デッサン2
水色の恋
第35話 距離
「・・・」
店の掃除をしながら水里はウィンドウに飾った白薔薇に目が移る。
水里は考えていた・・・
(ここ最近・・・。私は春さんと・・・。関わりすぎてるんじゃないだろうか・・・)
色んなことがありすぎた
気がつけば・・・陽春がそばにいくれて・・・
(・・・。保たなければいけない”距離”を・・・忘れていた・・・)
必要以上、必要以内
そのくらいの距離。
知人、友人そんな名詞が示す範囲の・・・距離。
困ったことがあれば協力するし、し合う。
だけど心と心の結びつきは・・・
(・・・。春さんには”雪さん”がいて・・・。あのお店があって・・・。
私はそこに通うただの・・・『常連』)
忘れちゃいけない。
(・・・。私自身のためにも・・・みんなのためにも・・・)
『恋』とか『愛』という
世界が怖い
心が怖い・・・
(・・・。今のままでいいんだ・・・。今の距離のままで)
居心地のいい
この距離を・・・
保ちたい
「私は・・・春さんのコーヒーだけ頂けたらそれでいいんです。それだけ
です。雪さん・・・」
白薔薇の花びらを指でなぞって水里は呟いた・・・
その日の夕方。いつもどおり水里は陽春の淹れたコーヒーを
飲みに店に来ていた。
「・・・ごちそうさまでした。春さん、代金これ・・・」
水里は400円を陽春に差し出す。
「え・・・?あの、どうして」
「どうしてって・・・。代金払うの、当たり前でしょう?」
水里は陽春から、コーヒー代は大体月末に
まとめて渡していた。
「でも何もこんな”他人行儀”じゃなくてもいつもどおりで・・・」
「・・・。やっぱりお金のことはきちんとしておかないと・・・!っていうか
少々今月経済的ピンチなので今のうちにはらっておきます(笑)」
スッとカウンターに100円玉4枚を置く水里。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。じゃまた明日!」
「あ・・・」
パタン・・・
いつもの笑顔で帰っていった水里。
だけど・・・
(なんだか・・・。微妙に距離を置かれているような気が・・・)
思い過ごしだろうか。
(・・・やっぱりあの薔薇のことをまだ気にしているのか・・・)
水里が気にしているということを気にする自分に気がつく陽春。
(・・・考え込みすぎだ・・・。もう何も考えないでおこう。
彼女の心の中でどう思っているかなんてオレには無関係だ・・・。無関係じゃなきゃいけないんだ)
そう思う陽春だが・・・
水里のカップがぽつんと
寂しげに見えた。
「ハァ・・・」
水里のため息が止まらない。
店の窓を拭くはずだったのに、手を動かすことより
ため息の数のほうが多い。
(・・・。距離を保つのって・・・。難しい・・・。人間関係の。
下手にテンション高くもできないし・・・)
「ハァ・・・」
水里のため息がやっぱり止まらない・・・
「・・・ん?」
クゥーン・・・
黄色い屋根のミニピカのおうちから、呻き声が
「ミニピカ!??」
水里がしゃがみ、小屋を覗くとミニピカが苦しそうに仰向けになって
唸っている・・・
「・・・ミニピカ!??どうしたの!??」
水里はミニピカを小屋から出して抱き上げた。
ぶるぶる震わせ、口から少し泡を吹いて・・・
「ミニピカ!ミニピカ・・・!!」
水里は慌てて店を閉め、動物病院に走った。
「伝染性が強いウィルスにかかってますね・・・。相当症状がでて苦しんでいたと
思うのですが、おきづきになりませんでしたか?もっと早いうちに来ていたら・・・。」
「あ、あの・・・。ミニピカは大丈夫なんですか!?」
「ええ・・・。抗生物質も投与していますし
このウィルスほぼ効くはず。あとは子のこの体力にまかせるしか・・・」
「ミニピカ・・・」
酸素吸入を鼻に当てられ、小さな手足に点滴の針を刺されるミニピカ・・・
痛々しい姿に・・・
(私のせいだ・・・。自分のことばっかり考えて・・・。ミニピカ・・・。
ごめんね・・・)
ミニピカの背中を撫でて水里は心の中で何回も謝った・・・
「よろしくお願いします」
ミニピカを入院させ、水里は動物病院を出た。
”もっと早く気がついていればすばやい処置ができたかも・・・”
獣医の言葉が
水里の心に重く響く・・・
自分を責めることしかできない。
すぐそばでずっとミニピカは苦しんでいたのに・・・
CD屋の前を通りかかったとき、
人気アイドルの新曲の歌詞が聞こえてきた。
