水色の恋
第16話 ずっとそばにいるよ
〜恋するお嬢様〜 A
「水里さん・・・」
「愛子さん・・・」
二年ぶりの再会に驚く二人。
ともかくエレベーターの中では話も出来ないので
病院の喫茶店に3人は入った。
「・・・へぇ。じゃあこの病院は愛子さんのお父さんの病院なんですか」
「ええ・・・。といってももう引退しているけれど・・・。あの。そちらの可愛らしいお子さんは」
恥ずかしそうにひょこっと水里のかげから顔を出す太陽。
「あ・・・。友人の子で・・・。太陽っていいます。盲腸で入院してて私が付き添って
るんです」
「そうでしたの・・・」
”また何かあったのだろか・・・。気になるな・・・”
水里を案ずる陽春の心配気な顔が愛子の脳裏を過ぎった・・・
「・・・。陽春さん、心配なさっていましたよ・・・」
「あ・・・。すっかり忘れていた。春さんから借りてた工具セット返すの・・・」
「・・・”春さん”?陽春さんのことそう呼んでらっしゃるの?」
「え・・・えぇ・・・。あ、あの私は”マスター”でもいいんですけど、堅苦しい
から”春さん”と呼んでくれって言われて・・・」
「そう・・・ですか・・・」
目を伏せる愛子。
水里は陽春に想いを寄せている愛子に余計なことを言ってしまったかと
はっと後悔した。
「・・・私。今、陽春さんのお店を手伝っていんです」
「え?」
「父の病気のことでお世話になったから・・・。陽春さんとても
喜んでくれてんです。ふふ・・・」
「そ、そうですか・・・(汗)」
愛子の急なハイテンションに水里は戸惑う。
「私・・・。あの人のそばにいてはっきり分かったの」
「え・・・」
「・・・私はあの人がやっぱり好き・・・。好きで好きでたまらない・・・
離れたくないって・・・」
(愛子・・・さん)
愛子は真っ直ぐに水里を見据えて言った・・・
真剣な本気の瞳。
「貴方はどうなの・・・?貴方の本心が聞きたい・・・」
恋する”女”の意地を秘めた・・・
二人の間に緊迫した空気が流れる・・・
が。
「みぃまま、もれちゃいそー!」
「えぇえ!??」
太陽はズボンをおさえてもぞもぞしている。
「た、大変だ!太陽、あと10秒我慢してくれ〜!!」
水里は愛子に会釈して別れると急いで太陽を抱えてトイレに駆け込んだ・・・
「・・・」
拍子抜けする愛子。
だが愛子の強い想いは水里のあやふやな態度で
一層強くなる・・・
(・・・。ごめんなさい。水里さん・・・。私・・・。もう自分の恋を止められない・・・)
愛子は何かを決心したように
その足で
陽春の元にむかったのだった・・・
「ふぅ・・・。そろそろ店じまいかな」
水里が作った看板を店の中に入れる陽春の後ろに・・・
傘を差して立つ女性が一人・・・
「あ・・・愛子さん!?ど、どうしたんですか!?」
「・・・」
深刻そうな顔でただたっている・・・
「と、とにかく入ってください!濡れてるじゃないですか・・・!」
愛子を中にいれ、タオルを愛子に差し出す陽春
「とにかく拭いて下さい。体が冷えてしまう・・・」
「・・・」
だが愛子はタオルを受け取らずただ陽春をじっと見つめる・・・
「・・・。陽春さん・・・」
「愛子さん。一体・・・」
「陽春さん・・・っ」
(・・・!?)
