デッサン
第20 話 涙と星空と

どれだけ。

どれだけ時間がたっても


なくならない。大切なものを失った痛みも耐えられないが・・・。


憎しみはもっと耐えられない。



アイツの顔だけは。


アイツのことだけは許せない。



アイツの顔を見ただけで。



自分でも恐ろしいほどの憎悪が沸いて、沸いて沸いて・・・。



大切なものを奪い去ったアイツ・・・。



この憎しみをどこへやればいい。


誰にぶつければいい・・・。




誰か・・・。



教えてくれ・・・。





ピンクのチューリップ。 季節はずれだけど・・・。毎月持って行く・・・。 雪が大好きな・・・。 お寺へ続く長い階段。 ピンクのチューリップの花束を持って陽春が歩く。 『飯野家之墓』 お墓には似つかわしくないかもしれないが花活けにそっとそえる。 「ふふ。雪。ごめん。花屋にあんまり残ってなくて・・・」 毎月一度はこうして雪の墓に来る陽春。 3年間、かかしたことはない。 何も話さず、ピンクのチューリップを贈りに来るのだ・・・。 3年。 長いのか短いのか・・・。 雪を失くした痛みが薄れてくることはない が自分はいきていかなければ・・・。 そう奮い立たせることはできる・・・。 「雪・・・。オレ・・・頑張るから・・・。あの店を必要としてくれる人 がいる限り・・・」 ふっと水里のことがよぎった・・・。 少し、陽春の顔がほころぶ・・・。 「じゃ。来月またく・・・」 人の気配を感じ、立ち上がる陽春。 陽春の顔色が変わった。 強張る。 体が・・・。 「あ、貴方は・・・」 薄暗いグレーのジャケットを着た初老の男。 「・・・藤原さん・・・。お久しぶりです・・・」 深々と陽春に頭を下げる男・・・。 「・・・田辺・・・さん・・・」 ”たなべ” 世の中で一番よびたくない名前だ。 雪の命を奪った・・・ 男の苗字だから・・・。 そして。目の前の男は。 雪の命を奪った男の父親だから・・・ 「・・・。ここに・・・何の御用ですか・・・」 「・・・。お詫びを・・・雪さんにしたくて・・・」 「お詫び・・・?申し訳ないが・・・。貴方に雪の墓に見舞って欲しくはない・・・。 貴方に・・・!」 がばッ。 初老の男はとつぜん、砂利道に頭をこすりつけ、土下座した。 「やめてください・・・。」 「・・・すみません・・・すみません・・・。本当にすみません・・・ううッ・・・」 何度みただろうか。 雪の命を奪った男の父親が。 自分にこうして頭を下げる・・・。 弱弱しい声で。 肩を震わせ・・・。 見飽きた。 誠意を伝えたいのだろうが・・・。尚更・・・怒りがこみ上げてくる・・・。 「・・・頭を上げてください・・・」 陽春は男をそっと立たせた・・・。 「・・・。田辺さん。なぜあなたがあやまるのですか」 「え・・・?」 「3年もたつのに・・・。雪をひいいた、雪の命を奪った息子さんは どうして、ここに来ないんだッ!!!!」 「そ、それは・・・ッ」 「真っ先にここにこなければならないのは父親の貴方じゃない・・・!! 息子さんでしょう!!違いますか!!!!!!!!」 「・・・」 静寂の墓地に・・・。 陽春の怒涛の声が響く・・・。 「・・・どれだけ父親が土下座しても。意味がない・・・。意味がないんだ・・・」 「すみません・・・すみません・・・。うう・・・すみません・・・」 父親は再び、ひたすら、陽春に頭を下げる。 何度も何度も・・・。 肩を震わせ・・・。 「・・・。土下座するくらいなら・・・。雪を返してくださいよ・・・。 生き返らせてくれ・・・」 力が抜けていく・・・。 謝られれば謝られるほど・・・。 無力感と怒りと憎しみと・・・。 ごちゃまぜになって・・・。 「藤原さん・・・」 糸がほつれたたこのように・・・。 陽春は墓地から立ち去った・・・。 苦しい。 ようやく少し・・・。 忘れかけていたのに・・・。 憎しみと、怒りと・・・。 それを押さえる自分と・・・。 苦しい・・・。 パッパー! 「!」 車のクラクションにハッとする陽春・・・。 「馬鹿やろう!!ひかれてぇのか!!」 