デッサン>scene22 憎しみの雪
どれだけ。 どれだけ時間がたっても なくならない。大切なものを失った痛みも耐えられないが・・・。 憎しみはもっと耐えられない。 アイツの顔だけは。 アイツのことだけは許せない。 アイツの顔を見ただけで。 自分でも恐ろしいほどの憎悪が沸いて、沸いて沸いて・・・。 大切なものを奪い去ったアイツ・・・。 この憎しみをどこへやればいい。 誰にぶつければいい・・・。 誰か・・・。 教えてくれ・・・。※ピンクのチューリップ。 季節はずれだけど・・・。毎月持って行く・・・。 雪が大好きな・・・。 お寺へ続く長い階段。 ピンクのチューリップの花束を持って陽春が歩く。 『飯野家之墓』 お墓には似つかわしくないかもしれないが花活けにそっとそえる。 「ふふ。雪。ごめん。花屋にあんまり残ってなくて・・・」 毎月一度はこうして雪の墓に来る陽春。 3年間、かかしたことはない。 何も話さず、ピンクのチューリップを贈りに来るのだ・・・。 3年。 長いのか短いのか・・・。 雪を失くした痛みが薄れてくることはない が自分はいきていかなければ・・・。 そう奮い立たせることはできる・・・。 「雪・・・。オレ・・・頑張るから・・・。あの店を必要としてくれる人 がいる限り・・・」 ふっと水里のことがよぎった・・・。 少し、陽春の顔がほころぶ・・・。 「じゃ。来月またく・・・」 人の気配を感じ、立ち上がる陽春。 陽春の顔色が変わった。 強張る。 体が・・・。 「あ、貴方は・・・」 薄暗いグレーのジャケットを着た初老の男。 「・・・藤原さん・・・。お久しぶりです・・・」 深々と陽春に頭を下げる男・・・。 「・・・田辺・・・さん・・・」 ”たなべ” 世の中で一番よびたくない名前だ。 雪の命を奪った・・・ 男の苗字だから・・・。 そして。目の前の男は。 雪の命を奪った男の父親だから・・・ 「・・・。ここに・・・何の御用ですか・・・」 「・・・。お詫びを・・・雪さんにしたくて・・・」 「お詫び・・・?申し訳ないが・・・。貴方に雪の墓に見舞って欲しくはない・・・。 貴方に・・・!」 がばッ。 初老の男はとつぜん、砂利道に頭をこすりつけ、土下座した。 「やめてください・・・。」 「・・・すみません・・・すみません・・・。本当にすみません・・・ううッ・・・」 何度みただろうか。 雪の命を奪った男の父親が。 自分にこうして頭を下げる・・・。 弱弱しい声で。 肩を震わせ・・・。 見飽きた。 誠意を伝えたいのだろうが・・・。尚更・・・怒りがこみ上げてくる・・・。 「・・・頭を上げてください・・・」 陽春は男をそっと立たせた・・・。 「・・・。田辺さん。なぜあなたがあやまるのですか」 「え・・・?」 「3年もたつのに・・・。雪をひいいた、雪の命を奪った息子さんは どうして、ここに来ないんだッ!!!!」 「そ、それは・・・ッ」 「真っ先にここにこなければならないのは父親の貴方じゃない・・・!! 息子さんでしょう!!違いますか!!!!!!!!」 「・・・」 静寂の墓地に・・・。 陽春の怒涛の声が響く・・・。 「・・・どれだけ父親が土下座しても。意味がない・・・。意味がないんだ・・・」 「すみません・・・すみません・・・。うう・・・すみません・・・」 父親は再び、ひたすら、陽春に頭を下げる。 何度も何度も・・・。 肩を震わせ・・・。 「・・・。土下座するくらいなら・・・。雪を返してくださいよ・・・。 生き返らせてくれ・・・」 力が抜けていく・・・。 謝られれば謝られるほど・・・。 無力感と怒りと憎しみと・・・。 ごちゃまぜになって・・・。 「藤原さん・・・」 糸がほつれたたこのように・・・。 陽春は墓地から立ち去った・・・。 苦しい。 ようやく少し・・・。 忘れかけていたのに・・・。 憎しみと、怒りと・・・。 それを押さえる自分と・・・。 苦しい・・・。 パッパー! 「!」 車のクラクションにハッとする陽春・・・。 「馬鹿やろう!!ひかれてぇのか!!」 トラック運転手の罵声も 上の空・・・。 蘇る・・・。 雪が引かれたあの一瞬。 キキキキー・・・!!!! 赤いバイクが・・・。 雪の細い体を突き飛ばし・・・。 雪は・・・。 5メートル。 空を 飛んだ・・・。 紙切れのように・・・。 店のすぐ近くだった・・・。 陽春は、気がつくとその場所に立っていた。 白いレールの下に、花瓶に入った菊の花。 きっと・・・。 田辺の父親がいけているのだろう・・・。 バシャッ!!!! 「・・・」 陽春は菊の花を地面に投げつけた。 「こんなもの・・・っ。くそ・・・」 飛び散った黄色の菊の花びら・・・。 