陽春の胸に飛び込む愛子・・・
「・・・な・・・。どういうつもりですか・・・」
「こういうつもりです・・・」
「・・・」
濡れた髪を陽春の胸に深く埋める愛子
ぎゅっと陽春の襟をつかんで・・・
「・・・。離してくださいませんか・・・」
愛子は首を横にはげしくふった。
「好きなんです・・・。どうしても・・・。自分の気持ちを伝えたくて・・・」
陽春の背中の愛子の手が少し震える・・・
「・・・陽春さん。私を受け入れてとはいいません。でも一度だけ・・・
一度だけ・・・。貴方の胸の中で抱きしめられたい・・・お願いです
お願い・・・お願い・・・」
懇願する愛子の瞳から涙が流れる・・・
あの気品高い愛子が
泣いている・・・
必死に自分の想いを陽春にぶつける愛子だが・・・
「離してください。申し訳ないが貴方の望みはきけない」
陽春ははっきりと強い口調でいいはなち
震える愛子の手をそっと離しかわりにタオルをにぎらせた・・・
「陽春さん・・・」
「・・・貴方らしくないです。貴方はもっと気高いヒトなのに・・・」
「・・・。気高くなんてないわ!女は・・・。女は好きな男の前なら
どんなことでもできるですよ。陽春さん、私はだたの女なんです・・・
貴方を想う女・・・」
「・・・すみません。貴方に応えることはできません。すみません・・・」
はっきりと断り、謝る陽春・・・
「・・・。謝らないで・・・。わかっていました・・・。でもどうしても
気持ちだけは伝えたくて・・・」
「愛子さん・・・」
「貴方の笑顔を見たときから・・・。私は貴方に恋焦がれていました。
雪さんと結婚したときも・・・ショックだった・・・」
「・・・」
「雪さんと貴方の絆の深さを知って・・・。わたしの想いは封印した
つもりだったんです・・・。でもあなたの優しさに触れるたび・・・。
私・・・っ」
大粒の涙をこぼす愛子
陽春はそっとハンカチを差し出した。
「・・・。本当・・・。陽春さんのその優しさは罪ですね」
「え・・・?」
「失恋しているのに失恋させてくれなくなりそう・・・。本当に
罪です」
「・・・」
愛子はそっと涙をぬぐって
ハンカチを陽春に返す・・・
「・・・。水里さんにうちの病院で会いました」
「え・・・?」
「太陽君が盲腸で入院したそうです。水里さんが付き添いで・・・」
「そうだったんですか・・・」
愛子はほっと安堵の表情を浮かべる陽春を見逃さない・・・
「・・・。陽春さん」
「はい」
「ひとつだけ・・・。聞かせてくださいますか?」
「はい」
愛子は少し間をいてから陽春を真っ直ぐに見つめた。
「・・・。もう・・・。新しい恋はなさらないんですか・・・?」
「・・・」
「・・・今じゃなくても・・・。もう雪さん以外の誰かを
想うことはないのですか・・・?」
(愛子さん・・・)
窓の外
雨が
少し小降りになり・・・
雲の合間から水色の空が顔をだす・・・
愛子が陽春に尋ねていろ頃・・・
「・・・ったく。太陽め。甘えるのは病気をいいことにあたしを
こき使ってるな」
病院の洗い場の洗濯機で
夕食の
時にお醤油をこぼして汚した太陽のピカチュウパジャマを洗濯中の水里・・・
「・・・」
ウィーン・・・
ぐるぐる回る洗濯物を見つめる水里・・・
昼間の愛子の台詞がよぎる。
”私・・・やっぱり陽春さんが好きです・・・”
(・・・愛子さんのあの顔・・・)
しっとりとしたお嬢様の顔ではなく生身の”女”の顔・・・
ただ
なんだか圧倒された感じ・・・
(恋のちからってすごいな・・・。人をあんなに変えるんだな・・・)
ぐるぐる・・・
回る 回る
”好きで堪らないの・・・”
ぐるぐる・・・
”貴方はどうなの・・・??”
(・・・)
愛子の熱いまなざしが・・・
ゴゴゴゴ!!
「・・・ワッ!??」
はっとする水里。洗濯機の中を見てみると・・・
洗濯機の後ろから煙が・・・
「・・・。洗濯機よ。お前さんも燃えるような恋をしてるのかい・・・?