トラック運転手の罵声も 上の空・・・。 蘇る・・・。 雪が引かれたあの一瞬。 キキキキー・・・!!!! 赤いバイクが・・・。 雪の細い体を突き飛ばし・・・。 雪は・・・。 5メートル。 空を 飛んだ・・・。 紙切れのように・・・。 店のすぐ近くだった・・・。 陽春は、気がつくとその場所に立っていた。 白いレールの下に、花瓶に入った菊の花。 きっと・・・。 田辺の父親がいけているのだろう・・・。 バシャッ!!!! 「・・・」 陽春は菊の花を地面に投げつけた。 「こんなもの・・・っ。くそ・・・」 飛び散った黄色の菊の花びら・・・。 今にも破裂しそうな陽春の 心のよう・・・。 今にも・・・。 しばらく陽春はその場に しゃがみこみ、俯いたままだった・・・。 守れなかった 守りたかった。 (オレは・・・オレは・・・) 行き場のない怒りと自分の無力感で その場から動けない陽春だった・・・。 「〜♪」 鼻歌を歌いながら水里はいつものように陽春の店に行く。 スーパーのくじ引きで 「あれ・・・。真っ暗だ・・・」 看板の電気もついていない。 「マスター・・・?」 カラン・・・。 中に入る。 やはり夕陽の光だけで薄暗く静かだ・・・。 窓際の席に一人・・・ぽつんと座っている陽春の背中が目に 入った・・・。 (・・・背中が・・・尖って・・・痛そう・・・) 水里はただならぬ雰囲気を感じ取った。 背中から。 重く、哀しい 悲鳴をあげているような・・・。 水里は今日は帰ったほうがいいと直感し、帰ろうとしたが・・・。 「・・・雪・・・」 (・・・!) 陽春の震える声・・・。 とても哀しい声・・・。 水里の足は静かに陽春が座る席へと向いた・・・。 静かに陽春の前に座る水里・・・。 (・・・!マスター・・・) 水里はハッとした・・・。 (マスターが・・・泣いて・・・る・・・) 夕陽を浴びて座ったまま眠る陽春・・・。 その額に・・・ 一筋流れる・・・。 オレンジ色に光って・・・水里には見える・・・。 水里の手は・・・ 無意識に・・・震えながら・・・ そっと・・・。 陽春の濡れた頬を拭う・・・。 「・・・雪」 (・・・!!) 陽春の声にハッとし、手を離す水里。 一瞬の夢から覚めたように・・・。 (・・・そうだ・・・。マスターが見ているのは・・・) 亡き妻・雪。 眠りながら涙をこぼすほどに・・・。 辛く・・・哀しい・・・。 「・・・」 クライマックスの舞台の上に、うっかり出演者でもないのに 出てしまったような、そんな、場違いのような気分になる 水里。 (・・・雪さんとマスターの思い出に水をさしちゃいけない・・・) 帰ったほうがいい、そう思うけど・・・。 「・・・雪・・・」 さっき見た、陽春の涙が離れない。 (・・・。どうしよう・・・) どうしよう。 目の前に 辛い夢を、 苦しい心を持った人が居る・・・。 どうしよう。 水里の頭はぐるぐるまわった。 (私が、できること・・・。私が・・・。せめて・・・) カウンターをじっと見つめる水里。 (・・・) 水里は立ち上がり、自分が羽織ってきた水色の肩掛けを そっと座って眠る陽春にかけた。 そして・・・。 カタン。 カウンターに入り、ポットに水を注ぎガスの火をつける水里。 (マスターに何があったのかは分からないけど・・・。元気に・・・。なってほしいから・・・) 陽春はまだ眠っている。 コーヒーのいい香りが店の中に漂っていた・・・。 「ん・・・」 陽春が目を覚ました。 既にあたりは真っ暗・・・。 (眠っていたのか・・・) 「ん・・・?これは・・・」 水色の肩掛け。 (一体誰が・・・) 水色といったら・・・。 (・・・水里さん・・・来ていったのか・・・) 水色の細い毛糸の肩掛け。 空色なのに。 青空のようの下にいるように 温かだった・・・。 「・・・ん・・・?この香り・・・」 店の中に ほんのりココアの甘い香り。 ガラスのポットから、ほんのりハーブの香りが・・・。 さらに、カウンターにメモが。 『マスターへ。眠っておられたので 帰ります。なんだかとても疲れた顔をしていたので ハーブティー淹れて見ました。