窓辺の机の上にはオレンジが置いてある。
甘い香り。
玉江が亡くなって一ヶ月が過ぎた。
オレンジの香りをかぐと玉江の笑顔が浮かんで泣きたくなる・・・。
>(玉江さん・・・。いや・・・おばあちゃん・・・)
オレンジ一つ握り締める・・・。
確かめられなかった。
ガチャ。
窓を開けて空を見上げる。
梅雨明け宣言はしていないが快晴だ。
青い、青い空が、胸の痛みを和らげる・・・。
玉江は今頃・・・。
空の上でどうしているだろうか。
”また一緒にお弁当食べようね・・・”
青空に玉江の笑顔が浮かぶ・・・。
(玉江・・・おばあちゃん・・・)
痛い・・・。もうあの笑顔は見られない。
痛い・・・。
その痛みじわっと目を潤ます・・・。
(玉江おばあちゃん・・・)
PPPP!
「・・・!!」
電話の音にビクッと驚く。
水里は涙をごしごしと袖口でふきとる。
(元気ださなくちゃ・・・)
自分に言い聞かせて電話に出る。
「はい。もしもし。山野ですが」
電話の相手は学園からだった。
「え・・・!?シスターが入院・・・!?」
シスターの突然の入院に水里の心は激しく動揺が走る。
(まさか・・・シスターまで・・・)
玉江のことがあったばかりのせいか、異常に敏感になって不安になる。
「あたし、すぐ病院行く!!どこの病院!?早く教えて!!」
怒鳴る水里。
水里は店を休み、朝一でシスターの病院へ直行・・・。
だが。
「あら。水里。どうしたのです?そんな血相抱えて」
4人部屋の病室を息せききってたずねたが、そこにはぴんぴんしているシスターの姿が。
「し、シスター・・・。入院したんじゃ・・・」
「ええ。盲腸で」
「も・・・盲腸・・・」
ほっとしてぺたんと床に座り込む水里。
健康印のシスターが入院と聞いてさぞかし重病なのかと思い込んでしまった・・・。
「まったく。早とちりだわねぇ。水里は相変わらず・・・」
「す、すんません・・・」
水里は丸い椅子腰掛け、一息つく水里・・・。
ベットの上に張られた画用紙に気がつく。
クレヨンでシスターの似顔絵とメッセージが。
『しすたーよくなってね』
くねくねした字。この字は・・・。
「シスター。これ、もしかして・・・」
「ええ。太陽の字よ。太陽ね、ひらがな、全部かけるようになったのよ」
「太陽が・・・」
この間、お泊りに来たときは自分の名前しかかけなかったのに・・・。
「そっか・・・。太陽かけるようになったんだ・・・。よかった・・・。よかった・・・」
何だか太陽の字があんまり上手で嬉しくてうるっときてしまう・・・。
特に哀しいことがあってまだ心が痛いときだから・・・。
「水里。あなたそんなに泣き上戸だった?何か・・・あったのね」
「へへ・・・。シスターにはかなわないな・・・。実は・・・」
水里は玉江のことを全てシスターに話した。
玉江が亡くなったこともすべて・・・。
「そう・・・。そんなことが・・・」
「うん・・・」
シスターは指で十字を切って手を組んだ。
「玉江さんというご婦人の魂が神の元で安らかな眠りにつけますように・・・。アーメン」
水里も静かに目を閉じて玉江を想った。
玉江が笑顔でいますように。
空の上で嬉しそうに・・・。
「ありがとう。シスター」
「いいえ。玉江さんと水里が出会ったのはきっと偶然じゃない。神の思し召しです」
「・・・そうかな・・・。でも玉江さんが私の本当のおばあちゃんかどうかわからない・・・」
「水里。大切なのは玉江さんと貴方とであった奇跡。共に過ごした時間です。それを忘れなければ玉江さんはずっと水里の中で生き続ける・・・。だから笑顔でいなさい。ね・・・?」
シスターは水里の手にそっと重ねた。
シスターの手・・・。昔から変わらない。
辛いことがあってもこうして手を握ってくれた・・・。
「・・・うん・・・」
人が一人、なくなった・・・。
世間では玉江がいなくなったことを知る人は数少ない。でも玉江を知る人にとっては心をもぎとられたと同じ。
玉江と交わした言葉、時間・・・。
全て一瞬にして『思い出』になってしまう。
それが『死ぬ』ということ?
それが『生きる』ということ?