「恋は盲目〜でも貴方のことが私の夜を支配する・・・♪」
(・・・。”盲目"か・・・)
新曲の歌詞が妙に納得してしまう。
誰かのことで頭が一杯になる、
そんなヒステリックな心理状態・・・
それで足元で苦しんでいる存在をけしてしまう。
「・・・あ・・・」
ポツ・・・
雨・・・
急に降って来た・・・
水里は慌てて屋根付きのバス亭に駆け込む
「あ・・・」
「・・・。水里さん・・・」
買い物袋を抱えた陽春が先客でいた・・・
「・・・こ・・・。こんにちは」
「こ、こんにちは・・・」
ぺこり、
ぺこり。
おきあがりこぼしのようにお辞儀しあう二人。
「・・・」
「・・・」
突然訪れる沈黙に
一気に二人の心に緊張が走る。
「・・・。水里さんはお買い物ですか?」
「え、あ、いえ、あの・・・。ミニピカが急病で・・・」
「え?」
陽春は買い物袋を地面に置いた。
「あ、でも、もう大丈夫だって・・・」
「そうですか・・・。大変でしたね・・・」
「私がもっと早く気がついていれば軽い症状ですんだって獣医さんが・・・
私がいけないんです・・・。私が考え事ばかりして・・・」
「・・・考え事・・・?」
「あ、はい、あの・・・」
(って・・・。言える分けないって・・・)
そしてまた・・・
沈黙・・・
「・・・」
「・・・」
ポチャン・・・
ポチャン・・・
二人の間の沈黙のかわりに
雨だれが水溜りに落ちる音が
一定のリズムを刻む
ポチャン・・・
雫が水溜りに落ちて
波紋ができる・・・
「・・・」
「・・・」
緊張が混ざった沈黙も・・・
雨だれの音に
どこか心地いいものに
変化していた・・・
「・・・。水里さん」
「はい」
「・・・雨の日も・・・いいですね」
「はい」
「ひんやり冷たい空気・・・。静けさが・・・
人の心の戸惑いや苛立ちを流してくれる・・・」
「はい」
「・・・はい・・・。それに・・・。楽しみなことが」
水里は空を指差した。
「通り雨の後の空には・・・。虹が出やすいから・・・」
「・・・あ・・・」
水里が指差した雲の合間
水色の空のキャンバスに
七色の橋が
顔を出す・・・
「・・・なんか・・・。宝物、見つけた気分ですね・・・、春さん」
「そうですね・・・。”誰か”と見る虹は・・・」
砂の中から小さな宝石を見つけたような
小さな幸せを感じる
喜び。
「でも・・・。きっと大切な人と一緒に見る虹ってもっと
幸せに見えるんだろうな・・・きっと・・・き・・・」
ふいに出た水里の言葉に
自然に
二人の視線が一本に
繋がる・・・
「・・・」
「・・・」
ポチャン・・・
「・・・!」
落ちた雨だれに驚き
陽春は思わず買い物袋を落としてしまう
「あ・・・」
りんごとみかんが当たりに転がり、水里もしゃがみ
拾う
みかんを陽春の手に乗せた水里が顔をあげ・・・
「はい。春さ・・・」
(・・・っ)
陽春と至近距離で見つめあう・・・
(・・・)
(・・・)
トクントクン・・・
水里の心臓の鼓動は一気に加速する・・・
体全身に興奮が走る・・・
「・・・あ・・・あ・・・あ、あの・・・あのあの・・・っ」
水里はパニック状態で言葉の呂律がまわってません。
「・・・。あ、あのっ。み、みかんはきっ、紀州産ですか!??」
「え・・・(汗)」
「あ、い、いや、あのっ。色艶がいいんで・・・」
水里の慌てぶりに陽春、プッと思わずふく。
「なっ・・・。どっ。ど、ど、どして笑うんですかッ」
「・・・す、すいません。ふふ・・・」
「わ、笑わないでっていってるのに・・・」
プーっとむくれる水里。
けど
陽春の微笑みが
二人の間の緊張感を
やわらげてくれた・・・
「・・・水里さん。みかん、一緒に食べませんか?店で。
紀州産かどうか試食しましょう」
「え、あ、はい。んじゃ頂きます・・・」
二つの買い物袋を一つずつ
持って歩く二人。
「3個は食べてもらいますからね。水里さん。覚悟してくださいよ」
「は、はい・・・。腹すかせてありますから」
水里は、とぼとぼと陽春の後ろを歩いていく
まるでそれは・・・
飼い主と散歩中の犬のような(笑)
虹の下を二人は歩く・・・
歩幅も肩幅も違うけど・・・
並んで歩く・・・
その距離は
遠いようで近くて
近いようで遠い・・・
心の・・・
距離。
まだわからないけど・・・
(・・・並んで歩くのって・・・いいな)
心地いい距離
水里の心に・・・
もう少しだけ近づきたい
そんな想いが芽生えたのだった・・・