そしてレースの終わった航河に頼み込み、早速取材・・・。
事務室に二人きりで。
航河はソファアにどすんと座り腕を組んだまま無言。
(・・・何を話したらいいのかな・・・)
「あの・・・。じゃあ、えっとレーサーを目指した理由を・・・」
「特にない」
即答。
ひとみはちょっと面食らったが、次の質問をする。
「レースをしていて一番よかったなって思う瞬間てどんな時ですか?」
「・・・走ってる時が一番好きだ」
無表情だった航河の顔つきが少し変わった。
「・・・どんな風に?」
「嫌なことも、全部忘れられる・・・。自分のままでいられるんだ・・・」
寂しげな顔・・・。
それにどこか遠くを見てる気がする・・・。
人をまっすぐに見ない・・・。
「中沢さんって空を見るのが好きなんですか?」
「・・・?」
「だって・・・。あたしが質問しているのに、あたしを見ていないから・・・」
「それが・・・。どうかしたのか?」
「人と人が話をするときは相手を見なくちゃ・・・。でも中沢さんさっきから窓の方ばかりみているから・・・」
ひとみの言葉に航河はちょっと怪訝な表情になった。
(・・・気にさわる事を言ったかな・・・)
「ごめんなさい。余計な事言っちゃいましたね・・・。次の質問に行きますね」
「怖くねぇのか?」
「え?」
「俺にはあまり周りの人間達は近寄ってこない。だから俺も周りの人間なんて相手にしねぇだけだ。いけないのか?」
航河は、真面目な顔をしてひとみに訊ねる。
ひとみは一瞬戸惑うが、思ったままを応えようと思った。
「・・・。寂しいな・・・。そんなの・・・」
「俺は寂しくもなんともねぇ」
「そうじゃなくて、中沢さんに話もできない私が寂しいんです。何か胸が痛むっていうか・・・」
ひとみ、今の自分の発言にかなりあわてる。
「や、やだ・・・。あ、あたしったら何いってんだろう。あ、あの、今のは深い意味はないですからね、なんていうか、そのあの・・・っ」
ひとみは慌てて思わず手に持っていた資料や手帳を床にばらまいてしまった。
(も〜。あたしったら何やってんだろう)
しゃがみ、拾うひとみ。
すると、大きい手がひとみの手帳をスッと掴んだ。
(え・・・)
「お前・・・。そそっかしい奴だな・・・。フ・・・」
航河が・・・笑った!
優しい、笑顔・・・。
ひとみは一瞬、見とれてしまった。
「おい・・・。どうした。俺の顔になにかついているのか?」
「中沢さんの笑顔、初めて見た・・・」
「・・・だから・・・。なんだ」
「嬉しい・・・。なんかすっごくすっごく嬉しいです・・・ッ!」
上がった雨の後、虹を見たときの様に、嬉しい!
ひとみはウキウキした気持ちを抑えられず、ひとみも自然に笑顔になって・・・。
「そんな事が嬉しいのか?」
「はい!嬉しいですッ。雨の上がった後に見た虹みたいに」
「ぷッ・・・。虹か・・・?お前、本当に変な奴だな・・・」
「そうですか?でもそれで中沢さんの笑顔が見られたなら儲け物です。ハイ!」
さっきまでの固く重苦しい空気が、一変に柔らかくなった・・・。
航河も初めてだった。自分の笑顔が嬉しいと言ってくれた人間は・・・。
その後、ひとみはスムーズに質問を続け、航河も快く何でも応えた。
これをきっかけに、二人はメールでやりとりする様になる。
『おう。今日は暑かったな。体に気をつけろ。んじゃおやすみ』
航河のメールは相変わらず、ぶっきらぼうだが、航河らしくてひとみは好きだった。
『メールありがとう。中沢さんこそ、暑い中レースの連続で体は大丈夫ですか?ちゃんと水分とって眠って下さいね。ひとみ』
「水分とって、栄養か・・・」
スポーツドリンクをゴクゴク飲みながら、携帯を見ている航河。
航河もひとみからのメールが来るのを今では心待ちにしていた。
『今度の休み暇か?暇だったら水族館連れてってやる』
そう打つ航河。
自分から誰かを誘うなんて産まれて初めての航河だったから少し緊張した。
返事はすぐに来た。
『嬉しい!!中沢さんからお誘いなんて!!明日きっと晴れるかも!!ううん。雨が降っても雪が降っても行きます! ひとみ』
「ふ・・・。雪が降って持って今、夏だぞ。ホントに・・・。変な女だ・・・」
だけど・・・。
アイツの笑顔が・・・。
心に焼き付いて・・・。
「・・・こんな気持ちは初めてだ・・・」
早く、週末になれ・・・!