・・・そんな難しいことわからない。
だけど一つだけ確かなのは
玉江の笑顔は絶対に忘れない。
忘れない・・・。
太陽の顔も見たいし。
学園につくと、グランドで子供達が元気に遊んでいた。
「あ!男いない暦24年の水里ねぇちゃんだ!」
ガキ大将の勝が水里にむかって叫んで走ってきた。
「ぐえッ」
そしていきなり首根っこ掴んでプロレス技をくらわす。
「おう。勝。今なんか言ったか?」
「な、何にもいってましぇ〜ん。男いない暦24年だなんて・・・。ぐえっ」
水里、技を強化。
「ああ、お許しください。水里大明神。水里大統領〜!」
勝は、水里の手荒い出迎えに白旗をあげた。
学園の子供達は大爆笑。
そして。
「太陽!」
保母に抱かれ外に出てきた太陽。水里に気がつくと、嬉しそうに元気に突進してきた。
両手で太陽を受け止め抱き上げる水里。
「うぃっす〜♪おひさ!元気にしてた?」
太陽は”うん!”という返事の変わりに水里の頬にすりすり頬をこすりつける。
「きゃはは。くすぐったいって」
まるで子犬のように水里にくっつく太陽。本当に嬉しいのだ。
「水里さんお久しぶり」
太陽をだっこしていた新人保母・かごめ言った。
ピンクのチェックのエプロン。ふわっとした長い髪。女の水里でも見惚れてしまうほど かわいらしく綺麗な初々しい新人保母さんだ。
「かごめ先生!お久しぶりす!あ、そうだ、太陽ね、かごめ先生をお嫁さんにしたいんだってさ」
突然、太陽の初恋を告白してしまった水里に太陽、恥ずかしそうにぽかっと一発水里にげんこつ。
「ごめんごめん。これは内緒の内緒だったのに。でも、太陽、かごめちゃんのこと大好きなんだよねーv」
太陽は恥ずかしそうに水里の腕の中でもじもじ君です。
「まぁ。ありがとう。太陽君。私も太陽君大好きよ」
かごめの言葉に太陽はもう顔を真っ赤にさせてさらにもじもじ君です。
「ふふ。太陽ったら・・・。よかったねぇ。ふふ・・・」
夕方のグランド。
学園みんなの笑い声が響く。
水里は夕食を学園で食べていくことになった。
今夜の夕食は定番だがカレーと野菜サラダ。
太陽も夕食当番に入っていて、白いエプロンにマスクをしてせっせと食器類をテーブルに運ぶ。
完全に今、彼は『太陽シェフ』なのだ。
そんな太陽の姿がほほえましい水里。
来年、学校だ。きっと給食の時間が一番好きになるだろうなと思う水里だった・・・。
そしてみんなで手を合わせて・・・。
「いただきまーす!!」
一斉にいただきますが終わると食べ始める子供達。育ち盛りが多いからたべることたべること。当然、お代わりも多く、太陽はお代わりする子供達に自分が食べるのも忘れてルーをかけてあげている。
「太陽君、最近すっごくよくお手伝いするようになったんですよ」
「へぇ」
かごめは水里の隣の席に座った。
「水里さんの家にお泊りするようになって特に・・・。なんにでも積極的に自分から参加するようになった気がする・・・」
「いやいや。私の方こそ太陽に教えられること、いっぱいあるんだ。いっぱい・・・」
小さな体で一生懸命何かを伝えようとする。
人と関わることに一線引いてしまいがちな自分だったけど太陽の一生懸命な気持ちで心が開けていく。
「かごめ先生ー!雄太がカレーこぼしたー!」
「かごめ先生ー!勝が俺の肉とったー!」
あちこちで食事中の戦争勃発。
かごめはせっせとかけずりまわる。
他の職員は既に帰ってしまっていてかごめひとり・・・。
水里も手伝おうと雑巾でこぼれたカレーを拭いたり、ぐずり出した幼い子達をあやす。
まさに食堂は戦争。
昔とちっとも変わらない。騒いで泣いて。怒って。
みんなで食べるご飯ほどおいしいものはない。
そして入浴時間も戦争だ。小さい子達は裸であちこと駆け回る。
「ああ、ちぃちゃん体拭いてー!」
バスタオルを持って駆け回るかごめ。
水里も参戦。
「体拭かない子供は食っちゃうぞー!!ガオー!」
バスタオルを頭かぶってバスタオル星人と化した水里。子供達を追い掛け回す。どっちが子供かわからない・・・。
そしてようやく就寝。
「早くみんな明日また学校だから寝なさいねー!じゃおやすみ」
パチっと部屋の電気を消すかごめ。
