第3話 君専属のマスター診察室3。 予約した患者専用の診察室。 夏紀に付き添われた陽春が診察を受けている。 「陽春・・・じゃなかった藤原さん。眩暈の回数は減って着ていますか?」 「・・・。はい・・・。でも階段や坂道を登ると視界が揺れたり・・・」 カルテに症状を書いていく医師。陽春の担当医が変わったのだ。 その担当医は、陽春のかつての同僚の。 「薬を変えてみてみたいと思うのですが・・・。自律神経系の病気には作用は強い分副作用が でる可能性もあります。その分、点滴の回数を減らしましょう」 「はい。でもその薬が利くのなら・・・。早く何でも出来るようになりたんです。 早く・・・」 陽春は少し焦ったように言う。 「・・・。藤原さん。焦っては駄目です。ストレスは大敵なんです。カウンセリングの方は どうですか?」 「・・・はい。とてもよく僕の話を聞いて頂いてます」 以前の自分の記憶と同時に日常生活での記憶も少し失ってしまっている。 車の運転、パソコン、携帯電話・・・。 それから読み書きできるはずいくつかの漢字など・・・ それは夏紀やカウンセリングを受けながら徐々に取り戻しつつあったが・・・。 「何度もいいますが、焦らず気長に・・・。心の乱れや焦りが病気を悪化させ ます。貴方は一人ではないのだから一歩一歩、一緒にいきましょう。ね?」 「・・・はい。ありがとうございます」 高木は穏やかに微笑み返す。 思っても見なかった。親友の担当医になり、親友を診るなどと・・・。 共に医学を勉強し、共に医者の道へと進んだ・・・ (陽春・・・。また一緒に飲みに行こうぜ・・・。その時はおごってやるから・・・) 診察室を出て行く陽春の背中を見送りつつ 高木はそう思った・・・。 「・・・高木先生は感じのいい先生ですね」 「兄貴の親友だった人だからなぁ」 陽春と夏紀は受付前の椅子に座り、薬が出るのを待っている。 「・・・。高木先生のことも分からなくて・・・。申し訳ないです」 「兄貴・・・。ほら!ストレスがよくないって言ってただろ?? いちいちしょげなねぇの!」 「・・・はい」 記憶はないのに、陽春の誠実な性格はそのまま・・・。 逆にそれが仇になって・・・。 夏紀は陽春にかける言葉をただ捜す・・・。 そのとき。 「藤原センセイ」 一人の着物来た老婆が陽春の前にいた。 「ああ。やっぱり藤原先生だ」 「え・・・。あの・・・」 老婆は陽春の手をぎゅっとにぎって何度も何度も頭を下げる。 「お義理母さん!まぁまぁ・・・。先生困っていらっしゃるじゃないの」 うしろから娘らしき中年の女性が・・・ 「藤原先生。お久しぶりです。以前に先生に担当医していただいた 吉野です。その節はお世話になって・・・」 「い、いえ・・・」 「お義理母さん、ずっと先生にお礼が言いたいって思っていたもので・・・。 お医者様お辞めになられたと聞いてたんですが、復帰されたのですか?」 「い、いえ、あの・・・」 応えにこまる陽春。 「あ、いっけない。受付はじまるわ。じゃあ、藤原先生。失礼します」 老婆と女性は陽春に何度も頭を下げて、エレベーターに乗っていった・・・。 「・・・。兄貴・・・」 病院に来れば、何度もこうして”医者だった自分”以前の自分に出会ってしまう。 まるで世間は”以前の藤原陽春”に戻ってくれといっているように・・・ 「兄貴。行こうぜ・・・」 「はい・・・」 車の中。陽春はふと呟く。 「なんか僕だけ・・・。何もしていないことが悪い気がして・・・」 「何言ってんだよ。兄貴は病気なんだから。病人は病気を治すのが 仕事。だから兄貴。あんま考えすぎるなよ」 「はい・・・。すみません。ご心配ばかりおかけして・・・」 (オレは・・・兄貴に何もしてやれねぇ・・・) 帰りの車の中、無言になった夏紀の気遣いを陽春を更に 無力感を感じさせる・・・ ”焦らずいきましょう” (・・・。確かにそうだけれど・・・) 横断歩道を街に行き交う人達・・・。いそいそとスーツを着て歩くサラリーマン。 みんな何か自分のやるべきことをしている。 誰かのために働き、誰かのために生きて・・・。 「・・・。夏紀さん。ちょっと行きたい所があるのですが・・・」 「え?」 「水里さんの・・・お店に・・・」 陽春は見てみたいと思った。 (水里さんの・・・普段の姿を・・・) 夏紀の車は水里が勤める大型文具・画材店の駐車場に止めた。 車の中から中の様子をうかがう・・・。 ダンボールを2つ抱え歩く水里がいた。 (あっ) すっころび、ダンボールに顔を突っ込む水里・・・ (すごい転び方だな・・・) 陽春、思わずふっと口元が緩む。 ダンボールから飛び出した文具類を慌てて拾い お客にも手伝ってもらっている。 「んっとにどんくせぇ女だな。怪力なくせに。 はは」 「ええ・・・。でも一生懸命だ・・・。太陽君のためにお金をためてるんです」 「え?」 「一生懸命に・・・。誰かのために・・・」 (僕も何かしたい。今の僕で背一杯のことを・・・) 「夏紀さん。携帯のメールの打ち方、教えてください。水里さんの携帯に メールを送りたいんです。」 「え、ああ、いいけど・・・」 陽春は水里にメールを打った。 ”水里さん、お仕事お疲れ様です。あのもしよかったら お仕事の帰り・・・。お店の方に来て下さいませんか・・・? 一緒に・・・。珈琲が飲みたいんです・・・” と・・・。 メールを受け取った水里は。 「しゅ、春さんからのお誘いだ!!」 今日もまた店長に叱られた水里だが。急に元気が沸いて、 「お疲れ様でした。んではしつれしまーす!!」 超特急で陽春の店に突っ走った。 「水里さん」 陽春の背中・・・ (前と・・・変わらない・・・) いつも自分を待っていてくれた陽春の背中に・・・。 カウンターで陽春が待っていた。 「お、お誘いありがとうございます」 「いえ・・・。あの、僕、珈琲いれたんです。っていっても インスタントですけど・・・」 「ううん。インスタントでも何でも、私にとっては 俊さんが淹れてくれたものは世界で一番おいしいんですよ」 水里、勢いに任せて思いっきり照れくさいことをいったと瞬時に自覚。 「・・・。水里さん・・・。ありがとうございます」 「い、いえ・・・。あ、あのではいただきます」 水里はもじもじしながらカップの珈琲を飲む・・・。 「・・・。優しい味がする・・・。ほっとします。おいしい・・・」 水里はあっとうい間に飲み干した。 「・・・。水里さんは何事にも一生懸命ですよね」 「え・・・?」 陽春は深く、ため息をつく。 「担当医の先生からは焦らずいきましょうって言われてるけど・・・。 僕は自分が何をしたいのか、分からなくて・・・」 「春さん・・・」 「医者の自分に・・・。豆の種類も忘れてしまった僕・・・。やっぱり前の”藤原陽春”に 戻ることは・・・。でも早く、病気の症状を治して何か僕ができる仕事みつけないと・・・。 周りの人に迷惑を・・・。ってすみません。愚痴ばかり言ってしまって・・・」 「・・・」 水里は陽春にかける言葉を必死に探す・・・ そして出たのが・・・。 「あ、あの春さんっ。私専属のマスターになりませんか?」 「・・・。え?」 「あ、す、すいませんっ。なんかとんでもなく失礼な申し出をして・・・。 わ、忘れて下さいッ」 (ああ、私ったら思いつきで変なことを・・・) 「・・・やらせてください」 「え!?」 「水里さんが元気になるなら・・・。そんな良い事はありません」 「で、でもあの・・・」 (えっ) 「・・・。水里さんの”専属”なら・・・。貴方の喜ぶ顔が 僕だけが・・・見られる・・・でしょ・・・?」 ドキ・・・ (えっ・・・) 水里の緊張感がたかまる。 「僕・・・。頑張ります・・・。病気の治療もそれからカウンセリングも・・・。 そして誰かを支えられる人間になって・・・ それで・・・」 (そ、それで・・・?) じっと・・・ 優しい眼差しを送る・・・ そっと陽春は水里の三つ髪を手にして・・・。 「・・・。大切な”誰か”を・・・幸せに・・・。したい・・・」 (春さん・・・) 「頑張りますから・・・」 穏やかに・・・微笑む・・・ 「春さんも頑張るなら・・・私も頑張ります・・・。でも春さん。 無理だけは・・・。しないでね・・・」 水里は陽春の手を包む・・・ 「・・・。はい・・・」 水里の手を陽春はそっと握り返す・・・ 頑張る。 無理をせず、だけど、確実に前を向いて・・・。 誰かがどこかで小さく頑張っている。 誰かを想い 誰かのために・・・ その積み重ねがきっといつか 幸せに繋がるはずだから・・・