今にも破裂しそうな陽春の 心のよう・・・。 今にも・・・。 しばらく陽春はその場に しゃがみこみ、俯いたままだった・・・。 守れなかった 守りたかった。 (オレは・・・オレは・・・) 行き場のない怒りと自分の無力感で その場から動けない陽春だった・・・。 「〜♪」 鼻歌を歌いながら水里はいつものように陽春の店に行く。 スーパーのくじ引きで 「あれ・・・。真っ暗だ・・・」 看板の電気もついていない。 「マスター・・・?」 カラン・・・。 中に入る。 やはり夕陽の光だけで薄暗く静かだ・・・。 窓際の席に一人・・・ぽつんと座っている陽春の背中が目に 入った・・・。 (・・・背中が・・・尖って・・・痛そう・・・) 水里はただならぬ雰囲気を感じ取った。 背中から。 重く、哀しい 悲鳴をあげているような・・・。 近づけない。 水里は今日は帰ったほうがいいと直感し、帰ろうとしたが・・・。 「・・・待ってください・・・」 (・・・!!) ビクッと肩を反応させる水里。 「・・・ま、マスター・・・。あ、あの・・・」 「・・・。こっちに・・・座ってくれませんか・・・」 「で、でも・・・」 「・・・。お願いです・・・」 陽春の声が震えている・・・。 水里は陽春の異変に不安を感じた。 今にもつぶれそうな声で・・・。 水里は恐る恐る・・・陽春の向かいの席に・・・。 座った・・・。 (・・・マスターの顔・・・。冷たい石・・・みたいだ・・・) 疲れきった顔・・・。 ”マスター。何かあったんですか?” そんな質問するまでもなく・・・。 いやできない。 「・・・。あの・・・」 「・・・。今日・・・。雪の墓に行ったんです・・・」 「・・・」 陽春が自然に話し始めた。 「そしたら・・・。そこに・・・。雪をひいた少年の父親がいたんです・・・」 「・・・!」 「何度も・・・すみませんって土下座されました・・・」 あの優しい陽春の声が強張っている。 「・・・」 水里はどう、態度を示していいのか、 どう反応していいのか 混乱し、目が泳ぐ。 「・・・3年たったのに・・・。肝心の息子は一度も墓参りに来ない・・・。 父親に謝られたって・・・。意味がないのに・・・」 「・・・」 弱弱しい陽春の声・・・。 水里も心も震える・・・。 「・・・。すみません・・・。水里さんに 話すことじゃないのに・・・。すみません・・・」 陽春は前髪を掻きむしって 謝る陽春・・・。 (・・・マスターが・・・苦しんでる・・・) どうしよう・・・。 どうしよう・・・。 水里の心はぐるぐるまわる。 いつも。 自分を元気付けてくれた陽春が・・・。 (私・・・どうしよう。どうすればいい・・・?どうすれば・・・) どうすれば。 ぐるぐる考える。 ぐるぐる・・・。 出てこない。 上手な言葉が出てこない。 どうして。 どうして。 どうしてでてこない・・・。 どうして・・・。 ポタ・・・ 夕陽を浴びるテーブルに一つ粒落ちた。 水里の涙に陽春の方が 驚く。 「・・・マスター。ごめんなさい」 「・・・。何故、水里さんが謝るんです・・・」 「私・・・。マスターが・・・。肩が震えるほど辛そうにしているのに・・・。 何を、どんな、言葉を、どうすればいいか分からなくて・・・。頭のなか 隅々までさがしても浮かばなくて・・・」 「・・・」 「頭の中で自分がどうしゃべっていいか・・・ どうすればいいかぐるぐる考えてました・・・」 目の前で泣いている人がいて。 どうしたらいいのだろう。 一緒に泣いてあげることがいいのだろうか。 ただそばにいてあげればいいのだろうか。 何かその人のためにしたいけど・・・。 その方法がわからない・・・。 「・・・。私は・・・。もしかしたらとても冷たい人間なのかもしれない・・・。 自分の心で手一杯な私は・・・ マスターは、私をいつも元気にしてくれたのに私は・・・。私は・・・」 「・・・そんなことないよ。水里さんは冷たい人間なんかじゃない。 冷たい人間は人の言葉で泣いたりはしないよ・・・」 反対に励まされてしまった。 (私は・・・) 「・・・。ごめんなさい。マスターを元気にする方法が 分からなくてごめんなさい・・・」 テレビドラマや小説のように その場面の感情が決まっている分けじゃない。 ”哀しそう、辛そう” それは分かっても その人のこころに 痛みに 近づいてもいいのか・・・。 「・・・。ごめんなさい・・・」 ”マスターを元気にする方法がわからなくてごめんなさい” 鼻の頭を真っ赤にして、涙ぐむ水里・・・。 その涙が陽春には・・・ 少女の涙のように あどけなく とても澄んで見えた・・・ 「・・・じゃあ聞いていいですか・・・?」 「え・・・」 「水里さんがとても辛い時は・・・。