そう、二人は思わずにはいられなかった・・・。
そして土曜日。
朝から激しい雨だったが、ひとみは約束の時間の1時間も前から家の前で航河を待っていた。
プップー。
クラクション。
運転席の窓が開き、航河が顔を出した。
「オス・・・。乗れよ」
「あ、はい・・・。お邪魔します・・・」
男の車に乗り込むなんて初めてでひとみは緊張する。
「んじゃ・・・。行くぞ」
「はい!行きましょう!」
車を走らせる航河。
ひとみは何を話したらいいか分からず、車の中は沈黙が続くが・・・。
「おい」
「はい」
「その敬語やめろ。それに航河でいい・・・。いいな?」
「あ、はい・・・!じゃなかった。うん・・・!」
「それでよし!」
航河のその一言で、一気に空気は和んだ。
航河の笑顔・・・。
それだけでひとみは幸せな気持ちになるから・・・。
水族館に寄ったかえり、喫茶店に入った二人。
二人は窓際の席に座った
外の雨はまだ止まない・・・。
「すごい雨だね」
「ああそうだな・・・」
「でもあたし、雨の日、嫌いじゃないよ」
「なんでだ」
「だって。もしかしたら雨が上がった後、虹が見られるかもしれないじゃない」
ひとみは窓の外の重たい雲を見上げるように言った。
「・・・そんなの、滅多にないじゃねぇか。そんなもんが楽しいのか?」
「うん。だって滅多に出ないからこそ見たとき、すっごく嬉しいんじゃない。ね!」
「・・・そうだな・・・。お前がそういうなら・・・」
ひとみと一緒に虹を見てみたいと思う航河・・・。
「お前みたいな奴初めてだよ」
「え?」
「昔から俺の周りにいた人間達はこの髪の色や瞳の色が違うとか生まれがハンガリーだからとかそんな事にしか興味を持たなかった。外人だから得だろうとかそんな風に・・・」
初めて聞く航河の過去のこと・・・。
ひとみは胸が痛んだ。
「レースやってても、俺の実力より、この面が入り用だっつって、雑誌の表紙やら何やらに担ぎ出されたりした・・・。それがチームのためになるならってやってたけど、本当は嫌でしょうがなかったんだ・・・」
「・・・。優しい人よ。航河は」
「俺が・・・か?」
「『痛み』を知っている人は誰より優しさを持ってる・・・。だからそんな澄んだ瞳をしているんだと思う・・・。なんてちょっと気障だったかな。えへへ・・・」
ひとみは舌をペロッとだした。
だけど、本当にひとみはそう思う。
誰かから傷つけられた事のある人間は、きっと他の人間の痛みもわかると・・・。
「・・・。サンキュ・・・。そんな風に言ってくれて・・・」
「やだ・・・。航河からお礼言われるなんて・・・」
一瞬、見つめ合う・・・。
何だか照れくさい。二人とも・・・。
だけどドキドキする・・・。
心が・・・。
「あ、お、俺、ちょっとトイレ・・・」
「あ、う、うんっ」
その緊張感に耐えかねた航河は席をたった。
ひとみもコーヒーをグイッと一気にのみ・・・。
(はぁ・・・。何か顔がほってってきた・・・)
手をパタパタさせる。
その時。
PPPP!
ひとみの携帯が鳴った。
出ると伊達からだった。
「え・・・。あ、はい。原稿はもう仕上がりました。昨日徹夜したんですが・・・。独占取材もバッチリです!彼の素顔をあたしなりに書きました。だから期待して下さい!夕方、ファックスで送ります。じゃあ・・・」
P!
