※R-15


もろく、崩れやすくて

 ぬくぬくと心地よく、まるでぬるま湯のよう。
 目に映るアルは暖炉の前で絨毯にぺたりと座り、本を広げている。よほど興味深いのか、熱心に読んでいて、気になった箇所があれば「兄さん」と呼びかけ、内容を読み上げた。エドワードは幸せな気持ちで見つめ、アルに相槌を打つ。
 寒い日も部屋の中は暖炉の火で暖かかった。そして後ろから回される腕も、背中にくっつく誰かの身体も暖かい。ソファーに座るその人物の足の間に抱えられ、エドワードは穏やかな時間を過ごしていた。
『オアシスには一日しか滞在しちゃいけないんだって。なんでだろうね』
 砂漠を歩く旅人の話をアルは読んでいた。砂漠には旅人の樹と呼ばれるオアシスがあり、行き交う人々に食べ物と水、そして休息を与えている。ただし、滞在していいのは一日だけ。禁を破って二日以上居座れば、旅人の樹は人を隠す。隠された人がどうなったのかは誰も知らない。
『限りがあるからじゃないか? オアシスって言ったって、無尽蔵に水があるわけじゃないだろうし。いろんな人が訪れるから、みんなに行きわたるように、誰かがルールを作ったんだ』
『なるほど。ほんとにいなくなっちゃうわけじゃなくて、早く寝ないとお化けが出るぞーってお父さんやお母さんが小さい子に言って聞かせるみたいなものだね』
 アルは納得したように本に視線を戻したが、それを止めたのはエドワードを腕の中に収めた男の声だった。
『それはどうかな』
 低く安定感のある声が身体に響く。アルが絨毯から男を見上げた。
『じゃあ、……はどう考えるの?』
 男が微笑んだ気配がした。
『……さみしいから、かな』
『さみしい……?』
『そう。オアシスには様々な人間が来るが、誰もが目的地を持っていて、オアシスにとどまる者はいない。旅人の樹も、自分が通過点でしかなく、彼らを見送らなければいけないこともわかっている。ただ、時折さみしくなるんじゃないかな。自分だけがいつも一人取り残されることに』
 男の言葉は意外だった。男のまわりにはいつも人が絶えることはなかったし、かといって一人になっても苦もないだろうと思ったのに。
『一日なら我慢出来ても、二日もいられるとつい引きとめたくなるってこと?』
 エドワードが振り返ると、そこには寂しさのなかに欲望のちらつく男の目があった。
『私には旅人の樹の気持ちがよくわかる』
『……は一人じゃないだろ。……や……がいるじゃん。それに……って、やだ、手……だめっ』
 男の手がいつの間にかエドワードの服に忍び込み、腹をやんわりと撫でる。臍をくすぐる指に身をよじっても男の腕はしっかりとエドワードを抑えつけていた。
『あ、んっ……ふ……ア、アルが、見て……あんっ』
『平気だよ。……ほら、見てごらん』
 声が上がるのをこらえるエドワードを、弟の丸い二つの瞳が見つめている。にっこりと微笑みながら。よかったね、兄さん、と。幸せだね、と。
 男の舌が項を辿る。濡れた感触に、エドワードは息を呑んだ。
『ひぃっ、あ……』
 軽く食まれ、なだめるように舌が這う。徐々に敏感にさせられていく身体に、吐く息が熱を帯びた。戸惑いはなかった。当然のように、身体が男の行為を受け入れていく。
『ああ、っ……だめ、……だめだ、って……』
 だめ、と口では男を制止しながら、開かれた足を閉じることもせず、ただ喘いで背をそらすだけだ。気持ちがよくて眩暈がしそうだ。
『ん、んっ、あっ……たい、さっ……大佐っ――』
 後ろから弄られているだけで顔が見えない。キスをねだろうと振りかえったところで、ぼんやりと思った。なんという夢を見ているのだろう。アルに見られて興奮して、違和感もなくロイを受け入れている。まるで現実味がなかった。
 身体が熱いのは本当で、しかし夢の中で、夢を見ているのだとわかる。ありえないことだった。
 だって、自分が愛しているのはアルで、欲望を抱くのもアルに対してで、そして――ロイがこんなことをするはずがない。してくれる、はずが、無くて――
『あ、あんっ、……んう……ん、ん……ふ……』
 求めたとおりにキスが下りてくる。誰かと口唇を合わせるのは初めてなのに、ためらいなく舌を迎え入れた。熱くて、絡め取るような強さで息を奪って行く。頭がぼんやりとする。このまま、全部奪われて行くのじゃないかと思うくらいに。いつのまにか身体は反転させられ、ロイの腕が背に回った。
「可愛いな、鋼の」
 微笑むロイの視線に、顔が赤くなるのが自分でもわかった。恥ずかしくて、隠れたくなって、目の前の胸に顔を押しつける。甘えるように頬を擦りつければ、客用ベッドでは足りなかったロイの匂いがした。
「大佐の、匂いだ……」
「……っ」
 それは反則だ、と聞こえた気がした。何のことかわからない。ただ、気づけばまた口唇が重なり、背中を撫でおろしていた手は、そのままさらに進んで、性急に下着をおろす。露わになったそこにロイの手が絡んだ。
「ああっ、あっ、だめ、……まだ、んっ……あっ、ああっ」
 一度、自慰を手伝われたことがあった。あのときも気持ちがよかった。罪悪感と隣り合わせだったけれど、気持ちがよかった。でもこれは、それとは比べものにならない。身体が熱くて、ロイの手が熱くて、吐息が熱い。夢じゃなくて、現実みたいに――
「んっ……う、あっ……あ……え……?」
 目を開ければ、そこにいるのは、ロイだった。間違いなく、現実の。ハボックに抱えられ、疲れ果てて目に隈のあった、数時間前に見たばかりのロイだった。
 すっかり惚けていた身体が、そうと認識した途端、ぎくりと強張る。
 いったい何をしていたんだろう。なんで当然のように、ロイと抱き合おうとしていたんだろう。気持ちがいいと受け入れていたんだろう。本当に、ロイに抱いてほしかったみたいな夢を見て。
「鋼、の……?」
 反応がないのをおかしいと思ったのか、ロイの手が止まる。訝しげにエドワードを覗きこむロイの黒目には、なんとも間抜けな姿が映っていた。笑いだしたくなった。泣きたくなった。叫びたくなった。
 消えてしまいたい、と。そう思った。

