デッサン
scene11 不器用なホットコーヒー
物音に気づき、陽春が起きてくると食器棚のガラスが割られ、 食器類やカップなどが根こそぎ盗まれていた。 それも高値のものばかり選んで。 陽春の手作りのものは床に捨てられ、破片がちらばっていた・・・。 「なんてこった・・・」 陽春は朝すぐに警察に届け、すぐに警官が事情を聞きにやってきた。 そして店のあちこちを調べられる。 カウンターの中をずかずかと入っていく。 (・・・) 仕方ないことだが、なんとも言い難い不快感を隠せない陽春。 そこは、店で一番雪との思い出が詰まった場所だからだ。 (・・・あまり誰にも入らせたくなかったのに・・・。ごめん。雪・・・) 写真を見つめながら陽春は、警察が帰った後、店内を掃除する陽春だった・・・。 その日の夕方。 水里がいつのようにコーヒーを飲みに来たが店が閉まっている。 (あれ・・・?どうしたんだろう・・・?) 水里が中を覗き込むと陽春が一人カウンターにぽつんと座っていた。 カラン。 「マスター?あの・・・」 水里は店の中に入ると唖然とした。 カウンターの奥にあった食器棚から全ての食器が消えていた・・・。 「い・・・一体何があったんですか!?マスター!」 「・・・実は今朝・・・」 陽春は店が泥棒に入られ、食器類を盗まれてついさっきまで 警察の調査やら被害届けやら手続きなどをしていたことを水里に話した。 「・・・すみません。水里さん。せっかく いらしてくれたのに」 「そ、そんな。マスター誤らないでください。私の事よりお店の方は・・・」 「明日には開けると思います」 「え・・・。でもマスター大丈夫ですか?大変なことがあったあとなのに・・・」 「大丈夫です。明日は商店街の人たちのお茶会の予約が入っていますし、食器類は 業者さんに朝一で持ってきてもらうことになっています」 「・・・でも何だかマスター・・・」 (元気がない) 確かに盗みに入られ、元気な顔をしている人間などいるわけがないけれど 何かそれだけじゃないような・・・。 「それより水里さん。コーヒー淹れます」 「あ、いいです。私は今日は帰りますから・・・」 「いえいえ。水里さんの分なら淹れられますから。座っていてください」 「あ・・・はい・・・」 いつもの陽春の笑顔・・・。 だけど、何か、 何か 寂しげな感じがした・・・ 家に帰っても、どこか影がある陽春の様子が水里は気になっていた。 パジャマ姿のあの虹色のカップにコーヒーを注ぎ、テーブルに置いて 座る。 (マスター・・・。元気なかったな・・・) いつも。 自分は陽春のコーヒーから元気をもらっていた。 その陽春が、今、元気がない。 自分に何かできることはないか・・・。 (・・・私がマスターを元気付けるなんて ちょっとえらそうかもしれないけど・・・。でも何かないかな・・・) カップの揺れるコーヒーをぼんやりながめている水里。 (・・・。そうだ!!) 何か、思いついたように水里は机の上でほこりをかぶっていたパソコン の電源をつけた。 そして普段は全く見ない、インターネットに繋げる。 「こういう時につかわなくっちゃね!」 カチカチッ。 HPの検索ページの欄に自分が見たい内容の言葉をいれる。 『素人でも美味しいコーヒーのいれかた』 そう、キーボードで打った。 検索ボタンを押した。 すると、たくさんのHPのアドレスがHITしアドレスが 連なって出てきた。 「すごい・・・。インターネットの情報網ってすごいな、確かに便利だ」 水里は何ページかのコーヒーに関することが詳細に載った HPを渡り歩いて、コーヒー豆の知識や淹れ方について ペンでメモをとった。 次の日、水里はインターネットだけではなく、本屋に行って さらにコーヒーについて色々調べた。 「ふむ・・・。とりあえず知識はこんなもんかな・・・。あとは実践か・・・!」 『素人でも淹れられるコーヒー』 そんなタイトルの本を見つけ更にひき豆を買ってきて、その日の夜、台所で 一人、気合を入れている水里。 (・・・いつもお世話になっているマスターに、コーヒーを ・・・。おいしくなるかはわからんが・・・(汗)) 一夜漬けみたいな感じで不安だが・・・。 「ええい!!何事も挑戦だ!下手な鉄砲も数うちゃあたるの論理(?)で 練習、練習!」 エプロンをつけ、やかんを持つ水里。 