デッサン
第18 話 白い雲とクマのクッキー


水里の店の前に赤のポルシェが止まる。


美佐子の車だ。


父、水紀の絵を画集として出版したいとしつこく水里に言い寄っているのだ。



「ねぇ。お願い。お父さんの絵、全部とは言わないの。
ほんの一部でいいから・・・。ね、少しでいいから考えてみてよ」



新しく仕入れた絵の具や筆に値段をつけていく水里。


周りをうろつく美佐子を完全に無視している。



「あなただって、印税の一部は入るのよ。生活だって楽に・・・」



キッと美佐子を睨む水里。


「・・・な、何よ(汗)」


「お金は間に合ってます。女一人、なんとか細々と暮らしてますから。
はっきり言って営業の邪魔です。帰ってください」


中学生のような外見からは意外な強気の水里に美佐子も一瞬怯むが。




「社運がかかってるっての!30女を舐めないで!!
私はね!!一度編集するってきめたものは何が何でも
編集しなきゃ気がすまないんだから。じゃあ、また明日くるから!」



バタン!

ハイヒールをコツコツ鳴らし帰っていった。



相手もなかなかのツワモノ。



水里とて負けて入られない。


(24歳、童顔女をなめんなよ!!)


と気合をいれる。




父を想う子の心はやはり強いものだ。

何度、いや、何時間店に、美佐子が居座ろうが水里は一向に耳を傾けず
済ました顔で店の営む。


さすがの美佐子もしびれをきらせてきた。



「あーー!!もう、あの童顔女。意地っ張りっていうか
強情っていうか!!こっちが仕手でにでてれば・・・」


陽春の店でコーヒー3倍目をごくごくと飲み干す美佐子。


「荒れてるな。一体何があったんだ」


「え?ああ、あの水里って女の事よ。父親の絵を
出版させてくれって美味しい話を持ちかけてるのに一向に
耳を貸さなくて・・・」


何の事情も知らない陽春は顔色を変えた。


「おい・・・それはどういうことなんだ?」



「あれ?何よ。陽春、アンタ知らなかったの?あの子、今話題の

野山ミズキの娘なのよ」


「・・・!」



水里の意外な事実に陽春はただ、驚いた。





「あんたの店に飾ってあったあの絵、見てピーンと来たのよ。
知り合いの画家に見せたら”これ、野山ミズキの絵じゃないのか”って
間違えたくらい、タッチが似てたの」



美佐子は、爪に息をふきかけ、赤いマニキュアを塗りなおしながら話す。


(・・・!そうよ!)



「・・・!何も”野山ミズキ”じゃなくてもいいんだわ!
彼女自身でもいいのよ!『野山ミズキの愛娘が描く父の世界』そんな
タイトルで彼女に描いてもらえばいいんだわ!」



バン!


陽春がカウンターを拳で激しく叩いた。


険しい表情に美佐子は少し怯む。




「な、何よ。なんであんたが怒ってるの」




「やめておけ。美佐子。水里さんにこれ以上無理を言うな」



「無理?どうして無理なのよ。彼女、父親譲りの才能あるわ。彼女にとってもいいチャンスじゃない」



「お前にとっての”チャンス”だろ。とにかくこれ以上彼女に関わるな。それと
もう店には来ないでくれ」



飲みかけのコーヒーを取り上げ、陽春は美佐子に背を向けた。



高校の時からの付き合いだが、
穏やかな陽春のこんな怒りに満ちた顔を見たのは初めてだ。



「陽春・・・。あんた・・・。変わったわね」



「・・・?」



「雪さんが亡くなってから、何となくあんたから”覇気”が
なくなったように感じてたけど・・・」


「・・・」



「ま、いいわ。でも私、だってもう後には引けないのよ。
企画書書いたの。金儲け根性だけで言ってるんじゃないの。
水里さんの才能を信じてるだけ。じゃあね。コーヒーごちそうさま」




チャリン・・・。


カウンターの上に。100円玉4つ放り投げて

颯爽と店を出て行った。


「・・・」




”水里さんの才能を埋もらせたくないだけ・・・”



美佐子の言葉が引っかかったが・・・。


(・・・オレが水里さんに美佐子を紹介したばっかりにこんなことに・・・)


そんな思いで陽春は水里の家に電話をかけた。



「本当に申し訳ない。水里さん」


「・・・そんな。ま、マスター。あ、謝らないでくださいッ」


陽春の礼儀正しい謝罪の言葉に水里は思わず受話器を持って
正座した。



「だけど、僕が美佐子に水里さんを紹介したせいでこんな・・・。
美佐子にはもう水里さんの店には行くなと釘さしておきました・・・」


「・・・。ついさっき、美佐子さん来ていかれました」



「えッ。ったく・・・アイツめ・・やはりまだ諦めていなかったのか。すみません
水里さん、アイツの言うことは全部無視してください」


”私、諦めないから”


