※増田→兄さん→アル(出てこないけど)です
※続きを書くとしたらロイエドになるのでロイエドカテゴリにしました


いびつなデルタ


 不毛な恋だと思う。というよりも正常ではないと言うべきか。
 近親相姦はアメストリスでは法律上認められない。隣国もまた同じ。主に遺伝的疾患の回避、心理的嫌悪が理由とされている。つながった血の中で交配を繰り返せば異常が生じる。妊娠の可能性も低くなる。本能として避けるように体は作られている。ゆえに、自然に沿うように法で定められたのだろう。
 その本能が捻じ曲げられているのだから、やはり異常というべきだ。男が女に惹かれるように、また女が男に惹かれるように、性別という要素を加味すれば、時には同族という倫理や本能を超えることもある。
 この想いにはそれもない。本能が直角に二度曲げられた結果、弟に抱くべきではない感情を抱いている。
 ああ、三度か。弟の体は今、無機物だ。もう一度曲がれば正常に戻るがもう要素はない。
 視点を変えれば彼は弟でありながら生身の体を持たないから血縁ではなく(あくまでも今というときに限定するなら)、子の生まれる可能性だって皆無。世間の目さえごまかせば障害はない。一方通行な想いでなければ。
 結論は、
「不毛だな」
と、黒髪の男は言った。現在、エドワードの秘めた想いを知っている唯一の人間だ。
「告白してしまえばいいじゃないか」
 馬鹿なことを言う。兄としても傍にいられなくなったらどうするのだ。
 エドワードは度々提示される男の案を、今回もまた却下した。
 アルフォンスのどこが好きなのかはわからない。好ましい長所や憎めない短所は挙げればきりがないが、それら一つ一つは兄の持つ弟に対する親愛の情としておかしくない。それがなぜ、自分の心を通すと恋――つまり欲をともなう感情に変換されるのか。
「どうしてだと思う?」
「さあね。どんな研究者にも解明できない人類の永遠の命題だろう」
「ロイ・マスタングという一人の人間に限定して教えてくれ」
「なかなかの難題をつきつけるな、鋼の」
 相手が途切れることがない、という噂のマスタングが、つきあう女性すべてに本気とは思えない。もしすべて本気なのだとしたら、どれだけ多情なのだろう。
「そうだな。まさに本能、というべきではないかな。恋愛は理屈でするものじゃない。理屈はあとからついてくるかもしれないが、なくても成立はする」
「マスタング先生のご高説によれば、先生は下半身の生き物ということですか」
 マスタングはあけすけな批判に少しむっとしたが、すぐに薄笑いを浮かべた。不満をあらわにしたことすらポーズにしか過ぎないのだ。
「本能を表に出すために理性でコントロールする。三文恋愛小説の受け売りだよ」
「だから好きでもない女と付き合うのか」
「世間をうまく渡る術だ」
「……あんたが本気になったら面倒くさそうだな」
 ははは、とマスタングは心底おかしそうに笑った。似たようなやり取りを数えると、もう片手では足りなくなった。

 侵略を常に目論む国々に囲まれたこの国において発言権を得るなら軍部に所属するのが手っ取り早い。エドワードはロイがどのような目的で軍に入ってのし上がり、三十を間近に大佐などという地位についているのかは知らない。さしづめ、この国を変えるためとか錬金術師は大衆のためにあれという教えを彼なりに果たすため、あたりではないかと睨んでいる。ロイ・マスタングという男は存外に理想家だ。
 当たっているとすれば、身体を取り戻すために軍の狗となった自分よりよほど綺麗な思考の持ち主だろう。
 弟に懸想しているなど他人に知られたら正気ではいられないが、マスタングにだけは知られても焦りはなかった。たとえ内心嫌悪しているのだとしても表に出さない度量が彼にはある。エドワードにとってマスタングは、その点では信用できる人間だ。
 ゆえに逃げ場所たり得る。
 弟は先に図書館に行っている。旅の間は耐えられても、イーストシティに着くと気持ちが緩んでしまって、気がつけば鎧の身体に手を伸ばしている。原因は”逃げ場所がある”、これにつきるだろう。
 生身の左手で鎧の冷たさを感じ取ろうと触れる寸前に、こぶしでゴツンとたたくと、弟は「どうしたの、兄さん」と振り返る。何にも気づかず。「なんでもない」繰り返すたびに、いつこの自制が利かなくなるのか不安になってくる。
 鎧の顔を手と舌であたためてキスしたい。冷たさもきっと熱に変化していく。
 そんな衝動をここに逃げ込むことでこらえている。さいわいだったのは、第二次性徴を経ても淡白というところか。でなければ鎧の身体を拘束し、膝に乗って身を擦りつけ、みっともなく善がっていたことだろう。兄弟の絆すらずたずたにして。
「まあ、好きなだけいるといい」
 すべてを知っているわけではないにしろ、マスタングはその執務室に馬鹿なこどもが愚かな理由で居座ることに寛容だ。
「楽になりたいのなら、手伝ってやろうか」
と軽口を叩くのもいつものことで、艶めいた申し出に「いらねーよ」と返すのもいつものことだった。そんなのは一度で充分だ。充分懲りた。
「あんたも物好きだよな」
「己の好奇心を満たすのには貪欲なんだ」
「こんな身体で? ……ああ、でも、アルが好きになってくれるなら、全部取り換えてあげてもいいな。いや、好きになってくれなくてもいいから、この身体でいいなら全部やりたい」
「君が消えても?」
「アルのためなら」
「アルフォンスはそんなことは望まないよ」
「知ってるさ。だから無理なんだ」
 魂を定着させるために腕一本。足も一本失った。
 ならば残りを全部使えば、五体満足といかなくても取り返せるかもしれない。それは常にエドワードの頭に巣食う甘美な誘惑だった。実行しないのは、ひとえにアルフォンスの「一緒に戻ろう」という言葉があるから。
 独りよがりの愛をアルフォンスに押し付けるわけにはいかない。
 エドワードはため息をもらし、ソファーの上で身を丸くした。タイミングを図ったかのように、ロイの匂いが降ってくる。
 脱いだばかりの軍服には、アルフォンスにはない物理的な温かさがあった。その中に顔を隠して、数を数える。延々と。時には構築式を考えて、アルフォンス以外の事象に思考を沈ませていく。
 その間ずっと、ロイはエドワードがいないかのように振る舞い、放っといてくれる。兄の仮面をかぶりなおすまで。