コーヒーに目覚めてから色々 やってみたくなって・・・。勝手に食器類つかってごめんなさい。 でも一口でも飲んでもらえたら嬉しいです。 じゃあまた明日来ます。 PS。マスター。今夜は晴天だそうです。星が綺麗。だから・・・元気だしてください 水里』 「ふ・・・」 ハーブティ。 心地よい緑の香りがする・・・。 一口口に含む・・・。 「・・・うまい・・・」 誰かに淹れてもらったコーヒーやティー。 優しさと労わりの味がする・・・。 ”今日は夜空が多分雲がほとんどなくて綺麗です。きっと星が見えますよ” 陽春は外に出てみる。 すると・・・。 「・・・本当だ・・・」 街中なのに。 黒い画用紙に金色の粉をまぶしたように 星が点々と存在する・・・。 水里のメモの通り・・・ (・・・水里さんて天気にも詳しいのかもな・・・) きらきら・・・。 久しぶりに夜空を見上げた・・・。 (・・・そうだ・・・これ・・・) 手に持っていた水里の肩掛け。 眠っていた時、微かに感じた温もりはこれだった。 (・・・返しに・・・行こうかな・・・) 陽春は水里の肩掛けを持って『水色堂』に来ていた。 (やっぱりもう閉店してるな・・・) 入り口のガラス戸。 カーテンが閉まっている・・・。 (仕方ないな・・・。明日またくるか・・・ん?) 店の横に倉庫らしいたてものが。 引き戸の隙間から灯りが漏れている・・・。 キィ・・・。 ペンキや絵の具の香りがする。 「水里さ・・・。わッ!!」 陽春の声に振り返ると 鼻の頭を赤くそまった水里が・・・。 Tシャツ全部絵の具だらけで。 「ま、マスター!??ど、どうして・・・」 「あ、この肩掛けを返そうと・・・。すみません お忙しかったですか?」 「い、いえそんな、わざわざこちらこそすみません」 水里はあわてて鼻の頭の赤い絵の具をふき取った。 「あの・・・。何をされていたんですか?」 「え?あ、えっとクリスマスのプレゼントを色々と・・・。 散らかってますけどどうぞっ」 水里は首にかけたタオルで顔についた絵の具を拭き、中に陽春を招き入れる。 中ではなにやらのこぎりや鉋の大工道具と何本かの木材が。 「何をつくっていたんですか?」 「あ、太陽yへのクリスマスプレゼントを・・・」 その”証拠”に四角や丸に切られた木材にはピカチュウのイラストが・・・。 「”ピカチュウの積み木セット”そんな名前のおもちゃ欲しがって いたんですけど、ちょっとお値段がはっちゃって・・・。それで積み木なら作れないかな ぁと思ったんですけど・・・」 ちょいと不恰好な積み木。 丸なのに角ができてしまったり・・・。 「いいじゃないですか。味があって・・・。既製品の玩具より ぬくもりがあって素敵だと思います」 「あ、ありがとうございます」 (味があるか・・・。一応ほめ言葉としてうけとっておこう(汗)) 「でも”ピカチュウ積み箱”がうまく作れなくて。設計図どおりに 組み立てたんだけどなぁ・・・」 積み木を入れておくピカチュウ形の箱。 裏にはキャスターをつけて移動式。 だが、キャスターがうまく動かない。 「ふむ・・・。ネジがゆるんでますね。ちょっとドライバー貸してください」 「え?あ、は、はい・・・」 陽春にドライバーを手渡す。 陽春はなんとも慣れた手つきで、キャスターを あっという間に4つつけてしまった。 「これで大分進むと思います・・・」 「あ、ほんとだ・・・」 ギィというおともせずすいすいピカチュウ号は走ります。 「マスター。マスターって本当、何でもできるんですね。」 「いや・・・。そんな大層なもんじゃ・・・。それから積み木の方、ヤスリをかけた方がいいですね」 陽春はペンキでぬられた積み木たちの表面を やすりでなめらかにしていく。 「マスター、すみません。肩掛けもってきてもらった上に 変なお手伝いしてもらっちゃって・・・」 「いえ。太陽くんへのプレゼントに僕も参加したいです。 さ、もうすぐで完成なんでしょう?やってしまいましょう」 「は、はい・・・」 こうして、二人は残りの積み木作りを始めた。 陽春が木材を切り、水里が絵を描いていく。 