デッサン
〜水色の恋〜
第49話 青空のキャンパス
 
「・・・。兄貴・・・」 食欲もあまりなかった陽春がご飯一膳綺麗に食べるようになった。 まだ立ち上がるとクラクラし、眩暈がおきやすいものの 自分で廊下のトイレまで行ける様になっていた。 「病院のメシはあんま、上手くねぇかもしれねぇけど」 「・・・。記憶がなくても・・・。お腹が減る・・・。僕の体は意志と関係なく 生きてるんですね。昨日、山野さんがいっていました」 「ああ。そうだよ。兄貴は生きてる・・・。だから食わなきゃいけない」 「・・・いろいろご心配かけてすいません・・・」 大分陽春の様子は落ち着いてはきているものの・・・ 記憶がない、今までの自分の人生が一片に消えてしまった 衝撃は計り知れないのだろう・・・夏紀は兄の今後をとても心配していた。 「・・・。夏紀さん・・・。前の『僕』を教えてください」 「え?」 「前の自分がどんな人間だったのか・・・。知りたいんです・・・。お願いします」 夏紀に頭を下げる陽春・・・。 (兄貴・・・) 陽春の要望に夏紀はアルバムを見せた・・・。 子供の頃の写真・・・。学生時代の写真・・・。 順番に陽春は捲っていく・・・ だがどれも見覚えがない写真・・・。 他人のアルバムを見ているみたいだ・・・ 「そしてこれが・・・。兄貴と雪さんが店を開いたときの写真・・・」 「雪・・・?」 「兄貴の・・・亡くなった奥さんだった人だよ」 「・・・僕に・・・奥さんがいた・・・?」 白いワンピースを着ている女性・・・。陽春はじっと見つめる・・・ 「それはそれは熱愛でね・・・。ふふ。兄貴と雪さんは世界一の純愛 夫婦っていえるほどだったんだぜ」 「・・・」 幸せな笑顔を浮かべ・・・寄りそう自分と雪・・・ (純愛・・・。わからない・・・。何も・・・。この女性に対して何も・・・) 「兄貴・・・。無理して昔のこと知ろうなんてしなくてもいいじゃねぇか・・・。 ゆっくり新しい自分を見つけていけば・・・」 「・・・。新しい自分・・・。夏紀さんにとってどんな”僕”だといいんでしょうか・・・」 「兄貴・・・」 アルバムを静かに閉め・・・ ベットに横になる陽春・・・。 ヒラリと一枚の写真が落ちた 「・・・これ・・・」 「ああ。それはつい最近、水里と太陽が店の中で撮ったんだ。 馬鹿面してんだろ。二人して」 ピカチュウのエプロンをした二人。 顔を泥だらけにして・・・ 「・・・。太陽くん・・・?」 「ああ。水里のガキ・・・いや、水里の知り合いの子供。兄貴に なついてさ・・・。よく店にも遊びに来てたんだ」 (山野さんと・・・太陽くん・・・) 二人の泥だらけでどうして笑顔でいるのだろう・・・けどこの笑顔には・・・ (温もりがある気がする・・・) 二人の写真をじっと見る陽春・・・。 (他の”過去”より・・・。やっぱり今の兄貴には目の前にある 微笑みの方が・・・必要なのか・・・) 複雑な寂しさが・・・夏紀の胸を過ぎったのだった・・・。 それから陽春は少し眠りつこうとした・・・。 廊下から看護婦の声が聞こえてきた 「ねぇえ。あの304の藤原陽春さん。例の『イケメン』マスター さんだったんでしょ?」 「うん。私、一度お店にのみにいったことあるわ」 (・・・僕のことを話しているのか・・・?) 「それに元優秀な外科医のだったんでしょ?私憧れたんだー」 甲高い看護婦達の声・・・ 「でもさー。いくらイケメンで元優秀外科医でも ”患者”になっちゃたらねぇ・・・。どうしようもないでしょ」 「まぁねぇ・・・。今も一人でやっとトイレまで歩ける状態で・・・。 これからのリハビリも大変だし。彼は論外だわねー」 下世話な噂話・・・。看護婦たちの会話が陽春の不安を再び呼び覚ました。 (僕は・・・。やはり『前』の僕を取り戻さない限り・・・。存在 する意味はないのかもしれない・・・) 記憶も戻らない。