デッサン
〜水色の恋〜
第51話 白衣と昔の日記
”兄貴は将来有望視された医者だったんだぜ。患者にも 人気あったんだ” 昔のアルバムをぺらぺら捲る陽春。 白衣を着て患者と映っているが・・・。 (・・・。優しい笑顔・・・か) 全く覚えが無いしそれに・・・ (患者さんを上から見下ろしている笑顔に・・・見える) 自分の担当医。腕はいいらしいのだが全てが説明的、事務的だ。 『気長に頑張りましょう』診察の後はいつも決まった台詞。 廊下を歩く医師白衣・・・。 車椅子に乗って移動する者からでは、見上げてしまう・・・。 (何だか・・・。高いところにいる人間のよう・・・) 自分も医師だったというが、全く実感がない。 (白衣って・・・。重たそうな服だな・・・) 医者も人間。患者も人間・・・。同じ人間なのに白衣を着ただけでどうして あんなに見上げるのだろう。 アルバムを捲りながら陽春は・・・。 アルバムの中の『藤原陽春』という人間について考え始めていた・・・ (・・・。彼女と・・・話がしたい・・・) 水里の声を聞きたい。 ガラガラ・・・。 ドアが開く度に陽春は誰かを待っているように首を伸ばす。 「陽春さん・・・。こんにちは」 「・・・愛子さん・・・」 陽春は愛子から視線を逸らす。 (・・・) 愛子は陽春が”誰”を待ち焦がれているのかすぐ察した。 「・・・。陽春さん、今日きたのはこれを見てほしいと思って・・・」 愛子は総合病院の入院案内を陽春に手渡す。 「私の知り合いの専門の病院が あるんです。そこならもっと・・・」 「・・・」 陽春は少し不機嫌そうにパンフレットを返した。 「片桐さん。すみません・・・。僕は・・・」 「ほら・・・。見て下さい。設備も医師もトップクラスで・・・。きっと 治療も進むと思います。だから・・・。」 愛子は少し強引にパンフレットを進める。 「僕は・・・世話されたいんじゃないんだッッ」 パンフレットを少し乱暴に突っ返す陽春・・・。 「・・・ご、ごめんなさい・・・」 「いえ・・・。僕の方こそ大きな声を・・・」 「私が間違っていました。でも・・・。陽春さん。これだけは信じて・・・。私なら貴方を完璧にサポートできる・・・。 ううん。貴方に杖が必要なら私が体全部で貴方を支えます。私の人生をかけても・・・。 だから・・・。私の手を必要としてください・・・」 愛子は陽春の右手を頬にあて一筋、涙した・・・ だが陽春は手を離した・・・。 「・・・。貴方の人生は貴方のものだ・・・」 「陽春さん・・・!」 「はぁい。お嬢さま。そこまでです。昼ドラ的展開は」 夏紀が陽春と愛子の間に割ってはいる。 「愛子さん。あんたフェアじゃねぇよ。家族も押しのけて 勝手に転院すすめるなんていくらなんでも非常識すぎませんか」 「・・・ごめんなさい。でも少しでも早いと思って・・・」 「・・・。そうじゃねぇだろ。早く誰かと兄貴を引き離したいだけだろ?」 「なっ・・・」 鋭い夏紀の言葉に愛子は視線を思わず逸らす。 「出てってくれ・・・。オレはこの世で三番目に 勝手に純愛しちゃってるお嬢様が嫌いなんだ」 「・・・」 「・・・。アンタも分かってんだろ。兄貴が誰を求めているか・・・」 「・・・!」 愛子の目尻にじわっと涙が浮ぶ。 「・・・。陽春さん・・・。お大事に・・・」 愛子は涙目で病室を後にした・・・ 「・・・。ちょっくらきつかったかな。でも あれくらいいわねーと愛子お嬢もわかんねぇだろ?」 「・・・でも・・・」 「兄貴はよけーなこと考えなくていーの!」 夏紀はこの間、病院内の喫茶店で愛子が声を荒げていたという 噂を耳にしていた。 (・・・。女の執念は怖いもんだ・・・。力任せ金任せの愛子お嬢に兄貴任せられるか) 「兄貴。水里のこと、待っているのか?」 「え・・・。いや別に・・・。水里さんにもご予定があるでしょうし・・・」 「・・・まぁ・・・。アイツもここ最近色々あったからな・・・」 「色々?」 