第60話 氷の中の貴公子
暗い部屋。
冷たいフローリングの床に
ワイシャツ一枚。
寝転がりぼんやり写真を見つめる篠原。
写真には、少年二人が写っている。
笑顔で・・・。
「兄さん。あいつら・・・。結構しぶといんだ・・・。
ま、その方が俺は復讐しがいもあるけどね・・・」
兄・無双の少年時代の写真をそっと撫でる。
腹違いの兄。
腹違いだったけれど、優しかった。
無双の父親の愛人だった自分の母。
”あんたなんかやけくそで産んだのよ”
水商売で厚化粧だった母。
そんな母が大嫌いだった。毎晩男に自分を売るような視線を向け、
見知らぬ男が寝泊りしていた。
”嫌いだ。何もかも嫌いだ・・・!!”
見るもの全て汚く見えた。
世の中全部が。
酔っ払いも、平気で自分を男に売り、それを金にかえている母も。
そう。自分自身でさえも・・・。
自分の誕生日に・・・。
男とホテルに入っていく母を目撃した・・・。
”僕は汚れている・・・!!もう嫌だ!!”
ランドセルをしょったまま、そのまま走った場所は
・・・踏み切り。
赤いランプが点滅しているのに篠原はレールの上にたち向かってくる電車
を待っていた・・・。
”やめろ・・・!!!忠ッ!”
誰かが僕を助けてくれた。
大きな手が僕を助けてくれた・・・。
学生服着た、少年・・・。
それが篠原の兄・無双だった。
”忠、おまえはオレの弟だ。ずっとお前を見ていた。”
自分に兄がいたなんて・・・。
信じられなかった。ただ、驚いた。
目の前に居る人間が兄だなんて・・・。
”僕には家族なんて居ない。誰もぼくをひつようとしていないんだ!”
篠原は初めて泣いて叫んだ。
悔しくて・・・。
無双は泣きじゃくる弟を抱きしめた。
力強く・・・。
”馬鹿な大人たちのためにお前が消えることはない。
だからこれからオレが言うとおりに生きろ・・・。オレはお前を必要としている・・・”
その言葉が、幼かった篠原の心に染みた。
深く・・・。深く・・・。
それから篠原と無双は何でも相談し合い、
共に大人になっていった。
”腹違い”
という複雑な事実など消えてしまうくらい、
無双は篠原を愛し、可愛がった。
篠原も兄の愛情を心から感じ、慕った。
「兄さんのお陰でオレは・・・。今もこうして生きているんだ。
兄さんなしでは今のオレはいない・・・」
自分を必要としてくれる兄。
兄のために兄が望む人間になろうと思った。
だが・・・。
自分に向けられた愛情は”一番”じゃなかった。
「・・・いつからか兄さんの”一番”はオレじゃなくて。月島桔梗
になってたね・・・。正直悔しかったよ・・・。オレだけの兄さんだけだと思っていたのに・・・」
でも二番でもよかった。
兄が自分に優しくしてくれる限り・・・。
「けど・・・。兄さんは・・・。月島桔梗・・・いや、あいつら
のせいで壊れてしまった・・・。・・・僕を忘れるくらいに」
ガチャン!!
