博多城も大きく、高いビルが建ち並ぶ。
疾斗の母が入院している病院は博多市郊外の静かな小さい町の病院だった。
ナースステーションで、疾斗の母の病室を聞くひとみ。
病室の前まで花束を持ってひとみ達は来たが・・・。
疾斗は病室の前で立ち止まってしまった。
「疾斗・・・?」
「・・・やっぱ、ひとみ・・・俺・・・」
「ここまで来てなに言ってるの!ほら!行こう!」
ひとみは疾斗の手を掴んで病室のドアを引いた。
「こんにちは・・・。あれ?」
個室。ベットの向こうの窓が開き、白いカーテンが靡いている・・・。ベットには誰もいなかった。
「あれ・・・?病室間違っちゃったのかな?」
「あら?鷹島さんのお見舞いの方ですか?鷹島さんなら屋上にいましたよ」
検温にきた看護婦が二人に言った。
「あ・・・あの・・・。俺・・・鷹島の息子なんですけど・・・」
看護婦は疾斗の顔をじっとみた。
「ああ!貴方が息子さんの疾斗さんですか!いつも鷹島さんから貴方の噂は聞いていますよ。とっても出来の良い息子さんだって・・・」
「・・・」
「自慢の息子で、何をやっても一番で・・・って。ふふ。そう貴方が・・・。鷹島さん、きっと喜ばれますよ。会っていってあげてくださいね。じゃあ私はこれで」
看護婦の言葉に疾斗は複雑そうな表情を浮かべた。
「『良く出来た子』か・・・」
「・・・疾斗・・・」
自分には分からない、母子の溝がある・・・。
ひとみはやはり無理に来てしまったかなと少し後悔の念に駆られた。
それでもここまできたのだから・・・。
二人が屋上へ上がると、入院患者の洗濯物や白いシーツが物干し竿に掛かって風に揺られていた。
揺れるシーツの向こうに。
ベンチに座る中年の女性・・・。
編み物をしている。
青い毛糸で・・・。
コロ・・・。
毛糸が疾斗の母の膝から、ひとみの足下に転がる。
拾うひとみ。
「・・・どうぞ・・・」
「ありがとうございます」
とても優しい微笑みだった。
疾斗から『教育ママ』で子供に甘い母だと聞いていたけれど・・・大分印象が違う。
「あの・・・私香西ひとみです。手紙の・・・」
「ああ、貴方が・・・」
疾斗の母はひとみの後ろにいる疾斗に気づいた。
「・・・。疾斗・・・」
「オフクロ・・・」
痩せた・・・。
昔は家にいるときも化粧をし、ブランド物の服に身を津包んでいた母が。
青白く、髪も後ろで束ねているだけ・・・。
病気については、手術をすれば完治すると医者からは聞いたが・・・。
「久しぶりね・・・。元気だった・・・?」
「・・・ああ・・・」
「・・・そう・・・」
”疾斗、ちゃんと御飯は食べたの?食べたい物があったらなんでも作ってあげるわ。お母さん特製の”
五月蠅いくらいに息子にかまい放題だった母。
久しぶりに会った息子への第一声はなんとも弱々しく・・・。
「・・・オフクロの方こそどうなんだ・・・。調子は・・・」
「・・・。うん・・・今日は大分いいみたい・・・。お天気も良いし・・・」
「オフクロ・・・。オレ・・・」
「疾斗、見たわよ・・・。この間テレビで・・・。2着だったね・・・。残念だったね」
「ああ・・・」
「でも次頑張ればいいじゃない。頼もしい恋人もいるんだから・・・」
母親の変わり様に疾斗は驚いた。多少は病気で気落ちしているだろうとは思っていたけど・・・。
別人の様だ。
「・・・ 。過保護だった母親が別人みたい・・・そう思ってる?」
「い、いや・・・」
「疾斗。私ね・・・。病気してから色々な事が見えてきたの・・・。私より若い人が亡くなったり・・・。普段見えない事が見えてきて・・・。病気する前は世間体ばかり気にしていた。それで疾斗にも押しつけて・・・。ごめんね。疾斗・・・」
人に謝ること等絶対になかった母が自分に謝っている・・・。
疾斗は混乱した。
「あ・・・。そろそろ病室に戻らなくちゃ・・・。あ・・・っ」
「オフクロ!!」
よろめいた母を疾斗はしっかりと抱き留めた。
軽い自分の母・・・。
「大丈夫か?ホラ・・・。おれにおぶさって・・・」
疾斗は母を背中に乗せ、病室にゆっくりと運び、ベットに寝かせた。
「ごめんね。疾斗。迷惑掻けちゃって」
「謝るなよ・・・。調子狂うじゃねぇか・・・」
「ふふ・・・。ひとみさん」
「はい」
「わがままな疾斗ですけど・・・。よろしくお願いします・・・」
「そ、そんな・・・。こちらこそ・・・」
恐縮するひとみ。
そこへ、病室に医師と看護婦が往診に入ってきた。
二人がそっと病室を出ようとした時。
「待って。疾斗・・・。これを持っていって」
疾斗の母はみかんを一個、疾斗のほおった。
「オフクロ・・・」
「疾斗の好物・・・。ビタミンC取って、レース頑張りなさいね・・・!」
「・・・オフクロ・・・」
甘酸っぱい匂い・・・。
母からもらったみかんは疾斗はホテルに行っても食べられなかった。
11階建てのホテル。
ガラス窓の風景。博多の大きな街のネオンが光っている・・・。
疾斗の右手にはみかんが。
「疾斗のお母さん・・・。とっても穏やかな顔してたね・・・」
「ああ・・・」
「・・・私も母もね。。すごく怖い母だったの・・・。でも病気をして・・・。私に謝るのよ。”迷惑かけてごめんね”って・・・。何だか堪らないよね・・・。だけど何だか余計に素直になれなくて・・・」
「・・・そうだな・・・」
「言えなかった・・・。ありがとうって・・・」
「ひとみ・・・」
「疾斗・・・。また会いにこうようね・・・。”ありがとう”って言いに・・・」
ひとみはそっと疾斗の肩に顔を寄せた・・・。
疾斗の右手のみかんの香りが二人を包む。
夜景がとても優しく見えた・・・。