「・・・いや、仕事が忙しいってことだよ。でもオレが解決してやる!これでな!」 夏紀はバックの中からノートパソコンを取り出す。 「これは・・・」 陽春は不思議そうにパソコンを眺める。 「・・・これは。なんという機械ですか?」 「え・・・。あ、そか。兄貴しらねぇか」 迂闊だ・・・と夏紀は思った。陽春の記憶は生活レベルでも失っている。 「これは魔法の機械さ。切手なしで手紙が出せる。オレが教えてやるよ」 夏紀は電源を入れた。 「あ・・・」 ディスクトップの壁紙・・・。水里と太陽の写真が貼られていた・・・。 「・・・切手の変わりに水里さんの写真が貼られているのですか?」 「ふふっ。ああそうかもな・・・。どうだ?気に入ったか?」 「・・・はい。とても・・・」 水里と太陽の写真が気に入ったらしい。 (兄貴・・・。やっぱり水里と太陽の事、よっぽど気にかけてたんだな・・・) 「じゃあまずはマウスに慣れるか。動かしてみろよ」 「・・・あ、矢印が動いています」 陽春は嬉しそうにマウスに触れる。 「そうそうその調子・・・。これならメールなんてすぐ 打てるさ」 「夏紀さん。ありがとうございます。僕はとても いい弟を持って・・・嬉しいです」 「・・・兄貴・・・」 記憶を失っても 優しさは変わらない・・・。 夏紀は少し胸が熱くなった・・・ そして夜・・・。 「あ、夏紀さん、水里さんから返事がきましたよ!」 カチカチ・・・。陽春はパソコンの画面を嬉しそうにマウスをあてる。 「な?メールっていいだろ?」 「ええ。そうですね。とても便利な機械です」 「・・・。なぁ。兄貴・・・。そろそろその敬語やめ・・・」 カチカチ・・・ まるで誕生日プレゼントを貰った子供のように・・・ 無邪気にパソコンに触れる陽春・・・。 (・・・兄貴。兄貴が笑顔ならオレはそれでいい・・・。 暫くはオレが兄貴役やってやるから・・・) 陽春の微笑みが愛しく感じる夏紀だった・・・。 それから水里と陽春のメールのやり取りは毎日、いや、一日に何通もやりとり・・・。 『今日は大根が安かったので、季節外れのおでんをつくりました。美味しかったです』 『病院の食事は味が薄いと夏紀さんは嫌いといっていましたが僕は薄味も好きです』 他愛もない日常会話・・・。 だが陽春にとっては何もかもが”新しい情報”なのだ。 身の回りに溢れる情報。 テレビ・新聞・ラジオ。すべてから流れる情報が新しい。 今の首相の名前や芸能人の名前も全て初めて聞く名前。 『夏紀さんの書かれたドラマを見ました。とても有名な女優さんが出ていました。 昔から』 『その女優さんはとても演技はで春さんと同じ年の人です。ちょっと厚化粧ですよね』 水里からの返事が待ち遠しい。 覚えたパソコンが楽しく、陽春はパソコンで日記をつけはじめた。 そのパソコンの横にあるのは・・・ 記憶がなくなる前・・・描いた日記帳・・・。 黒いどっしりとした皮の表紙・・・。異様に重たく感じる・・・。 陽春は1ページ1ページ読む・・・。 雪との日々が綴られた1冊目。全く覚えの無い出来事が綴られている。 (他人の日記帳を呼んでいるような気分だ・・・) だが文面を読んでいると前の自分は”雪”という女性を深く愛していたのだという 気持ちが伝わってくる。 雪を亡くしてからの日々が綴られた二冊目。 雪を失った喪失感がありのまま書かれている・・・。雪の死を受け止めきれない心・・・。 犯人を憎む心が・・・。 ”日本中の『田辺』苗字が憎い・・・” そのフレーズの文字だけが・・・筆圧が強くて・・・なぞる陽春。 (前の僕は・・・。憎しみと辛さを同時に抱えていたのか) 文字から垣間見れられる 心の奥の傷・・・。だがピンとこない。 第三者的な遠いところから見るように・・・ 他人事だ・・・。 3冊目の日記帳・・・。1,2年分の日記・・・。 (どうせ3冊目もみったって・・・僕の記憶じゃない) 気分重く3冊目の日記を読み始める・・・。 