美味しいコーヒーを造るにはまずは美味しい水。 水里は、ちょっと電車に乗り隣町で有名な湧き水を汲んできた。 やかんに汲んできた水を注いで、ガスに火をつける。 中火で30分、コーヒーの適温は70度で温度計をやかんにさして 温度を見ながら沸騰するのを待つ。 「・・・この位かな」 適温になってきたらそくざに、サーバーにお湯を注ぐ。 お湯が少しでも覚めてしまうとそれだけコクがでない。 「えーと何々。静かにゆっくりと、円を描くように注ぎ・・・」 本の指示通りにトリップする。 お湯を注ぎ終えるとあとは、サーバーにコーヒーが溜まるのを 待つだけだ。 「・・・果たして。本どおりにやってみたがどんなものか・・・」 恐る恐る水里はサーバーにたまったコーヒーを カップに注いで口にしてみた。 「・・・。なんか。飲めないこともないけど・・・。今ひとつ・・・」 まずくはないが、こうなんというのだろう、 味に決め手がないというか。 やはり、一夜漬けでは駄目か。 「うんにゃ。練習在るのみ。やりかけたことは最後までやり抜こうー!」 一人、拳を握って再び、コーヒーの淹れ方を実践に取り組む。 「あッ。豆の分量間違えた!」 とか 「あっちっちっち!お湯とんだ!」 お湯の飛沫にちっちゃな水ぶくれをつくったり。 悪戦苦闘したいつの間にか外はあかるくなっていた・・・。 目の下に隈ができている水里。 何十回めか淹れたコーヒーをごく・・・と飲んだ。 「・・・。うん・・・。とりあえず・・・なんとか飲めるようにはなった・・・」 ケップ・・・。 コーヒーの飲みすぎで胃がチャプチャプしている。 「ケップ・・・。さすがに朝のコーヒーはいりませーん・・・。ZZZ・・・」 水里はエプロン姿のまま冷蔵庫にもたれて、そのまま眠ってしまった・・・。 (・・・マスター。飲んでくれるといいな・・・) で。 その日の夕方。 淹れたてのコーヒーを魔法瓶にいれて、水里は陽春の店に向かう。 散らかっていた店内はすっかり綺麗に元の 落ち着いた雰囲気に戻っていた。 町内会の親睦会で今日一日貸しきり状態だった。 陽春はたくさんの洗物に追われ、ひと段落していた。 「こんにちは。マスター」 「水里さん、いらっしゃい!」 陽春のいつもの笑顔。 昨日よりは少し元気になった気がする水里だったが・・・。 「お店の中、もう、元通りになったんですね」 「ええ。ご贔屓にしてもらってる雑貨屋さんがいい方で 朝一で注文したものすべてそろえてもらいました」 「よかったですね」 「・・・はい・・・」 だが、陽春と雪が一緒に選んだ思い出の食器類はもうかえってこない。 一枚一枚に雪の記憶があった・・・。 水里は陽春の微妙なトーンの低さを敏感に感じていた。 「・・・あれ・・・?何かいい香りがしますね。これ・・・ブレンド豆の香りじゃないですか?」 さすがにコーヒー三昧だったせいか、水里の体から はコーヒーの香りが消えていない。 「あ、じ、実は私、最近、コーヒー淹れる事に目覚めたといいますか ちょっと凝り始めてそれで、マスターに一度ご賞味して いただこうかと持ってきたしだいなんですが・・・」 急に今日の本題に陽春が気づいたので水里は緊張した。 「それは嬉しいな。是非いただきたいです。」 「ええ。でもさすがに家から持ってきたら多少覚めちゃって美味しくないかもしれないんですけど・・・」 (・・・ってあれ?ない) 水里、ポーチにいれてきたはずの魔法瓶がない。 「どうかされたんですか?」 「い、いえあの、水筒、忘れてきちゃったみたいです・・・。ごめんなさいマスター。 じぶんで言っておきながら・・・。今度又持ってきます」 「・・・じゃあ。淹れてみますか?ここで」 「えっ。こ、ここでですか!?」 「はい」 思いもよらぬ話の方向に水里は戸惑う。 陽春はチラッと水里の指に視線をやった。 「水里さんのその手・・・。きっとお湯がとんでできた水ぶくれですよね? それくらいにコーヒーに目覚めてくれたなんて僕は嬉しいです」 「は、はぁ・・・じゃ、じゃあ・・・」 水里は席を立ち、横からカウンターの中に入ろうと した。 (・・・) しかし何故か立ち止まる水里。 カウンターの中。 そこに楽しそうに陽春と雪が立つ姿が目に浮かんだ・・・。 「・・・どうかされたんですか?」 「・・・。マスター。やっぱり私、やめておきます」 「え?