デッサン3
〜君と共に生きる明日〜

第十話 温かな風

高野市立大学病院 5階カウンセリングルーム。 夏紀は担当カウンセラーと日常的なことを話す。 「不眠や不安感、倦怠感はありますか?」 「いえ・・・。眩暈の発作の回数は大分減りました」 「なら、大分体も軽くて気分もいいでしょう。簡単な運動などしたら どうでしょうか?」 眼鏡をかけたインテリ風のこのカウンセラー。 前から感じていたが、当たり障りの無いことをただ 聞いてくる。 いや、カウンセラーというのは相手の話をひたすら聞く、ということが 基本なのだろうが、このいかにも”医者”という空気を漂わせる 男が陽春はどこか鼻につきいて、好感がもてずにいた。 (もうカンセリングはいい・・・。話を聞いてもらう相手なら・・・。 オレにはもういる・・・) 陽春は、それからカウンセリングの予約はしなかった。 「藤原さん」 病院の玄関で咲子に呼び止められる陽春。 「あれ・・・あ、高岡さん」 白衣姿ではなかったので、一瞬咲子だと分からなかった。 「昨日、夜勤だったんです。今から寮へ帰るところなんです」 「そうですか・・・。看護士さんはやっぱり大変なお仕事なんですね。 すごく尊敬します」 「・・・そんな・・・」 かすかに頬を染める咲子。 二人は途中まで一緒に帰ることに・・・。 陽春は咲子に介護士の勉強をしていることを 話した。 「介護士に・・・?」 「ええ・・・。僕はもう”医者”には戻れるわけもないし・・・。 ”喫茶店のマスター”もできない・・・。何か”新しい自分”を 見つけなければ・・・」 「いいえ。凄いと思います。藤原さんは・・・」 (・・・) 陽春と並んで歩く咲子。チラリチラリと 陽春に視線を送る。 「・・・街路樹の芽が・・・膨らんできましたね」 「・・・」 「・・・?高岡さん?」 「え、あ、そ、そうですね・・・きゃっ」 パンプスのかかとがマンホールひっかかって倒れこむ。 「大丈夫・・・ですか?」 陽春は咲子の手を引き起き上がらせた。 「・・・」 陽春の力強さに咲子の胸がドキッと高鳴った。 「あの・・・。どこか怪我でも・・・?」 「えっ、あ、だ、大丈夫です・・・っご、ごめんなさい」 顔を赤く染めて慌てて立ち上がる。 「お疲れなんじゃないですか?顔色が・・・」 ”疲れてるんじゃないか?高岡” 白衣を着た陽春の姿が咲子の脳裏に蘇った・・・ 「あの・・・。高岡さん・・・?」 「・・・あ、ご、ごめんなさい。大丈夫です。寮、すぐ近くなので・・・。 失礼しますッ」 咲子は陽春に一礼してかかとの折れたパンプスを 持ったまま横断歩道を渡っていった・・・ 「・・・元気な人だな・・・。ふふ・・・」 元気といえば・・・ (・・・水里さん。今日も元気に頑張ってるかな・・・) ”私を信じてください。私と一緒にいる時間を・・・” 水里の言葉が あの時流した涙が・・・ 心を温かくする・・・ 自然に顔が綻ぶ・・・ (あ・・・) 路上のアクセサリー屋の前で足が止まった。 「お?お兄さんいい男だねぇ。どうだい?彼女さんに ひとつ?」 「え・・・」 一つのペンダントが目に止まる・・・ 透明の水色。 アクアマリンに近い色石のペンダント・・・。 「お。お兄さん、いいねぇ。それはな、”ブルーウォーター”ってんだ。 通称”幸せの水”」 「幸せの・・・水?」 「そうさ・・・。穏やかな水の色。大切な人間の幸を願う母の涙の結晶って言われてるんだ・・・。 どうだい。彼女さんにひとつ・・・」 (想い人の幸を願う・・・涙・・・か) ”私はただ春さんと一緒にいたいだけです・・・” 「・・・あの、これ・・・下さい・・・!」 「毎度!」 値段は安いけど・・・ ペンダントを空にかざしてみる・・・ 太陽が・・・水色に反射して・・・ まるで透明な海の中の景色のよう・・・ (優しい・・・水の色・・) ”信じてください・・・” (信じます・・・) 水里の涙の色に 思えた・・・