思うように歩くこともできない・・・。 (・・・新しい自分なんて見つかるわけが無い・・・) どうしようもない無力感が陽春を包む・・・ ベットの布団に包まる陽春・・・。 ”私は今の春さんも忘れません。絶対に忘れません・・・” 水里の声が陽春の心に響く・・・ (・・・あの人はいつ来るんだろうか・・・。あの人なら・・・。何か 探してくれるかもしれない・・・) そう思いながら陽春がドアの方向に寝返ると・・・ 「・・・こんにちワンワン」 「!???」 陽春の目の前にスヌーピーのぬいぐるみが突然登場。 陽春、一瞬、引く・・・ 「あ、すいません。私です。すっとんきょーな登場の仕方をしてしまいました」 ぬいぐるみを取り水里は姿を現した。 「山野・・・さん」 「驚かせてごめんなさい。太陽が学校で作ってきたお面、春さんにも 見せたくて」 「太陽・・・くん・・・」 「あ、はい。私の知り合いの子で・・・。春さんの大FANだったんです」 水里は丸い椅子にすわり陽春にお面を見せた。 「・・・。その太陽くんも・・・山野さんも『前』の僕の方がいいのでしょうね・・・」 「え?」 「皆・・・。そう思っているみたいです。記憶も戻らず混乱したままの男・・・。 まっすぐに歩くことが出来ない男・・・。『今』の僕は誰の役にも立たない人間です」 「・・・」 寂しそうに水里にお面を返す陽春・・・。 自虐的なことをクチニする陽春に水里は返す言葉を考えたが 浮ばず・・・。 「ごめんなさい」 「え。何故貴方があやまるのですか?」 「・・・いや・・・。なんだか私・・・。上手な言葉が浮ばなくてあのその・・・。 とにかくごめんなさい・・・」 ごン!! 水里は頭を下げた拍子に頭をベットの金具にぶつける・・・ 「・・・。すいません・・・(汗)」 「・・・貴方は有りの侭の人ですね」 「え」 「・・・人の目を気にしたり・・・。気を使ったりしない・・・。 どうして有りの侭で居られるのですか?僕は・・・僕のままではいられない・・・」 「・・・」 「・・・。一緒に窓の外の景色、描きませんか?」 「え?」 「・・・お願いします」 水里は窓辺に丸いスを持って行き座る そしてスケッチブックを開き、鉛筆で下書きをかきはじめた・・・ 「・・・山野さん。僕は・・・」 「私、下書きします。春さんは色をお願いできますか?」 水里はそれから黙してペンを走らせる・・・ 窓から見える雲。 教会の屋根・・・。 「・・・お願い・・・できますか?」 「・・・僕なんかでいいのでしたら・・・」 「・・・”なんか”じゃなくて私は春さんがいいんです。春さんが」 「・・・」 陽春はスケッチブックを受け取ると色鉛筆に手を伸ばす・・・ (あれ・・・?) 何か奇妙なことに気づく陽春。 「これ・・・。景色が・・・」 窓から見える風景とは違う。水里のスケッチブックには景色の中にない 形の屋根や雲が描かれている。 「スケッチブックの中は何かに制限されている訳じゃないから。私が思うまま 描いてみたんですが・・・変でしょうか?」 「いえ・・・。そんなことは。では色は何色を塗ればいいでしょうか・・・」 「春さんの好きな色でお願いします」 「・・・僕の・・・?」 「ハイ。今、春さんの心に浮んだ色・・・。それでお願いします」 水里はぺこっと頭を下げた。 「・・・じゃあ・・・」 好きな色。陽春迷いつつも少しずつ色づけをしていく・・・。 好きな色・・・。心に浮ぶ色。 色鉛筆を走らせながら陽春は思う。 (・・・今・・・。塗っているこの色は・・・。"僕"が選んでいる・・・のか? それとも・・・。前の"僕"・・・?) 「あの・・・。空の色はこの色でいいでしょうか・・・?」 陽春は薄めのブルーを選んだ。 「春さんがそう見えるならいいと思います」 「でも・・・。空はもっと濃い青の様な・・・」 「その色で無ければいけないことはないと思います。