 しばらくソファーに転がっていたエドワードは、「邪魔したな」とだけ言って出て行った。来た時には、その顔で廊下を歩いてきたのかと咎めたくなるほどに頬を赤らめ、瞳を潤ませていたというのに、帰る頃には誰から見てもおかしくない、ロイの目からすらおかしくは見えないエドワードに戻っていた。
 確かにここは逃げ場所だ。エドワードはここに、衝動と欲望と苦悩を置いて、禁欲と柵をまとって去っていく。容認したのはロイ自身で、誰のせいでもない。投げたクッションは扉に跳ね返って、下へと落ちた。
「不毛だな」
 不毛な恋は二つ、存在している。
 かなわない恋に身を焦がす13も年下の少年への恋慕など、不毛以外のなにものでもない。
 いくら女性がいるとはいえ、軍部における男女の比率は一般社会に比べればずっと崩れている。戦場に、もしくは長期の野外演習に出れば、同性を異性の代償にすることも少なくはない。性的にノーマルな男でさえそうなのだから、元から同性を性愛の対象にする男は当然のように、なんのためらいもなく男に手を伸ばす。しかしこれは軍内部における通説であって、外の世界においてはなかなか受け入れられがたいことは誰もが知っていた。さらに、軍にあってもその類の志向を嫌悪する人間はいて、しばしば昇進のための権力争いの道具になる。有力なライバルが男と寝ているのを知れば、ホモフォビアの上官にそれとなく耳打ちをするとか。
 現に、エドワード・エルリックはロイ・マスタングのお気に入り、などという噂を誰かが吹聴し、面と向かって揶揄されたこともある。根も葉もなくはないところが笑える話だ。いつのまにか種は撒かれ、芽が出てすくすくと育ってしまった。相手はたかが16のこどもなのに。
 欲の吐き出し方の不得手なエドワードに「手伝ってやろう」と親切な大人の仮面を纏って手を出したのは記憶に新しい。たった一度で終わったが。
 誰もがやる慰め方を教え、後始末をしてやった。それだけだ。
 せめてあのとき、もう一歩を踏みこんでいれば事態は進展していただろうか。
 いや、結局は何も進展しない。彼には弟しか見えていない。ロイの仕掛けも暇つぶしの戯れくらいにしか思わず、弟を想って蕩けた姿でロイの指をはじくのだろう。まるで性質の悪い女のように。
 まったく。あんなふうに自覚がないから、ロイの元にエドワードへの誘いが舞い込むのだ。
 史上最年少の国家錬金術師という肩書は、本人の実力以上の意味を持ち、また実力を無視する側面も持っている。ロイにとっては軍で発揮させようとは露とも思わないエドワードの錬金術の腕前を、自分の下に取り込むことで力を得ようという輩がいる。その一方で、国家錬金術師など関係なしにエドワード本人に興味を覚える者もいる。
 エドワードは一般的な基準でも見目のよいこどもだった。アメストリス人に金色の瞳は珍しいし、金髪と併せ持つ人間は、ロイの記憶ではエドワードしかいない。機械鎧の武骨さが惜しいがね、と言いつつも容姿に惹かれて身体を目当てとする人間から、一晩でも貸してくれないかという要求をはねのけた回数はちょうど片手一本分。回数を多いと取るか少ないと取るかは人によって判断のわかれるところだが、ロイにしてみれば回数がどうであろうと腹が立つだけだ。後見人に了解を取ろうとするだけまだまし、と言ったところか。
 しかしその後見人自身が彼を狙っているのだから、もはや笑い話にしかならない。
 理性もいつまで持つのやら、とロイは苦笑し、エドワードの置いて行った一枚の報告書を手に取った。
 ここに来るまでの汽車の中で書きあげたと思しき報告書は、必要最低限の旅のメモだ。ところどころ字がゆがんでいるのは、汽車がゆれたせいだけではないだろう。きっと、こみ上げる衝動を抑え、ごまかすためにペンを強く握ったせいだ。
 ゆがむ筆跡に指を這わせ、エドワードを想う。
 叶わない恋を諦めろとはいわない。
 しかし、いつか諦めてしまえばいいと思っている。
 いや、いつか、ではなく今すぐにでも。そうしたら優しく慰めて、飴のようにとろとろと甘やかしてやるのに。


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文字書きさんに100のお題 Project SIGN[ef]Fより 29:デルタ