すれ違わざるすれ違い


 廊下の床に手紙が置いてあった。否、落ちていた。
 あまり人どおりのない場所だし、落とし主がすぐ捜しにくるかもしれない。そう思って、いったんは放っておいた。
 次の日、まだ手紙はそこにあった。
 エドワードはしゃがみ込むとようやく手紙を拾った。
 宛先はロイ・マスタング。
「またこのパターンなんだよな……」
 裏には差出人の名前があった。女性の名前が。


 ロイへの手紙を拾うのはこれが三度目だ。
 エドワードにとってロイのイメージときたら、街中でしょっちゅう女の人に声をかけられて、しょっちゅうそのうちの誰かと夕食をともにするというものだったから、手紙という古風な手段で想いを伝える女性に惚れられるのはなんだか不思議な感じがした。ロイの相手にはいいところのお嬢さんもいるけれど、そういうひとはたいてい、父親がおぜん立てをしている。決して、かの女性たちが軽いというわけではない。でも、実際にデートをする相手は、相手の父親経由か、つきあいに慣れた女性かにほぼ二分されていた。
 なんでこんなことを知っているかといえば、ロイがデート前にいちいち報告してくれるからである。
「はあ……これどうすっかな」
 恋文は面倒だ。
 一度目は宛先へ持って行ったところ、後日ロイから返事をもらったのだといってエドワードのところへ差出人がやってきた。
『渡すつもりじゃなかったのに!』
 怒られた。
 そのときに内容が愛の告白だったと知った。そういうこともあるのだと反省して、二度目は差出人へ持って行った。
『マスタング大佐は私の手紙なんてどうでもいいのね……!』
 泣かれた。ちゃんと事情は説明した。聞いてもらえなかった。
 どっちに持って行っても若干のトラブルになる。しかも、後から冷静になって考えてみれば手紙を落としたのは彼女たちの自業自得だし、この場合エドワードだけが損をしたようなものだ。
 そんなこんなで拾うの三度目。
 事務用の茶封筒ならいいのに。封筒は薄いピンク色で少しきついくらいに花の匂いが香り、裏には美しく封緘がしてある。他の何人たりとも開けてはいけない、という意思表示だ。伝わってくる気合いから、これは間違いなく恋文。
 さて、どうしたものか。一度目、二度目と彼女たちの望みとは正反対のことをしてしまったのでなおさら迷ってしまう。ちなみに二度目は、ロイの手には渡っていなかったことを確認している。女性のお名前とおところは教えたが、その後ロイがどうフォローしたのかは知らない。
 しゃがみこんだまま手紙とにらめっこしているところにやってきたのは、当の本人だった。宛先のほうの。
「腹でも下したのか?」
「いきなりご挨拶だな。ちょうどいいとこに来た。これ、やる」
 選択肢は二つだし、そのうちの一つがいま目の前にいるのだからこれはもう、こっちを選べ!という思し召しだろう。エドワードはそう解釈して、ロイに手紙を差し出した。
 なんだ?と呟いて受け取ったロイは、宛名を確かめると裏返した。
 困ったような、もてあますような表情を浮かべるのを見ると、なんとなく安心する。本人には伝えないけど。
 ロイがその場で封を開けだしたので、エドワードは慌てて背を向けた。まかり間違って中身を見てしまっては申し訳ない。
 というか、そもそももうここにいる必要はないのでは?
 エドワードは「じゃ、そういうことで」と立ち去ろうとした。出来なかった。赤いコートの襟をむんずとつかまれている。
「どこへ行く?」
「どこへって、食堂……とか?」
 常々ロイには、きちんと食事を取るように、と言われているので、「食」は時にはお小言にすら優先する。だから、一時間ほど前のおやつの時間に軽食を取ったにもかかわらず咄嗟に口走った。が、やはりこの場合はロイの意思のほうが優先されたらしい。
「とりあえず、私の部屋へ行っていたまえ」
「それ命令?」
「お願い、かな」
 けっ、性質悪ぃ。
 そして去ってゆくロイの背中を見ながら、言われたとおりに執務室へと歩く自分がわからない。たぶん、「命令」だったら無視して帰っただろうことだけはわかった。


