デッサン
scene10
虹色カップ
喫茶『四季の窓』の食器達は、陽春が深く付き合いのある
食器専門店から亡き妻・雪と選んだものだ。
季節の色に合わせて注文する。
だが、コーヒーカップ達だけは
全部オリジナル。
陽春が全て手作りのカップなのだ。
「今日は・・・。天気がいいな。雪。絶好の陶芸日和だよ」
店の裏にあるプレハブ小屋の窓から空を眺める陽春。
そこで陽春は店のカップを作っているのだ。
作った陶器やくを窯も小さいがちゃんと小屋の外にある。
素人が製作した窯。
ガス式の小さな窯だが陶器の出来上がりはそこそこである。
この店を始めるとき、妻の雪が
”カップだけは手作りのものがいいと思うの。陽春の淹れるコーヒーはぬくもりが在るから
カップも・・・”
と言った。
そして陽春は知り合いの陶芸家に手ほどきを受け、窯も作り
今に至る。
夏にはコーヒーや紅茶などカップに淹れる温かい飲み物の注文が少ないので秋になると
店が休みの日はプレハブで粘土を捏ねる事が多い陽春。
今、作っているのは・・・。
「ふむ・・・。”ピカチュウ”に見えるだろうか」
幼児雑誌を見ながら焼きあがったカップに筆でピカチュウ体の色の黄色を塗っていく。
太陽のホットココアを飲むため専用のカップを陽春ただ今製作中。
この間だ、水里と太陽が来たとき、お気に入りのピカチュウのカップが壊れてしまい、
元気がなかった太陽。
陽春は太陽には内緒でプレゼントしようと思ったのだ。
「・・・。と。これで太陽君は喜んでくれるだろうか。なぁ。雪」
写真たての中の雪にカップを見せる陽春。
今の自分の問いに写真の中の雪は笑って合格点をだしてくれている。
「そうか。よかった・・・」
雪の笑顔。
この世で一番好きな笑顔だった。
この笑顔を守るためなら何でもしようと思った。
だけど・・・。
守れなかった。
守れなかった・・・。
写真の中の雪はあんなにリアルにわらっているのに・・・。
朝、おきて店に行くと、
”おはよう。今日は絶好のコーヒー日和よ”
そう笑う雪。
今は自分の隣に・・・ない。
2年半、3年近くたってもまだ実感が湧かない。
いつか帰って来る気がしてならないと思うときが在る。
無意識に雪の幻を追って店の外に足が駆け出すことさえ今でも・・・。
しかし・・・待っても。待っても。
来ない。
姿はない・・・。
そのことを『現実』と受け止め切れているかと問われたらまだ応えに躊躇するかもしれない・・・。
それでも。
生きていかなければ・・・。
駆け出しの医師だった頃。目の前でいくつもの命が消えていった。どれだけ最新の医療でも
消えていく・・・。
嘆く、悲しむ残された家族・・・。それでも家族は頭を下げて医師の自分にこういった。
”最後まで娘のために力を尽くしてくださり、ありがとうございました・・・”
悲しみに暮れているのはきっと自分だけじゃない。
みんな・・・きっとこの一瞬も深い痛みと闘っている・・・。
”私はいつもそばにいるから・・・”
写真の雪はそう言っている・・・。
陽春は写真の雪に柔らかく微笑み返し
一瞬止まっていた陽春の筆が再び動き出した・・・。
「ピカチュウのカップはこれで出来上がりかな。次は・・・」
真っ白に焼きたてのカップ。
まだ模様も絵もない。
「うーん・・・。水里さんと言ったらどんな色、絵がいいんだろうな・・・」
水里のカップ。
太陽のピカチュウカップと一緒にプレゼントするつもりだ。
「うーん・・・」
陽春は腕組みをして考え込む。
水里といったら何が浮かぶ?
”いだきまーす!”
自分が作ってみたメニューの試食を嬉しそうにする水里。
ケーキを本当にうまそうに食べる。
”あ、マスター。聞いてください。この間、似顔絵かいたらね。
そのおじさんが”ワシの髪の毛はもっと多いワイ!”って言って自分で筆持って増やしちゃったんですよ!
でもその色、肌色で結局丸坊主になっちゃったんです(笑)”
腹がよじれるようないつも話を持ってくる水里。
”太陽が一人でこの間、またバスに乗れたんです!なんかうれしくって!
