恋するココロ

 ため息にもし色がついていたら、この辺り一帯はその色に埋め尽くされていただろう。
 それくらい、何度も何度もエドワードはため息を繰り返して、ぼんやりと空を見上げた。
 司令部の敷地内には誰もこないような、芝生に申し訳程度にちょろちょろと草が生えているような場所が多く、いまエドワードがいるのもそういう場所だった。どこに行く近道にもならない、誰かを捜しに来た人間か気まぐれな猫でなければ通らない、一人になりたいエドワードの一等地。
 建物の壁に背を預け、足を投げ出して座っている。ため息の原因は、ひざの上にあった。ひとにあげるのだと言ったら、店主はしわしわの手を器用に動かして、細長い箱を包み、赤いリボンをかけてくれた。もう二か月も前のことだ。
 イーストシティに滞在して一週間、渡せずにいて、そのままよそへと発った。トランクの中にしまっているうちに忘れてしまって、つい先日イーストシティに戻ってきた晩に、宿で荷をほどいているときにその箱が目に入った。ごちゃごちゃとしたトランクの中で奇跡的に包装紙は破れていなかったが、リボンはほどけていて、結び直しても店主がやったように綺麗な形にはなっていない。そもそも機械鎧は自分の意志で自由に動かせるとはいっても、指先は生身のものよりも太くならざるを得ないし、リボンは細くてやわらかくて、扱うには難儀なのだ。
 いや、だいたいもっと早くに渡していれば、リボンの形など気にする必要もなかった。