かごめがいなくなったのを確認すると布団の中から子供達は顔を出し、カードゲームを始める。
こっそりと・・・。
ガラガラッ。
「こらッ。みんな、早くねなさいッ」
地獄耳のかごめ先生。子供達はささっと再び布団に入った。
「ふふ。もうすっかりいい保母さんだね」
「水里さん」
食堂に移った二人。
誰も居ない食堂で二人、コーヒーを飲む。
「太陽君、寝ました?」
「うん。『働く車、新シリーズ』抱いたままぐっすり。きっと夢の中まで持っていくつもりかも。ふふ」
水里はコーヒーを一口含んだ。
「太陽君も最近コーヒーを飲むようになったの。飲むだけじゃなくて、淹れてくれるの。何だか誰かの真似をしているみたい」
「・・・」
間違いなく陽春のことだろう。
何だか可笑しくて陽春に教えたくなった。
「あれ?水里さん、何かいいことでもあるの?とっても楽しそうに今、微笑んだけど・・・」
「え?あ、いや何でもない何でも。かごめ先生の方こそ、ちょっと疲れた顔してる・・・。大丈夫?」
風の唄学園の職員は全部で5人。
しかしシスターが入院してあと3人風邪で休んでいるため、かごめに負担がかかっていた。
「私より子供達の方が心配。シスターがいないからみんな本当は不安なの・・・。だから喧嘩する子が多くて・・・」
かごめは心配そうに言う・・・。シスターは子供達の母、そのもの・・・。
母の顔を知らない、シスターが生まれたときに一番側にいた・・・という子供たちもいる。
そのシスターがいない。家の大黒柱がいないようなもので学園の中の空気が不安定になる・・・。
「かごめ先生。あの・・・。シスターの代わりにはなれる筈もないけど、あたし、しばらく手伝いにこようか?」
「えっ。いいの?」
「うん。店が終わって夕方から子供達が眠るまで・・・。その時間帯でいいなら是非、お手伝いさせてくださいませv」
水里はVサイン。
こうして水里は次の日から夕方から夜9時ごろまで子供達の世話のお手伝いに通い始める。
「さ、みんな、思いっきりカレー大量生産しました。思う存分お代わりしていいからねー!」
エプロンをした水里。キッチンから大鍋を抱えてでくると腹をすかせた子供達はいっせいにむらがる。
「肉は均等に。野菜はめいっぱい食べるんだぞー!」
が。
「あこら、てめー、肉おおいじゃねーか!」
スプーン片手に肉争奪戦勃発。
「やめんか!肉は均等にと・・・」
べちゃっ。
水里の顔にカレールーが命中・・・。
「お前ら・・・」
「やべ・・・ッ。水里ねえちゃん怒りモードONだ。逃げろッ」
「待てッ」
おたま片手に食堂で捕り物をする水里。
食堂は大騒ぎ。
これでは手伝いにきたのか騒ぎに来たのか分からないが・・・。
「水里ねーちゃん、こけてやんの!勝!逃げきれー!」
子供達の笑い声が食堂に響く。
水里の幼かった頃と同じ空気・・・。
ちっちゃなケンカもおっきなケンカも。
みんなの美味しいご飯。
それぞれに抱える心の痛みを癒す美味しいご飯。
「水里ねーちゃん、いくぞー!」
「いつでも来い!」
夜は恒例の布団の上で枕投げ&プロレス。
早く寝なさいと言われてもなかなか眠れない。夜も大騒ぎだ。
水里の幼いころと全然変わらない・・・。
思いっきりケンカして笑って。
誰にもいえない辛いことも布団の中で友にだけうちあけた。
枕に涙と跡が残って。
そんな子供達をシスターは長い間、育て、見つめ、そして世の中に送り出してきた・・・。
「水里ねーちゃん、今晩のめしなにー?」
「今日はねー♪豚肉が安かったんだ。というわけでカツ〜!」
白い三角巾に割烹着。おもいきり給食のおばさんである。
「しっかし水里ねーちゃんさー。かごめ先生みたいに『かわいい奥さん』みたいな格好にならないの?どっからみても給食のおばさんじゃん。あ、水里ねーちゃんの場合は中学校の給食当番か」
禁句を言った少年。キラーんと水里の目が光った。
「言ってはならないことをいったね、勝・・・。待てぃ!」
今度はフライ返しを持って捕り物帳・・・。
玄関まで追いかけていった。
そこには・・・。
「・・・マッ・・・マスター・・・!?」
何故か近所まで小麦粉を買出しにいっていたかごめと一緒に陽春が居た・・・。