アルバムの中。
白衣姿で三つ編みの咲子とその横に陽春の姿が写っている。
写真の枠したには『外科医研修終了記念』と記されている。
「藤原先生・・・」
陽春を撫でる・・・。
「藤原先生・・・」
アルバムを抱きしめる・・・
”高岡・・・”
自分の名を呼ぶ陽春の低い声を思い出す・・・
”そうじゃない!患者の目線で物事を見ろといってるんだ!”
叱る陽春の声。
「藤原先生・・・」
”よく頑張ったな・・・。ありがとう・・・”
優しい陽春の声。
「藤原先生・・・」
目を閉じても耳をふさいでも覚えている・・・
(藤原先生・・・)
すぐ傍に居る焦がれる人。
切ない涙が止まらない・・・
咲子の枕が濡れる夜だった・・・
『明日の夕方・・・。一緒に買い物して帰りましょう。駅前に5時。待っています。
早く明日になればいいな・・・』
陽春からのメール。
(・・・喜)
風呂上りの水里はなのこと顔を赤くしております。
「ああ。ほんとに明日に早くならないかな♪かな、かなかな♪」
浮かれて鼻歌も出る始末。
初めて・・の恋・・・?
このウキウキする気持ちは初めてで・・・
「・・・」
鼻歌なんぞ口ずさんでしまった自分に恥ずかしさがこみあげてきた。
(しかも子供じみた鼻歌で・・・(汗))
冷静になって考えてみる。
布団に大の字になって・・・。
(・・・考えてみたら・・・。好きになった人に好きになってもらうなんて・・・。
漫画やドラマの中じゃどうにでもあるけど・・・。現実じゃ・・・)
「ほっ・・・!」
水里はティッシュを丸めてゴミ箱へなげた。
だが、惜しくも入らず・・・
(・・・投げたティッシュが入る確率より両想いになるって確率低い・・・。
まさに・・・)
・・・奇跡。
「はぁー・・・」
奇跡なら・・・
(大切にしなきゃ・・・大切に・・・)
陽春からもらったペンダントを取り出してみる。
(大切に・・・)
そのまま握り締めて・・・
眠った・・・
※
そして翌日。
(早く来すぎたかな)
四時半。
駅前の花壇の前で時計を気にしながら陽春を待つ・・・
(なんか・・・。思いっきり少女漫画、一人してる気が(汗))
水里はなぜか周囲をきょろきょろとちょっと挙動不審に。
(ああ、柄じゃないキャラじゃない。わかってるんだけど・・・)
でもウキウキする気持ちが止まらない。
誰かを待つって
待ち合わせるって
こんなに楽しいことだったかな。
(・・・思考パターンが乙女化してくる・・・。でもいいや。
心の中は自由だもんね・・・)
水里の前を腕を組んでひとつのクレープを食べあいするカップルが通り過ぎてく。
(・・・幾ら思考が乙女化していてもあそこまでやるのは
やめよう(汗)童顔だがもう二十歳は過ぎてる)
自分が誰かに恋をしているときは
他人の恋路にも敏感になる。
(心の中でひっそりと待つ・・・うん。それがいい・・・)
花壇のフリージアの花につぶやく水里・・・
そのころ・・・。陽春は学校がちょうど終わり、駅に向かおうとしていた。
「藤原さん」
門で陽春を待っていた咲子が呼び止めた。
「藤原さん。もしよかったら一緒にお茶でもしませんかあの・・・色々
話したいことが・・・」
「すみません。先約あるので・・・。今度学食でお話しましょう。では」
(先約・・・)
女の勘が働く。
先約の相手が水里であると・・・
「じゃあ失礼します」
陽春は笑顔で別れる。
(藤原さん・・・)
陽春の背中が・・・遠い・・・。
(待って・・・待って・・・)
遠く遠く・・・
幾ら手を伸ばしても・・・
手に入らない・・・
(藤原さん・・・っ。藤原先生・・・!!)
