「ふふっ」
夕食の材料の入ったスーパーの袋を抱えて、はマンションの中に入っていく。
チャリ・・・。
ポケットから、ピアノの形をしたキーホルダーのついた鍵を取り出し、あける。
その部屋の表札は『氷室零一』。
「おじゃましま〜す・・・」
氷室から部屋の合い鍵をもらい、今日は都合でいない、氷室を先に部屋で待つことになったのだ。
(なんか・・・。合い鍵なんて奥さんみたいだな)
うきうき気分でキッチンに食材を置く。そして冷蔵庫に生ものを閉まった。
牛肉と人参と・・・。
「・・・。氷室先生、カレーなんて食べるかな・・・。なんか・・・」
『カレーには様々なスパイスが入っている。新陳代謝にいいものもある・・・』
「とかなんとか言って食べてくれなかったりして・・・ 。でもあたし、カレーぐらいしかまともに作れないしなぁ・・・」
鍋の前で腕を組む。
「まあいいや!ともかく頑張って作ろう!」
は腕まくりをして、包丁を手に取る。
既に気分は奥さん。
氷室は6時までに帰ってくると言っていたので、は時計をチラチラ見ながら料理を作る。
出来上がり、テーブルに皿を出す。
「さ、できたっと・・・」
カレーにツナとキャベツの千切りのサラダ。
椅子に座り、氷室の帰りを待つ。
コチコチコチ・・・。
時計の音がなんとも心地よく。
一人、夫の帰りを待つ妻・・・。
はなんともいえないウキウキしていた。
ピンポーン。
チャイムが鳴り、急いで玄関に向かう。
「おかえりなさい!」
氷室がドアを開けると、ピンクのエプロン姿のが笑顔で出迎えた・・・。
とびきりの笑顔で。
「おかりなさい !氷室先生」
「・・・」「
その笑顔に氷室はしばし見とれる。
「あれ?どうしてんですか?先生」
「いや・・・。なんだか嬉しいと思って・・・。人にでむかられるというのは・・・」
「あたしもです。ひとにおかえりなさいって言うのがすごく嬉しい・・・。大切な人ならなおさら・・・」
「・・・」
二人は玄関先で赤くなる。
そして、氷室とはテーブルに座る。
「あの・・・。すみません。勝手に台所借りちゃって・・・。それに、あたしあんまり料理できなくて。あの・・・。先生カレーって嫌いですか?」
「ありがたくいただくとしよう」
「よかった!」
はご飯にカレーをかけ、氷室に差し出す。氷室が一口含む。
はちょっとドキドキ・・・。
「うむ・・・。いろいろな香辛料が入っているな。味にばらつきがある。味加減に微妙な・・・」
氷室はハッとした。
がしゅんとしている。
「あ、いや、だからその・・。味は実に庶民的でおいしく・・・だからその・・・」
氷室、必死にあたふたしてフォロー。
「・・・。ぷ・・・はははは・・・」
「な、何がおかしいのだ」
「だって先生・・・。あんまり必死だから・・・。それにその顔・・・」
氷室、口元にご飯粒が2つ・・・。
「は、早くいいなさい。そういうことは・・・」
「先生、動かないで下さいね」
は氷室の口元のご飯粒をつまみ、パクッと食べた。
「あわてないで食べて下さいね、あれ・・・?」
氷室は真っ赤。
手のスプーンの動きが止まっている。
「な、なななな・・・。何をするんだ・・・っ。わ、私は子供じゃないのだぞッ」
「あ、ご、ごめんなさい・・・っ。つい弟にやってる感じで」
しかし、氷室、割と嬉しそうだが・・・。
「・・・。い、いや・・・。君が謝ることはない。そ、そのあまりに突然の出来事に対応できなかったのだ・・・。でもその・・・。悪くはなかった。結婚したての夫婦のようで・・・」
『結婚』
向かい合って座る二人の頭上にその二文字がバッと浮かんだ。
「・・・」
「・・・」
妙に意識してしまって無言のまま食事は終わり・・・。
夕食の後かたづけをすませた。
「・・・あ。もうこんな時間・・・。先生。あたしそろそろ・・・」
エプロンを脱ぎ、帰る支度をする。
氷室は玄関まで送ろうと立ち上がった瞬間・・・。
「氷室先生!!」
氷室はガクッと倒れ込む・・・!