「え?」 水里宅、太陽、御泊まりの日。 夕食のとき、太陽は学校でもらったプリントを水里にみせた。 『親子ハイキングのお知らせ』 低学年の1、2年生で、社会見学。行き先は動物公園だという。 「そうか・・・」 水里も経験がある。 学校行事ではしょっちゅう親子参加の行事がある。 それは親がいない太陽や水里にとっては複雑な心境になる場面だった・・・。 「太陽。私が行っていいの?」 太陽は満面の笑みで頷いた。 「わかった。その日、お休みとるようにするからね♪」 「わあい!」 太陽は水里の膝の上に乗って抱きつく。 「こらこら。太陽。甘えんぼ」 「ねぇ。みぃママ。しゅんさんも一緒がいいな」 「え?」 「あのね。他のみんなはお父さんもくるんだ。だからね。 しゅんさんに来てほしいなぁ」 「・・・太陽。でも・・・。って何故携帯を打っている?」 すでに太陽は携帯の番号を押していた・・・(笑) (最近、太陽の奴、私の動きを先読みしているな・・・これも成長も証か(汗)) 「あ・・・。すいません。春さんこんばんは。夕食時にごめんなさい」 「いいえ。水里さんからの電話ならいつでも出ます」 (・・・(照)) あまりにさらっと凄いことを言うので水里は言葉を失ってしまった。 「あ、あの・・・。実は・・・」 水里は太陽の社会見学のことを陽春に話した。 「・・・という訳なんですが・・・。あの、春さんの体調と、都合を優先して その・・・ご検討ください」 「いえ。嬉しいです。凄く・・・。でも僕なんかでいいのかそちらが気になります」 「ぼくねー!しゅんさんといっしょにおさるさん、見たいなぁ!」 携帯口で太陽は大きな声で言った。 「・・・と、太陽は要望しておりますが・・・。あの、ホントに春さんの状態を優先にしてくださいね」 「はい。ここの所は発作もないですし・・・。大丈夫です。行きたいです。 ・・・というか・・・」 (というか・・・?) 少し間を置いて陽春は呟く・・・ 「・・・貴方に・・・会えるなら・・・」 (・・・) 水里の耳に・・・ 陽春の低く優しい声が 耳の置くまで響き渡る・・・ 「・・・みぃまま?うごかない」 水里、携帯電話をもったまま暫し動き停止。 「もしもし?しゅんさん?あのね、みぃママおじぞうさまに なっちゃったみたい。というわけで、こんどの日曜日 よろしくおねがいしまーす」 P! 携帯を太陽は切ったが、水里はまだぼうーっと上の空。 「みぃママ。おじぞうさまになっちゃった。ハンバーグ一個、 もらっちゃえ」 ちゃっかり、太陽は水里の食べかけのハンバーグを こっそりいただいちゃったのだった・・・(笑) 日曜日。 小春日和で気温も4月並に温かい。 水里は朝からお弁当作りに精を出していた。 「ピカチュウおにぎりできた?」 「できたよー。ほら」 「わぁあい!」 ピカチュウの弁当箱を除く太陽。 (春さんに食べてもらうんだから・・・。気合いれないと!) サンドイッチも用意して ランチボックスに入れる。 「よーし!準備は出来た!ではいざ、出陣じゃ!太陽くん!」 「しゅつじんじゃー!」 リュックを背負った水里と太陽。 陽春を迎えいに行く。 「おはようございます」 「お、おはようございます・・・」 クリーム色のジャケットに薄手のパンツ。 (う・・・わ、若けっ(汗)カッコいいお父さんルックそのものだ) 水里は自分の服を思わず見てしまう。 水色のトレーナー生地のパーカー。 (・・・もっと若いママさん風にしてくるべきだった(汗)) 「水里さん?どうかしたましたか?」 「いえ・・・。じゃあ、い、行きましょうか?」 「はい。今日は宜しくお願いします」 「こちらこそ」 太陽は水里と太陽の真ん中に入って手を繋いだ。 右手は陽春。左手は水里。 (うれしいなぁ。パパとママができたみたい) 太陽は嬉しすぎてにこにこが泊まらない。 (たのしいなぁ。僕にも・・・お父さんとお母さんができたんだ・・・) どちらを見上げても陽春も水里も笑顔で返してくれる。 (お父さんとお母さん・・・。ボクのお父さんとお母さん・・・) 陽春の手の温もりと水里の温もり。 太陽はふたりにだっこしてもらっている気分。 