どうして・・・」 「ここには入れない・・・。カウンターの中は、マスターと雪さんの 大切な場所に見えたから・・・」 「・・・」 その時、陽春は昨日の朝、警官に入られた時のあの不快感をまだ胸に抱えているのを水里に見抜かれた 気がした。 「・・・。私はあくまでお客だから・・・。ここから先へは 入れません・・・」 「・・・水里さん・・・」 水里は座っていた席に戻り、座った。 「・・・」 「・・・」 暫く沈黙が続いた。 水里の心にはなんとなく反省の念が生まれていた。 自分が淹れたコーヒーで陽春を元気付けたい。 なんだかそんな考え自体、 が急におこがましいことじゃなかったかと思えたからだ。 そして先に口を開いたのは陽春のほうだった。 「・・・。水里さん。実は盗まれた食器、全部、雪と一緒に選んだものばかり だったんです」 「え・・・」 「一枚一枚に・・・。色々思い入れがあったから・・・。それが 一遍になくなってしまって・・・。何だか雪との思い出が一度になくなった 気がして正直、たまらなかった・・・」 「・・・」 水里はやっぱり自分のコーヒーで陽春を元気付けよう という気持ちに蓋をしようと思った。 自分が感じていた以上に、陽春の心の襞(ひだ)は 深く、それに俄仕込みの自分のコーヒーなどなんの役にも 立たないだろうと・・・。 「・・・。今朝、警察の人がカウンターの中に入ったんです。 ・・・何だかたまらなく嫌だった。 土足で入られる気がして・・・。カウンターの中は僕と雪にとっては 特別な意味をもつ場所なんです。この店を一緒にはじめたスタートラインみたいな ものだから・・・」 カウンターを見つめる陽春の瞳。 きっとその奥には陽春が愛してやまない 雪の笑顔があるのだろう・・・。 昔、一度だけ、自分が描いた雪の微笑みが・・・。 「でもいつまでもそれじゃ駄目なんだ・・・」 「え・・・?」 「いつまでも・・・。殻に閉じこもっていては・・・。雪にしかられる。 このお店は僕と雪だけのものじゃない。このお店に来てくれるみんなの ものだ・・・」 きっと。 雪が、今、生きていたなら そう言うに違いない。 形のあるもの、いつかは消える。 だか、記憶や思いは自分が生きている限り 消えはしない。 色あせず・・・ 「水里さん、やっぱり、コーヒー是非淹れてください」 「でも・・・」 「水里さんならきっと雪も大歓迎です。コーヒーを 好きになってくれた、それも一番の常連さんなんですから・・・」 「ほ、本当にいいんですか?」 「はい。お願いします。水里さん・・・」 「・・・じゃ、じゃあ・・・」 懇願する陽春に水里は渋々再び、カウンターの 中へと足をいれようとする。 だがやっぱり重い。 神聖な場所に入るみたいで緊張する・・・。 水里は一度立ち止まった。 「水里さん・・・?」 「あ、あの・・・。雪さん。わ、私なんかが 入ってもいいのか分かりませんが、失礼します。お、お邪魔します・・・」 水里はまるでどこか人の家の玄関に入るように 深々とお辞儀してすっと一歩踏み出した。 なんだかそれがあんまりにも 申し訳なさそうに陽春にはうつって 可笑しくそして可愛らしく感じられた・・・。 「・・・」 キィ・・・。 初めてカウンターの真ん中に立つ。 カウンター側から見える店の光景はまた違って感じられる。 「・・・カウンターの中からだと・・・。お店のなか全体が見渡せるんですね・・・。 お客さんの表情一つ一つ、見える・・・」 ”陽春。私、お店の中で一番この場所が好きよ。だってお客さんの 顔が全部見えるもの。陽春の淹れたコーヒーを飲んでくれたお客さんの一人一人の顔が・・・” 雪がはじめてカウンターに立った時に発した台詞を水里が口にした 事が何故か陽春には不思議に感じられた。 偶然じゃない気がした・・・。 「あ、あの・・・。ど、どのポットを使ったら・・・(汗)」 インテリアな食器など扱ったことがない水里。 割っては絶対にいけないと気が入る。 陽春が取り出してきたポットに陽春がいつも つかっている置き水をポットに淹れた。 陽春も実は、隣町の湧き水をコーヒーに使用していたが、 水里はそれは知らなかった。 「あ、あの。最初に言っておきますが、本当に一夜漬け みたいなもので・・・」 「でも、水里さんのその指の絆創膏の数だけおいしいコーヒーが できるってことです。