カラン・・・ 「いらっしゃいま・・・」 陽春の店に和服姿の中年女性が訪れた。 「お久しぶりね・・・。陽春さん」 「・・・義理母さん・・・」 雪の母・節子だ。 雪が亡くなって葬式の時以来の再会・・・ 陽春は緊張した面持ちで節子をリビングに通す・・・ 洋食を好まない節子はコーヒーの匂いが嫌いで陽春は 緑茶を静かに差し出す・・・ 「ありがとう・・・」 節子はソファに姿勢良く座り、お茶を粗相良く口に運ぶ。 「・・・。おいしいわ。温度も丁度いい・・・。流石ね。変わっていないわ」 ほっと胸をなでおろす陽春。 節子は実は茶道の師範でもあり、お茶や作法にはことのほか 五月蝿かった。 「あの・・・。今日は一体どうして・・・」 「・・・別に・・・。ただ、雪のお墓参りの帰りに寄っただけよ」 「・・・」 それにしては・・・ 陽春の何かを探りに来たような鋭い眼光を感じる・・・ 「・・・。陽春さん。貴方に実はお見合いを持ってきたのよ」 「え!???」 突然の申し出に陽春はただ、呆然。 節子は戸惑う陽春を他所にバックからお見合い写真を取り出す。 「・・・ほら・・・。知り合いの娘さんなの。どうかしら?」 「・・・どうもこうも・・・。僕は再婚なんてするつもりはありません。 すみません」 陽春はお見合い写真を突っ返す。 「よかった。安心したわ」 「え?」 「ごめんなさい。試してみたかったの。貴方がまだ 雪を愛していてくれるかどうか・・・。今の返事きけて安心した」 「・・・お義理母さん・・・」 節子は一人娘の雪を溺愛していた。 陽春と雪の結婚にも猛反対していたが結局は雪の強い意思に 押され、渋々許したという経緯がある。 「・・・。陽春さん、貴方は言ったわよね?”一生、守り抜きます”って。 あの言葉、守ってくれてます?」 「・・・はい・・・」 少しの間を節子お女の勘が働き、敏感に感じる。 「何?今の”間”は。ひょっとして誰か気になる女性でもいるっ言うのかしら?」 「そんなこと・・・」 バン!! 節子はテーブルを激しく叩いた。 「陽春さん!!貴方の雪への愛情はその程度のものだったの!?? 雪は命をかけて貴方と一緒になったのに・・・!!貴方には雪を一生愛し続ける義務がある のよ!??4年やそこらで覚めてしまう愛だなんていわせないんだから!!!!」 声を荒げる節子・・・ 「あ、お義理母さんッ」 節子は興奮したまま店を出て行く 「待・・・」 追いかける陽春だが店のドア越しに何か紙袋がおいてあるのに気づく・・・。 (これは・・・) 水里が持ってきたりんご。 メモが入っていた。 『近所の人からお野菜を貰ったのでお裾分けします。 お客さんがいらっしゃるようだったのでここにおいていきます。水里』 (・・・。もしかして・・・水里さん・・・。お義理母さんの 声が聞こえたのか・・・) メモを静かにエプロンのポケットに入れ、陽春は店の周りを 節子のすがたを探し回ったのだった・・・ 陽春が探していることも知らず節子は 公園を歩いていた・・・ ドンッ 「きゃ・・・っ」 通行人とぶつかり倒れる節子。 倒れた節子の周りに絵の具と筆が散らばる 「だ・・・。大丈夫ですか!??」 水里が節子を抱き起こす 「え、ええぇ大丈夫よ・・・」 「で、でも手がすりむけてます・・・!こちらへ・・・!」 「え、あ、あの・・・っ」 水里は節子をベンチに座らせ、水道でハンカチを濡らしてきて 手の擦り傷にあてた 「大したことないのに・・・。すみませんね」 「いえ。ぶつかったのはこっちなんですから・・・。 黴菌が入ったら大変です・・・」 丁寧に節子の指先に絆創膏を貼る・・・ 水里を見つめていると・・・ 三つ編みの雪を思い出す・・・ ”お母さんったらおっちょこちょいなんだから・・・” 「・・・?あの・・・痛かったですか・・・?」 「いえ・・・。貴方を見ていたら、娘のことを思い出して・・・」 「・・・娘・・・さん・・・」 水里は絆創膏の箱をポケットにしまい、節子の隣に座った。 