「……またかよ」
 本日二度目。累計四度目の拾い物。今度もまた、ロイ・マスタング様宛だった。ただ、今度は小包で、包装紙は味もそっけもない茶色。ふっと漂う匂いは警戒心をあおる。
 選択肢は二つ。エドワードは迷うことなく選んだ。念の為右手で持ち、幾分そろりそろりと歩いて馴染みのメンバーがいる部屋のドアをノックする。開けてくれたのはホークアイだった。
「あら、エドワードく――」
 双眸が鋭くなる。火薬の匂いはホークアイにとって、かぎわけるのは容易いのだろう。出どころはそれかと短く確認する声に、エドワードは頷いた。
「フュリー曹長、爆弾処理班へ練兵場に来るよう連絡をお願い。マスタング大佐宛の小包爆弾よ」
 了解と同時に動いたフュリーは、内線でつないだ相手に準備をするよう要請した。
「ありがとう、それを渡してちょうだい」
 両手を広げて待つホークアイに、エドワードはわずかの間考え込み、結局渡すのをやめた。
「オレが持ってく」
「駄目よ。渡しなさい」
「あのさ、中尉」
 厳しい顔つきのホークアイを見上げ、エドワードは繰り返す。
「オレが持ってく。このサイズなら何かあっても範囲はそう広くないし、右腕を捨てられるオレのほうが被害が少ない」
 ホークアイはエドワードを見つめる。じっと見つめ返すと、やがてホークアイは諦めたようにため息をついた。とりあえず、これで決まった。そう思った瞬間だった。
「ハイハイ、じゃあこれ、もらってくぞ」
 二人が見つめあっている隙にいつのまにか近寄っていたハボックが、あっさりと小包をさらう。ホークアイを見れば、その面には何の緩みもない。図られた。
「……持ってくのがダメでもオレも行くからね」
「五メートルは離れていなさい」
 練兵場への道すがら、「大佐の雷を覚悟しておくことね」と言われた。雷を落とされるいわれはないと言い返したら、緊迫感のある中、ハボックの背から五メートル離れて歩くホークアイは、彼女にしては珍しく、エドワードの額をピンと指ではじいた。痛い。
「二人で仲良く叱られましょう」
「え?」
 なんで中尉が叱られるの?と聞こうとしたところで練兵場についた。普通の軍人とは着ているものが違う人間が二人ほどいる。ハボックが包みを渡すと、彼らは慎重に包装紙からはがし始めた。
 もう出来ることは無いので、三人で離れてその様子を見守る。あの場にいたもう一人、フュリーはホークアイの命でロイを捜しに出ていた。今日はたまたまロイの仕事が早く終わり、あとは書類を司令官に提出するだけで、自分で渡すと言って出ていった。その途中でエドワードに会ったことになる。ロイが司令官のところへいればいいが、早上がりで手紙の差出人のところへ行っていたらフュリーは無駄足を踏むことになってしまう。しまった、差出人の所属や住所は確認していない。
 無事伝わればいいけど、と思いながら、爆発した場合に備え錬成の準備をする。
 隣ではホークアイが手袋をして、処理班が寄こした包装紙を検分している。
 安全のためならば、周りから人を遠ざけ、離れたところから小包を銃で狙って爆発させればいい。それをしないのは、小包に残された手がかりから犯人をつきとめるためだ。
「指紋は鑑識に回すとしても……出るかどうかは怪しいところね」
 ホークアイのため息の理由はエドワードも賛同するところだった。犯人が手袋をしていないわけはないし、万が一残っていたとしてもそれからつきとめるのは案外難しい。
「でもおかしいですね。臭いに気をつかわないなんて」
 爆弾を持つ前も持ったときもまったく変わらない雰囲気だったハボックは、ホークアイと同じように手袋を出し、包装紙の表裏を順繰りに見たあとにエドワードに渡してくれた。
「あ、それは自分も思います」
 解除作業を終えた処理班の人間が同意する。単純な配線だったから楽だったと感想をもらしたもう一人も頷いた。
「爆弾はごくごくオーソドックスなものです。箱が空くと感知して爆発する仕組みですね」
「特徴もないですし、ちょっとかじった人間なら誰にでも作れます。普通、包装の仕方にはもう少し工夫しますけどね。火薬には敏感な人間ばっかりいるところに送るのに、包装紙にまで臭いついてましたもん」
 ともかく鑑識に回すために証拠品を返そうとしたところで、エドワードは紙に書かれている宛名に目をとめた。
「大将? どうかしたか?」
「んー……どっかで見たような……」
 ”t”の横棒がやけに長いのが気になる。
「エドワードくん、思いだせる?」
「ちょっと待って、考えるから」
 どこかで見たのだ。どこかで。つい最近。さっき。さっきはもっと全体的に柔らかくて、香水がきつく、まるで何かをごまかすみたいに匂って――
「さっきのだ! さっきの手紙の筆跡と似てる!」
「どういうこと?」
 ホークアイの鋭い視線に、エドワードは拾ったばかりの手紙のことを掻い摘んで説明した。
「ハボック少尉、構内放送で大佐をすぐ呼びだしなさい。あなたたちは証拠品の保全を」
 ハボックはすぐに駆けて行った。
「オレは?」
「君は彼らと行動をともにしなさい。くれぐれも一人で動かないこと」
「やだよ、そんなの! オレも行く!」
「いいから言うことを聞いて。ここに連れてきたのだって本当はいけないことなんだから」
「人手は少しでも多いほうがいいだろ!?」
「我がままを言わないで!」
「何を揉めているんだ?」
「中尉がわかってくれないから!」
「エドワードくんが――あら」
 二人は唖然とした。割って入ってきたのは、当の探し人だった。ハボックを従え、緊迫感を和らげるどころか空気を刺すようなものにする冷たい目で二人を眺める。
「中尉、なぜ鋼のを連れてきた」
「申し訳ありません、大佐」
 ホークアイは何も言い訳をせず、ただ謝った。その様子にため息をつくロイに、エドワードは食ってかかった。だってホークアイは自分の我がまま――そう、我がままだ――に困らせられた立場なのだから。
「中尉は悪くない。オレが勝手に一緒に来ただけだ」
「だろうな。だが、中尉には責任がある」
「オレは階級でいえば中尉より上だ」
「君は一介の国家錬金術師にすぎない。私の副官である中尉と比べるべくもないと思うが」
 一瞬頭に昇った血は、次の瞬間には急速に冷めていった。ロイの後ろにいたハボックが、火のないたばこの先で示したものが目に入ったからだった。握り締めた拳。震えを抑えるための。
 冷たい目とはあまりにも違うロイの意思が感じられる。
「……ごめん。もうしない……」
 たぶん。でもわからない。その言葉はかろうじて飲み込んだ。