「藤原さんッ!!!待って・・・!!」
振り向く陽春。
「高岡・・・さん?」
何かを必死に訴えようとしている・・・
「藤原さん・・・。待ってください・・・。待ってお願いま・・・」
「高岡さん!?」
咲子はお腹の辺りを押えて苦しみだした。
「高岡さん!大丈夫ですか!?」
「・・・藤原先生・・・ふじ・・・」
陽春の腕の中で・・・ぬくもりを感じながら・・・
(陽春先生・・・)
気を失っていった・・・。
(遅いなぁ・・・春さん)
薄暗くなっても陽春の姿は駅前にはなく・・・
ピーポーピーポー・・・
救急車のサイレンが響く・・・
(まさか・・・事故に・・・)
水里に不安が広がる。
水里の目の前を通り過ぎていく救急車・・・
(春さん・・・)
その救急車に・・・陽春が乗っているとは知らず・・・
辺りは暗く・・・
闇に包まれた・・・。
病院に運ばれた咲子・・・
急性盲腸炎と診断された。
幸い、点滴投与の薬で治るものだったため、
暫くの入院ですむという・・・
「ありがとうございました」
病室を出て行く看護士に頭を下げる陽春。
「・・・」
陽春は腕時計を見た。8時半・・・
(夏紀さんに水里さんへの連絡頼んだけれど・・・。水里さん・・・怒っている
だろうな・・・)
事情があったとはいえ、すっぽかしてしまった・・・
本当は早く水里の元へ行って誤りたい。
(水里さん・・・)
「・・・ん・・・」
「あ・・・気がつきましたか・・・?」
咲子が目を開けた。
まだ鎮痛剤でぼうっとしているのか視点が定まっていない。
「ここは・・・」
「急性虫垂炎で運ばれてきたんですよ。調子はどうですか・・・?」
優しい眼差しでかけ布団を整える陽春。
「お薬で治るそうです。暫く入院らしいですがすぐ治りますよ」
その労わる口調は
医者時代そのもので・・・
(変わってない・・・。私の好きな人は・・・変わってない・・・)
咲子の心に熱いものがこみ上げてきた。
「・・・た・・・高岡さん・・・?」
枕を濡らす咲子の涙。
その涙は陽春の手を求めた。
「好きです・・・。藤原さん・・・。私・・・。好きで好きで
どうしようもないんです・・・」
「・・・」
陽春の手を涙で濡れた咲子の手は離さない・・・
「本当に本当に好きなんです・・・。ずっとずっと・・・」
「先生の声も・・・起こった顔も・・・全部おぼえてる・・・。
そして今の藤原さんに出会ってもっと好きになった・・・」
「・・・高岡さん。僕は・・・」
「言わないで・・・!!」
陽春の言葉をさえぎる。咲子の声。
陽春の言おうとしていることを
わかるから・・・
「藤原さんの気持ちは分かっています。でも・・・
止められないんです。怖いくらいに止められないんです。
どうしたらいいですか・・・?」
「高岡さん・・・」
「私が私でなくなるほど・・・止められない。
何もかも捨ててもいって思う・・・。どうしたらいいですか?
どうしたら・・・。う・・・」
咲子の涙は止まらない。
9年分の想いを
ぶつけて
「・・・ごめんなさい・・・。藤原さんの気持ちは分かっています・・・
でも・・・お願いです・・・。今だけ・・・今だけ・・・。私を見て・・・」
起き上がり、陽春にすがり付く・・・
その声はとても痛々しく・・・。
突き放せない・・・
激しく誰かを求める気持ちは・・・
同じだから・・・
(でも・・・俺は・・・俺が・・・欲しいのは・・・高岡さんじゃない・・・)
「・・・すみません。高岡さん」
「・・・」
陽春はセーターを掴む咲子の手を離した・・・
それが応え。
咲子は痛感する・・・
「・・・どんなに力強く掴まれても・・・。僕は貴方の手を握り返す
ことはできない・・・」
「・・・」
「僕がつなぎたい手は・・・。貴方じゃない・・・。貴方じゃないんだ・・・」
離れた陽春の手のぬくもり・・・
それはこの恋を諦めよ・・・と咲子に告げている・・・
「・・・どこが違うんでしょうか・・・。私と山野さんと・・・。
あの人は・・・貴方に傍にいないじゃないですか・・・。支えたいって言いながら
毎日自分の生活に追われているだけの人じゃないですか・・・!