どうしていますか?」 「・・・私が辛い時・・・?」 「はい」 苦しい時。 苦しい時は。 楽しいことを。沢山。 する・・・ 楽しいこと・・・。 こころがやさしくなれること・・・。 ”水里。こころがね。どうしても辛くて苦しい時は こころを子供にもどせばいい” ”こどもに・・・” ”たのしいこと、こころがやさしくなれることを たくさんするんだ” (たのしいこと・・・) 水里の脳裏に幼いときの記憶が蘇る。 父と。 一緒に遊んだ日々を・・・。 「・・・。花を・・・咲かせました」 「花・・・?」 「白い花壇に・・・。とっても楽しかった。 赤や黄色や青の花、一杯咲かせて・・・。夢中になった。 学校とかで嫌なことあっても、少し忘れて、少し・・・元気になれた」 赤や青、黄色、 真っ白な白い花壇に。 心のそのまま。 種にして・・・。 「・・・。じゃあ・・・。僕も教えてもらおうかな」 「えッ」 「・・・。少しでいいから・・・。元気になりたい。 元気をもらいたい・・・」 「マスター・・・」 「・・・元気になって、このお店を頑張りたいんです。 僕にはそれしか・・・ないから・・・」 陽春は静かに店の中を眺めた。 まるで見えない”誰か”を見つめるように。 「・・・わかりました。行きましょう」 「え?花壇なら店の・・・」 「お店の花壇じゃちょっと無理なので・・・」 陽春は首をかしげた。 (白い花壇って一体・・・) 店の横の倉庫。 ガラガラ。 シャッターをあける。 カチッ。 蛍光灯の電気をつけると・・・。 「ここは・・・」 「私の秘密のアトリエ・・・なんて大げさかな。へへ」 車庫だったのだろうか使われないタイヤが積み重ねておいてある。 それより驚いたのは・・・。 夥しい数のスケッチ画・・・。 まるで画用紙の海だ。白い海・・・。 画用紙には水里がかいたと思われる風景画や素描がたくさんだ。 (すごい量だな・・・。普段こんなに描いていたのか・・・) 「散らかってるだけなんだけど・・・。マスター。手伝ってくれませんか」 「え?」 「ちょっと右の端っこ持ってください」 水里は陽春の身長ほどある大きな白い普通の紙を広げる。 そしてコンクリートの地面に広げ、 倉庫にあるブロックで四隅をとめた。 「なるほど。これが白い”花壇”か・・・」 水里の言っていた意味がわかった。 「さーて。マスター。早速ですが腕まくりしてください。 あ、あと裸足になったほうがいいですよ」 水里はジーンズの裾をまげ、腕をまくった。 「花をさかせるんです。自分の手の平で」 赤色の絵の具を手の平に塗り 紙に 「ほっ!!」 ぺったん! 大人の手形にしてはちょっとちっちゃめな 赤い花が一つ咲いた。 「へへ。小さい頃、嫌なことあるといっつも ここで、これをしてた・・・。哀しい時は、哀しい色になって。 嬉しいことがあると嬉しい明るい色になって・・・」 水里の手の花が 白い花壇にさいていく。 「よし。じゃあ、僕も・・・。えっと・・・」 ワイシャツの袖口のボタンを外し、腕をまくる。 そして、水色の絵の具を選んだ。 長身の陽春。 手も大きく指も長い。 「よっ」 水色の大きな花が咲いた。 「わッ。やっぱりマスターの手は大きいな・・・。花っていうより 花火みたい」 「ふふ。じゃあ、今度は七色の花火を打ち上げましょうか」 左手に赤と青と黄色を斜めに塗って 紙に貼り付けた。 「おー!!すごい!マスター特大花火が咲いたよ。負けてられない。私も赤い花火 あげよう!」 水里は鼻がむずっとして手の甲でさわる。 陽春、何故か注目。 「・・・?どうかしました?」 「・・・ふふッ」 陽春の笑いに首を傾げる水里。 「・・・赤い花火、水里さんの”鼻”に咲いてますね」 「えっ」 鼻をこするとさらに広がって咲く。 「ふふふ・・・」 「あ、そ、そんなに笑うことないじゃないですか。どうしよ。 まぁいいか。どうせ絵の具だらけだし。さ、もっと咲かせましょう。 花咲じじいならぬ、花咲水里!」 ぺた、ぺたん、 白い空に、花を咲かせていく。 「じゃあ、僕も咲かせて見せましょう。あ、次は何色にしようか」 哀しい色も 楽しい色も 真っ白なキャンバスに 辛い気持ちをぶつける。 一瞬でも 軽くなるなら 「うひゃ、マスターこそ、ほっぺについちゃってますよ!」 「水里さんなんてもう、顔面虹色ですよ。ふははは」 軽くなるなら 笑おう。 一粒、元気になるエネルギーを 明日、元気になるエネルギーを 心にたくわえるために。 辛くても どんなに辛くても 生きていかなくてはいけないから・・・。 その夜。 水色堂のシャッターから 絵の具の香りと テント用ランプの明かりが 優しく切なく漏れていた・・・。