 私にも打算はあったのよ、とホークアイは言っていた。何かあったときは十分かばえる位置にいたからそれほど危険はなかっただろうし、処理に手間取った場合は錬金術に頼る可能性もあったから、と。
 なぜロイを捜しに行くときは止めたのかと聞いたら、ホークアイは胸に手を当て、祈るように答えた。
『大佐とエドワードくんがいたら、私は大佐を守るから』
 ホークアイは頭がいい。そして優しい。最初からその二択をしないでいい状況を選んだのだ。
 謝ろうとしたエドワードは、やわらかくはあるがどこか無骨な手に止められた。
『いいの。私も謝らないから』
 おあいこよ、と微笑んでホークアイは執務室から出て行き、入れ替わりにロイが帰ってきた。そして、机の向こうにあるそれなりにご立派な椅子ではなく、ソファーに腰をおろした。反省のしるしとして、今エドワードはロイの前に立っている。
 沈黙は長く、時計の針が我が物顔でチクチクと鳴って、エドワードの精神をもチクチクと刺す。もう一度謝るべきか。長く閉ざした口を開くのはなかなか難しい。説教するなら早くすればいいのに、とすら思ってエドワードは結局口をつぐんだ。
「鋼の」
 静かな室内にようやく時計以外の音が立った。
 手まねきされて近寄った。腕を引かれて、そのままロイの胸の中に倒れ込んだ。待っていたのは説教ではなく抱擁だった。
「あまり無茶なことはしないでくれ」
「……無茶じゃない」
 苦笑するロイの息が耳をくすぐる。
「あんな小包は金輪際拾うな」
「……んっ」
 くすぐったさに身をよじると、背と腰に回されたロイの腕に力がこもった。
「それと、」
 囁きは小さくてよく聞き取れない。
「え?」
 もう一度言えとねだれば、今度はもう少し大きな声で言われた。
「恋文の配達も不要だ。君から渡されるのはちょっとね……」
 ロイの顔が見たくなった。でも、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、見ることはかなわない。
「どういうこと?」
 時計の針が、エドワードの代わりにチクタクと急かす。どんな顔をしているのかすごく、見たいな、と思った。こんなふうかな、と頭の中に浮かんだものと答え合わせをしたい。
 きっと、デートしてくると報告を受けたあと、トイレの鏡に映る自分の顔とよく似ているんじゃないかと。
 だったらいいな、と期待しながらエドワードはロイの返事を待った。
 そうして得た答えは、とても満足のいくものだった。



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なんでもないものみたいに他の女性からの手紙を渡されるとちょっと悲しくなる増田。