ってね。エドはまだ未成年だもの」
「はい。ありがとうございます」
「え? かあさ、ん……? 何? 何言ってんの? 何あっさり言っちゃってるんだ……? え? いや、ちょっと待ってくれよ二人とも。それって『お父さん、お嬢さんを僕にください』ってあのノリと一緒――」
「エド、つーわけで、ご褒美は二年後にもらうから」
「エド、これからお料理の練習しなくちゃね。掃除洗濯裁縫炊事、みっちり仕込んであげるからっ」


 そんなわけで二年後――
 ハボックはジャン・ハボックのままでエドワードはエドワード・エルリックのままだが、二人は一緒に住んでいる。


 なんつって。


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乙女ちっく兄さんは高校三年生なので自由登校です。