デッサン
第17 話 父が残したもの


自分のすきなこと。


なんだろう。


一体なんだろう。


夢中になれることがあるってすばらしい。


とってもしあわせなこと。

つらいことがあっても、


きっとそれが支えになるから・・・。



「マスター。雑誌、私も見ました」 「・・・正直、僕はそういうのあんまり好きじゃないんですが。 出版社に勤める友人がどうしてもって言うので・・・」 少し困り顔でカップを拭く陽春。 この間、この店が雑誌に載った。 ”飲むものを癒す不思議なコーヒー” なんてタイトルがつき、女性客は増えたのは良かったものの、 商売根性でこの店をはじめたわけじゃないので 生真面目な陽春は複雑な気持ちである。 「挙句に、もう一度取材させてくれって言ってきたんです。 さすがに断りました。僕はお客さんが じっくりこの店で時間を過ごしていただけたらそれでいい」 「・・・雑誌なんかにのらなくても・・・マスターのいれたコーヒー を飲みたいって人はたくさんいます。一度飲むと”癖”に なるんです・・・。ふふ。私もそのうちの一人ですけど」 アップルパイをにこにこしながらほおばる水里。 「水里さんは本当に幸せそうに食べますね」 「いや、だって。本当においしいからつい 食べることに集中しちゃって・・・。マスター、もうひとつ、 もらっていいですか?」 「ええ。どうぞ」 ”このお店が好きだって言ってくれる人が笑顔ならそれでいい。 私はそれが一番幸せ” 雪の言葉がよぎる。 誰かの笑顔が自分を笑顔にしてくれる・・・。 そんな幸せがとても大切だとこの頃感じる陽春だった・・・。 カランカランッ。 スーツ姿でビシッと決めたキャリアウーマン風の女性が困り顔で 店に入ってきた。 「なんだ。美佐子か」 陽春が出した水を一気に飲み干す。 「なんだはないでしょー!あんたが取材のOKだしてくれなくて 企画なくなっちゃたじゃないの。もう!コーヒー頂戴!」 「はいはい」 何か苛立っているよう。口調からしてたぶん陽春の知り合いらしいが・・・。 「はー。うちの出版社危ないのよ。ここのところ部数もおちてるし。 ね、陽春、あんた、写真集出す気ない?きっとうれるわよー」 「冗談はいいから・・・。はいこれ飲んで落ち着いて」 陽春の出したコーヒーをがぶがぶと女性は飲み干した。 「・・・。確かに落ち着くわね。あーあ・・・もう。どうしよう〜!!」 一人、騒がしい女性に水里はちょっと驚いていた。 「あ、水里さん、紹介しますね。さっき話してた僕の友人で『翠出版』の 安部美佐子です。美佐子、こちらうちの常連さんです」 「こ、こんにちは・・・」 初対面の人間はまだ少し緊張気味になる水里。 美佐子も軽く会釈した。 「ねぇ。常連さんなら、貴方からも陽春に写真集だして〜って頼んでくれませんか? モーホント、ジョークじゃなくて」 「こら。愚痴なら他所で言ってくれ。水里さん、気にしないでください。」 「・・・は、はぁ・・・(汗)」 かなり”仕切り屋”タイプの美佐子。 強引そうな感じで どちらかというと、水里の苦手なタイプ。 「あー。あの人さえ生きていてくれたら・・・。きっとうちの社は救われる のに!」 「あの人?」 「そう。今話題の”平成の山下清”カリスマ画家『野山ミズキ』よ!」 (・・・!) 水里の心臓がドキッとした。 何故だか目が泳ぐ。 「今、彼の画集を出版すればきっと100万部は固いっていわれてるのよね。 でももうその彼は生きていないし・・・。それに残ってる作品っていうのが 少ないのよ。残ってる作品もどこかの病院とか施設に無償で寄贈されたものばかりだし・・・。 もうどこの出版社もやっきになってるわ」 「・・・”カリスマ”ねぇ。何だかそういう持て囃された物言いは好きじゃないな」 「・・・。陽春。きっと『野山ミズキ』タイプだわね。出世や地位名誉に こだわらない平和主義者って・・・」 「平和主義者ではないけど、平和なことはいいことだろ?」 なんだか話に入っていけない水里。 「あーあ。どこかに彼の作品落ちてないかなー!」 ガタンッ。 緊張した顔の水里がとつぜん席を立った。 「水里さん・・・?」 「あ、あのマスター。私、用思い出したから行きます。ごちそうさまでした!」 水里はカウンターに代金を置いて、 まるで何かから逃れるように急いで店を出て行った・・・。 