確かにどれもこれも今の陽春には身に覚えがない出来事だが・・・ 1,2冊目とは違う何かを感じる・・・ (・・・文字が・・・優しくなってる・・・) 水里と太陽の名前が毎日、必ず出てきている。 (楽しい出来事がたくさん・・・あったんだな・・・) 『今日、水里さんが犬小屋の創り方を教えて欲しいといって 作りかけの小屋を背中に背負ってきた。一体小柄な彼女のどこに そんな力がるのだろうと思った』 「・・・ふふ・・・本当だな。でもなんか想像できる」 『新しいメニューを考えた。彼女に試食してもらう。本当に美味しそうに 食べる・・・。口元をケチャップだらけにしながら』 「ふふ・・・。ふふふ・・・」 いつのまにか自然に顔が綻んでいる自分に気づく陽春・・・ (・・・。水里さんと太陽くんに出会ってからの”僕”は・・・) 心の底から笑えるようになっていた・・・ 『彼女と笑いあった日の夜は・・・。安心して眠れる・・・。僕は・・・。 そんな今の日々を大切にしたいと思ってる・・・』 そう記されていたのは陽春が記憶を失う日の前日の日付だった (・・・。この日の日記”僕”の気持ちは・・・。今の”僕”にも分かる・・・) 陽春は枕もとの竹とんぼを手に取る・・・ ”絶対受け取ってくださいね・・・!” 小さな手から飛ばされた小さな竹とんぼ・・・。 『新しい季節・・・。水色の季節を僕は・・・迎えたい・・・』 最後の一行の言葉・・・。 「・・・。僕もだ・・・。9月30日までの”藤原陽春”・・・」 陽春は3冊めの日記帳を静かに閉じる・・・。 夏紀から与えられた新しい日記帳を開く・・・。 そして陽春は水色の色鉛筆を取る陽春・・・ そして最初の一行にこう記した・・・ 『僕の名前は藤原陽春。僕の新しい季節は・・・きっと・・・水色です・・・』
陽春が入院して1ヶ月が過ぎた。 順調に陽春は回復してはいるが・・・。 「・・・ハァハァ・・・」 階段のを降りる感覚がうまくつかめず踊り場で倒れる陽春・・・ 下に俯くと言葉にし難い気持ち悪さが襲ってきて・・・ 「兄貴。無理すんなって・・・」 「いいえ・・・。大丈夫です・・・。今日は1階まで自分の力で降りるって・・・ 決めたから・・・」 冷や汗を背中にびっしょりかく陽春・・・。 手すりにつかまりながら、一段一段、階段を降りていく・・・ 「兄貴・・・」 「メールで・・・。約束したんです・・・だから・・・」 陽春の手には水里が飛ばした竹とんぼが握られたいた・・・。 「・・・僕も・・・。頑張ります・・・。水里さんと約束したんです・・・」 日記で知った・・・。水里にあった惨事・・・。父から譲り受けた店と家が燃え全てを失くした・・・。 (・・・彼女も・・・お父さんの思い出を失ったんだ・・・) 自分自身を失うのと・・・ 大事な人の記憶が消えるのと・・・ どちらがつらい・・・? どちらも辛い。比べることもできない。 (・・・違う・・・。彼女は大切な人を失った・・・。記憶じゃない 大切な人そのものを・・・) 命が在る。 (・・・僕は・・・。こうして”生きて”いる・・・) 側には・・・ 支えてくれる人もいる・・・ 「・・・僕も・・・頑張ります・・・。”新しい自分”で・・・」 陽春は・・・。竹とんぼを片手に 一段一段・・・懸命に降りる・・・ ”春さん” 水里の微笑みを浮かべて・・・ (不思議に力が沸いてくる気がする・・・) 陽春の記憶喪失は、自分の過去だけではない。 日常生活の面でも支障をきたしている。 「・・・あの・・・。夏紀さん。この字はなんと読むのですか?」 「え・・・。ああ。それは”至福”のとき。一番幸せな時間・・・って意味さ」 夏紀の小説を読む陽春だが、小難しい漢字や言葉に詰まる・・・ 「・・・僕の弟の小説・・・。隅から隅まで読みたいのに・・・。すみません。 スムーズに読めなくて・・・」 「兄貴・・・」 「でも夏紀さんが書いた小説です。きっと素敵なものに違いない・・・。 