 司令部を訪れたとき、街は感謝祭で華やかに彩られ、そわそわした雰囲気に包まれていた。女性たちが気になる相手にお菓子を贈る日である感謝祭は、いつのまにか「気になる相手」に限らず、日頃お世話になった相手や家族へと贈り物をする習慣になっている。むしろ、始まりが後者であったのだから、原点に立ち戻ったと言うべきか。
 東方司令部は司令官の気質もあってかその手の行事を軍人だからといって戒めることはない。だから、司令部内では各部署、廊下でお菓子が行きかっていた。
 エドワードもアルフォンスも、司令部には珍しいこどもであったから、みんなまるで鳥に餌でもやるようにひょいひょいお菓子を投げてきて、鎧の中にお菓子はたまっていったし、エドワードのコートのポケットも短い間でパンパンになった。
 エントランスからいつもの面々がいる部屋に行くまでに渡されたお菓子で両手もふさがってしまったエドワードとアルフォンスが現れると、久しぶり、の挨拶もなくハボックとブレダは笑い、ファルマンは紙袋を探し、フュリーは「いいなあ」とうらやましそうに言った。
『笑いごとじゃねえ! あ、袋ありがとう』
『よかったらあげますよ、フュリー曹長』
『わあ、ありがとう!』
『けどよ、大将。それ全部食うの?』
 ハボックに聞かれて、エドワードはアルフォンスと顔を見合わせた。アルフォンスは食べられないから、これだけもらっても食べるのは実質エドワード一人だ。フュリーは菓子の山をうれしそうに見ている――心なしか准尉も気を惹かれているようなのですすめておいた――が、消化できたといっても一部だろう。
『うーん、どうしよ……』
 困るエドワードにブレダが忠告をくれる。
『特に用がないなら明日あさっては司令部来ないほうがいいぞ。祭は三日間続くからな』
『三日も……!?』
 感謝祭の存在とその由来は知っていたが、当日に司令部に来たのはその日が初めてだった。だからお菓子責めにあったのもその日が初めてで、そのときエドワードはようやく、数日前に入れた定期連絡で上官が「来るのは先延ばしにしたほうがいい」と言った意味がわかったのだった。こうなることを彼は予測していたのだろう。
 気軽にぽんぽん投げて寄こしたりするだけあって、お菓子はクッキーやビスケットなどの焼き菓子やキャンディが多い。日持ちはするから、ある程度の量だったら旅へ持って行って少しずつ食べることも出来る。ただ、明日もあさってもこれが続くのなら、なるほど、ブレダの言うとおり司令部は避けたほうが無難だ。
『でもさ、オレたちでこんなにもらうなら、大佐とかどうなってんの?』
 司令部で一番女性たちの関心を集める人物といえば、菓子の山に埋もれてさぞかし困っているだろう、と思って聞いてみれば、ハボックから意外な答えが返ってきた。
『いや、大佐は菓子はもらわないんだ。花だけ受け付けてるよ』
『花……』
 贈る姿は花屋で買い求める様子から容易に想像できるが、もらう姿は想像しがたかった。
『花は男が美しい女性に贈るものだ、とか言いそうなのに。なんで?』
 エドワードが首をかしげると、大人たちも同じようにかしげる。
『その疑問には私が答えましょう』
『ホークアイ中尉!?』
 兄弟の来訪に勝手に休憩を決め込んでいた部下たちは慌てて机に向かい、ホークアイはそれを一瞥すると二人に微笑みかけた。
『こんにちは、エドワードくん。アルフォンスくん。二か月ぶりくらいかしら』
 二人の挨拶を受けながら、ホークアイは戸棚を開けて中から花瓶を取り出した。ついてくるようにと言われ、ホークアイの横に並んで廊下を歩く。
 誰にも言わないでね、と前置きしてホークアイは話し出した。廊下にはすれ違うひともいたが、皆忙しそうで、ホークアイに軽く目礼していくくらいだった。部署によって祭への温度差があるようだ。当然か。
『大佐はそんなにお菓子を食べるほうではないから、去年の一日目で困って、もらえるならお菓子以外がいい、と言ってしまったの。まるで免罪符よ。大佐はコーヒー豆や茶葉が贈られると思ったみたいだけれど、実際来たのはカフスやタイピン、靴、コート、お揃いの指輪なんかだったわ。私自身いまでもあれは冗談だと思いたかったのは、下着ね……』
『……なんか、すごいね。兄さん』
『ああ……。でも、感謝祭の贈り物は安いもんって決まってるんだろ? そのラインナップ、高そなもんばっかなんだけど』
 感謝祭は日頃の感謝の気持ちをちょっとした品物に託して表す、といったものだから、基本はお菓子などのぱっと消費出来るもので、高価なものはタブーだといわれている。エドワードはそう聞いていたし、何かの折に見た本にも書いてあった。けれどホークアイは首を振る。
『建前はね。でも、これと決めた相手には自分のあげたいものを贈る人が多いのよ。そもそもお菓子だって、このくらいの箱でそれなりのお店での一食分になるような値段のものもあるしね』
 ホークアイが「このくらいの」と示したのは花瓶の口だった。確かに小さい。
『それに、お世話になった両親に旅行をプレゼント、なんて人もよくいるわ。君たちにとってはこちらのほうがなじみやすいかしら』
 言外にお子様だと揶揄されているような気もしたが、ホークアイのことだ、からかうつもりはないのだろう。
『あまり高価なものをもらっても心苦しいし、御返しも考えなくてはいけなくなるから、今年は大佐が先に宣言したの』
『それで花なのか』
『ええ。切り花限定でね』
『鉢植えだと高価なものがけっこうあるもんね。兄さんはそういうのを見ると、変な形って言うけど』
『うるせえ!』
 給湯室に寄って花瓶をゆすいで水を入れ、来た道を戻って、執務室はもうすぐそこだ。
 その扉の前で立ち止まったホークアイは、こんなことを言った。
『これは本当に内緒よ。切り花なら枯れてしまえばすぐ捨てられるから。だから切り花なの』