その日のおかず、太陽の好きなものいっぱいつくってあげちゃいました”
太陽のことで哂ったり心配したりする水里。
「フフ・・・」
何だか色んな水里の顔が浮かんで楽しくなる。
しかしどんなのカップにするか・・・。
いまいちピンと来る色はない・・・。
「うーん・・・」
何気なく、窓をちらっと見ると。
(・・・・虹が・・・)
雨上がりでもないのに・・・。
しかも二重の虹・・・。
青、黄色、紫・・・。
様々な色が重なり混ざり合う・・・。
(七色・・・か・・・)
陽春、何かイメージがわいたようだ。
絵皿に虹色の着色料を混ぜ合わる。
「うむ。なかなか面白いかもしれない。水里さんみたいに」
微笑んでカップを彩る陽春を・・・。
写真の雪は笑顔で見守っていた・・・。
その二日後。
丁度、太陽が水里の所へいつもの”お泊り”しに来ていて、喫茶店の方にも
遊びに来た。
やっぱりお気に入りのピカチュウのプリントされた黄色のトレーナーを
きている。
「すいません。マスター。毎回・・・。でも太陽ってばどうしても
来たいって言って聞かなくて・・・」
「いいえ。大歓迎ですよ。僕も太陽君が来るの、心待ちにしてるんです。
ね、太陽君」
”僕もだよ、陽春くん”といわんばかりに太陽は親指をたてた。
「ったく一著前に・・・」
だが水里は嬉しい。こんな風に太陽の存在を待っていてくれる人がいることが・・・。
ありのままの太陽を受け入れてくれる人が・・・。
「あ。そうだ。実は今日はお二人にお見せしたいものがあるんです」
「?」
陽春は太陽と水里が頼んだコーヒーとホットミルクを静かに淹れた。
そして太陽と水里はあることに気づく。
「あれいつものカップと違う・・・」
太陽の方は「ピカチュウ」が描かれいるカップを
両手で持ち上げて嬉しそうにまじまじ見ている。
「どうかな?太陽君。お気に召しましたか?」
太陽は”なかなかいいよ!いけてる!”と言う様に
再び親指をたてた。
「それはよかった。僕はピカチュウ、うまく書けたか心配だったんだけど・・・」
「マスター。カップもしかしてマスターの手作りですか・・・?」
「ええ。僕が作ったんですが・・・。水里さん専用のカップを作ってみたのですがお気に召しませんでしたか?」
”水里さん専用の・・・”
そのフレーズに何故か水里の心はトクン・・・と反応した。
カップをじっと見つめる。。
それは七色の色たちがごく自然な風合いに混ざり合い、虹色を醸し出す・・・。
あまりにも優しい色に・・・。
しばらくその色に見とれていた。
「・・・水里さん?どうかされたんですか?」
「いえ・・・。なんかすごく優しい虹色に見とれちゃって・・・。色んな色を探せてずっと
見てても楽しい・・・、」
「・・・虹が見えたんです」
「虹・・・?」
「ええ水里さんのカップ作っているときに丁度、虹が見えたんです。それも二重の・・・。
なんかきっといい事があるって気がして・・・。なんだか水里さんみたいだなって思えたんです」
(・・・。いいことがあるからって・・・。なんかおみくじみたいな・・・)
だけど・・・。
この虹色は本当に楽しい気持ちになる。
「あれ?もしかしてお気に召しませんでしたか?」
「い、いえ・・・。私も見たかったなって思って・・・」
「二重の虹はなかなか見られないですからね・・・」
「でも今、見られました」
「今?」
水里は両手でカップを包むように持つ。
「このカップの色が空の青と混ざってきっと
空は色んな色で染まったんだなって・・・」
目に浮かぶ。カップの色そのまんまの色のアーチが
二本架かったと・・・。
きっと遊園地にみたいに楽しくて明るい空だったに違いない・・・。
「マスター。ありがとうございます。こんな楽しい虹色、見せてもらって・・・」
「いえ。喜んで頂けて僕も嬉しいです」
和やかな二人の空気。
水里は何だかこころがぽかぽかする・・・。
虹色のカップで飲む陽春が入れたコーヒーもきっとそうだろうな・・・と・・・。
「ん?何。あんたも?」
太陽は『ピカチュウカップ』を指差して、Vサイン。
「マスター。どうやら太陽もピカチュウカップ、とっても嬉しいらしいです」
「ふふ。僕も嬉しいよ。太陽くん」
陽春は坊ちゃんカットの太陽の髪をくしゃっと優しくなでたのだった・・・。
その日の夜。
太陽を先に寝かせた水里。
やっぱりピカチュウの布団でピカチュウのパジャマで更に
頭の上には陽春が作ったカップを置いて眠る太陽。
ピカチュウ尽くしな光景が可笑しくてくすっと笑ってふすまを静かに水里は閉めた。
「さーてと。私も・・・」
テーブル上に陽春が作ったカップを置く。
虹色のカップとお皿・・・。
水里は水玉のパジャマで膝を抱え、体育座りでじーっと眺める・・・。
”僕が作ったんです水里さん専用のカップ・・・”
そのフレーズがなんとなく心の奥で、琴の弦を静かに弾くように
こだまする・・・。
なんだろうか・・・。
短いフレーズなのになんだか嬉しいようなちょっと怖いような・・・。
水里はカップをおだやかなまなざしで見つめる・・・。
目を閉じてみる・・・。
虹が心に浮かんで・・・。
二本の・・・。
プシュー・・・。
「・・・!」
お湯が湧いた蒸気の音にビクッと我に返り、あわててガスを止める水里。
「いかんいかん・・・。なんか空想の世界にはいってしまった・・・」
でももっと思い浮かべてみたい。
陽春が作った虹を・・・。
でもまぁ今は食後のコーヒーを・・・。
水里は戸棚からインスタントのコーヒーの粉の瓶を取り出し、スプーンで
陽春がつくったカップに入れようとした。
「・・・」
しかし水里はスプーンのコーヒーの粉末を瓶の中に戻した。
「・・・なんか・・・勿体無い」
水里は再び、膝を抱えてカップを見つめた。
できることなら・・・。
このカップで飲むコーヒーは陽春が淹れたものがいいな・・・。
水里はその夜は・・・。
いつまでもカップを眺めていた・・・。
しかし、その夜。
四季の窓では事件が・・・。
四季の窓
ガシャーン!
ガシャーン!
「!?」
ベットで眠っていた陽春。
物音に気づいて店に急いで降りて行き、電気をつけると・・・。
「な・・・」
食器棚のアンティーク系の食器類
全て盗まれ、床には食器を持ち去る際に落としたと
見られるコーヒーカップたちの破片が散乱していた・・・。