穏やかにいこうよ・・・」
ピカチュウのパジャマはしわだらけ・・・
「フゥ・・・太陽にしかられる・・・」
ため息をつきながら窓の外の雨上がりの空を少し切なそうな顔で
見上げたのだった・・・
(・・・406号室っと・・・)
太陽の大好物のプリンの入った紙袋を持って病室をさがす陽春。
小児病棟は久しぶりだ。
患者は老いも若きも弱弱しい体を曝け出して必死に病と戦っている。
だが子供の場合、抵抗力がさらにない分、大人より辛いことも多い・・・
(あからさまなお土産より・・・。こちらの方がいいよな)
紙袋の中にはピカチュウ人形が。
花や食べ物はできれば控えたほうがいい。
食事を制限されている患者もいるのだから・・・
コンコン
カラカラ・・・
「あの・・・太陽くん・・・」
病室は空で
白いカーテンがなびく・・・
(いないのか・・・)
陽春は通り過ぎる看護婦を呼び止めた。
「あの・・・。ここの病室の人は・・・」
「あぁ。太陽君ですか?」
「ええそうです」
「あの『みィママ』さんと多分屋上です」
「『あの』?」
看護婦はくすくす笑いながら水里と太陽の入院してからの出来事を聞いた。
洗濯機が壊してしまったと水里が自力で治したことや
同じ病棟の子供達にポケモン100種類全部のイラストを描いて
『ポケモンママ』とあだ名をつけられたこと・・・
(・・・ふふ。やっぱりどこでも元気いっぱいだなぁ・・・)
カンカン・・・
屋上への階段を上りながら陽春は看護婦からの話を想像し笑っていた
ガチャ。
病院の屋上。
(いい風が・・・吹いているなぁ・・・)
沢山の物干し竿が並び、洗濯物やシーツがなびいている
ぱたぱた・・・
Tシャツや靴下
洗濯物がはためく・・・
(水里さんたちは・・・。ん・・・?)
はためくシーツの切れ目から
ベンチに座り黄色のピカチュウのパジャマを着た太陽を抱いて座る
水里の背中が目に入った・・・
「あ・・・。水里さ・・・」
同時に
子守唄が・・・
”ゆりかごの唄”
ささやく様な
ゆっくり吹く風のように優しい声・・・
水がそよそよ流れる音のような・・・
陽春は静かに目を閉じる・・・
遠い幼い日・・・
母が唄ってくれた
懐かしい気持ち・・・
あたたかい気持ち・・・
安心したきもち・・・
柔らかい風に乗って子守唄は屋上に木霊する・・・
忘れていた子供心を呼び起すように・・・
子のそっと撫でる母のように・・・
「・・・ックシュンッ」
(・・・!?)
心地いい子守唄は
ちょっと可愛らしいくしゃみで中断。
「うーん。涼しい風だな・・・」
鼻を擦りながら少し落ちかかっていた太陽をだっこしなおす水里。
「・・・水里さん」
「春さんッ!?」
突然の陽春の訪問にかなり驚く水里。
「こんにちは。ナースに聞いたらこちらだと・・・。太陽君が
入院したと聞いて・・・。あのこれお見舞いです」
「あ、太陽が欲しがっていたピカチュウぬいぐるみ。
ありがとうございますっ」
陽春は静かに水里の隣に座った。
「・・・太陽君。ぐっすりですね・・・」
「ええ・・・。さっきちょっとぐずちゃって・・・」
「太陽君が・・・?」
「・・・。入院なんて初めてみたいで・・・不安でいっぱいだったのか
くっついて離れないんです・・・」
眠りながら太陽は親指をくわえている・・・
「7歳になるのに・・・。よくないのかもしれないけど・・・。でも
甘えたいときに甘えられないって・・・すごく辛いと思うから・・・。」
「それは・・・『甘え』じゃなくて・・・。太陽君の心の悲鳴だと僕は
思います・・・。僕も小児科では・・・」
心細いとき
寂しいとき
子供の小さな心の”叫び”は大人には”単なる甘え”に見えるかもしれない。
でも甘えは、子供にとって必要な栄養。
痛みを乗り越えるための
寂しさを和らげるための
必要な栄養なんだ
大人はそれを受け止め、与えなくてはいけない。
「・・・。私は・・・。”母親”じゃないから・・・。上手な甘えさせ方は
わからない・・・
ただ・・・太陽を抱きしめてあげることしかできない・・・」
自信なさ気に太陽を撫でる水里・・・
(・・・)
”水里は母親を知りません・・・”
いつかのシスターの言葉が陽春の脳裏を過ぎった。
「・・・抱きしめるということは・・・。人にとって一番の
愛情表現だと僕は思います・・・。子供でも大人でも・・・必ず想いは伝わる・・・」
「春さん・・・」
「だから、水里さんは間違っていません・・・。絶対に間違っていない・・・
僕が保証するから・・・」
(春さん・・・)
「水里さんの子守唄・・・。いいですね・・・。とっても落ち着いて
あったかいきもちになってくる・・・安心できる・・・」
陽春の言葉が
水里の心に強く深くしみこむ・・・
(・・・なんか・・・自信湧いてくるな・・・)
「とても・・・心強いです。ありがとう・・・。本当にありがとう・・・春さん」
「水里さん・・・」
「ありがとう・・・」
素直な気持ちが自然に言葉になって・・・
自然に・・・
二人は
優しい風が吹く中・・・
見つめ逢う
紐と紐が静かに結ばれるように
ただ
互いの姿を映す
見つめ合う・・・
澄んだ水をそそぐように・・・
心が繋がるように・・・
(・・・春・・・さん・・・)
「・・・へ・・・へくちッ」
(・・・!!)