春さんが感じた 色が私はいいです・・・」 (・・・僕が感じた・・・色でいい・・・) 青でなければいけないことはない。緑色の空でもいい。 赤い空でもいい。 陽春は心の流れるままに色を着けていく・・・。 「・・・。あの・・・。一応塗れました・・・。どうでしょう・・・?」 陽春は少し遠慮がちにスケッチブックを水里に見せる・・・。 「・・・嬉しいです」 「え?」 「春さんと一緒に絵が描けた・・・。最高です。」 水里はスケッチブックをぎゅっと握り締める・・・ (この絵は春さんが生きてるって証拠になるから・・・) 「・・・」 (どうしてそんなに嬉しいんだろうか・・・) 色を塗っただけなのに。 陽春はただ、不思議だった・・・ 「・・・あの・・・。病室に飾ってもらっていいですか?せっかく 素敵な絵になったので」 「え・・・。僕に言われても・・・。ここは僕の病室ではないですし」 「それはそうですが(汗)・・・でも院長先生に了解得るのも変ですね・・・。どうしましょう。 」 「どうしましょうと言われても・・・」 二人して俯いて、妙なことで悩みこむ・・・ 「じゃ。じゃんけんで決めましょう。春さん」 「じゃんけん?」 「はい。春さんが勝ったらこのままここに飾る。私が勝っても ここに飾らせてもらう」 陽春は少し首を傾げる。 (・・・。どちらにしても同じだと思うけど) 「んじゃいきますよー。恨みっこなしのジャンケンポン!」 水里はグー。 陽春はの大きな手のひらはパー。 「・・・すいません。勝ってしまいました」 陽春はぺこりと 「いえいえ。じゃあこの絵は飾らせてもらことにします・・・」 水里はセロハンテープで静かに壁にはりつける。 「暫くご厄介になります。春さん」 「いえ。こちらこそ・・・」 貼り付けた絵・・・ ひらひらと風に揺れる・・・ (・・・) (・・・) 「ふふ・・・」 「・・・へへ・・・」 二人は穏やかに微笑み合った・・・ どうしてだろう・・・ パタパタと風になびく絵がとても可愛らしく思えて・・・ パタパタ・・・ 病室に優しい風が通り抜ける・・・ 二人は暫くその風を感じていた・・・ 同じ時間を共に・・・ 翌日。 陽春は母と夏紀に申し出る。 「・・・夏紀さん・・・お母さん・・・。僕・・・。リハビリ始めてみようかと・・・」 「え!?ほ、本当か!??でもドウシテ急に・・・」 「・・・」 陽春は壁に張られた絵を見つめる・・・。 「・・・。とりあえず・・・。僕の”色”を見つけてみようかと・・・」 「?」 夏紀は意味が分からず首を傾げる。 (・・・。まだ・・・不安は沢山ある・・・けど・・・。 あの絵は『今』の僕が・・・描いた・・・。描けたから・・・) 陽春はその日からリハビリに積極的に励むようになった。 だが決して楽なものではなく・・・。 「兄貴・・・!」 数メートル歩いただけで眩暈が襲ってくる。 吐き気止めや眩暈を抑制する薬を飲んではいるものの、原因が突き止められない 病に即効性はなく・・・。 「・・・兄貴・・・。もう無理するなよ・・・」 「・・・でも・・・。トイレぐらいは自分で行けるようにならないと・・・。 僕は・・・。本当に僕でなくなってしまうから・・・」 陽春はスロープを伝いながら病室に戻る・・・。 激しく襲ってくる吐き気と頭痛を和らげるのは 水里の微笑み・・・。 (今日は・・・。来ていてくれるだろうか) 病室のドアが開いているのに気づく陽春。 (山野さん・・・?) 期待感が陽春に沸く。 だが病室に居たのは・・・。 「陽春さん・・・!よかった・・・!無事でいらしたのね!」 (・・・!?) 突然抱きつかれる陽春。 (誰なんだこの人は・・・) 少し・・・。 キツイ化粧品の匂いがする愛子だった・・・

デッサン第2部 目次

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