「……兄さんっ!?」
「出るぞ」
 夜中に階段を駆け降りてきた兄に、アルは驚き、二階を見上げた。
「何かあったの?」
 すっかり旅支度を終えた姿に首を傾げる。
 アルの疑問はもっともだった。しかしエドワードに答える術はなかった。アルの、実態のない目にじっと見つめられても、何の答えも返せない。
 しばらくアルは考え込んで、ようやく「わかった」と言った。それ以上、何も聞かないでくれるアルの優しさが嬉しかった。
 寸前まで高められた熱は、冷や水を浴びせられたみたいにすっかり醒めていた。思い出したくもない。
 汽車も無い夜の闇へ踏み出し、エドワードはアルとともに恩人の家を後にした。このところ臥せっていた身体に夜の寒さは堪えそうだ。
 でももう、あの安らげる場所へは戻れない。オアシスの守り人に、ひどいことをしてしまった。あの温かい腕の中に、エドワードの居場所はない。
 最初から、頼ってはいけなかった。
 これから先、一切顔を合わせないではいられない。エドワードの一存で後見人を変えられるほど、軍は都合よくは出来ていない。そのことはよくわかっていたが、それでもしばらくはロイに会いたくない。
「……違う……」
 会いたくないのではなく。
  会えるはずがなかった。
「ごめん、大佐……」
 エドワードの小さな小さな呟きは、すぐそばにいたアルにさえ、聞こえることはなかった。

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文字書きさんに100のお題 Project SIGN[ef]Fより 55:砂礫王国

今市子さんの「旅人の樹」参照。