携帯を切ったとき、真後ろに固い顔をした航河が立っていた。
(・・・あれ・・・。なんか・・・。空気が尖ってる・・・)
「航河・・・?どうしたの・・・?」
「そうか・・・。取材のためか・・・。そうだよな・・・。俺なんか相手にするのはやっぱりそういう事かよ・・・」
「航河・・・?何言って・・・」
「うるせぇえッ!!俺にかまうなッ!!」
「航河!!待って!!」
カランカランッ!
喫茶店を走って出ていく航河を追い掛けるひとみ。
駐車場まで走った。
「待って!!航河!」
「付いてくるな!一人にしてくれッ!」
航河は無視して、車のキーをポケットから出し、乗り込む。
「ねぇ。待ってよ!航河!あたしの話を聞いて!」
運転席の窓を叩くひとみ。
「ねぇ、開けて。お願い!航河!!話を聞いて!!」
ブルルンッ!
エンジンを思い切り吹かし、走り出す。
「航河!!待って!!」
ひとみは必死に追いかける。
(このまま誤解されたままなんて絶対に嫌・・・!)
バッシャンバシャンッ・・・!
雨で濡れた道路をパンプスを脱ぎ捨て走る。
びしょ濡れになりながら、がむしゃらに走った。
走って
走って・・・。
しかし、航河の車は段々小さくなっていく。
(航河・・・。お願い・・・!あたしの話を聞いて・・・ッ)
車を運転する航河のサイドミラーに追いかけてくるひとみの姿が・・・。
(何で追って来るんだ・・・?どうして・・・)
「きゃああッ!」
ドシャアッ!!
水たまりで思い切り転んでしまうひとみ・・・。
「痛ッ・・・」
膝がすりむけて血が出ている・・・。
それでもひとみは立ち上がろうとする・・・。
向こうで航河の車が止まった・・・。
そして航河が下りてきた・・・。
(航河・・・)
「馬鹿野郎!!何無茶してんだ・・・。お前・・・。車に追いつけるわけねぇだろ・・・」
航河はジャケットをひとみに羽織らせ、ハンカチで膝の傷口をきつく縛った・・・。
「・・・やっぱり優しいね・・・。航河・・・」
「・・・」
「航河、あたし、確かに最初は取材するために貴方を選んだ。でも・・・。貴方を知っていくうちにどんどん好きになったの・・・。ホントよ・・・。信じて・・・」
「・・・」
傷を縛り終えると航河はひとみに立ち上がり背を向けた。
「信じて・・・。貴方が・・・本当に好きなの・・・。これだけは信じて・・・」
「・・・」
しかし・・・。やはり航河は振り向いてくれない・・・。
ビリ・・・ビリビリ・・・。
「!?」
航河がその音に振り向くと、ひとみが自分で書いた原稿をなんとバラバラに破いていた。
「ばっ・・・バカ!お前、何してんだ!それ、徹夜して書いたんだろう!?」
「いいの!!こんなもの、また書けばいい!こんなもの・・・っこんなもの・・・っ」
ひとみは粉々になるまで破く。
「ひとみ・・・!もうわかった・・・。わかったから・・・。やめろ・・・っ」
航河はひとみが痛々しくて堪らず抱きしめた・・・。
「航河・・・。お願い・・・信じて・・・。あたし・・・貴方から嫌われる方が怖い・・・。航河・・・ッ」
「わかった・・・。もうお前の気持ちはわかったから・・・。何も言うな・・・」
「航河・・・。航河・・・」
温かい・・・。
航河の胸の中が温かくて・・・。
ひとみはホッとして涙が止まらなかった・・・。
やっと自分の気持ちが伝わった・・・。
どれだけの間、抱きしめ合っていたのか・・・。
いつの間にか雨は上がり、雲の間から太陽が差している・・・。
「・・・雨、止んだね・・・」
「・・・そうだな・・・」
「・・・あ。虹・・・」
山の向こうにかかる虹・・・。
「・・・。ひとみ・・・ごめん・・・。俺・・・」
「いいの・・・。謝らないで・・・。あたし、こうして航河と一緒に虹見られだけで嬉しい。だから・・・」
「ひとみ・・・」
航河はもう一度思い切りひとみを抱きしめた・・・。
そしてひとみの耳元で何度も呟く・・・。
「信じるよ・・・。お前のこと・・・。信じさせてくれ・・・」
何度も・・・。
そして、虹はいつまでも消えなかった・・・。