美佐子の執念もすごいと陽春は思った。



「・・・。あの。マスター。美佐子さんともしけんかしたのなら仲直りしてください」


「え?水里さんがそんなこと心配することは・・・」



「父の絵のことはやっぱり譲れません・・・。でも美佐子さんとマスターが
父の絵のことでケンカしてるならなんか辛いし・・・」



「水里さん・・・」


「・・・。私も在る意味意固地になってたのかもしれない。
父の絵を誰にも見せたくない・・・って。美佐子さんの話をじっくり聴いた上でお断り
してもよかったんですよね。美佐子さん、強引だけど悪い人じゃない気がするから・・・」


父の絵を誰にも渡したくなかった。


父と自分の思い出に誰も入れたくなかった・・・。


だが、意地になっても相手には自分の真意は
伝わらない。


「・・・今度、美佐子さんが来たら、父の絵を見てもらおうと思います」


「でもそんなことをしたら・・・」


「父の絵を見てもらって・・・。父がどんな気持ちで絵を書き続けていたのか
話すつもりです。分かってもらえるかわからないけど・・・」


ピー。


台所でやかんが湯気を出し沸騰している。


「あ、すいません。
マスター、私、お湯わかしてるんで・・・。本当にマスターは気に
なさらないでください。じゃあおやすみなさい」


「あ、はい、おやすみなさい・・・」



P・・・。




受話器を置く、陽春・・・。



水里は美佐子を自分で説得するといっているけれど・・・。



”あたしは諦めないわよ。負けず嫌いなの、陽春あんたが一番
知ってるわよね”



