「ねぇ。山野さん知ってる?うちの店長って元”三塚総合商社”の
企画部長だったんだって」
「え?」
お昼休みの従業員室。
昼食を終えて水里と同僚がロッカーの前で立ち話。
「三塚総合商社の社員ってまさに”勝ち組”よね〜。そこを辞めた
なんて・・・。ねぇねぇ、店長に何かあったと思う!??」
「・・・さ、さぁ・・・(汗)」
ワイドショーがすきそうなお喋り好きな同僚。
悪い人間ではないものの、なんとなく付き合いにくいと思う水里。
「どんなスキャンダルで辞めたんだろう〜!!不倫とか!?
あー。なーんかミステリアスよね〜!!」
「・・・あの・・・」
「ねぇねぇ・・・」
「あの・・・後ろ・・・」
同僚が振り向くと、唐沢が腕を組んで仁王立ち・・・。
動きが止まる同僚・・・
「・・・浜野(同僚の名前)お前、そんなにオレの事が知りたいのか?」
「い、いえ・・・(汗)あ、そ、そーだ。私、倉庫に忘れ物したんだ。
とって気マース!!」
同僚はトンズラするように足早に事務所を出て行った。
狭い事務所に水里と唐沢が二人きり・・・。
(な、なんだ。この雰囲気・・・)
「・・・。山野」
「は、はいっ」
「お前も興味あるか?”勝ち組”が”負け組”になった理由を・・・?あぁ?」
唐沢は水里を威圧するように少しドスの利いた声で言った。
「・・・。勝ち組、負け組って・・・。何と”勝負”
したんですか?」
「は・・・?」
「私、どこの会社がどれだけ偉いかはしらないけど
”勝ち組とか負け組”っていう基準が分かりません。誰と何が
勝負して勝ち負けなんですか?ピンとこないなぁ」
「・・・」
前から感じていたことだが、ちょっと脅かしてやろうと強面な態度で
接してもまったく動じない。
(感覚のズレなのか、こいつはだたの”天然”なのか・・・)
どちらにせよ、結構面白い人間だなと思いはじめている唐沢。
「・・・あの。私、何か変なこといいました?」
「いや別に・・・。はは。確かにな。別にオレは何かと勝負して
辞めたわけじゃない。お前の言うとおりだ」
(・・・。店長が笑っている・・・(汗)不気味な)
「失礼な奴だ。露骨に心の声が顔に出てるぞ」
「えっ。あ、いや・・・(汗)」
「っくくく・・・。飽きない生き物だな。お前は。あ、そうだ、
冷蔵庫に饅頭あるから食っていいぞ」
(店長が優しい・・・。天災が起こるかもしれん・・・!)
水里の予感どおり、午後から激しい雷雨になったのだった・・・。
(うお・・・。すごい雨だ。しかしバス代も馬鹿にならん!)
水里は水色の合羽上下着て、雨の中自転車を漕いでアパートまで帰る。
プップー!
「ん?」
路肩にクラウンの車が停まった。
(て、店長・・・!?)
窓を開けて顔を出す唐沢。
「おい。お前、この雨の中それで帰るのか?」
「ええ。あと5分ぐらいで自宅なんです。バス代勿体無いですから!」
「・・・すごい節約根性だな(汗)ま、送ってやらないでもないが
お前の体力は凄まじいからな。風邪引くなよ、じゃあな」
言いたいことだけ言うと唐沢は再びヘッドランプを点灯して
走り去った。
(・・・優しいのか優しくないのか・・・わからん人だ・・・(汗))
水里は首をかしげながらもとにかく自宅へと自転車を走らせる。
だが・・・
(・・・と・・・。止まってしまった。)
陽春の家の前で自転車は止まってしまった。
(・・・顔が見たい・・・だなんて乙女な思考が柄にもなく作用している・・・)
一人悶々していると・・・。
店の電気がパッとついてタオルを持った陽春が出てきた・・・
「あ・・・。やっぱり貴方だった」
「え」
「窓から貴方の自転車が見えたから・・・。びしょ濡れです。
すぐ中に入ってください」
「あ、すいません・・・」
微かに期待したこととはいえ、期待した以上の展開に
水里は喜んでいいやら、不思議がったほうがいいやら・・・