ワイングラスを壁に投げつける篠原・・・。
白い壁がワインレッドに濡れて・・・。
「・・・待ってくれ。兄さん・・・。もっとオレがあいつらを
壊してやるんだ・・・。見ててくれ。兄さん・・・」
粉々に床に飛び散ったグラスの破片が
不気味に朝日に光っていた・・・。
「はい。坂上さん、OKです!これで全て完成だ!」
わっと歓声があがる。
ここはとある録音スタジオ。
桔梗が今度新しく出す、クラッシクCDの録音終わり、
スタッフ達と演奏者達の拍手が音響室に響いた。
しかし騒がしいことが嫌いな
すでに樹はバイオリンをケースに入れ、帰る支度をしていた。
その樹に一人の楽団員が近づいてきた。
「あの・・・。坂上さん、ちょっといいでしょうか・・・?」
「・・・なんだ?」
「あの・・・。ここだと人がいて・・・」
喜び合うスタッフ達を気にして周囲をチラチラ気にする女性楽団員。
その視線に桔梗は微かに不自然さを感じた。
「・・・。わかった。場所を変えようか」
「ありがとうございます。じゃあの・・・」
女性学団員と樹をスタジオを出て、
地下にある空調室の前まで連れてきた。
『関係者以外立ち入り禁止』
ドアには赤い文字で書いてあった。
「・・・こんなところで相談ごとか・・・」
「ここは誰もこないから・・・」
「・・・確かにな。で。ここへ連れてくるのがお前の”役目”か?」
樹は何かを見通したように女性学団員を睨んだ。
「・・・勘が鋭いわね。ふふ・・・」
「あいつ(篠原)の命令か?前からお前は怪しいと思っていた・・・」
篠原が現れたのと同時にこの楽団に入ってきた。
それに。
自分のスケジュールやプレイベーとなことを
調べまわっていた人間がいるのに気がついて・・・。
「忠の悪口は言わないで。彼のためならなんでもするのよ。私・・・。
貴方だってそうでしょ?」
可愛らしい女性学団員から一変・・・。
怪しい笑いを浮かべる。
「で。どうするというのだ?」
「そんな面倒なこと・・・。”白雪姫”のようにちょっと眠ってもらうだけよ。あ、あんたは
男だったわね」
「・・!?」
樹の背後から大きな男が
いきなり白い布を樹の口にあてた。
「うぐ・・・!??」
布から薬品の匂いがする・・・。
段々と意識が遠のいていく・・・。
樹は完全に気を失った。
黒尽くめの男は樹を後部座席に乗せた。
「毒林檎をたべたように・・・ねむりなさい。本当に雪
のように寒いところにつれていってあげる。ふふふ・・・」
※
「・・・う・・・」
気がつく樹。
意識が戻るのと同時にゾクッと
寒気が樹を襲う。
(ここは・・・)
薄暗い部屋。
天井から白い煙のような冷気が噴出す。
いや、部屋というよりここは・・・。
(冷凍室・・・か?)
『高尾食品』と書いてある発泡スチロールの
箱が沢山山積みされ、中には冷凍食品が入っていた。
さらに調理につかうとみられる牛肉のかたまりが
いくつもぶらさがっていた。
「ふふ。おめざめですか?貴公子さん」
あの女子楽団員の声が冷凍室内に響く。
「!?」
天井にある小さな穴のあいたスピーカーから聞こえる。
「何のつもりだ・・・!?」
「ふふ・・・。ここはね。篠原が経営してるレストランよ。
あなたがいるのは冷凍室。特上の牛肉、おいしそうでしょ?」
「ふ、ふざけるな・・・ッ」
樹はスーツをぎゅっと両手で握り締め
体を縮こませた。
「ふふ。元気なのもいまのうち、そうねぇ。あと1時間もすれば
真冬並みに冷えてくるわよ」
」
スピーカーの向こうで高笑いする女子楽団員。
女子楽団員の言うとおり・・・。
急激に体が冷えていくのが分かる・・・
「ふふ。ま、心配しないで。凍え死ぬことはない。ま、凍傷ぐらいは
なるかもしれないけど」
「・・・。どうするきだ!!う・・・」
樹はぎゅっと着ていたスーツを握り締め
座りこむ・・・。
「今度はあんたが”白雪姫”になるのよ。雪のように寒い場所でね」
「何故こんなことする!!篠原はどうしてこんな・・・」
「・・・本当に何も知らないのね。無双、忠のお兄さんはね、
月島桔梗とあんた、それに犬夜叉って男のせいで心がいかれちゃったのよ。