「・・・」



陽春は二階の机の引き出しから名刺をとりだし、

それに記される番号をおした。



「もしもし・・・。美佐子か?今度の日曜日・・・。
中央公園に来てくれ。必ず・・・!」








花時計の前。 季節の花が時を刻む。 ”今度の日曜、中央公園の花時計の前で待っててくれ” 陽春からそう言われ、待っている美佐子。 「もう!数少ない休日にナンなのよ!!」 花時計があるのに高そうな腕時計をイライラしながら見ていた。 (それにしても・・・。休日の公園って・・・) 弁当を持った家族連れ、犬を散歩させるお年寄り・・・。 どこを見ても時間の流れが ゆっくりで・・・。 (ゆっくりすぎてかえって落ち着かないわ・・・) 毎日が秒刻みで仕事に追われ。 時間の感覚が麻痺しているのかもしれない・・・。 「ん?あれは・・・」 ベンチの横に一人。 小さなパイプ椅子に座り、スケッチブックを 広げる人間がいる。 (水里さんじゃないの。どうして・・・) そういれば。風の噂でこの公園に時々、 注文した絵を限りなく緻密に描く似顔絵屋が現れる と聞いたことがある。 (・・・そうか。彼女のことだったのね。ふふ。 これも使えそうだわ・・・キャプションがまた増えて) 水里の元へ近づこうと美佐子は歩き出すが 「!?」 陽春が手を掴んで止めた。 「ここで見ていろ」 「え?何言ってるの。私は彼女に・・・」 「いいから・・・!!」 真剣な陽春の眼差しに美佐子は仕方なく足を止めた。 「・・・。お前が忘れかけていることを・・・。見ていろ・・・」 「・・・わかったわよ。でも5分だけよ!」 腕時計をじっと見た。 いつのまにか見る癖がつくようになって・・・。 美佐子は水里に視線をやった。 少女が水里ににこにこしながら 駆け寄ってきた。 「おえかきのおねえちゃん、こんにちは!」 「あ、君はこの間の・・・」 少女が着ている赤いジャンパー。 もそもそ動いていると思ったら・・・。 「あ!」 ワン! なんともまぁくりくりな瞳の柴犬が顔を出す。 「ワンちゃん、見つかったんだね!」 「うん!おねえちゃんが描いてくれたチビ太の絵 を張り紙にしたんだ。そしたら近所の人から電話があって・・・」 「よかったね・・・!!」 「お姉ちゃんのおかけだよ!ありがとう!」 少女は水里に子犬をだっこさせた。 「きゃはは。くすぐったい」 子犬は水里の顔をぺろぺろなめる。 「あのね。それではい。これ」 少女はもじもじしながらジャンパーのポケットからある物を取り出し、 水里の手渡した 甘い、いい香りがする・・・。 焼きたてのクッキーだった。 「チビ太の絵のお金・・・まだだったから・・・。ごめんなさい。今月、 おこづかいつかっちゃったの・・・」 まだあったかい・・・。 きっと作った後すぐに 自分に持ってきてくれたんだ・・・。 そう感じる水里・・・。 「・・・。ふふ・・・。ううん。お金よりこっちの方が断然好き。 私、クッキー大好きだから!」 「本当に?よかったぁ!あ、もうすぐママ帰ってくる。じゃあね! お姉ちゃん!」 「うん。じゃあね!バイバイ・・・!!」 少女はいつまでも水里に手を振って 走って帰っていった・・・。 ほかほか。 水里の手には甘いにおいのクッキーが・・・。 「うーん・・・いい匂い♪いっただきまーす!」 なんとも美味しそうに食べる水里・・・。 お金より。この”代金”の方が断然素敵。 あの子の気持ちが入ってるクッキーの方が・・・。 その様子を。 花時計の前で見ていた陽春と美佐子。 「”あれ”が私が忘れているもの。なの・・・?」 「ああ。そうさ。金には変えられない何か・・・。あれが水里さん が大切にしているものなんだよ」 ”お金には変えられないもの” 月並みな言葉だけど、本当に存在する。 奇麗事だと言われても それが何より大切だと 人の心に必ず存在する・・・。 「・・・ふっ。相変わらず理想主義ね。ま、あんたからそれを とったらただの優しいお軽い男だけど・・・」 「なんとでも言え。とにかく。彼女のことは諦めろ。いいな」 「嫌よ。言ったでしょ。私は負けず嫌いだって・・・」 「美佐子!!いい加減に・・・」 美佐子は陽春に振り返り、くすっとわらった。 「ふふ・・・。ま、今はあんたの理想主義に付き合ってあげる・・・。 でも期が熟したらまた・・・。彼女にトライするわよ」 「ったくお前ってやつは・・・」 諦めのため息をつく陽春。 「はーあ・・・なんかここの公園ののんびりモードに私もそまっちゃったみたい」 両手を挙げて背伸びする美佐子。 赤いヒールの踵が持ち上がる。 美味しい空気・・・。 こうして深呼吸することさえ忘れていた・・・。 「人間。急ぎすぎは体によくないわね。たまには スローでいかないと・・・」 「・・・だがお前は止まらないんだろう。根っから・・・」 「ふふ。『仕切り屋おみさ』は健在よ」 高校生の時。 男子からも教師からも一目置かれていた美佐子。 生徒会長を二年務めあげ、『仕切りやおみさ』なんて 異名までついていた。 「ふう。さてと。もう行かなくちゃ。午後から 出勤なの」 「美佐子・・・」 「彼女に言っておいて。今は引き上げるけれど・・・。 貴方がお父さんの年になった頃、また来るって。じゃあね!」 白のスーツが翻る。 高校生だった美佐子。 廊下を決して振り替えらず歩いた。 背筋を伸ばして・・・。 「・・・変わってないのはお前の方だろ。ふふ・・・」 赤いヒールの音。 早歩きだったけれど今日から少しだけ 遅くしてみよう。 きっと少し違った景色が見えてくるかもしれないから・・・。 「・・・あ!マスター!!」 陽春の姿に気がついた水里。 「水里さん。こんにちは」 「こ、こんにちは!マスター、お散歩ですか?」 「ええ。この陽気に誘われて・・・。あ、隣すわってもいいですか?」 「あ、はい、ど、どうぞッ」 水里はあわてて絵の道具をどかし、ベンチのスペースをあけた。 ベンチに二人、並んで座る。 ちょっと緊張する水里。 甘い、いいかおりが二人を包む。 「・・・そのクッキー・・・」 「あ、マスターも食べますか?」 「え、いいんですか?」 「どうぞ!とっても美味しいですよ!」 水里から受け取ったクッキー。 クマやゾウの形をしている。 サク・・・。 一口食べる・・・。 「本当だ・・・!いけますね!」 「でしょう!?似顔絵を描いてあげた女の子にもらったんです。 おこずかいがないからこれでって・・・。私、正直、こっちの方が好きです。 ちょうどおなかもへっていたし(笑)」 「ふふ・・・素敵な”代金”ですね。僕もこっちの方がいいな」 「はい。こっちの方が断然・・・嬉しい・・・」 ちょっと不恰好だけど・・・。 あったかくておいしい。 女の子の笑顔の味がする・・・。 「フウ・・・。気持ちいい空だなぁ・・・」 「そうですね・・・」 水里と陽春、二人で空を眺める。 ゆっくりとした穏やかな時間・・・。 「あ・・・!あの雲・・・似てませんか?」 「ふふッ・・・。本当だ・・・」 水里が指差す空には・・・。 クマ形クッキーと同じ形の雲が・・・。 「でもあっちは”しろくま”ですね。マスター」 「ふふふ。食べられないけど、綿菓子みたいで美味しそうだ・・・」 あれはコーヒーカップ、 あっちの雲は・・・。 のんびりとした時間は。 普段何気ない風景を楽しいものに変えてくれる。 空のキャンバスに。 手にはクマのクッキー。 どちらも”金には変えられないもの” だから・・・。 ゆっくり行こう・・・。 大切なものを忘れず、見失わず・・・。 自分らしさを忘れないで・・・。