(・・・素直に喜んでおこう)
水里は陽春から借りたタオルで髪をささっと拭き、返した。
「駄目ですよ。ちゃんと拭かないと・・・」
パサッと水里の頭にタオルをかぶせて髪を拭く陽春・・・
「あ・・・ど、ども・・・(照)」
(この様にサラッとドキドキさせられる春さんの
さわやかさに感服です・・・)
ちょっとだけ激しい雨に感謝する水里。
そして久しぶりに二人でカウンターで珈琲タイム・・・。
「・・・ふう・・・おいし・・・」
「・・・一緒に飲む人がいるのは・・・
幸せなことですね・・・」
「はい・・・」
珈琲から立ち上る湯気・・・
たとえインスタントでも・・・充分
雨で濡れて冷えた体を温める・・・
店は今も閉まっているけれど・・・
(大切な人とがいてくれたら・・・。そこが居場所・・・)
水里が少し物思いにふけっていると・・・
(・・・なんとなく・・・。春さんの元気が・・・)
「・・・春さん。何かありましたか?」
「え?ああ、ちょっと・・・」
「・・・ちょっと・・・?」
陽春はマグカップを静かに置いた。
陽春は理学療法士の学校の入学申込書。
名前と生年月日は書いてあるが、他の欄が未記入で・・・。
「・・・。経歴の欄・・・。嘘をついている
気がして・・・」
「春さん・・・」
自分の経歴なのに、全く身に覚えがない・・・
他人の経歴を書くようで・・・。
「・・・って。些細なことなんですけど・・・」
「・・・些細なことなんかじゃないですよ・・・。春さんにとっては
大切な・・・って変な言い方だけど、大事な”気がかり”です。
私も何か考えます、いい方法」
水里はうーん・・・と唸って腕組み。
「・・・ふふ。でもそこまで考え込まなくていいですから(笑)」
水里の可愛らしい仕草に心が和む。
気にしていたことが、すうっと軽くなって・・・
「・・・書かないことにします」
「え?」
「僕の記憶の中にはもう医学的な知識も技術もないのに医大卒なんて
書けません。例えそれで試験に落ちたとしても・・・納得できますから」
「春さん・・・」
水里はいつものことだが、上手な言葉を頭の中で言語中枢をフル回転させて
探すが・・・
「あ、あの春さん、合格祈願ならお任せください!
ボーナスはたいてお賽銭沢山入れて、お願いしてきます!!
ボーナスっつたって雀の涙ですが!!」
水里はがしっと陽春の手を力強く握った。
「・・・(汗)あ、あのボーナスははたかなくていいですから・・・
貴方の気持ちだけで充分・・・ご利益ありますよ」
水里が重ねた手をさらに陽春はそっと・・・
左手で覆った・・・
「・・・(照)」
「お賽銭より・・・貴方の手の方がご利益ありそうです・・・」
水里の右手を頬に当てて・・・目を閉じた・・・
「・・・」
(・・・嗚呼駄目だ。もう駄目だ・・・。春さん・・・もう
完敗です・・・(嬉&喜))
・・・激しい雨が小雨になった。
店の表に止めてある水色の自転車が
水溜りに優しく映っていた・・・
※
「おはようございまーす」
水里が事務所に荷物を置いて、エプロンを付けて店に出ると
レジの前で唐沢と数人のスーツ姿の男たちがなにやら口論していた。
(なんだぁ・・・??)
水里は少し物陰から様子を伺う。
「・・・唐沢さん。戻って来て下さい。お願いします!!」
「仕事の邪魔だ。帰れ」
男たちが唐沢に頭を下げる。
(誰だろう?唐沢さんのなんか元・部下って感じがするけど・・・)
「プロジェクトには唐沢さんがどうしても必要なんです。いや
企画部には唐沢さんがどうしても・・・!」
「・・・。悪いな。最近よやく娘の状態がよくなってきたんだ・・・。
元の会社に戻るつもりは毛頭ない」
男たちを無視して唐沢は伝票の確認をする。
「先輩の事情は分かります。でも・・・それでもお願いしてるんです!!