ううん・・・忠もよ」
「・・・!?」
「かごめって女を襲って逮捕されてから無双は・・・。塀の中でもいまだに桔梗を求めてそのうち・・・。
頭のネジがとんじゃったのね。
釈放された後はすぐ弟の忠は無双を引き取った。弟の顔さえ忘れてしまった兄の心を取り戻そうと忠は
必死だったわ」
だが・・・。
いくら献身的に尽くしても。
”忠・・・。桔梗はどこだ・・・。オレの桔梗は・・・。探してくれ・・・。
オレの、桔梗。桔梗・・・”
無双はひたすらに桔梗を求めた。
弟ではなく
同じ血を引く自分ではなく・・・。
「そのうち、桔梗が生きていることを知った忠・・・。兄を追い詰めた桔梗を許せなかったのね。
ううん・・・。嫉妬よ。兄をとられた・・・」
「そんなことで・・・。僕や桔梗、いや犬夜叉さんに関わる人たちを巻き込んだっていうのか!」
「・・・。忠が唯一心を許せたお兄さんの心を壊した人間達、みんな許せないんですって。
可愛いと思わない?私は・・・そんな忠を愛してるの」
「・・・。変だ・・・。お前も篠原も・・・。歪んでいる!」
「人間なんてそんなもんでしょ。みんな・・・。あなただって生きている月島桔梗を
ずっと死んだ人間にしてたじゃない。それだって歪んだ愛でしょう・・・?」
その言葉に、一瞬言い返せなかった。
確かに・・・。
生きている人間を自分は・・・。
桔梗を独り占めしたかった。
だけど。どれだけ尽くしても。
変えられない心。
それは愛じゃなくて、ただの独りよがり
だと気がついた・・・。
「・・・だが今は違う・・・。僕は・・・」
体を小さくまるめる樹・・・。
「今は・・・。たとえ届かない想いでも・・・。好きな人が幸せなら
それでいいと思えるんだ・・・」
かごめの笑顔が浮かぶ・・・。
想い人がいても、ただ、その人のそばにいて、その人を支えられる・・・。
そんな幸せもあるだと・・・教えてくれた。
「・・・奇麗事は夢の中で言うのね。ま、どうせあんたは”かごめ”って
女に助けられる筋書きなんだけど」
「な、何・・・!?。かごめさんってどういうことだ。おい!!」
ドンドン!!
樹は何度もドアをたたいた。
「とにかくあたしは篠原の言うとおりにやっただけよ。
もう少ししたら、あんたが好きな女がやってくるってだけよ。それまで
待ってることね。じゃあね」
プツッ。
携帯は切られ・・・。
コツコツコツ・・・。
女のヒールの音が小さくなっていく・・・。
「誰か・・・。誰か・・・!」
ドンドン!!
ドアを叩くが誰も来ない・・・。
(かごめさんがここへ来る・・・!?駄目だ。
絶対来させてはいけない・・・!!)
ドンドン!!
ガチャガチャ!!
樹はドアを何度も蹴り上げ、ドアノブを壊そうとした
だが。
冷気は体力をすぐさま奪っていく・・・。
「う・・・」
体全身が凍りつくほどに寒い・・・。
ワイシャツ一枚の樹・・・。
その場に座り込み、蹲る・・・。
(・・・駄目だ・・・かごめさ・・・来て・・・は・・・)
樹の完全に意識が遠のいていった・・・。
その頃。
「ふう。アイツの罠も心配ナンだけど・・・。楓おばあちゃんの一軒もあるのよね」
台所で夕食をつくるかごめ。
ぐつぐつ。
お鍋でおでんの具、はんぺんや大根が煮えている。
「みんなでおでんパーティーして・・・。犬夜叉と仲直りしなくっちゃ」
鋼牙との一件でまた、何だかぎくしゃくしている犬夜叉とかごめ。
お互い、謝りたいのだが
きっかけがつかめず交わす口数も少なかった。
「楓おばあちゃんのこと。樹さんにもう一度相談してみようかな・・・」
樹にお金をつごうしてもらおうとはおもわないが、少しでも楓の負担が軽くならないか
かごめは気に病んでいた。
かごめはガスの火をとめ、バックの中から携帯をとりだし、
樹の番号にかける。
だが、つながってもなかなかでない。
(・・・樹さん忙しいのかな・・・。また今度にし)
かごめがそう思って電源ボタンをおそうとしたとき・・・。
PPP
見覚えのない番号。
(まさか・・・)
不安げにかごめが出ると・・・。
「やぁ。かごめさんこんばんは、今宵は月がきれいですねぇ」
(・・・!!)