僕はそう思っていますから」 「・・・兄貴」 兄を愛しいと思うなんて・・・。きっと自分は相当ブラコンだと思う夏紀・・・。 「兄貴。オレ・・・。兄貴の弟でよかった・・・。本当にそう思ってるからな・・・」 「はい。ありがとうございます・・・」 (記憶を失ったどうのなんて関係ねぇ・・・。兄貴は兄貴だ・・・) 夏紀は陽春のサポートを何でもしようと 心に改めて誓ったの・・・ ガラガラ。 「あ・・・!水里さん・・・!」 陽春の顔が一片に明るくなる。 「こんにちは!春さん!」 水里が仕事帰りに病院に立ち寄る。 「すいません。最近なかなか来られなくて・・・」 「いいえ。水里さんにも都合があるでしょうし。でも嬉しいです。 貴方の顔が見たかったら・・・」 「・・・こんな顔が見たい?じゃあ、こーんな顔はどうでしょう??」 水里は顔をしかめっ面にしたり、むくれたりさせる。 「ふふ。どんな顔でも水里さんは素敵ですよ・・・。可愛いです」 「///しゅ、しゅ、春さんッ。な、なんかさわやか度、グレードアップしてませんかッ(照)」 「さぁ・・・よくわかりませんが・・・。自然に出た台詞です」 (・・・天然さもアップしている・・・(汗)) でも陽春の笑顔が戻ってきている・・・ 水里はそれが何より嬉しかった。 「春さん。今日、コスモスとススキをちょっくら川原から 失敬してきました」 「・・・そうみたいですね。水里さん、髪の毛に花びらがついてますよ」 「え・・・」 水里、三つ編みにコスモスの花びらが・・・。 陽春はそっと取った・・・ 「・・・水里さんの三つ編み・・・なんかふわふわしてていいですね・・・」 「・・・(照)」 (み、三つ編みフェチのは変わってないらしい・・・) とにかく・・・。陽春が笑ってる。 それが何より嬉しい・・・ 「・・・春さんあの・・・。夏紀くんから聞きました。リハビリ頑張ってるって」 「ハイ」 「でもあんまり無理しないでくださいね・・・。頑張るって大事なことだけど・・・ ゆっくり、ゆっくりでいいから・・・」 「・・・ゆっくり頑張る・・・。いい言葉ですね。なんかそういってもらえると 楽になる・・・」 「私も”ゆっくり”頑張ります。竹とんぼ、もっと上手に飛ばせるように」 「はい・・・!」 二人は見詰め合って・・・ 微笑み合う・・・ (・・・兄貴に必要なのは・・・。屈託のない笑顔・・・なんだな・・・) 夏紀は二人の様子からそう感じる・・・ (オレはお邪魔虫ってやつかな。少し妬けるけど・・・な) 夏紀は静かに病室を出て行く・・・。 水里と陽春はメールでは伝えられなかった出来事を 伝え合う。 何気ないこと。 小さな小さな出来事・・・。 空の色や風の匂いがどんなだったか・・・。 隣の病室のおばあちゃんが退院してよかったとか・・・。 とにかく話がしたい。 顔を見て 声を聞いて・・・ 大切な人が生きていることを・・・ 確かめていたい・・・ (春さんの・・・元気な姿見られたら・・・。疲れなんか 飛んでいく・・・とん・・・で・・・) 「・・・あ。水里さん。りんごあるんです食べませ・・・」 陽春は戸棚のりんごに手を伸ばし振り返ると・・・。 「・・・ZZ・・・」 ベットで腕枕でスースーと寝息をたてる水里・・・ 陽春はくすっと微笑み・・・着ていたカーディガンを水里 の背中に羽織らせた・・・ (・・・。今の僕には・・・。この位のことしか出来ないけど・・・) 水里の穏やかな寝顔を見つめて思う・・・。 (貴方の疲れが少しでも・・・。癒えますように・・・) 白いシーツの上に流れる三つ編みを陽春はそっと持ち上げた・・・。 「・・・僕の新しい日記は・・・。貴方の名前から初めますね・・・。僕の新しい・・・日々 は貴方から・・・」 丁寧に編みこまれた三つ編みを 陽春は頬に愛しそうにあて・・・ 呟いたのだった・・・。
デッサン第2部 目次

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