トランキライザー


 最近、女に冷たいそうじゃないか。
 そう言ってにやりと笑ったマダム・クリスマスは、磨いたグラスを満足そうに眺めた。
 特に対応を変えたつもりはないと答えれば、マダムはとても面白そうに囁く。
「本命が出来たのかい」
「何故? 俺はいつでも本気だよ」
「どんな子だい?」
 人の話を聞かないマダムに、ロイはため息をついてお代わりを要求した。
 ロックを頼んだのに出てきたのは水割りだ。明日も仕事はあるんだろう、とわずかにいさめるそぶりを見せるのは養母という自負からか。
 マダムが視線で伝えたのか、いつもロイを囲む店の女の子たちは寄ってこない。よく心得ている彼女たちは、聞き耳を立てることもない。軍務に関することだとでも思ってくれているのだろう。実際は、養母が息子の恋愛に茶々を入れているだけなのだが。
 答えないロイにますます笑みを深めたマダムは、勝手に話しだした。
「こりゃあ、よっぽどめんどくさい性質の女か、どこぞの深窓の令嬢かね。よそで気を紛らわす余裕もないほど疲れているか、入れ込んでいるかのどっちかだろう。当ててみせようか、東方司令部司令官グラマン中将の孫娘、といったあたりか。どうだい? 当たってるかい?」
 是とも否とも答えないというのに、マダムはがっくりと肩を落とした。
「違うのかい。てっきりリザちゃんだと思ったんだけどねえ」
 何故違うとわかったのかと視線で問えば、マダムは恰幅のよい身をカウンターに乗り出した。
「冷たいって言ってもそこがクールだのなんだのと、娘たちはいいように解釈してあんたに夢を見る。まったく、あんたのどこを見てるんだろうねえ」
「マダム、自分の息子を捕まえてそれはひどいんじゃない?」
「どっちに向けてもいい顔をするあんたが、あろうことか女に冷たいだなんて、あたしには信じられないねえ。母親としちゃ、可愛い息子に何があったか気になるのも当然だろう」
「……心配してくれてたの?」
 ロイが目を丸くすると、マダムはいまさら何をといった苦笑を浮かべた。
「ただからかってるだけかと思ったのかい。あたしの愛情をあんたはもっと理解すべきだね」
 海千山千のマダムに比べ、こっちはようやく30が目の前に見えてきた人生のひよっこだ。そう言うマダムの中でロイをからかうのと心配することの比率がどちらに傾いているかはわからないが、少なくともまったく心配していないということはないのだろう。
「あえていうなら、すれた振りをした『お子様』だよ。身持ちが固くて、頭の回転はすこぶる速いが、生意気で、弟を何よりも優先する、そんな子だ」
「ベタ誉めだね」
「そう? 誉めてるつもりはないんだ。むしろ、面倒だと思ってるところを挙げたんだけどね」
「家族思いで頭がよく、媚びない子なんだろ。ロイ坊の好きなタイプじゃないか」
 そうなのだろうか。意識したことがないからわからない。
「『お子様』ということは年下だね」
「今年で15になるそうだ」
「……ロイ坊、悪いことはいわないからせめて相手が16になるまでは我慢をおし」
 マダムは首を振ってロイをいさめたが、ロイはいい返事をすることが出来なかった。
「もう我慢出来そうにないよ。だから困ってるんだ」
 溶けかけた氷でさらに薄まってしまったグラスの中身を一気に飲み干す。アルコールに喉が熱くなった。
「さすがにこども相手じゃまずいだろう」
「いや、問題はそこじゃない。相手が俺に父親を重ねているほうが俺にとっては大問題だよ」
 これじゃ手を出そうにも出せないじゃないか、とロイが笑うと、マダムは困ったように眉をしかめた。
 お代わりを要求すると、今度もまた薄い水割りが出てくる。酔わせたいのかそうでないのか、マダムの真意が読めない。
「父親って、その子も父親がいないのかい。あんたと同じだね」
「それどころか母親もいないよ。兄と弟の二人っきりさ」
「……もうどこから驚いたらいいんだろうね。相手の子が男の子とはね」
 半ば呆れながらも、マダムはロイの想い人の性別についてはそれ以上は何も言わなかった。むしろ、同性だからこそ年齢以上にハードルが高くなっていいんじゃないかと考えているのかもしれない。マダムは裏社会を色々とのぞいてきた人だが、それだけにまだ親の庇護を受けるべき年齢のこどもが大人にいいように扱われることに強い抵抗を覚える人だ。二人の間にあるのが真実、愛情であっても、それなりの年齢になるまでは我慢すべきだと思っている。
 ロイも基本的にはマダムの考えに賛成だ。しかし、互いに愛し合っているのなら、年齢のハードルも下げられてしかるべきとロイは考えている。そう、今回は特例として。ロイの向ける気持ちが愛ならば、と仮定してだけれど。
「まあいいじゃないか。その子があんたを父親みたいに思っているなら、大事にしてやれば。あんたも自分を父親だと思えばいい。そうすれば欲情したって抑えられるってもんだろう」
 さらりと言ってくれるが、それが出来そうにないから困っているのだ。最近、エドワードを見ると、つい触れたくなってしまう。合わせを開き、素肌に触りたくなってしまう。金色の髪が枕にはらりと広がる様を想像してしまう。
「父親って……俺にはよくわからないよ。いったいどうしたらいいのか」
「それを聞かれるとあたしも困るんだが……マースみたいに愛せばいいんじゃないか。彼はとても誠実に人を愛す子だからね」
「ヒューズになれたら苦労はしないさ」
 親友は、愛する人だけでなく、おおよそ人というものに対して誠実な人間だ。からかうことはあっても、真摯に対応する。ゆえに、引き際を心得ている。それに比べて自分は傲慢だ。欲しいものは欲しいし、それによって他の何かを失うことも許容出来ない。
 エドワードが欲しい。そして、今の関係を壊すことでエドワードが離れていくことも受け入れられない。
「……まあ、そのうちその子を連れてきなよ」
 求めていないお代わりは、薄い水割りではなく、ロックだった。