傲慢だわ!」
「
違うッ!!」
陽春の怒鳴り声にビクッと肩を震わせる咲子。
「怒鳴ってすみません。でも・・・。いつもそばにいることだけが
誰かを支えることじゃない・・・。高岡さん。誰かが誰かを支えるってことは・・・
一方的じゃだめなんです・・・独りよがりでしかない・・・」
「・・・」
「・・・僕にとって・・・。何よりもの支えは水里さんが・・・彼女が
生きていてくれること・・・彼女の存在そのものなんです・・・」
「・・・藤原さん・・・」
もう・・・
陽春にぶつける言葉は咲子の中にはない。
ぶつけられる相手の心には別の”グローブ”
があると分かったから・・・
「・・・。藤原さんの優しさは・・・。厳しさの反対なんですね・・・」
「え?」
「言葉は優しいけど・・・。でも相手に対して”ぬるく”なくて・・・。
相手とちゃんと向き合おうとする・・・。そういう所が
私は好きなんですけど・・・」
「高岡さん・・・」
切ない微笑を浮かべる咲子・・・
その咲子の手は
もう誰かに縋ろうとはしていない・・・
「・・・。ごめんなさい。私、卑怯でした。弱っている私を
武器にして・・・告白するなんて・・・」
「・・・いえ・・・」
「早く山野さんの所へ行ってあげてください。きっとまだ
あの人は待っています」
「高岡さん・・・」
咲子は布団に頭からかぶり
背を向けた。
「・・・高岡さん。お大事に・・・。それから・・・。僕を想ってくださって
ありがとうございました・・・。ありがとう・・・」
パタン・・・
優しい言葉だけ残して・・・
陽春は去った・・・
「・・・9年越しの初恋の終わりが・・・。虫垂炎なんて・・・
変なの・・・。ふふ・・・」
笑うしかない。
表情がとまれば涙しか出ないから・・・
(眠ろう・・・)
眠って・・・涙は忘れよう・・・
・・・咲子の初恋はこうして終わった・・・
一方・・・
もうひとつの『最初の恋』は・・・?
「はぁはぁ・・・」
息せき切って陽春が駅前の花壇の前に走る。
(いない・・・)
”山野さんならきっと待ってると思います・・・”
(・・・3時間も・・・待ってるはずない・・・か)
「はぁ・・・」
でももしかしたら
いるかもしれない
陽春は辺りを探す・・・
今一番欲しい小さな手を・・・
ウィーン・・・
(あ・・・)
横断歩道の向こうのコンビニからビニール袋
持った水里が出てきた。
「水里さん!!!」
「あ・・・」
信号が青になり、陽春は突っ走った。
”山野さんならきっと待っていると思います・・・”
「春さん。どうしたんですか、そんなに急いで・・・」
「すみませんでした!待ちぼうけさせてしまって・・・」
「あ、いいえ。さっき、夏記くんから連絡ありましたから・・・。
高岡さんの具合は」
「はい。もう大丈夫だそうです」
「よかった・・・。ホント、よかったです」
”山野さんは必ず待っています。きっと・・・”
咲子の言葉どおり
水里は待っていた・・・
(待っててくれた・・・)
陽春のこころはなんだか
ふわふわする・・・
「あの・・・。あのどうして待っていたんですか・・・3時間も・・・」
「・・・え、あ、買い物するものもあったし・・・。っていうかその・・・。
”誰かを待つ気持ち”というものを味わいたいというかその・・・」
「待つ気分・・・?」
急に赤面する水里。
(い、いかん春さんの前で)
「あ、いやいいんです。柄にもない乙女チックドリームであのその・・・。
あ、そ、そうだ。春さん、うちで珈琲いっぱいいかがですか。」
「はい・・・」
いつもなら”夜遅くに女性の家にあがるなんて”と思う陽春なのに・・・
(今は何だか・・・一緒にいたい・・・)
いつもと違う・・・熱い気持ちが
こみ上げてくる。
「インスタントですが・・・」
「いいえ。好きな人が淹れたものはどれもいつでもおいしいです。いただきます」
「ど、どうぞ・・・(照)」
こたつで向かい合って珈琲を静かにすする二人。
コチコチコチ・・・
静か過ぎて
時計の秒針の音が煩く感じられるほど・・・
「・・・はぁ・・・。なんかすごく落ち着く・・・」
「そうですね・・・」
こたつのあったかいのと・・・
珈琲のあったかいのと・・・
それから・・・
(それから・・・)
好きな人がいるから・・・
ぱちっと視線が陽春と合う・・・
「・・・あ、い、いや、な、なーんか・・・熱いですね」
水里は手をぱたぱたさせて顔を仰ぐ。
「・・・はい・・・」
「・・・」
(な、な、なんでそんなに見つめるんですかーーー!!)