「・・・?どーかしたの?彼女?」 「・・・さぁ・・・」 青ざめた水里の顔が陽春は気になったが・・・。 「・・・野山ミズキの話になったとたん、顔色変えてたけど・・・。 ・・・ねぇ。陽春の苗字なんていうの?」 「山野だけど・・・それがどうかしたのか?」 「・・・ううん。なんでもない。それより、コーヒーお代わり」 「・・・はいはい(ため息)」 呆れ顔でカップに注ぐ陽春。 美佐子は何気なく店に飾ってる水里の絵に注目した。 「ねぇ。あの絵は誰がかいたの・・・?」 「ああ。あれは水里さんが描いたんだ。どうだい? 上手だろう・・・?中央公園の風景画なんだけど・・・」 ベリッ・・・。 美佐子は水里の絵を手にとってくいいるように見た。 「・・・どうしたんだ。美佐子。水里さんの絵がどうかしたのか?」 「・・・陽春。あんた、もしかしたら本当に”わが社の招き猫”かもしれないわ! ふふ!!」 まるで天からお金でも降ってきたように 喜ぶ美佐子。 陽春はその理由が分からず、ただ、首を傾げていたのだった・・・。 「ありがとうございました」 ガチャン。 レジにおつりをしまう水里。 「ふう・・・」 小さな町の小さな画材屋。 そうそう売り上げなど芳しくない。 まぁ。水里一人生活していく分には問題ないが・・・。 (店の維持費とかもあるしなぁ。うーん。何か考えないと・・・) 水里がため息をついていると。 カラン。 紫のスーツを着た女性が。香水の匂い。 美佐子だ。 「こんにちは。山野さん」 「あ、こ、こんにちは」 「山野さんはこのお店、お一人でやっていらっしゃるの?」 「え、ええまぁ・・・(汗)」 美佐子は店の中をじろじろ眺めながら話す。 「・・・。ねぇ。山野さん。貴方、”野山ミズキ”って画家 知ってる?」 「え?」 水里は美佐子から視線を外した。 「・・・ああ、今話題の・・・。そ、その人がどうかしたんですか?」 「・・・彼は大の写真嫌いでプロフィールを知ってる人 ほんの一握りなんだって」 「そ、そうなんですか」 水里は美佐子の話から逃れるようにレジを離れ、売り物のキャンバスや筆の 整理をする。 「陽春の店に飾ってあった貴方の書いた絵、見せてもらった。 すごく上手ね」 「・・・あ、ありがとうございます」 美佐子は煙草に火をつけふうっと煙を吐いた。 「この店は禁煙?」 「・・・できれば外でお願いします」 「わかったわ。今、私、貴方に嫌われたくないし」 美佐子は床にぽいっと吸殻を捨て、ハイヒールの踵で消した。 「貴方の絵、さっきいった野山ミズキのタッチとそっくりだって・・・。 私の知人に見せたら画家が言ってた。素人じゃ分からないかもしれないけど」 「何が・・・言いたんですか?」 「・・・彼について分かっていることがただ一つあるの。彼には娘がいた。 たった一人の肉親が・・・」 ガタタタン!! 高いところのキャンバスが水里の頭の上に降った。 キャンバスを拾い、美佐子はしゃがみ、水里をするどく 見つめた・・・。 「・・・。山野水里。野山ミズキ・・・。名前も似てる。貴方、野山ミズキの娘さんね?」 「・・・」 水里は無言で立ち上がり、キャンバスを棚へと戻す。 「・・・。どうして隠すの?別に隠すことじゃ」 「・・・」 水里は俯く。 「ねぇ。貴方、お父さんの作品、持ってるわよね?ううん。持っているはず。愛娘に 残してないはずないわ。ねぇ、お願い、それ、是非うちで出版させてくれないかな」 「・・・知りません。そんなの・・・」 「 ねぇ。お願い。社運がかかってるのよ!」 水里の肩をつかむ美佐子。 「知らないっていってるでしょう!帰ってください!!」 怒鳴る水里に美佐子は掴んだ手を思わず放した。 「どうしてそんなに怒るわけ・・・?貴方だってその方が儲かる・・・」 ”儲かる”の一言に水里は不快感がピークに達した。 「帰ってください!!父さんの絵はお金じゃない!!帰ってください!!」 「ちょ・・・」 バタン!! 水里は美佐子を店から追い出した。 「私、諦めないわよ!!又来るから!!」 ブロロロロ・・・!! 美佐子の赤いポルシェが走り去る。 そのエンジンの音が水里の耳に響いていた・・・。 (・・・父さん) 店を閉店後。 夜・・・。 水色堂の三角屋根。 丸い小窓がある。 