※R-18でおねがいします。



ニューロン


『もし、君が嫌でないのなら、一緒にいてくれないだろうか』


 いま一緒にいるだろ、と言う余地はなかった。他のことを考える余地はなかった。
 部屋の中で、外から内の見えない影に立って、ロイに両手を取られている。よく見かけた、女性とデート中の目ではなかった。楽しそうでもなく、かといってせつなそうでも、緊張しているふうでもなかった。これと似ている目を見たことがある。
 面倒だけれど大切な仕事に向かうときの目だった。だから、この告白が、決してうわついたものではなく、自分をからかうためのものでもないことははっきりとわかった。
 ロイにこうやって言葉にされて、エドワードはいくら悪態をついて嫌がって慣れ合わない素振りを見せても、その実、ロイの傍にいることが好きだったことに気づいた。
 嫌でないのなら? 嫌じゃない。傍にいられるのなら、それは幸せなことだと思う。だから頷いた。
『うん』
 本当にいいのか、意味はわかっているのか、と重ねて聞かれた。
『わかってる。ちゃんとわかってるよ。俺も大佐と一緒にいたい』
 お互いに、好き、だとは言わなかった。でも気持ちは通じあった。通じあったのなら、次に何が起こるのかは恋愛にうといエドワードだって知っている。だから、告白から一ヶ月が経っても、手をつなぐことすらないのはおかしいんじゃないか、そう思い始めていた。


 一ヶ月、別に毎日会える場所にいたわけじゃなかった。ロイには仕事があるし、エドワードにはやることがある。イーストシティから遠く離れた南の地で賢者の石の情報を求めてさまよい歩いていたから、顔を合わせたのは実質一週間ほど。でもその一週間はイーストシティにずっといて、なんだかんだで毎日東方司令部に顔を出して、ロイの執務室にだって行った。ロイはただの後見人と被後見人の間柄だった頃には見ることのなかった優しい顔を見せてくれたし、声だって甘やかすような柔らかい声を聞かせてくれた。だから、確かに変化はあった。エドワードもまた、前より少し素直になったし、声には自然に喜びが混じっていたことを自覚していた。二人でいる部屋には、どことなく砂糖のような雰囲気が漂った。でも、何もなかった。
 幼い頃、ウィンリィを好きだなと思ったときは、彼女と手をつなぐのにドキドキした。だから、好きになると身体的な接触を欲するようになることは知っている。欲するだけでなく、その先があることだって知っている。まだ経験したことはないけれど。
 それはたぶん、ロイからの告白をただ受け入れただけだったエドワードにとって、最初の関門だった。
「初恋?」
「そ、初恋」
 休憩時間を狙って司令部に顔を出すと、ロイはまだ仕事で会議室にいるそうで、先に休憩に入ったハボックやブレダが話に花を咲かせていた。テーマは、初恋、だそうだ。
「エドの初恋の相手はどんな子だったんだ?」
「野暮なこと言うなよ、ブレダ。幼馴染のウィンリィちゃんだろ?」
 また大の大人がくだらない話をしているものだ。エドワードの呆れたような目つきに気づいたのか、ハボックは煙草をくわえながら、へへへと笑った。
「この年になると昔を懐かしむのも楽しいもんなんだよ」
「カウントダウン三十路ならともかく、少尉たちはまだ若いじゃん」
「青春真っ盛り世代の大将に言われてもなあ」
 にやにや笑いは苦笑に変わり、少尉二人は顔を見合せた。
「エド、ファーストキスはレモンの味がするんだぞ」
「嘘を言っちゃいけねえな、レモン味じゃなくてイチゴ味だ」
 真剣なブレダの言を、同じく真剣なハボックが否定したが、エドワードにはレモンでもイチゴでもないように思われた。経験がなくてもそれくらいはわかる。
「ブレダ少尉はレモン味、ハボック少尉はイチゴ味のアメでも舐めてたのか」
 だから真顔でそう返してやれば、二人はつまらなそうに眉を寄せた。
「からかいがいがないなあ、エド」
「なんだ、とっくに済ませてたのか……ん? 相手、誰?」
 大人のくだらないやり取りを斬って捨てたら、余計なところに興味を抱かせてしまったようだ。
 実際はまだだけれど、適当に言っておいたほうがいいか。からかわれるのは嫌だし。と考えている頭に浮かぶのはただ一人だった。途端に顔に熱が集まる。
「おー、大将の顔、真っ赤だ」
「あんまりこどもをからかっちゃいけないよな。ごめんな、エド」
 そう言いつつもブレダは人の悪い笑みを浮かべてエドワードの背を小突く。
 どんな子?とまた先ほどと同じようなやり取りが繰り返され、エドワードが答えられないでいるうちに、二人の話は別の方向へ移って行った。
 その途中だ。二人の会話をただ聞いていたエドワードは、自分の顔が蒼白になっていくのを感じた。
「エド? 大丈夫か?」
「具合悪い? 医務室医務室!」
 なんだかんだで優しい二人は医務室に連れて行ってくれようとしたが、エドワードは慌てて断って、その場から走り去った。ロイに提出する予定だった書類を抱えたまま。
 中身もくしゃくしゃになっただろう封筒を握り締めて、走って走ってたどりついた先は、ロイの家だった。顔を上げ、無意識のうちに向かったのがここだと気づいたときには泣きたくなった。たぶん、いま一番会いたくない……会えないひとの家だというのに。
 それでも手は自然に合鍵――周囲には、蔵書を自由に閲覧できるように、とロイは説明していた――をポケットの中から拾っていた。
 アルフォンスとともに宿をとっているから、ロイの家に来たのは久しぶりだった。相変わらず、散らかっているのか片付いているのか判然としない部屋は、前回来たときと何も変わっていない。
 ロイが帰ってくる前に出て行けばいい、と結論付けて、エドワードはソファーに腰をおろした。
「やっぱ、おかしいよな……」
 キスどころか手もつながないなんて。
 触れあったことがない。
 好きだったらさわりたくなるものなのに。
 ハボックやブレダは言っていた。ロイは女性をくどいてその日のうちにいい仲になることなど日常茶飯事だと。ハボックがまた彼女に振られたと言って嘆くのをブレダが呆れつつもなだめて、その途中で出た発言だった。以前、デート中のロイを見たことがある。女性の腰にさりげなく手をまわしてエスコートする姿は思い出そうとしなくても頭に浮かんだ。彼女たちには、あんなに触れているのに。
「……年齢、か?」
 エドワードはまだ14だ。もうすぐ15にはなるが、それでもロイの年齢のほぼ半分。好きだといってもロイのそういう対象にはならないのかもしれない。だとしたら、このじれったいような気持ちはエドワードの一人相撲だ。
 もうひとつ、理由があるが、それは考えたくなかった。ブレダやハボックを心配させてしまったあのときに考えたことは、もう頭の隅に追いやってしまいたかった。
 ロイに自分から触れてみれば、この焦燥は消えてなくなるだろうか。ロイの熱を感じてみれば、安心出来るだろうか。
 どちらにしても、今日は無理だ。ロイと顔を合わせたら自分がみっともないことになってしまいそうで、だからさっき決めたとおりに、夕方になる前には帰ろうと思って、エドワードはソファーに身をうずめた。お日さまの匂いのかわりにロイの匂いがするクッションをかかえて。