じっと見つめられ、水里は半パニック。
「あ、えっと・・・。そ、そだ。お、お砂糖。お砂糖も、もってきま・・・。
わっ!!」
立ち上がった水里はこたつのコードに足を引っ掛けて
転ぶ・・・
ドサ・・・
水里は陽春の上にもろ落ちて・・・
陽春をまたぐように乗っかり
見下ろす・・・
(・・・。な、な、なんて体勢なんだ・・・。私が下だったらなお悪・・・
そんな場合じゃないーー!)
「すすすすすすすす、すんません、お、おおお怪我はッ!??」
「・・・少しだけ・・・」
(え・・・)
水里の頬に手を添える陽春・・・
「少しだけ・・・。暫くだけこうしていて・・・ください・・・」
そのまま水里を引き寄せて
抱きしめた・・・
(・・・ああああああ。ど、どどどどどどどうしたらッ)
とにかくパニック、体硬直の水里ちゃんです(笑)
「”変なこと”、はしませんから・・・。暫くだけ・・・」
(へ、変なこととは何事ですか春さんーーー!??(焦))
「嫌・・・ですか・・・?」
(そ、そんな声で言われて嫌といえるほど・・・器用ではないです)
「・・・ご、ごごごごご自由にどうぞッ(上ずり声)」
こたつに二人
寝転がって・・・
水里は抱きしめられたまま・・・
(ああ、もう駄目だ・・・。春さんにエネルギーを吸い取られる・・・(悶&ドキドキ))
でも・・・
好きな人の胸の中は
どこよりも・・・
(落ち着く・・・)
遠い昔
抱かれた温もりに似て・・・
「しゅ、春さん。わ、私は・・・」
「はい」
「・・・。だ・・・抱きしめられるのは・・・あまり好きじゃなかったけど・・・
けど・・・。だ、だだ大事な人なら・・・嫌じゃない・・・」
「水里さん・・・。嬉しいけどあんまり刺激すること・・・言わないでください・・・
おさまりつかなくなります・・・」
「・・・(さらに赤面)」
ぽかぽか・・・
こたつが暑すぎる・・・?
(この火照りは・・今は・・・。どこか心地いい・・・)
安心できて・・・
水里のまぶたが閉じていく・・・
「・・・水里さん・・・?」
「スー・・・」
完全に、水里ちゃん、眠っちゃいました(笑)
(・・・。本当に良く眠る人だな・・・。ふふ)
真っ赤なほっぺ・・・
(柔らかい・・・ふふ)
つんつんとつついて
「んにゃ」
ぽりぽりとつつかれたところをかく、水里。
「猫みたいだ・・・ふふ」
自分の腕の中にすっぽり納まって
身を包ませて眠る・・・
可愛くて
愛しくて
全部押し込めたくなる・・・
陽春は水里のおでこに軽くキスして・・・
「・・・みゃ?」
おでこをまたぽりぽり指でかく水里。
「・・・子猫だな。本当に。ふふ・・・」
子猫の匂いが愛しい。
不思議な力をくれるから・・・
(一生・・・抱きしめていたい)
明日が怖くても
生きていける・・・
この温もりがあれば・・・
小さな体を一層・・・
強く抱きしめる陽春・・・
水里の三つ編みが・・・解けて座布団に流れる・・・
(おやすみなさい・・・。俺の大切な人・・・)
小さな温もりの寝息は
陽春にもうつって・・・。
眠りについたのだった・・・