「・・・。優しい娘でね・・・。私の自慢だった・・・。生き甲斐だった・・・。 なのに・・・。なのに・・・」 「・・・」 節子の目に薄っすら涙が滲んだ 「・・・。もういない・・・とわかっているのに・・・。未だに現実が受け入れられなくて・・・。 ってごめんなさい。見ず知らずの人にこんな話・・・」 「・・・」 水里は静かにハンカチを差し出した。 「ありがとうございます。お優しいお嬢さんね・・・」 「・・・。いえ・・・」 「いつまでもくよくよしてちゃいけないって・・・。何だか娘に言われているみたい・・・。 ふふ・・・」 「・・・」 水里は何を思ったか急にスケッチブックとペンを広げ始めた。 「・・・?」 首を傾げる節子。 「・・・。娘さんの・・・。娘さんの笑顔を教えてください」 「え・・・?」 「お母様の中の娘さんの笑顔を・・・教えてください。この紙の中だけでも 蘇らせてみたいと思って・・・」 「貴方・・・」 「命は限りあるものだけど・・・。”記憶”は永遠に消えない・・・。 そう位置づけて・・・。生きている者は”記憶”を支えに生きていくしかないから・・・」 水里は柔らかく微笑んで節子に告げた・・・ 節子は娘の特徴を水里に顔の教えていく・・・ (・・・。この女性(ひと)は・・・) 鉛筆を走らせていくうちに、節子が誰の母親か 分かった・・・ 「・・・出来ました・・・」 水里がスケッチブックを節子に見せる 「嗚呼・・・!雪・・・!雪の笑顔だわ・・・っ」 スケッチブックに描かれた三つ編みの雪・・・ 穏やかに母に微笑む 雪が・・・ 確かにスケッチブックの中に・・・ 雪が蘇った・・・ 「雪・・・。雪が・・・生きてる・・・。雪・・・雪・・・っ」 スケッチブックをぎゅっと胸に抱きしめる節子・・・ 「雪・・・ィ・・・雪・・・」 水里はそっと・・・ 節子の背中を撫でる・・・ 「・・・雪・・・」 水里の撫でる手が・・・ 雪の手のようで・・・ 節子は水里の手を掴んで頬にあてた・・・ 「・・・。雪・・・。あなたは・・・。生きている・・・。 私の体の中で・・・心の中で・・・」 水里は静かに頷き・・・ 「雪・・・」 節子をそっと両手で包んだ・・・ サラっとした三つ編みに節子の涙が染み込む・・・ 「・・・。雪さんは・・・。ずっと生きています・・・。 きっと・・・雪さんを愛している人はみんなの心の中で・・・」 水里はしらばらく・・・ 節子の背中を撫で続ける・・・ 曇り空の隙間から 光が射した・・・ カラン・・・ 「お義理母さん・・・!」 陽春の店に戻った節子・・・ 「探したんですよ・・・!どこにいたんですか。こんな時間まで・・・」 節子に駆け寄る陽春・・・ 「・・・」 「すいません。怒鳴ったりして・・・。とにかく座ってください。 お茶淹れますから」 陽春が奥へ節子を招こうとしたが・・・ 「・・・ごめんなさい・・・。陽春さん!」 「え・・・?」 陽春が振り返ると節子が陽春に頭を深々と下げているではないか・・・ 「お義母さん!??」 「ごめんなさい・・・。さっき・・・貴方にキツイことを言ってしまって・・・」 「そ、そんな・・・。ボクはきにしていませんから頭を上げてください」 陽春は節子をともかく奥のリビングに連れて行き、 お茶を淹れた・・・ 「陽春さん。私・・・。貴方に八つ当たりしてしまって・・・」 「お義母さん・・・。もういいですから・・・」 「・・・。誰にもいなかったの・・・。この気持ちのやり場なくて・・・。 貴方のせいで雪が死んだとそう思うことしかできなかった・・・」 「お義母さん・・・」 雪と陽春の結婚を最後の最後まで頑なに 反対した節子・・・ その節子の涙を 陽春ははじめて見た・・・ 「・・・雪を失くしたのは・・・自分だけじゃない・・・。夫も・・・。そして貴方も・・・。 やっとそれに気がつけたの・・・」 「・・・お義母さん・・・」 「・・・。