「鋼の、……鋼の、起きなさい」
 何度も呼びかけられて、エドワードは目を覚ました。ぼんやりと見渡した室内には明かりがついていて、窓の外はすでに暗かった。
「なっ、俺……!」
 慌てて飛び起きると、目の前に面食らったようなロイがいた。
「ごめん、寝ちゃってた。あ、これ書類。お、俺、もう帰るから」
 視線を合わせられなくて、書類を無理やり押しつけると、エドワードは立ち上がってロイの脇をすり抜けようとした。が、それは叶わなかった。
「……腕、離してくれ」
「部下に聞いた。具合がわるいそうだな。疲れてるんだろう、客間のベッドを用意したから休んでいくといい。アルフォンスには連絡を入れておいた」
 ロイは腕を離してはくれたが、代わりにロイの手が額に押し当てられた。
「熱はないようだな」
 ようやく訪れた接触は、あっさりと離れていった。とてもあっさりと。
 まるで距離が縮まっていないことを象徴するような、短い接触。離れていく熱は、エドワードへの未練も何も残していない。
 せっかく触れたのに、安心なんて全然出来なかった。ますます、不安が募るばかりになってしまう。
「食べられそうなら何か腹に入れたほうがいい。いま用意するから少しだけ待っていなさい」
 そう言ってキッチンへ向かう背中がどんどん離れていく。たいした距離ではないはずなのに、そのまま遠くへ行ってしまうみたいに思えた。
「やだ……」
 ぽろりとこぼれた呟きに、ロイが振り返る。
「鋼の?」
「やだ……!」
「食欲がないのなら、無理はしなくていいが」
「ちがう!」
 エドワードは今度こそ、自分から一歩を踏み出してロイとの距離を詰めた。1メートル、50センチ、10センチ、そして。
 振り向いたロイの胸にどんとぶつかって、無理やり距離をゼロにした。顔をあげて、ごく近くでロイを見つめる。
「パンとかスープはいらない。俺は大佐をたべたい。大佐に……たべられたい。……俺じゃ、食う気になれない?」
 離れようとしたロイに、躊躇なく抱きついた。一瞬身じろいだロイの腕は、しばらくしてエドワードの背中に回った。
「正気か?」
「なんだよ、大佐にさわりたいって思っちゃだめなのかよ!」
 駄目じゃない、と囁いたロイの息が唇にかかった。


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