気を楽にしていれてください」 「は、はい・・・」 (き、気を楽にっていったって・・・。目の前にマスターが見てると思うと・・・) 手先が震えてきそうだ。 カチン。 水里はアンティークの白いポットに水を注いで火をつけた。 (・・・マスター。そんなまじまじ見なくても・・・) 微動だにせず、陽春は見ている。 (テストされてる気分だな・・・) うまく淹れられるか、不安。 だけど。 ”水里さんならきっと雪も大歓迎してくれます” もし、もし、どこかで陽春を見守っているはずの雪が そう言ってくれているなら・・・。 (・・・頑張ろう) そんな気持ちが水里心に沸いて来る。 そして、一夜漬けのコーヒーは白いコスモスの絵柄が入ったカップに注がれ・・・。 「あ、あの・・・。味は保障できませんが、 精一杯入れさせて頂きましたので・・・」 水里はかたかたとコーヒー皿を震わせて陽春に差し出した。 「・・・ぷッ」 「な・・・なんで笑うんですか?」 「だって・・・。あんまり手が震えてるから・・・。ふふ」 まるで、受験生が合格発表を見に行った後のような。 「そ、そんなこと言ったって。マスターがあんまり マジマジ見るんだもん。あ、あがっちゃいますよ。もう・・・。あんまり笑うなら 私が飲んじゃいますよ」 「ふふ。すみません。すみません。おいしく頂きます。水里さん特製コーヒー。ふふ・・・」 「・・・笑いすぎだって・・・(汗)。じゃあマスターお手柔らかに・・・」 陽春は静かにその細長い指をカップのもち手に入れ、 コーヒーをゆっくりと口に運んだ・・・。 「・・・」 水里、目を凝らして陽春に注目・・・。 コク・・・。 一口、飲み込む・・・。 カチャ。 そしてカップを静かに皿に戻した。 「あ、あの・・・マスター。い、如何なもんでしょうか・・・(汗)」 「・・・」 一瞬、間が開く。 (う・・・。や、やっぱり一夜漬けは一夜漬けか・・・) 「・・・フウ。ほっとする・・・」 「え?あの・・・」 「美味しいです。とっても・・・」 水里はフーっと思わず安堵の大きな息をはいた。 「もう。マスター。一瞬、かなりまずかったのかなって焦っちゃったじゃないですか」 「すみません。久しぶりだったもので。人にコーヒーを淹れてもらうなんて・・・。」 「マスター・・・」 「淹れたもらったコーヒーが こんなに美味しいなんて思わなかったからつい、浸ってしまいました・・・。本当に ホッとしますね・・・」 陽春はそういいながら、水里の一夜漬けなコーヒーを全部飲みほした。 「ごちそうさまでした。本当においしかった・・・」 陽春の”ごちそうさまでした・・・” 水里の心にも染みる。 「私の方こそ・・・。マスターが淹れるコーヒーに私は元気をもらってる・・・。きっとマスターの 優しい気持ちが入ってるからだと思います」 ”うちの店のコーヒーにはね、特別な香味料が入ってるのよ。陽春の優しい気持ち っていう香味料がね・・・” 雪の台詞が浮かぶ。 水里が知るはずのない雪の台詞。 偶然かそれとも雪がどこかで・・・。 「”ごちそうさま”でした。”いただきます”なんかいい言葉・・・。ですよね」 「そうですね・・・。特に一番飲んで欲しい相手から言われると本当に嬉しい。だから、 僕は毎日嬉しいんですよ」 「え?」 「夕方、水里さんから聞けるから・・・」 (・・・) 優しい限りなく優しい陽春の眼差しに水里の鼓動が 少し速まった。 (・・・い、いちいちマスターのこの”スマイル”に反応するなって・・・(汗) だって・・・) 多分、陽春の一番優しい笑顔を知っているのは。 今も陽春の心で生きつづける雪のはずだから・・・。 「水里さん。水里さんも一緒に飲みましょう。こちらで」 「はい」 カウンターから出て、陽春の横に座る水里。 二つのカップが 夕暮れのカウンターに並ぶ。 「水里さん。どうせなら、ハーブティやダージリンなんか 紅茶も淹れて見ませんか?」 「え、い、いいんですか?」 「はい。僕でよかったらお教えします」 コーヒーをおかわりしながら和やかに話す・・・。 そんな二人を。 二階の陽春の部屋に飾られている 水里が描いた雪の似顔絵が柔らかに微笑んでいた・・・。 だが。 実はこの盗難事件は陽春と雪に関わるある”人物”に関わる故意によるものだと ということだ陽春と水里が知ることになるのはまだ少し先の話だった。