「ねぇ。みぃママ。しゅんさん。今日、ふたりのこと、 おとうさん、お母さんってよんでもいい?」 「えっ」 「・・・だめかなぁ・・・。今日だけでいいんだ。他の子たちみたいに よんでみたいんだ・・・」 (太陽・・・) ”今日だけでいいから・・・” そのフレーズが陽春と水里の心になんとも言えぬ切なさを感じさせた。 「・・・いいよ」 陽春は太陽の髪をそっと撫でて言った 「私もいいよ。太陽の好きなようにヨンでいいよ」 「ほんと!?ありがとー!」 太陽はジャンプして喜ぶ。 けどその喜びようがかえって切なく哀しい・・・。 小さな心だけど、自分には両親がいない、という現実をちゃんと知って受け入れている という事実・・・ 水里も陽春も太陽を抱きしめてやりたい気持ちでいっぱいだった・・・。 冬の動物園。 まだちょっと寒いけど動物達は元気に日光浴している。 「あ、しろくまがあくびした!」 太陽は柵に身を乗り出して指差す。 「ふふ。太陽にもうつったね」 「ううん。僕眠くないよ。お母さん」 「・・・うん」 ”お母さん” みぃママ、とはいつも呼ばれているけどはっきりお母さん、と呼ばれると ちょっと照れくさい、かな。 「あ!キリンさん、こっち来たよ!」 キリンが太陽にむかって首を下ろしてきた 陽春は太陽をひょいっと肩車した。 「太陽くん、これで挨拶できるだろう?」 「うん!ありがとう。お父さん」 「・・・ああ・・・」 ”今日一日だけ、お父さんて呼んで・・・いい?” 太陽は嬉しそうだが・・・ (・・・笑顔の奥には誰にも分からない寂しさがきっと・・・あるんだ・・・) 太陽の笑顔が・・・切なく痛く・・・。 「あ、吉岡君」 太陽のクラスメートの少年と両親が・・・。 太陽の顔が少し強張ったのを水里は見逃さなかった。 「こんにちは。こばやしくん」 「あれ?吉岡君、その人たち、よしおかくんのパパとママ? でもおかしいなぁ、確かよしおか君のパパとママっていなか・・・」 「ば、馬鹿!たかし・・・っす、すみません・・・」 少年の両親は慌てて息子の発言を口を抑えて阻止した。 水里たちと少年の両親の間に気まずい空気が流れる。 「こばやしくん、この人たちは、ボクのおじさんとおばさん」 「え?」 「親戚のおじさんとおばさんなんだ」 (た、太陽・・・) 「ふうん。そうか。かっこいいおじさんとびじんのおばさんだね」 「うん!」 大人たちの気まずさを 太陽の小さな気遣いが救った。 でもそれは・・・ (太陽・・・) クラスメートにその場しのぎの嘘をつかせてしまった 太陽はどんな気持ちだったんだろう。 嘘をつくこと嫌う子が (切ない嘘をつかせてしまった・・・。太陽・・・。胸、痛いよね・・・) 水里は太陽を抱きしめて抱きしめて めいっぱい抱きしめてやりたい気持ちが溢れそうだった・・・ (水里さん・・・) 陽春もまた・・・ 水里の気持ちが痛いほど分かった・・・ 芝生広場。 ちょっと寒いけど、ここで昼食。 ピカチュウの敷物を敷いて、その上で太陽は”ピカチュウおにぎり”を ほお張っていた。 「ごちそうさまでしたー!」 「はい。太陽。お茶。あーあ。ほっぺにごはんついてるよ」 水里は太陽の頬のご飯粒をとった。 「えへへー。ありがとう!お母さん」 (太陽・・・) どんな気持ちでお母さんって呼んでいるの・・・? ”親戚のおじさんとおばさん” クラスメートについた嘘。 嘘をつくことが嫌いな太陽なのに、 どんな気持ちで言ったの・・・? 水里は太陽の心内を思うと堪らない・・・。 「太陽。こっちおいで」 「え?」 水里は太陽を膝の上に乗せてぎゅっと思い切り抱きしめた。 ひたすらに・・・ 「お母さん・・・?」 「太陽・・・。あったかい・・・ね」 太陽はにこっと微笑んで水里の胸に顔を深く埋めてくっつく・・・ 「お母さんもあったかい・・・。ママ・・・」 「太陽・・・」 周囲の家族達がチラリチラリと抱き合う 水里たちに視線を送る。 人の目なんか気にしない。 水里は太陽を抱きしめる。 同じ痛みを持っているから 同じ痛みを知っているから・・・ (太陽・・・。