映画やドラマの1シーンの様なロマンチックな朝じゃなかった。
「ぐお〜・・・。ひとみちゃあん・・・」
なーんて寝言といびきで迎えた。
ちょっと雰囲気に欠けたけど・・・。
彼らしいなぁって・・・。
ふふ・・・。
彼の寝顔が可愛くてなんども寝顔にキスしちゃった・・・。
ロマンチックじゃないけど・・・。
大好きな人の寝顔を独り占めできた朝だった・・・。
「〜♪」
マシンをゴシゴシ磨く疾斗。
甲高い鼻歌がピットにこだまする。
「ランラン〜♪」
相当ご機嫌のご様子で鼻歌ついでに腰をふってダンスまで。
「疾斗〜、お前、ご機嫌だなァ。何かいいことあったのか?」
タイヤ交換をしながら、和浩が訊ねる。
「いいことですかぁー♪ええもそりゃあ、いいってゆーか幸せってゆぅかぁー♪愛って素晴らしーッって感じで♪ルルルー♪」
「・・・疾斗。お前頭に花咲いてるぞ?」
「花ですか。ひとみちゃんという幸せの花がいっぱい咲いているのですふへへ♪」
ニコちゃんマークの様な満面の笑顔・・・。
向こうで加賀見が疾斗よんでいる。
「はーい!加賀見さーん、疾斗君いまいっきますよー♪」
ステップ踏んで事務室に入っていく疾斗の後ろ姿を見ながらぽつり呟く・・・。
「あいつの頭の中だけ一足早い春だな・・・」
ひとみとの一夜を過ごし、それからというもの休日となればひとみのアパートに遊びに来る疾斗・・・。
勿論、『お泊まりセット』持参で。
「ほら、歯ブラシに、タオル、パジャマにシャンプー(フローラの香り)準備万端でーすッ! 」
バックから『お泊まりセット』をひとみに一つ一つ見せる疾斗。
「もう、いちいち報告しなくていーからッ。もう・・・!それに・・・。疾斗、いつまでこうしてるの・・・」
こたつに入っているひとみを後ろから両手と両足でぎゅうっと包んで離さない疾斗・・・。
「いつまでくっついてるのよ。あたしはクッションじゃないのよ。もう・・・」
「ずーとひっついてる。クッションより触り心地がよい〜♪柔らかくて気持ちいい」
ひとみの首筋に頬をすりすりさせる疾斗・・・。
「疾斗って甘えん坊さんだね」
「人をガキ見たいにいうなよ。ったく・・・」
口をふぐにして拗ねる疾斗。
「そういうところが子供っぽいって言ってるのよ。ふふ・・・。ねぇ疾斗・・・。疾斗のお母さんの事・・・。聞いてもいい?」
「え?オフクロの事か・・・」
「嫌ならいいけど・・・」
疾斗はパッとひとみから離れた。
「オフクロか・・・。俺のオフクロっていわゆる『教育ママ』でさ・・・。まぁ、ガキの時からお稽古事だのなんだのって色々やらされた・・・。それが重荷で反発した時期もあったな・・・」
「生まれ故郷では何をやっても一番で有名な高校生だったんだって?」
ひとみはテーブルの上のサクランボを一口食べた。
ひとみは『今』の疾斗しかしらない・・・。
勿論自分が好きなのは今の疾斗。だけど疾斗がどんな子供だったのか・・・。
どんな家族と過ごしてきたのか・・・。
好きになればなるほど知りたくなる・・・。
「高校言ってた頃は俺・・・。自分に敵なしっておもってたんだ。周りの人間を見下してたんだな・・・。嫌な奴だったよ。自分でも」
疾斗もサクランボをひとつ食べる。
「でも・・・。親父達にとっては『できた息子』でなきゃいけなかった。親父は地元で結構名前がしれててさ・・・。俺が何かしでかすたびに『世間体』を考えろって吠えてたな・・・。だから『世間体』ってのが世の中で俺が一番嫌いな言葉になっちまった」
「・・・お母さん達とはずっと会ってないの・・・?」
「レースの世界に入ってから全然・・・。自分の事ばっかり考えて突っ走ってきたからな・・・。ま、きっと俺のことなんか忘れてるんじゃねぇかな・・・。もうこの話はやめようぜ・・・。二人きりなんだから・・・」
疾斗はそっとひとみをベットに寝かせる・・・。
「・・・お前がいればいい。お前だけが・・・」
「・・・うん・・・」
