水里は仕事帰り、太陽の祖母から太陽のことを調査された田端に呼び出された。 「・・・何の用?まだなにかぎ回ってるの」 田端はタバコの灰を灰皿に捨てる。 「アンタの母親の方がいいネタになる」 水里の顔が引きつった。 「・・・どういう意味」 「・・・今、すげぇ幸せな家庭、築いてたぜ。過去に子供を捨てたなんて みえねぇくらいに」でもその反応。あんたも知ってたのか。自分の母親のこと。 「・・・」 「今の旦那、いいとこの会社の専務なんだぜ?ふふ。つつけば ある程度金に・・・」 水里は阿久井のジャケットの襟を鷲づかみして睨む・・・ 「 ・・・おっかねぇお譲さんだな。ったく・・・。そこまで コソドロじゃねぇ。んなことすりゃ脅迫罪だもんなぁ」 「・・・」 「誰もが理想とする幸せな家庭・・・。でもアンタの母親は 自分の事を隠してる。そして旦那は気づいていないフリをしてる。 まさに仮面家庭。」 「・・・。私には関係ない・・・。何も・・・」 「そりゃそうだな。ま、安心しろよ。オレは仕事が終えられて 報酬も貰ったしな。もうアンタとも会うこともねぇ」 「・・・」 阿久井は写真だけテーブルの上に置いて 涼しい顔で喫茶店を出て行った。 中年の美しい女性・・・ 自分とは似ても似付かない。 水里は父親似だから。 庭先で高校生ぐらいと思われる少女と笑い会って・・・ (・・・関係ないさ。私には・・・。血のつながりなんて・・・。 なんの関係もない・・・) 何の感情もわかない。 ご対面番組じゃ、涙涙で芸能人が泣いていたけれど・・・ (・・・家族同士の気持ちは・・・。一緒の時間を生きて初めて育って 結びつくものでしょ・・・?) 水里の横を通り過ぎていく自転車の後ろに娘を乗せた母親。 (私の母さんは・・・。父さんだけだ。父さんは母親代わりでも あったから・・・) 自分を生んでから。一度も一度たりとも 姿を見せたこともない。 逆に、シスターの方から流水子へ手紙だけでも 水里を捨てていってからも送っていたが 返事が来たことさえなく・・・そのうち本当に行方知れずに・・・ (恨みさえない・・・。他の国の出来事みたいだ・・・。ただ・・・ 私の今の生活が・・・。騒がしくならなければ・・・それでいい・・・) 水里は自転車の親子の後姿を見つめながらそう思った・・・ アパートに戻ると・・・ (ん?) この辺の住宅地にはちょっと似つかわしくない高級車が止まっていて・・・ 部屋の前にはロマンスグレーのなかなか渋い中年の男が立っていた。 「・・・あの・・・うちに何か御用ですか?」 「・・・貴方が・・・水里さん・・・?」 「そうですが・・・。あの何か?」 男はじっと水里を見つめて・・・ 「・・・そっくりですね。お父様の水紀さんに」 「・・・!?」 見知らぬ男の口から父の名前が出て驚く・・・ 「すみません。私は・・・。高梨と申します。高梨流水子の夫です」 「・・・!」 ”アンタの産みの母の今の旦那” が、目の前に・・・ 混乱しそうな頭を必死で整理して水里はとりあえず、高梨を中にあげた。 「狭いところですが・・・どうぞ・・・」 座布団を敷きお茶を出す・・・ そして沈黙・・・。 「・・・突然伺ってすみません。ただ・・・。どうしても一度 貴方とお話がしたくて・・・」 「・・・」 本当に突然だ。でも阿久井と出会ってから、この男といつかは会う 予感が心の中にあった気がする・・・ 「・・・あの・・・。父と会ったことがおありなんですか?」 「・・・。一度だけ・・・。会ったことがあります。私と流水子が再婚した 時です・・・。というか私の方から水紀さんに会いたいと連絡して・・・」 「・・・」 自分の知らない父の事実にただ、驚く。 「・・・結婚の報告をするため・・・。いや・・・。若かった私のただの 嫉妬心です。”オレが流水子を幸せにするんだ”と・・・」 「・・・」 「・・・すると貴方のお父様は”流水子さんを・・・幸せにしてあげてください” そういって何度も何度も頭を下げられました」 水紀の微笑が浮ぶ。 大人しく穏やかな水紀。滅多に激しい感情は表に出さない男だった。 「若かった私ただ勝手に嫉妬心深めて・・・。でも・・・。水紀さんは 私を助けてくださいました」 「え・・・?」 「・・・情けない話です。会社が15年前。金銭的にどん底の時に・・・ 私は水紀さんに借金をしたんです」 「・・・」 次々と自分の知らない事実が明らかになっていく。 ただ、洗濯機のように思考がぐるぐるまわっているだけ・・・ 「妻の元夫に借金するなんて正直抵抗がありました。でも・・・ 男のプライドなんて拘ってられない程に経営が苦しくて・・・。流水子と共に水紀さんに 借金を申し込み、快く水紀さんはお金を貸してくれました。