デッサン
〜水色の恋〜
第52話 支え合うということ
体力も大分戻り、歩行するたびに起こる眩暈 も少しずつ小康状態になってきた。 『通院治療に切り替え、少しずつ日常生活を軸としたリハビリを 考えていきましょう』 陽春の主治医がそう家族に伝え、退院の日にちが決められた・・・。 (春さん、よかったですね・・・!) 水里はメールで退院のことを知り喜んだのだが・・・ 『・・・喜べなくて』 (え・・・?) 『正直・・・。退院するのが怖いです・・・。前の僕を周囲の人たちが受け入れてくれるかどうか・・・。 ”前”の僕が今の僕を待ち受けている気がして・・・』 (春さん・・・) 陽春にとって、生まれ育った実家は見知らぬ土地にすぎない。 『怖いです・・・。水里さん・・・。病院の外の世界が・・・。 怖い・・・。僕は・・・。僕は・・・。すみません。弱音を吐いて・・・』 (・・・謝らないで・・・。私は何も分かってなかった・・・。春さんが・・・元の生活に 戻るということは簡単じゃないことだと・・・) 水里はじっくり考えてみる・・・ 今までの自分が・・・わからないってどんな気持ちなんだろう・・・。 目の前の世界が・・・わからない・・・。 例えば今、自分が突然、見知らぬ国に連れて行かれて・・・。 言葉も、景色も・・何もかもが分からない・・・。 それだけじゃない・・・当たり前に知っていた筈の物の名前や使い方も忘れて・・・。 (・・・春さん・・・) 不安と焦りの塊・・・ 迷子になったときみたいにな・・・ 水里は陽春のメールに 今すぐにでも病院へ飛んで行きたい・・・と思う・・・ (私に何ができる・・・?私は・・・) 人を支えるということは 簡単なことじゃない。 支える側と支えられる側・・・。 信頼という絆をつくらなければ ただのお節介になってしまう。 (・・・神様・・・。一度だけ私に魔法をください。春さんに少しでも 元気を分けてあげられる魔法を・・・) 「神頼みしてる私じゃ・・・。駄目だよね・・・。私にいま在るのは・・・」 (・・・春さんが大好きって・・・気持ちだけ・・・。それだけしかない・・・) ベランダから・・・陽春の店の屋根を見つめる水里・・・ 自分の無力さを感じずにはいられなかった・・・。 「・・・。春さん、こんにちは!」 「水里さん・・・」 空がオレンジ色に染まった頃。水里は陽春の病室を訪ねた・・・。 「・・・。春さん・・・」 陽春の顔が曇っている・・・。退院に不安をまだ募らせているのだろうか・・・。 「・・・」 水里は声をかける言葉が浮ばず、しばらく二人の間に沈黙が流れる・・・。 (私は何もできない・・・?春さんを励ます言葉さえ知らないの・・・? 私は・・・私は・・・) 無力感が水里の体の中に湧き上がり・・・ 「・・・水里さん・・・?」 「・・・悔しいです。私・・・。自分がどうしたらいいのか、 何が出来るのか見つけられない自分が・・・。悔しいです・・・」 三つ編みに・・・ ポタポタと落ちる小さな雫・・・。 自分のために流される小さな雫が・・・ とても澄んだ涙に見えた・・・。 「・・・。水里さん・・・。夕焼け、見にいきませんか・・・?屋上まで・・・」 「え?でも・・・。春さん・・・」 「・・・。自分の力を・・・。試したいんです・・・。階段で一人で屋上まで 行けたら・・・。僕は”大丈夫”だ・・・って・・・」 「春さん・・・」 「・・・僕が倒れそうになったら少しだけ・・・。少しだけ。貴方の手を 貸してくれませんか・・・?お願い・・・できますか?」 陽春は水里の手にそっと触れ微笑む・・・ 水里はごしごしとジージャンの袖口で涙を拭いた。 「はい!うわっかりました!私、見かけはちっこいですが 腕力はありまくってますからご安心ください!」 陽春の前向きな言葉に・・・ 水里の体に不思議な力が沸いた・・・。 (春さんが倒れたって私・・・絶対平気・・・。平気・・・!) 「・・・ハァハァ・・・」 屋上に繋がる階段を陽春は息を荒くして・・・上がっていく・・・。 手すりにつかまり一段・・・一段・・・ 上を見上げると、まだクラッと眩暈に似た立ちくらみがおきて 何度も立ち止まる・・・ 「・・・春さん、無理しないで・・・。大丈夫ですか・・・?」 陽春の後ろから水里が駆け寄る。 「慌てないで・・・。ゆっくり・・・」 水里は陽春の腕を肩にまわし、立ち上がらせる・・・。 「水里さん・・・」 「・・・春さんが倒れても私は倒れませんから。なんてったって でかいタライ背負える私の肩です。ふふ・・・」 「・・・水里さん・・・。すみません・・・」 「謝らないで・・・。春さんが元気になった時・・・いつか おんぶしてもらいますから。だから・・・。一緒に、一緒に 屋上まで・・・がんばりましょう!さ・・・。一段ずつ・・・」 「水里さん・・・」 小さな背中が力強く・・・ 「一段ずつ・・・。