※R-15くらいでおねがいします。
※時系列は、トランキライザー、ニューロン、髪の長い女・合法ドラッグ、の順です


髪の長い女


 たとえば。
 好きな相手の家で、ドキドキしながら帰りを待っているとき、ふとソファで一本の長い髪を見つけてしまったらどうだろう。
 普通に女の客人はこの家を訪れる。何もしなくたって髪の毛が抜けるのは自然の摂理だ。だからこれは、単にこの家を訪れた女性が居間に通され、このソファを勧められ、腰をおろして歓談しただけ。仕事の話かもしれない、金髪だからホークアイ中尉かもしれない。
 だからこれは、思い込み。考えすぎ。被害妄想。だってここはベッドじゃないんだから。
 となると、どうしても気になる。
 ベッドに髪の毛はあるか。
「どう考えてもこんなんやりすぎだし、プライベートの詮索は野暮だしルール違反だってことはわかってるさ」
 誰にともなく言い訳をして、一人きりの家で、家主に断りもなくプライベートルーム、つまるところ寝室に足を踏み入れた。
 あるのは造りつけの家具がわずかと、ベッドが一つ。このベッドが曲者で、スプリングがちょうどよく、大きくて、どうにも寝心地がよくて手放しがたい品だった。
 明かりをつけ、ちらちらと反射する髪の毛がないかどうかを探す。
「無い」
 ほうっとついたのはまぎれもなく安堵のため息だった。女性には失礼だが、これは間違いなく女々しいと呼ばれる行為だ。
 好きなだけ旅に出て、滅多にここには寄りつかない。だからその間、成人男子の生理として誰かと一夜をともにすることを責めるつもりはない。いやだけど。本当にいやだけど。なぜなら、どうしたって女性のほうが柔らかくて気持ちいい身体をしているだろうし、受け入れてもらうのだって楽だ。相性が合えば、二度、三度、と繰り返すこともあるだろう。そのうちに身体から気持ちに発展していく可能性だってある。そうなったら、待っているのは恋人関係の解消だ。
 ロイと別れたくなんてなかった。
 初めから障害だらけの恋だって。
 まず、二人は男同士だ。軍隊では触れてはならないほどのタブーではないが、世間一般の目は決して温かくはない。さらには年の差と地位の差。もしこの関係が明るみに出てしまったら、ダメージを受けるのは年上で、大佐の位を持っているロイだ。エドワードはまだこどもの年齢で、国家錬金術師とはいえ少佐相当。通常の大佐と国家錬金術師であればその権力は一概には確定しないが、ロイは大佐の上に国家錬金術師だ。この差は大きい。後見役として、権力を楯に無理を強いたと、邪推する輩もいるだろう。彼らは嬉々として吹聴するはずだ。
 そして、これは漏れてはいけない秘密。自分が、人体錬成の禁忌を犯していること。
 エドワードはうすうす気づいていた。大総統キング・ブラッドレイがその秘密を知っていることに。
 この時点で、すでにエドワードはロイのアキレス腱になっていた。何かあっても切り捨ててくれる人ではないのだ。そのことでホークアイやハボックたちが悩んでいることを知っている。ロイは優しすぎる。エドワードの恋情だって、本人より先に気づいて、真綿でくるむように受け入れてくれた。好きだと自覚するより先に、好きだと告白された。
『もし、君が嫌でないのなら、一緒にいてくれないだろうか』
 嫌じゃなかったから、頷いた。そうして一緒にいるうちに、ロイのことが好きなのだとわかった。悪態をついて反抗するのも、危険を顧みずに飛び込んで行ってしまうのも、女性遊びが派手なことに潔癖さからの嫌悪を露わにしたのも、みんなみんなロイのことが好きだったからだ。姿を見て早くなる鼓動は、気が合わない相手への苛立ちからだと思い込んだ。言い争いになって振り回した手が触れて思わず振り払ったのもロイを嫌いだと思っていたから。
 恋愛経験値の少ないエドワードのことなんて、ロイはすべてお見通しだった。行動の全部が、好きの裏返しだということを。
 ロイはエドワードの行動すべてにつきあってくれた。根気強く。からかわれはしたし、叱られもしたけれど、無視だけはされなかった。後回しにされたり冷たくされたりはしたこともあったけれど、その後に必ずロイ自身の言葉で理由が告げられた。
 大事にしてもらっている、という実感に身体が満たされた。
 だからひょっとして、勘違いをしているのかもしれない。
 ただ、大事にしてくれているだけで、愛されてるわけではないことに目をつぶって。
 後見を引き受けたこどもを傷つけないように、恋愛の相手を務めてくれているだけかもしれない。
 ベッドじゃなくたって、このソファで、誰かと愛し合っているのかもしれない。明かりに透けるこの髪の持ち主と。
 誰、と聞くことは出来そうになかった。
「……やっぱり、今からでも宿取ろうかな」
 アルフォンスはイーストシティではなくセントラルにいる。ヒューズのところで今頃エリシアと遊んでいるだろう。エドワードは一人のときはロイのところか司令部の仮眠所に泊まることが多いから、今回も宿は取っていなかった。けれど、この時間でも軍関係者用の宿なら一部屋くらい空けてもらえるはずだ。