「やっぱりけやきっていい香りがしますよね」 「そうですね・・・」 楽しそうに笑っている陽春・・・。 夕方見たあの涙が幻だったと思うくらい・・・。 (マスター・・・。元気になったのかな・・・) 「?どうかしました?僕の顔に何か・・・?」 「い、いえ・・・」 陽春にいったい何があったのか・・・。 水里は気になったが 触れないほうがいい気がした。 (あれは・・・幻。そう・・・きっと・・・) 「水里さん、鉋、借りますね」 いつもの変わらない笑顔。 だけど・・・。 人にぬくもりを与える笑顔の分だけ 深い悲しみが・・・。 (私が見たのは幻・・・。とても悲しい幻・・・) 自分で抱えきれない程の悲しみは 簡単に触れて欲しくない。 ”同情”という名の陳腐な哀れみになってしまうから・・・。 水里はそれ嫌というほどしっている。 嫌というほど・・・。 だけど消えない。 あの涙・・・。 水里の心は揺れていた。 「ふう・・・。できたー!」 丸、三角、四角、全部の積み木にピカチュウが。 それを積み重ねると”ピカチュウ城”ができるという 太陽専用積み木、完成です。 「マスター。ありがとうございました!間に合った・・・!」 「よかったですね!これで太陽君も喜ぶ・・・」 「・・・あ!そうだ。忘れてた・・・!」 水里はあわててエプロンのポケットからあるカードを取り出す。 「すっかり忘れてた。今日、マスターに渡そうと思ってたんです。これ・・・」 黄色の色画用紙でできたピカチュウのカード・・・。 陽春がカードを広げると・・・。 『ますたあへ。こんどくりすますかいをするのでぜひ、きてください。 けーきをつくってまっています たいよう』 青のクレヨンでおぼえたてのひらがなで かいてあった。 段々、字がうまくなっているな・・・と思い、微笑む陽春。 「あの、お店のほう、忙しくなかったら・・・」 「せっかくの太陽くんのお招きです。ぜひ伺います。ふふ・・・」 「よかった・・・。太陽も喜びます・・・」 「あっと・・・。もうこんな時間か」 腕時計は9時半を回っていた。 「マスター。今日はありがとうございました。本当に・・・」 「いえ。こちらこそ。太陽君のプレゼント作り、楽しかった・・・。それに・・・」 「・・・それに?」 「水里さんの淹れてくれたハーブティーがとてもおいしかったです。 とても・・・。心が休まった・・・」 「・・・」 水里は反応に困って思わず俯く。 「・・・あ・・・。雪・・・」 白い綿帽子がゆっくり落ちてくる・・・。 「急に冷えてきたと思ったら・・・。マスター帰り気をつけてかえ・・・」 手のひらに落ちる白い雪を 遠く、切ない瞳で見つめる陽春・・・。 「・・・雪・・・」 「・・・」 手のひらに落ちて消える雪。 儚くて、 そして綺麗で・・・。 陽春にとって”雪”は永遠なものなのだと・・・ 水里は深く改めて感じた・・・。 ふわっ。 「?」 水里はあの水色のマフラーを陽春にかけた。 「していってください」 「え?でも・・・」 「明日、返してくださればいいですから。 風邪ひいたら明日のパーティー来られなくなりますよ。 マスター」 水里は降ってくる雪を見上げた。 「・・・今年初めての雪はちょっと冷えるけど・・・。 優しくて綺麗です・・・。とても・・・。とても・・・」 「水里さん・・・」 「・・・つらい気持ち・・・。真っ白にしてくれそうなくらい・・・ 綺麗です・・・」 ふわふわ・・・。 綿毛のように落ちる・・・。 しばらく二人は舞い散る雪を見ていた・・・。 そして陽春は一人 店へと戻る・・・。 雪は木の葉のように降って・・・。 コートのポケットから太陽のクリスマスカードを取り出す・・・。 そして首に巻かれた水色のマフラー・・・。 どちらも温かい・・・。 本当に素直な 優しい気持ちが伝わってくる・・・。 ”ひとりじゃないよ・・・って言ってくれているみたい・・・” 水里の言葉が浮かぶ。 「ひとりじゃない・・・か・・・」 雪が教えてくれたのかもしれない・・・。 今年初めての雪が・・・。 明日はどんなクリスマス会になるのだろうか・・・。