ゆっくり・・・。ゆっくり・・・」 同時に右足を上げて・・・ 一段 一段・・・一緒に登っていく・・・ 一緒に・・・ 焦らず 迷わず 確かに・・・ 水里と陽春は手を力強く手を握り合って・・・ (・・・この手は・・・信じられる) 水里から伝わる温もりは陽春の中の力ごと 包んで・・・ 屋上に繋がるドア・・・ 「もう少し・・・。あと少し・・・」 「・・・ハァ・・・フゥ・・・」 水里と陽春は最後の段に足をかける・・・ そして・・・ ガチャ・・・ 水里がドアノブに手を伸ばし扉を開けた・・・ 「・・・着いた・・・」 フェンスの向こうに・・・ 空が・・・ ただオレンジ色に・・・ 広がって・・・ ただ・・・ 広がっていた・・・。 ・・・二人を待っていたかのように・・・。 水里は陽春をベンチに腰掛けさせ、隣に座った・・・ 「・・・。お疲れ様でした・・・。春さん」 「ありがとう・・・。貴方が一緒だったから登って・・・こられた・・・」 水里は首を横に振る・・・ 「いい・・・。夕陽ですね・・・。とても・・・。 とても・・・。心が震えるくらい・・・。綺麗です・・・」 「・・・」 夕陽を浴びる陽春の横顔・・・ (・・・。春さんは・・・ここにいる・・・。 生きて・・・ここに・・・) そして同じ景色を見ている・・・ ただそれだけが・・・ それだけで・・・ (・・・私は・・・私は・・・) 「・・・水里さん・・・」 「す・・・。すいません。な、なんか最近泣き上戸になっちゃって・・・」 水里の鼻の頭も赤く染まって・・・。 「・・・。春さん・・・私・・・。春さんの辛さや苦しさは・・・わからないかもしれない・・・。 ただ分かるのは・・・。わかるのは・・・」 目の前にいる 陽春の手をとる水里・・・ 「春さんが生きてくれてるだけで私は・・・。生きててくれるだけで・・・。 今、生きてることが嬉しい・・・」 「水里さん・・・」 「・・・もう大好きな人の手が・・・。手が・・・冷たくなるのは嫌だから・・・。 怖いから・・・。もう・・・。もう・・・嫌だ・・・」 水里俯いて・・・肩を震わせて 声を詰まらせて・・・ 水里は伝える・・・。 今の・・・想いを・・・ 「春さんが・・・生きていてくれたらそれでいい・・・。それが・・・大切・・・。 何より何より何より・・・大切・・・」 生きているだけでいい 本当に 本当に 生きていてくれるだけで・・・ それ以上の真実はないから・・・。 「春さんが生きてることが嬉しい人間がいることだけ・・・。忘れないでください それだけ・・・は忘れないで・・・」 「・・・」 小さな背中 だけど自分を肩を支え、階段をあがったこの肩は何より・・・ 尊くて・・・。 愛しくて・・・ (・・・抱きしめたい・・・) 陽春の右手が・・・ 水里の肩を包もうとするが・・・ (・・・) 陽春はその右手を・・・止めた・・・ (・・・今・・・。この肩に甘えては・・・。いけない・・・。 今の僕では・・・) 「・・・水里さん・・・。・・・見ていてくれますか?」 「え・・・?」 涙をこんもりと瞳にためた水里が顔を上げた・・・ 「・・・正直・・・。不安だらけです・・・。病院の外の環境が・・・。今の”僕”が・・・受け入れてくれるかどうか・・・。 僕が受け止められるか・・・。でも・・・」 「・・・でも・・・?」 「・・・貴方が見ていてくれる思えば・・・。力が・・・沸いてくるから・・・」 陽春はパジャマの袖口で水里の涙をそっと 拭う・・・。 「わかりました。瞬きしないで見てます。絶対見てます」 水里は指で目を見開いて力説・・・ 陽春はくすっと微笑んで・・・ 「ふふ・・・。そんなに見ないでください。僕の方が貴方から目が離せなくなる・・・」 「・・・」 水里は頬を染めて俯く・・・ 「・・・三つ編みに・・・触れてもいいですか?」 「え・・・!?」 「どうしてだかわからないけど・・・安心・・・できるから・・・」 「こ、こここんなもんでよろしかったら・・・っどうぞっ」 真っ赤になって火照った顔をパタパタと手で仰ぐ水里・・・ 「じゃあ失礼します・・・」 ふわっと・・・ 片方の三つ編みを手にする陽春・・・ 「・・・”前”の僕と今の僕が同じなことが一つだけあるんです・・・。 こうして・・・。貴方の髪に触れると安心できるって・・・」 「・・・。私も安心・・・します」 くすぐったいような あったかいようで・・・ 「・・・もう少し・・・。こうしていてください・・・」 「はい」 誰かを支える・・・ということは簡単じゃない。 でも・・・ 些細なことが とても・・・ 誰かの心に前向きさを与える力を持っているのかもしれない・・・。 (・・・春さんの側にいる・・・。何があっても・・・)
デッサン第2部 目次

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