その拍子でめがねが落ちた。
「氷室先生!!」
が氷室の体を支える。
触れたその体は、火のように熱かった。
「先生・・・。熱が・・・!」
「だいじょうぶだ・・・」
しかし、氷室の息も荒い・・・。
は氷室に肩を貸しながら寝室に行き、氷室をベットに寝かせた。
そしてすぐさま、冷蔵庫から氷を取り出し氷枕と冷えたタオルを準備する。
「先生・・・ッ。しっかりしてください・・・!」
氷枕を氷室の頭の下に敷き、額には水で濡らしたタオルを置いた。
「先生・・・。大丈夫ですか?苦しかったら言って下さいね。あたし、ずっとここにいますから」
「・・・すまない・・・」
はそっと氷室の額をふく・・・。
はふと氷室の机の上を見つめる。
すると、そこには生徒達、一人一人の成績の分析した資料がたくさん散乱していた。
一人一人、苦手な教科をどうすれば克服できるか、氷室なりの意見が添えられて・・・。
(・・・。氷室先生・・・。きっと徹夜でこれを作っていたんだ・・・)
生徒達の間では、厳しく口うるさい教師としてあまり評判はよくないが本当は・・・。
こんなに生徒思いなのだとは思った・・・。
「・・・。私は・・・へいきだから・・・。かえりな・・・さい・・・」
「大丈夫です。先生こそ休んで下さい。あたし先生が眠るまでいますから」
「帰りなさい。ご両親が心配する」
「いやです。先生が心配で帰れません!」
「帰るんだ・・・!これは担任としての・・・命令・・・だ・・・」
氷室の厳しいまなざしにはそれ以上なにもいえず・・・。
「・・・。わかりました。先生・・・。でも先生、何かあったら、すぐあたしの携帯に連絡くださいね。すぐ飛んできますから・・・」
「・・・ああわかった・・・」
「・・・。じゃあ先生・・・。お大事に・・・」
パタン・・・。
は心配そうにしながら出ていった・・・。
「・・・フウ・・・」
がいなくなり・・・。
急に部屋の中の静けさが際だつ・・・。
「ゴホゴホゴホ・・・ッ」
せき込む氷室・・・。
熱も上がってきた・・・。
「ハァ・・・」
急に寂しさがこみ上げてくる。
風邪のせいだろうか・・・。
ゾクゾクという寒気と同時に不安も沸いてきて・・・。
自分でを帰しておいて・・・。
強烈にそれを後悔する自分・・・。
「フゥ・・・」
熱でぬるくなったタオル・・・。
水で絞りなおそう・・・そう思った時・・・。
「・・・?」
急に額が冷たく感じる・・・。
目を開けると・・・。
やさしく自分を見つめるの眼差しがあった・・・。
「・・・。どうして・・・」
「・・・。先生はあたしがどれだけ先生を好きか知らなさすぎます。風邪を引いてくるしんでる先生を置いていけると思いますか?」
「・・・」
「先生が落ち着くまでここにいます。動きませんからね」
そう言っては氷室の手をそっと握った・・・。
手から伝わる温もりが氷室を心から安心させる・・・。
「ふふ・・・。全くお前って生徒・・・は・・・」
「病人は安静にしてくださいね」
の存在が心強く感じる氷室・・・。
「先生、お水、飲みますか・・・?」
「・・・ああ・・・」
は氷の入った水をコップに注ぐ。
「フゥ・・・」
氷室は苦しそうに息をはく・・・。
「・・・」
「・・・?」
はコップの水を口に含むと・・・。
「・・・先生・・・」
氷室の唇に近づけそして・・・。
「・・・ゴク・・・ッ」
冷たい水を氷室へと送り込む・・・。
の柔らかい感触が広がって・・・。
静かに唇を離した・・・。
「・・・。コラ・・・。君まで風邪を引いたらどうするんだ・・・」
「先生とならひいてもいいです・・・」
「・・・バカ・・・」
そしてそっとベットに寄り添う・・・。
その夜、はずっとずっと側にいたのだった・・・。
朝・・・。つきっきりで看病した・・・。
ベットの側で眠ってしまっている・・・。
そのの髪にそっと触れる氷室・・・。
「ありがとう・・・。・・・。ずっと私のそばにいてくれ・・・。そして共に生きてくれ・・・」
そうつぶやいたのだった・・・。