雪は生きてる・・・。私の中にある雪の思い出を大切にすることをわすれていた・・・。 これを見て思い出したの・・・」 カサ・・・ 節子は水里が描いたスケッチをバックから取り出した・・・ 「これは・・・」 (水里さんの絵・・・?) 「公園の絵描きさんと知り合って・・・。描いてもらったの・・・。 三つ編みが可愛らしくてどことなく雪に雰囲気が似ていた気がして・・・。 ずっと私の背中をさすってくれていたの・・・」 (・・・間違いないやっぱり彼女だ) 「・・・この絵の中に・・・。雪を蘇らせることができた・・・。 笑っている雪・・・。喋りも話もしないけれど私の記憶の中の雪だわ・・・」 スケッチをそっと撫でる節子・・・ 「雪は生きている・・・。寂しさは埋められないけれど・・・。 こうしてここに・・・生きている・・・。ね・・・?陽春さん・・・」 「・・・はい・・・」 陽春は水里が以前、自分を励ますために描いた雪の絵を 思い出していた・・・ あの絵に 救われた 「陽春さん」 「はい」 「・・・。雪を”思い出”にして・・・。陽春さんは自分の人生を ちゃんと生きてください。」 「え・・・」 「・・・。亡くなった者は・・・”思い出”になる運命・・・。残された者の心の中で 思い出となって生きていくのですから・・・。貴方は貴方の『新しい記憶』を つくっていかなくては・・・」 「お義母さん・・・」 節子は水里のスケッチを大切に着物の懐にしまい、 出て行く・・・ 「・・・。でも・・・陽春さんの伴侶になるのなら・・・」 「え・・・? 「あの公園の可愛らしい絵描きさんみたいな娘さんがいいな・・・」 「・・・」 「・・・。雪の笑顔を蘇らせてくれた・・・。きっと雪が出会わせてくれたって 思ったの・・・。なんて・・・ね。ふふ・・・」 何も知らない節子は微笑む・・・ 「・・・じゃあ、私は失礼します。陽春さん、お元気で」 「はい。お義母さんも・・・」 雪の母。節子。 陽春は何度もお辞儀して見送った・・・ 陽春は二階に上がり、寝室の机の引き出しから水里が描いた雪の絵を 取り出す・・・ ”この絵の中に・・・雪さんは生きています。生き続けています・・・” そう絵の裏に メッセージがある・・・ ”雪のことは思い出に変えて・・・。 貴方はこれから・・・『新しい記憶』を作っていってください・・・” (・・・オレはまた・・・。貴方に・・・救われたんだな・・・。水里さん・・・) 「・・・」 ガタン・・・ッ!! 「夏紀!店番頼む・・・!」 「え??」 1階のリビングでテレビを見ていた夏紀に脱ぎ捨てたエプロンを放り、 陽春は店を飛び出していった・・・ 「な、なんだぁあ???」 呆然とする夏紀・・・ 陽春は息を切らせて 公園に走って向かった・・・ 「ハァ・・・ハァ・・・」 夕暮れの公園。 散歩する人がちらほらいるだけで静かだ・・・ 陽春は水里がいつも絵を描いているベンチまでくるが 水里の姿はなかった・・・ 「ハァ・・・」 陽春はベンチに腰掛ける。 ここに・・・ 水里はいる。 いつも座っている・・・ (・・・?) ベンチに小さな忘れ物を見つける。 水色の・・・絵の具。 小さな・・・ でも可愛らしい・・・ まるで誰かみたいで・・・ ”ここは私の席だからね”と言っているよう・・・ 陽春はくすっとわらって絵の具を手に取った・・・ 「・・・水里さん。そんなに主張しなくても大丈夫ですよ。ふふ・・・」 ”貴方は新しい記憶を綴っていってください・・・” 節子の言葉・・・ (・・・。オレは・・・。本当に・・・本当に”新しい記憶”を綴っていいのか・・・? 許されるのか・・・?) 水色の絵の具 陽春の心の中のスケッチブックはずっと『白』一色だけだが・・・ (水色に染めても・・・いいのか・・・?いい・・・のか・・・?) 陽春は 絵の具をじっと見つめながら・・・ なんども自分自身に問うのだった・・・