べたつくようなシツコイ声・・・。
篠原だった・・・。
「何よ。一体あたしに何のようなの!?」
「ええ。ちょっと人助けをしていただきたくて」
「人助け!??」
「そうです。坂上樹を助けてください。健気なあなたの愛で。ふふッ」
樹に何かあった・・・かごめは直感した。
「樹さんがどうかしたの・・・!?何したのよ!!」
「まぁまぁ落ち着いて。『白雪ボーイゲーム』とでもいいますか。ふふ。
樹は今、零下−10度の世界にいます
制限時間は1時間でしょうか。早く助けないと彼は凍ってしまう。」
「!?どういうことなの!!」
「とにかく。あと1時間以内に氷岬の『クール』というレストラン
まできてください。タクシーで飛ばせばぎりぎり間に合いますよ。
あ、それと警察なんてよぶのはなしですよ。それはルール違反になる。
」
「何がルールよ!!誰があんたの罠なんかに・・・」
「・・・ふふ。樹の命は僕が握ってるレストランの冷凍室のコントロールは
コンピュータ制御でね。僕のパソコンで零下10度を20度までさげることだって
できるんですよ」
「・・・なッ・・・」
「とにかく。かごめさん貴方が彼を助けに行くしかないんだ。じゃあ、ゲームスタート!」
プツッ
「ちょ、ちょっと!!!」
完全に、携帯は切れてしまった・・・。
篠原の罠・・・。
こんな形で襲ってくるなんて・・・。
まるで出口のない迷路のようだ・・・。
ぞっと恐怖心がかごめを襲う・・・。
だが。
今は助けなければいけない人がいる。
(樹さん・・・が凍ってしまう・・・。そうよ。私しかいないんだ・・・とにかく
早く助けに行かなくちゃ!犬夜叉に知らせて・・・)
かごめはエプロンを脱ぎ捨て、犬夜叉の部屋を訪ねようとした。
(明かりがついてない。まだ帰ってないんだ・・・)
珊瑚の部屋もあかりがついていない。
そういえば、空手部の後輩達とカラオケに行くと言っていた・・・。
(・・・珊瑚ちゃんもいない・・・。どうしよう・・。
犬夜叉に連絡だけでも・・・)
だが犬夜叉の携帯にもつながらない。
(どしよう・・・!どうして肝心な時に・・・!)
”あと1時間半で樹は凍ってしまいますよ”
携帯越しの篠原の言葉がごめの耳に残る。
(一刻を争うかもしれない・・・。罠でも・・・行くしかないわ!)
かごめは「犬夜叉が帰ってきたらこのメモのところまですぐ来てくれ」と
メールをいれた。そしてタクシーを呼ぶ。
「お客さん、どこまでです?」
ちょっと間の抜けた運転手がかごめにたずねる。
「氷岬峠にある「クール」っていうレストランに」
「氷岬・・・?こんな夜遅くにですか?」
「時間がないの!!早く行って!!!!」
「は、はいッ」
ドスの聞いたかごめに声に運転手はあわててエンジンをかけアクセルを踏む。
(・・・樹さん、無事でいて・・・!)
かごめを乗せたタクシーは一路、夜の海岸線を走った・・・。
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