「鼓動」 創立五十周年記念志 から
在学中は、この歴代校長先生方の意志を介せず、勉学特に実習に熱心でありませんでした。幸に、クラス担任が化学担当の高木先生でしたので、電気工学科卒業して合成繊維製造会社に就職後、化学プラント自動制御の実務から化学に興味が甦り、何時しか環境計量士を兼務していました。第七代校長宮田岩男先生の御子息と同事業所勤務時期があって、彼が水処理施設の営業・設計・建設し、そのあと水質管理を分担したこともありました。
思い返せば、養蚕業が桑畑と養蚕室から工場に変わり、プラスチックを機械と電気で溶融して365日切れることのない高速紡糸に携わっただけでした。
石油ショックの不況時には社宅の空き地を借りての菜園自慢。退職後はサボった農業実習の復習を行わされ18年、その間の産業発展による酸性雨の実情を調べながら瀬戸の孤島から呟いています。 |