 ロイの匂いがあまりしないソファで帰りを待つことにこれ以上耐えられそうにない。横になって丸まっていると、際限なく思考が悪い方へ悪い方へと下っていく。いつのまにこんなふうになってしまったのだろう。もっと、自分をしっかり保って、周囲に惑わされず、弟と目的のためにまっすぐ歩くことを心に決めたのに。ロイのことを考えると、途端にふにゃふにゃと心の形がゆがんでいく。こんなに弱くなるなら、恋なんてしなければよかった。
「ああ、でも大佐は強いな」
 ロイは大人だ。だらしのないところや情けないところだって知っているけれど、エドワードから見ればロイは強い大人だった。
 エドワードに対するロイのそれは、恋じゃないから。だから強い。心は弱くならない。
 ずっと目をそらし続けていた事実に思い当ってしまった。そうだ、これは最初から恋じゃなかった。違う、エドワードは恋をしていたけれど、ロイはしていなかった。だから最初から、恋人関係なんてなかったのだ。あったのはたぶん、身体の関係だけ。
 こどもといえど男の硬い身体に、機械鎧の硬さと冷たさ。よく、こんな身体を文句も言わず、抱いていたものだ。解すのだって時間がかかる。喘ぐけれど悪態だって吐く。いやだ、いたい、くるしい、はなせ、ばか、へんたい、ろりこん、ほも、罵ることは日常茶飯事だ。そのたびにロイは丁寧にエドワードの身体のあちこちを触って、熱くして柔らかくしていく。だめだと思うことはあっても気持ちわるいと思うことはなかったし、だるいことはあっても耐えられないほど痛くなることはなかった。ロイと抱き合ったときに嫌だと思ったことなど、ただの一度もなかった。でも、ロイはきっと気持ちよくなかった。楽しめてすらいなかった。
 本当に、損な人だと思う。
「……何て言えばいいのかな」
 別れの言葉は。
 国家錬金術師を続ける限り、ロイとの縁は切れない。史上最年少で資格を得た人間の後見というのはある種のステータスにはなるだろうから、こちらから縁を切るのはロイの不利益になる。少しくらい恩返しをしたい。それくらいは許されるだろう。
 だから一か百かの別れじゃない。関係の中身が、元に戻るだけだ。それもエドワードのほうだけ。だとしたら。
「別れよう、じゃあおかしいな。やっぱり、ありがとう、かな」
 クッションを抱え、身体を丸めて「ありがとう」と呟いたら、なぜか返る声があった。
「何がありがとうなんだい、鋼の」
 ぼんやりと顔を上げると、ずっと頭の中を占めていたひとがそこに立っていた。
「うん、あんたに。お礼を言いたくて」
「では、その前の『別れよう』は?」
「ごめん。それは違うんだ。だって別れるも何も、あんたと俺はつきあってなんかな――」
 ない、と言おうとした口は、あっという間に近づいてきたロイの手のひらにふさがれた。
「誰かに何かを言われたのか?」
 離してくれないので答えられない。代わりに、ぶんぶんと首を振った。
「ならば何故」
 だから手のひらをどかしてくれないから答えられない。ロイはわかっているのだろうか。その形相は、怖いくらいに真剣だった。
 焔の二つ名とは正反対の、氷のように冷たい目。
「私は君を手放す気はない。一緒にいてくれと頼んだ私に君は『うん』と言った。君があれから心変わりしたとしても、私は許さない。君は、私だけ見ていればいい」
 ちがう。その双眸は、氷ではなく。
 冷たく斬れるほどの灼熱。
 そしてくちびるも、とてもとても熱かった。
 呼吸もさせてもらえない、苦しい口づけの合間にも服ははぎとられていく。脚の間に差しこまれた膝に刺激を与えられ、エドワードは身体を振るわせた。
「君は何を思った。なぜ、別れるなんて考えた」
「だ、って……あんっ……あんた、は、っう……おれのこと、んっ……すき、じゃ、ない……やあっ、や、だ、だめ……いたっ」
 あまりに強い刺激に痛みすら感じる。こんなふうなロイは初めてだった。いつも優しく、甘く、抱いていたのに。
 こんな、蹂躙するみたいなやり方は、ロイらしくない。嗚咽と嬌声が入り混じった自分を、エドワードは恥ずかしいと思った。涙も流れてきて情けない。怖い、初めてロイを怖いと思った。
 ロイはエドワードのわずかばかりの抵抗を力強い身体であっさりと封じ、まるで肉を食らうかのように、べろんとエドワードの頬を舐めあげた。
「ひぃっ……あ、ああっ……」
「勘違いをするな、鋼の。私が君を好きじゃない? 好きなんてものじゃ生ぬるいな。愛ですら生ぬるい。私は君のすべてが欲しいんだ。君が目的を果たすまで猶予をあげているだけ」
「あうっ……だめ、そこ、はっ……ん、……やっ」
「目的を果たしたら、全部もらうよ」
 エドワード、
 そう囁かれて、身体中の血が逆流するかと思った。


 揺さぶられて喘ぎながら、ロイの執着に彩られた眼差しが何よりも愛しいと思った。
 この間もこのソファで君を抱いたな、と言われて、エドワードは己の愚かさに気づいた。
 なんだ、心配は杞憂だったじゃないか。
 金色の髪の毛は、自分のものだった。



back


文字書きさんに100のお題 Project SIGN[ef]Fより

兄さんにすっごく執着しちゃっている増田さん。