太陽はきっと強い子になる・・・。強い子だからね・・・) 小さな背中を摩りながら 水里は太陽に子守唄を唄う・・・ 「・・・お母さん・・・。お母さん・・・」 水里の心臓の音を聞きながら・・・ 太陽の瞼はゆっくり閉じていく・・・ 安心しきった顔で・・・ 水里は太陽が完全に寝付くまで子守唄を口ずさんだ・・・ 太陽が寝付いて10分ほどたった。 「春さん。私・・・なんか太陽の笑顔が・・・。痛くて・・・。痛くて・・・」 「・・・分かります・・・」 他の家族達は想い想いにキャッチボールなどをしている。 水里は遠い目でながめる。 「・・・小学校の行事って時々残酷ですよね」 「・・・」 「家族の絵とか作文とか・・・。学校が悪いわけじゃないけど・・・」 陽春はただ、黙って水里の切ない横顔を見つめている。 「・・・。太陽が悪いわけじゃないのに・・・。なんであんな・・・ 寂しい嘘つかなくちゃいけないのかなって・・・。あんな・・・」 水里の膝の上に頭を乗せて眠る太陽・・・ ピンクの頬を水里は労わるように手の甲で撫でる・・・。 「・・・あ、ごめんなさい。なんか・・・湿っぽくなって・・・」 「いえ・・・。僕の方こそ水里さんや太陽君にかける上手な言葉もなくて・・・」 「春さん・・・」 「その代わり・・・といっては何ですが・・・」 陽春はリュックのポケットから小さな紙袋を取り出した。 「・・・これを貴方にあげたくて」 「?」 紙袋の中身は・・・。 「・・・わぁ・・・綺麗なブルー・・・!」 水里は思わず空にかざしてみる。 「安物なんですが・・・。何だかその清清しい青さが水里さんのみたいで みたいで惹かれてしまって・・・」 「・・・(照)」 (・・・そ、そんなにあっさり言われるとどう反応していいか(汗)) 「その石の名前は”ブルーウォーター”幸せを呼ぶ石っていうんです。 ・・水里さんと太陽くんが・・・いつでも笑顔が絶えません様に・・・」 「春さん・・・。ありがとうございます。早速つけてみます」 水里はペンダントの鎖の胸にあててみる。 (あ、あれ・・・。ひ、ひっかからん・・・(汗)) 不器用水里、首の後ろであたふた・・・ 「僕がつけます」 (えっ) 陽春は水里の首の後ろに両手を回してペンダントのフックの部分を持った。 (・・・) 水里の頬に陽春の息がかすかにかかり・・・ 水里の体は一瞬にして緊張状態・・・ 「はい・・・。つきましたよ・・・水里さ・・・」 (・・・!) 水里と陽春の視線がピタっと一つになって・・・ 二人共・・・ 見つめあって 動かない・・・ 陽春が”男”に見える・・・ (水里さん・・・) 水里に"女"を感じる・・・ (・・・しゅ・・・春さん・・・) 時間が・・・ 止まる・・・ 「・・・チューは・・・。まだ?」 「!??」 「あ、いっけない。声だしちゃった」 「た、たたたた太陽!(慌)」 太陽の声にハッと我に返る二人。 「あんた、まさか、寝たふりしてたの!?」 「ううん。僕起きてないよ。起きてないよ。だからチューしていいよ」 太陽は再び目を閉じて寝たフリ、寝たふり。 水里と陽春、赤面。 「た、太陽!?こ、こら!お、大人をからかうんじゃないッ」 「太陽。こら!!くすぐっちゃうぞう〜!!春さんもお願いします」 「よおし!太陽君、覚悟〜!!」 水里と陽春は太陽の脇をくすぐる。 「きゃははは〜!」 太陽が笑う。 小さな心の痛みが少しでも飛んでいきますように・・・ 和らぎますように・・・ そう 願わずにはいられない・・・ (太陽・・・。太陽は一人じゃないからね・・・。私がいる、シスターがいる。それから・・・) 陽春に視線を送る。 「水里さん・・・?」 「今日・・・。春さんがいてくれて・・・よかった・・・」 陽春は微笑み返してくれた 「太陽。もっとくすぐってやる。こちょこちょこちょ・・・」 (私も太陽も・・・一人じゃないからね・・・) 肌寒かった風が 心地いい温かさに変わる。 冷えた頬を慰めるように・・・。 励ますように 風は変わった・・・。