 入室した途端、ふわっとした香りに包まれた。といえば聞こえはいいが、実際は、もわっとしたにおいに襲われた、だ。
 ひとつひとつはいい香りでも、種類の違う花がこれでもかとばかりに集まれば、まじりあって形容しがたいものになる。
 花瓶に生けられたものはまだ見栄えがいい。しかしソファやテーブルに投げ出された花束は、憐れとしかエドワードの目には映らなかった。ホークアイが新たに持ってきた花瓶だって焼け石に水だ。
『大佐、エルリック兄弟が来ました』
 こちらに背を向けていたロイにホークアイが呼びかける。
『ちょうどいいところに来た、鋼の。窓が錆びていて開かないんだ。頼むよ』
 挨拶より先にそんな言葉を寄こされて、エドワードはふてくされながらも窓の傍で両手を合わせた。
『ありがとう。全開にしたかったんだが、途中で引っ掛かってしまってね。助かった』
 顔を見れば、苦笑い。だいぶにおいにやられているようだ。
『花屋が開けそうだなあ』
 この中で唯一、においを感じることのないアルフォンスは単純に花の色、かたちを楽しんでいるが、他の三人は、なんとなく、新鮮な空気の入る窓際に集まってしまう。
 においが多少緩和されれば、花を見る余裕も出てきて、エドワードはあらためて室内を見渡した。かろうじて床には置かれていない花束は棚の上にもあった。
『まさに、花に囲まれた生活、ってやつだね』
『お望みなら代わってあげよう』
『馬鹿言ってんな。これはあんたへのプレゼントだろ』
『気に入ったものがあるなら、持って行きたまえ』
 エドワードは、自分には花なんて柄じゃないと思って断った。そんなこと言わずに、と続くかと思ったのに。
『どうせ枯れるだけだ。そうすれば、あとは捨てるだけだからね。せめて欲しい人に大切にしてもらったほうが花も喜ぶ』
『あのさ、司令部中を探せば、この花分の花瓶、見つかるんじゃない? それであっちこっち飾ればいいじゃん』
 そうだ、ホークアイがしている焼け石に水のような行為では、花たちはすぐに枯れてしまう。においには閉口するが、なんとももったいない。
『なんだったらオレ、錬成してやってもいいよ』
 めずらしいなあという視線はアルフォンスのものだ。そう、らしくないと自分でも思う。でも、せっかく贈った物がすぐに捨てられてしまうなど、女性たちは見たくないだろうし、彼女たちの気持ちを無碍にするような大佐は大佐らしくない。ちくちくとする胸の痛みに気づかないふりをして、エドワードは何か元になるものがないかを探した。外なら土があるから、アルフォンスにも手伝ってもらって、花瓶を――
『必要ない』
 せっかくだが、と付け加えられても、エドワードは「わかった」とは言えなかった。黙り込んでしまう。花を捨てるといったように、ロイに切り捨てられた気持ちになった。
 なんでよりによってこんなときに来てしまったのだろう。目の前の男が言っていたじゃないか。来るのは先延ばしにしろ、と。
 忠告の意味は別にあっても、エドワードにとってそれは確かに正しい忠告だった。
 旅先のとある都市の店先で見かけて、いいな、と直感した。シンプルで書き心地もよさそうな、深い紅の万年筆。アルフォンスも、綺麗だね、と感想をもらしていた。それと「いいんじゃないかな」と。誰に贈るかなんて弟にはお見通しだった。深い紅。この色から思い出されるひとはエドワードにとってはたった一人だけだ。
 感謝祭に当たってしまったが、イーストシティには一週間は滞在するし、祭が終わってから渡せばいいと思っていた。でも、ついさっきホークアイは「お世話になっているひと」に多少高価なものをあげる人間は珍しくないと言っていたから、明日にでも感謝祭にかこつけて渡せるかな、と期待した。これくらい、気まぐれとして受け取ってくれるだろうと。
 枯れる。そうすれば捨てるだけ。
 御返しが大変だとか、そういう理由じゃないんだとエドワードにはわかった。
 ロイは形が残るものが嫌なのだ。いつまでもなくならないもの。
 宿に置いてきたトランクの中身を思った。行き場がなくなってしまった。万年筆も。この気持ちも。