貴方の力を必要としているんです!!」
唐沢の腕を掴で頼み込む唐沢。
「・・・すまん。今のオレにとって一番大事なのは・・・家族だ」
「・・・こんなに頼んでも駄目ですか」
「ああ。すまん・・・」
唐沢の元同僚達は立ち上がった。
「・・・勿体ないですよ・・・。唐沢さんほどのヒトが・・・
こんな・・・こんな程度の店で溺れるなんて」
「・・・オレを怒らせにお前達はきたのか?オレはこの店が好きだ。
仕事に誇りだって持ってる・・・」
「唐沢さん・・・」
「帰れ。二度と来るな・・・!!分かったな!!」
唐沢はそれ以上何も言わなず、同僚達は渋々店を出て行った・・・
(・・・なんかしらんが・・・。店長にもシビアな現実があるんだなぁ・・・。
ってか娘さんいたのか)
「おい。そこの覗き見女、さっさと在庫確認して来い」
「え、あらら。ばれてましたか」
水里はちょっとわざとらしく登場。
「お前。尻隠して頭隠さずってことわざ知ってるか?」
と、壁の鏡を唐沢は指差した。
「・・・。あは、あははは・・・(汗)」
とりあえず、水里、笑うしかない。
「ま。あれが元オレの部下達だ。オレは人気があったんだなぁ。
ああやってスカウトにくるんだ」
「・・・そうですか(汗)でも・・・店長のあの言葉なんか嬉しかったです」
「あん?オレ、何か言ったか?」
「ほら・・・。この仕事に誇りを持ってる・・・ってフレーズ。
なんか・・・響きました。ふわ・・・って」
「・・・ふわっ・・・。ねぇ・・・」
笑顔の水里に唐沢はやっぱり妙な奴だ・・・と思う。
(天然なのか、打算があるのか・・・わからんな)
そんな疑問は唐沢の口からとある質問を水里に投げかける。
「・・・お前は・・・。”生き直し”たいと思ったことはあるか?」
「え?生き直し・・・?」
「ああ・・・。今の自分を全て振り出しに戻したい・・・。なんてな」
(振り出し・・・か・・・)
水里の脳裏に陽春の顔が浮ぶ。
陽春はまさに振り出しに戻った。
そして新しい自分を創っていこうとしている。
「・・・マトモに考えりゃ、子供がいるのに給料のいい仕事を選ぶ事が正しい選択だろう。
でもオレはそれを捨てた」
「・・・”夢見る頃に戻りたい”なんてセンチな男じゃないが
まぁ、それなりな想いがあって・・・今の自分を選んだんだ」
「・・・」
唐沢の話を聞きながら水里は陽春の気持ちを
考える。
入学申し混み用紙に自分の経歴を書かないと言った陽春の気持ち。
積み上げてきた前の自分を捨てて、
新しい自分を認めてあげる・・・
(戸惑っただろうな、不安だったろうな・・・焦りが入り混じって
いただろうな・・・)
それでも・・・
”今”の自分を尊重したい
素直に・・・
「っておい。お前、聞いてるのか。人の話」
「・・・。店長。”やわやわ”と、行きましょうよ」
「・・・あ?」
「”やわやわ”と・・・。私が好きな土地の方言なんです。
”それでいいじゃないか、ゆっくりいこうよ”って意味」
水里はモップでレジの周りを拭きながら話す。
「・・・。”やわやわ”と・・・でいいんです。勝ち組負け組なんて
言葉忘れて・・・」
「・・・ふっ。説得力のない説教ですこと。ま、でも
その言葉は悪くないな。”やわやわ”か」
「・・・はい。”やわやわ”・・・です」
この言葉を
陽春にも伝えたい。
(帰り、また春さんの家、寄っていこ!うっし!)
「店長。仕事はやわやわと・・・というわけにはいきませんよね。
では、店内の掃除に従事してきます!」
水里は敬礼して
掛け声上げてモップダッシュ・・・
「・・・ホントに妙な奴だ・・・。フ・・・」
唐沢の口元が緩む。
久しぶりに何だか和む気分・・・。
小柄な体で大き目のモップダッシュする水里の姿が
可笑しくてたまらない唐沢だった・・・。
一方。
陽春は・・・
店の近くのポストに、入学書類が入った封筒を投函した。
経歴の欄は空白。
正直にありのままの自分の状態を書いた。
(これで駄目なときは仕方がない・・・。何かを隠すことはやっぱり
嫌だから・・・)
向こうの歩道を歩く水里。
ポストの前に立つ陽春を見つけて急ぎ足で、横断歩道を渡る。
(あ・・・)
陽春も水里に気がつき、横断歩道に向かって走る。
しかし信号は赤。
早く青になれと二人は願う。
青になって水里が走る。
「・・・はぁはぁ・・・」
「どうしたんですか・・・?そんなに急いで・・・」
「春さん!あの・・・伝えたいことがあって・・・」
「はい。あの・・・」
好きな人の前だと気持ちは”やわやわ”とはいかない。
でも好きな人と一緒にいる時間は・・・
”やわやわ”と。
じっくりと・・・
ゆっくり過ごせばいいから・・・。