 つい、眠るエドワードに触れようとしたとき、マダムに言われたことを思い出した。
『マースみたいに愛せばいい』
 無理だ。ヒューズは見返りがなくとも愛を注げる人間だ。そんなヒューズだからこそ、グレイシアは彼の愛を受け入れたのだし、エリシアは二人に愛されて幸せに育っている。
 でもロイは、錬金術師の性なのか、自分が愛するなら相手からも見返りがほしい。そして、エドワードは実際、ロイのことを好いてくれている。エドワードは言葉にはしていないし、そもそも自覚があるかどうかも怪しい。が、自分に向けられる悪意に敏く、また好意にも敏いロイには、お子様なエドワードの心情など手に取るようにわかった。
 等価交換がすでに成り立ってしまっているからこそ、初めの一歩の踏み出し方にためらうのだ。
 今の関係を壊すことが怖いのではない。エドワードを手の内にうまく入れておくためには、壊し方を間違えるとひどく困難になる。それがロイは怖い。だって、檻の中に閉じ込めてしまっては、エドワードの価値は失われてしまう。エドワードが、エドワードらしく在るままにロイの傍にいなくてはだめなのだ。ロイの気持ち――それは恋であり、愛であり、執着であり、本能――をエドワードが自分から求めてくれなくては意味がない。
となると、やはりエドワードが望む姿で接するしかないのか。
 父親のように、温かく、厳しく、険しく、そして優しく。
 出来るのか……やるしかない。そうでなければ、彼はきっと手には入らない。
「やってやろうじゃないか」
 そう誰にともなく宣言し、ロイは眠るエドワードの頬に口づけた。


 やさしく、やさしく愛してやろう。
 君が君らしく在るままに。
 決して、逃しはしない。
 私が私らしく在るために。


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マダムと話すときの一人称は「俺」でいいと思うんだ……。
増田さんはわりと欲張りな人です。