 あの一週間、エドワードは自分がどう過ごしたのかよく覚えていない。特に何も言われなかったから、アルフォンスがうまい具合に計らってくれたのだろう。弟は本当によく気のつく子だから。
 この二か月も、箱の中身に関してはずっとこんな感じだったのかもしれない。万年筆に託したエドワードの気持ちごとトランクの中にひそませて蓋をした。忘れたふり。なくしてしまったふり。
 結局、忘れることのできない想い。
 いまならわかる。世の人々が、恋愛の話に花を咲かせ、恋愛を扱った物語に胸をときめかせ、涙する理由が。
 どうせならわからないままでよかった。
 わからないままだったら、こんなに胸が苦しくなることもなかった。こんなに心がいっぱいになって、からっぽになることもなかった。
 リボンがゆがんでいる。まるで自分の心みたいだとエドワードは思った。
 形なんて本当はもう関係ない。これは、いらなくなってしまった想いそのものなのだから。
 作った人には申し訳ないが、焼却炉に捨てていってしまおう。そうしなければ、心も捨てられそうにない。
 日が落ちたら、そうしたら捨てる。
 まだ高い日を見上げてエドワードはもう一度、ため息をついた。意気地なしめ。自嘲する。そんなときだった。
「大将〜、こんなとこで昼寝か?」
 ロイがいて、ハボックがいた。なんてタイミングの悪い。
 そっちこそ、なんでこんなとこ通るんだよ、と言い返す声が掠れた。昼寝から起きたばかりなら、こんな声でも別に不審に思われることもないだろう。
「滅多に通らないけどここ、近道なんだ。ここってひょっとして大将の昼寝スポット?」
 苦笑して頷くと、ロイの眉がひそめられた。
「鋼の、どうかしたのか?」
「……別に、どうもしねえよ。寝起きで喉がちょっといがらっぽいだけ」
 ロイの手が伸びてくる。風邪ではないのか、と訝る言葉ともに伸ばされたその手を、エドワードは避けた。
「それより、落ちたぞ」
 地面にぽとりと落ちたペンは、つい今までロイが握っていたものだ。ハボックは書類を抱えていて、ロイも片方の手に台がわりのファイルを持って、その上には紙が止められている。歩きながらサインでもしていたのだろう。
「ハボック、先に戻っていてくれ」
「大将と一緒にサボっちゃ駄目ですからね。じゃ、お先に」
 あっさりとハボックは行ってしまって、ロイはエドワードが何か言うよりも先に隣に腰をおろした。
「何か書くものを持っていないか?」
 何度かペンを紙にすべらせたロイは、跡ばかりがついてインクの出てこないペンを故障したのだと諦めたようだ。
「持ってる」
 文字を綴ることが出来ない箱の中身以外に、ポケットに普段使っているものがある。エドワードはポケットの中を探ると、ロイに渡した。
 戻ってからやればいいのに。早くここからいなくなれよ。
 エドワードの苛立ちにロイは気づかない。本当に、なぜここに居座るのか。仕事があるなら、歩きながらサインしなくちゃいけないくらい忙しいのなら早く行ってしまえばいいのに。
 ロイは数枚の書類にすらすらと自分の名前を書くと、エドワードのペンをしげしげと見つめた。
「これは書きやすいな。手になじむ」
 とにかく丈夫で、ずっと旅を一緒にしているペンだった。指の当たるところにゴムをつけたので、形はエドワードになじむように変わっている。だからロイになじむはずがない。
 それなのに。
「よかったら、くれないか?」
 言われたことを理解するには時間がかかった。忙しいはずなのに、ロイはエドワードの答えを待っている。ようやく
「なんで」
と聞くので精いっぱいだった。手の中の箱がくしゃっとゆがむ。機械鎧の右手は、もっと力を込めれば中身だって折ってしまうだろう。
 ロイがどんな顔をしているかもわからなかった。泣いてもいないのに、見えない。
 ただ、ロイの声は優しかった。ちょっとだけ悲しそうでもあった。
「君が使っているものだから、かな」
 形が残るものは嫌なんだろう? それとも、なんとも思っていない相手のものだったら、関係ない? 気をつかわなくていい?
 心の内で吐いたつもりの言葉は、なぜかロイに伝わってしまっていた。彼は、「君のものだから、欲しいんだ」と言った。
 鋼の、おいで。
 ふわっと肩に腕が回された。匂いが強くなる。花の匂いじゃない。ロイの匂いだ。鼻の奥が、つんと熱くなる。
「私のうぬぼれじゃないのなら、君に誤解をさせてしまったようだ」
 意味がわからない。けれど、この気持ちを少しでも拾ってもらえるなら、こうしていたかった。抱きしめていてほしかった。
「実はね、私は臆病なんだ。だから、君からは形のあるものが欲しい」


 ああ、リボンを綺麗に結び直さなければ。

back


リザさんが一部だけでも花瓶にいけてるのは、周囲に対しての「大事にしてないわけじゃないんだからね!」というアピール。
ぶっちゃけ、大佐が大事なのはエドワードくんだけどね!とか思ってる。
タイトルはeufoniusから。歌詞込みで増田さんのイメージです。