太陽のクシャミで水里と陽春、同時に肩をビクッとさせ
互いに視線を逸らす。
「う〜ん・・・むにゃむにゃ。あ・・・あれっ。ますたあだッ!」
目を擦りながらお目覚めの太陽。
陽春を見つけ嬉しそうに、水里の腕から離れた。
「こんにちは!太陽君。お腹、痛い痛いだったんだって?」
「うん。でもあと二つ寝たら、退院だって!」
「そっかぁ!よかったなぁ!」
陽春におでこをなでられ、にこっとスマイル太陽。
「あの、すいません。吉岡さんちょっと退院のことで・・・」
看護婦が水里を呼んでいる。
「水里さん、太陽くんのことは僕がみてますからどうぞ」
「じゃ、あの、お願いします」
ベンチは太陽と陽春のふたりきり・・・
「・・・退院か。太陽くん本当によかったな」
「・・・ウン・・・」
ちょっと何故だか残念そうな表情の太陽。
「どうかしたのかい?」
「・・・。ちょびっとだけさみしいな」
「どうして?」
太陽はもじもじっと恥ずかしそうに小さく言う。
「たいいんしたらみィママのだっこがなくなるから・・・。
あかちゃんみたいではずかしいんだけど・・・」
「・・・太陽君」
「でもボクはオトコノコだからもう赤ちゃんになっちゃいけなんだよね。
しっかりしなくちゃ」
陽春はふわっと太陽を膝に乗せた。
「そうだね・・・。でも退院するまではもうしばらく”赤ちゃん”
でいていいんだよ」
「ホント!??」
「ああホントだよ!」
太陽は嬉しそうに陽春の膝の上で足をばたつかせて喜ぶ・・・
「太陽くんはホントにみぃママのだっこが大好きなんだね」
「うん!だってね、あったかくってふわふわしてていいにおいがするんだ。
おっぱいちょっとおっきくなったせいかな」
「え”(汗)」
「あのねぇ、みぃママのおっぱいね、ちょっとおっきくなってたの。この
くらいでかたちは・・・」
太陽は手でにぎにぎして説明しようとしたとき水里が戻った。
「何がこれくらいなの?」
「ワッ!!」
陽春はおもわず大声をあげて太陽の発言を阻止。
「あ、あの・・・え、えっと水里さん、あそこの雲、白い雲って
大きいなって話してたんですよッ(慌)」
陽春は慌てて太陽をだっこして
空を指差した・・・
「ほんとですね。入道雲だ。夏ですよね・・・」
「ええ。本当に・・・(汗)」
太陽の爆弾発言(?)で実感する。
(・・・水里さんの苦労が少し分かった気がするな・・・(苦笑))
「あっ。ピカチュウジャンボだ!!」
ピカチュウが描かれたジャンボ機を見つけ、大喜びの太陽。
「ピカチュウが空とんでる。ふふ。太陽、バイバイってあいさつしたら?」
「うん。おーいおーい・・・!」
ゴー・・・
青い青い空をピカチュウジャンボが飛ぶ。
太陽は懸命に手を振る。
(陽子・・・。見てるかな・・・)
水里は姿なき、もう一人の太陽の母にむかって心の中で呟いた・・・
空を見上げる3人を夏の涼やかな風が包む。
その3人をはためくシーツの影から愛子が見つめていた
(・・・。『恋』だけなら私もひかないけれど・・・
あの和やかな空気は・・・。馴染めない・・・)
”もう新しい恋はしないんですか・・・?”
陽春に問いかけたこと。
その応えは・・・
『・・・。ピカチュウの大好きな天使なら・・・。
答えを知っているかもしれません・・・』
「・・・ピカチュウが大好きな天使・・・。か・・・」
薄紅の口元が微笑む
コツコツ・・・
お嬢様は背筋をのばして階段を降りる。
愛子 26歳。
長い初恋が終わった瞬間だった・・・