見つめ合い、キス・・・。
確かに好きな人がそばにいればいい・・。
けど・・・。
ひとみは疾斗が両親と喧嘩別れしてきている事を気にしているのを感じていた・・・。
ひとみは疾斗の実家のことを加賀見に聞いてみようと思っていた・・・。
『前略。初めまして。香西かおりと申します。』
真っ白の便せんに筆ペンで誰かに手紙を書いているひとみ。
封筒には『鷹島 政恵様』と書いてある。
疾斗の母だ。
手紙には・・・。
疾斗が事故に遭って、後遺症に苦しんだこと、そして自分でそれを乗り越えたこと・・・。
全て書いた。
そして最後に・・・。
『一度でいいです。疾斗さんの走りを見に来て・・・くださいませんか?』
と締めくくった。そして疾斗が表彰台に登ったときの写真も添えて・・・。
切手を貼り、封をするひとみ。
余計な事してるかもしれない・・・。
幾ら恋人でも立ち入っちゃいけない 心の領域なのかもしれない・・・。
でも・・・。両親の話をした時の疾斗の寂しそうな顔がやきついて・・・。
「疾斗・・・。ごめん・・・。大きなお世話かもしれないけど・・・」
そう思いつつ・・・。ひとみは次の日に手紙をポストに投函した・・・。
それから一週間後。
ひとみの元になんと疾斗の母親から返事が返ってきた。
ひとみは緊張しつつ手紙を読む・・・。
内容は、今更、会うことはできない、いや会えないと書いてあった。
がっくりと肩を落とすひとみ・・・。
しかし、次の行に衝撃的なことが・・・。
「え・・・!?入院!?」
今は入院して会えないと書いてあった。
「・・・。今更会いたくないって書いてあるのに入院したことわざわざ書くってことは・・・」
(・・・疾斗のお母さんも会いたいんだ・・・きっと・・・!)
母親が子供に会いたくないはずはない・・・。子供だって・・・。
「・・・」
ひとみは机の中から一枚の写真を取り出す。
古びた写真。
そこには母親に抱かれた少女が・・・。
「お母さん。私だってお母さんに会いたいよ。でも・・・天国じゃ会いにはいけないもんね・・・」
窓を開け、夜空を見上げるひとみ・・・。
星が金平糖の様にきらきら・・・。
「・・・お母さん。好きな人のために何かしたいって思うこと・・・間違ってないよね?もしかしたら余計な事かもしれないけど私・・・」
ひとみの問いに応えるように星が瞬いた。
「・・・ありがとう。お母さん・・・!」
ひとみは母の写真を静かに胸にあてた・・・。
休日。
今日もお泊まりしようと疾斗はひとみの家に遊びに来ていた。
ひとみは早速疾斗に疾斗の母から届いた手紙を見せた。
「ごめんね・・・。疾斗に黙って勝手なコトして・・・。疾斗に怒られると思ったんだけどあたしどうしても気になって・・・。お母さんの事・・・」
「・・・。ひとみ・・・。悪いけどこれは親子の問題だ・・・。いくらひとみでも・・・」
「ごめんね・・・。でも・・・。お母さん、会いたがってる。きっと。会いたいって思う時に会わないと、後で後悔するよ・・・」
ひとみは疾斗の手を掴んだ。
「どうしてそんな事が言えるんだ?」
「・・・今会おうと思ってもあたしは会えないから・・・。空の上の母には・・・」
「ひとみのオフクロさんもしかして・・・」
ひとみは掴んでいた疾斗のTシャツの裾をパッと離した・・・。
そして疾斗はぎくっとした。
「う・・・っ。ひ、ひとみ・・・」
亡くなった母の事を思い出して、少し涙を溜める・・・。
「・・・。全く・・・。ひとみちゃん、その手はないでしょ・・・。俺が一番弱いの、ひとみの涙だってのに・・・」
「疾斗・・・」
「そんな目されちゃ・・・。断れねぇって・・・」
「じゃあ・・・。会いにいくの?お母さんに・・・」
「ああ。見舞いがてら・・・な・・・」
疾斗はそっとひとみを背中から両手で包む。
「疾斗・・・」
ひとみは自分の胸で交差された疾斗の手をギュッと握った・・・
そして二人で会いに行く・・・。
高知の疾斗のお母さんの元へ・・・。