それも・・・ 無担保で・・・」 「・・・」 父を誇りに思っていいのか、どう思っていいのかわからない。 水里は混乱の余り口が渇きすぎて お茶を2杯目おかわりした・・・ 「・・・。あの・・・。そちらの事情はわかりました。でも私には関係ない ことです」 「・・・いえ・・・。今日は・・・お借りしたお金をかえしにきました・・・」 高梨はテーブルの上に小切手を置いた。 「いりません。これは父のお金であって私のお金ではありません」 水里は小切手を突っ返した。 「・・・でも・・・。お金があるにこしたことはないでしょう・・・?」 高梨は水里の部屋を見渡して言った。 「・・・。高梨さん。父に感謝の念があるのなら・・・。 墓を一度だけ参ってください。それと私の事はそっとしておいてください。 それ以上は何も父も私も望みません」 「・・・水里さん・・・」 「もうお話しすることはありません。高梨さんは高梨さんの”今”の幸せを 大切になさってください・・・」 頑なな水里に高梨は渋々帰っていく。 靴を履いて出て行こうとする高梨を水里は呼び止めた 振り向く高梨。 「・・・どうか・・・。どうか今の幸せを大切に・・・」 高梨は軽く会釈して 部屋を後にした・・・。 「・・・」 コチコチコチ・・・ 時計の音が・・・ むなしく響く・・・ ”私は水紀さんからの恩とお金を返しに来ました” 高梨の台詞・・・ だが水里は少しも高梨の言葉からは感謝の念など感じなかった (・・あの人が返しに来たのは・・・。”恩”じゃない。 ただ・・・。この世で一番嫌いな男からの”借り” を返しにきただけだ・・・) この世で一番勘に触る男に・・・借りを返して・・・すっきりしたかった だけ・・・ 高梨と会話している間ずっと。高梨は水里の目を見なかった。 (・・・嫌いな男の似の顔なんて・・・見たくないってか・・・) 人間の。 ドロドロした、一番見たくない部分を見た気がする。 でもそれが・・・人間の本質・・・? (・・・なんかもう・・・。ただ・・・疲れた・・・) 水里はうな垂れる。 (・・・会いたよ・・・。今、すごく会いたい・・・) 信じられる人に会いたい。 信じたい人に会いたい。 水里の足は自然に・・・ 陽春の家に向かっていた・・・。 店の裏を回って。勝手口のインターホンを押す・・・ (・・・私・・・。何やってんだろ。自分の気持ちだけで会いにくるなんて) 水里は我に返り、引き返そうとした・・・ 「水里さん!」 「・・・あ・・・。こ、こんばんは・・・」 エプロン姿の陽春。 勝手口の隙間からトンカツのいい匂いがしてきた・・・ 「す、すいません。ちょっと通りかかっただけで・・・ きょ、今日の夕食はトンカツですか?じゃ、じゃあ・・・」 「・・・待って・・・!」 水里の腕を掴む陽春。 「・・・。ただ通りかかっただけ・・・じゃないでしょ・・・?」 「いや・・・あの・・・」 「何が・・・あったんですか・・・」 陽春の優しい声が混乱する心にしみこむ。 「・・・いや、差ほどのことでも・・・」 「貴方の一大事は僕の一大事だ・・・。とにかく中に入って・・・」 陽春は水里を労わるように中へ入れた。 リビングのソファに座らせて・・・ 「・・・。でもな、何から話していいかわからなくて・・・。 あ、頭の中に色んな情報が入り込んできて・・・」 「・・・じゃあ・・・話せるまで待ちます・・・。いつまでも・・・」 「・・・春さん・・・」 陽春のいたわりが水里の口を開かせる。 水里はポツリポツリと高梨が来たことを話し始めた・・・ 「・・・ってあの・・・。ホントに然程の事でもないんですけど・・・。 ちょっとあまりにも急だったので・・・」 「・・・。僕に・・・今何ができますか・・・?」 陽春は静かに水里の手を握った・・・ 「・・・。一緒に・・・。ただ・・・一緒に・・・。いてもらえたら・・・ できれば・・・それで・・・。わ、我が侭ですね。あの・・・」 水里は少し照れくさそうに申し訳なさそうに呟いた。 「・・・それは我が侭じゃなくて・・・。僕の”願い”です・・・。 強い・・・願い・・・」 陽春は水里の肩を引き寄せた・・・ 「貴方の側にいたい・・・。毎日でも・・・」 (春さん・・・) 水里の肩を抱く陽春の手に力がはいって・・・ 頬と頬がふれるくらいに引き寄せて・・・ 「って・・・。そういうわけにもいかないけど・・・。でも本音です・・・」 (春さん・・・) ぐるぐる回っていた心が 落ち着いていく・・・ 「僕はずっと・・・貴方のそばにいます・・・。ずっと・・・」 人の鼓動の音は・・・ 不思議・・・ (・・・私は一人じゃない・・・。大切な人が・・・いる・・・。大好きな人が・・・) 陽春への想いが・・・ 一層深く強くなった 夜だった・・・