天井の正方形の部分の取っ手を長い金具で ひっかけてひっぱる キィ・・・。 細いい階段が出てきて登るとそこは・・・。 畳3畳ぶんほどの広さの屋根裏・・・。 テントのランプをつけるとそこには沢山のキャンバスたちが 眠っていた・・・。 そう。 水里の父・山野水紀が描いた絵たちだ。 父がなくなった後・・・。水里が屋根裏に全て保存したのだ。 絵が乾燥しないよう温度も気を配り・・・。 (父さん・・・) 水里は一枚の絵を手に取る。 その絵は一人の幼い少女が川面に足を浸している絵・・・。 幼い時の水里を描いた絵だった。 (父さん・・・。また・・・。父さんの絵を金儲けに使いたいって 人が来たんだ・・・) 水里が16の時、父の水紀は持病の喘息が悪化し50の若さでこの世を去った。 水紀がなくなってすぐのことだ。 水紀の絵を全て買い取って画廊を開きたいだとか、 美佐子のように 画集にして出版したいなど、父が亡くなって間もない頃、 水里の元に商売を持ちかけてきた連中が たくさんいたのだ。 父を失くした悲しみ暮れる少女に・・・。 嫌だった。人間の一番嫌な部分を見せ付けられた気がした。 優しい笑顔の父が描いた絵をどうして 札束にできようか。 他人の欲の肥やしにできようか。 (・・・渡したくない。絶対に!) 水里は父の絵を商売に使おうとする連中全てにこういった。 ”父の絵はもうありません。全て燃やしました” と・・・。 だか、本当は父が自分に残した絵やスケッチ、全てをこの屋根裏に 保存し、封印した。 誰の目にも触れさせまい。 そう思っていたのに。 つい最近、父の絵がある雑誌に取り上げられ、”野山ミズキ”の人気が再燃しはじめた。 雑誌には、『平成の山下清』などと持てはやされ、 一体彼はどんな人物だったのか。 どんな人生だったのか。 知られていない人物像を探る・・・そんな内容だった。 ”絵を商売道具にはしたくない” それがポリシーなのか水紀はその世界にも通用する才能を持ちながらも 個展などはあまり開かなかった。 開いたとしてもそれは”チャリティ”などだった。 自分の個展で得たお金を全て寄付していた。 画材店を営みながら細々と描きたいものを描く・・・そんな生活を 理想としていたからだ。 『水里・・・。絵でもなんでも・・・自分の好きなことを職業にできることは とても幸せなことだ。だが、それにおぼれてはいけない。”大好き”って 気持ちが大切なのだから・・・』 そう、父は言っていた。いつもそう言っていた。 とても優しい声だった。 ”お父さんは女の人みたいに優しいかおだね” 女顔の父は水里がそういうと ”それはオレのコンプレックスなのさ。でも娘に誉められたら自分の顔が 好きになったよ” と言って、背の高い父は肩車してくれた・・・。 多分、自分は父に育てられたせいかファザコンなのかもしれない。 でもなんていわれても、この 数々の父が描いた絵だけはお金で汚されたくない・・・。 一つ一つに思い出があるから・・・。 小窓をそっと明け、星空を見上げる水里。 (・・・守るから・・・。父さん・・・絵・・・。ううん。”心”を・・・) 水里は改めてそう誓ったのだった・・・。 各地を転々とリュック一つで20年間放浪して歩いたという。 だが、彼の素顔、詳細なプロフィール誰も知らない。 ”最初見た時、女性の方かと思った” 彼がよく泊まっていたという民宿の主人が言う。 20歳の若さで、国際的なコンクールで賞賛を受け、 それをきっかけに彼の絵はたちまち人々の間に広まった。 神経衰弱しそうなほどに細かな描写だが絵全体は実に生き生きした 世界が広がる。 しかし彼は自己表現のための絵を嫌い、 放浪のたびの目的の一つは絵を描く楽しみを たくさんの人に知ってもらいということだった。 それで彼は各地の病院や福祉施設にたびたび訪問し、 病気で心を病む人たちや様々な問題を抱える子供達に 絵を書く楽しみを伝え、旅を続けていた。 何か辛いものを抱えている人間が彼の絵を見ると 心癒されると病院や福祉施設で広まり始め、 ”彼の絵には愛という神様が降りる” いつしか彼の絵はそう呼ばれるようになった・・・。 ”今、心病める現代人に密かなブームのカリスマ画家 野山みずきの秘密に迫る!” 様々なアーティストを紹介する総合雑誌『グリーン』 年間部数