デッサン3
〜君と共に生きる明日〜

第9話 今、此処から出来ること

「夏紀さん。ちょっといいですか?」 陽春が夏紀の部屋を訪ねる。 「辞書を貸してもらえますか」 ちょっと申し訳なさそうに。 「辞書・・・?何調べるんだ?」 「その・・・。恥ずかしい話なんですが、分からない漢字や言葉があって・・・」 苦笑しながら陽春は夏紀が本棚から取り出した辞書を受け取った。 陽春のその苦笑が夏紀は切なく痛い。 「・・・。恥ずかしいなんていうなよ。兄貴。別に恥ずかしいことじゃねぇ。 兄貴は他人に危害を加えられてそれで・・・。不可抗力だろ?あんまり 卑下しないでくれよ」 「はい。ご心配おかけしてすいません」 「・・・。兄貴・・・」 夏紀は思わず陽春を抱きしめてしまった。 「・・・くそ。”健気な兄貴”なんてオレはそういう趣味はねぇ。けど なんか兄貴見てるとたまらねぇんだよ」 「・・・??」 夏紀の言葉の意味が分からない陽春。 「・・・と。それよか兄貴、辞書ひいいてなに書いてんだ?」 「えっと。これを勉強していました」 陽春はとある問題集を夏紀に見せた。 『介護士試験問題集』 「兄貴・・・これ・・・」 「・・・僕はもう”医者”には戻れない・・・。でも”患者”さんの手伝い ならきっと出来る・・・と思って・・・。”医者”だったは出来ないことしたいと・・・ なんて。ちょっと・・・偉そうですが・・・」 少し照れくさそうな陽春 「謙遜することねぇよ。前向きな兄貴でオレ、嬉しいぜ? 兄貴はやっぱ兄貴だ」 陽春自身の現実だって生きづらいだろうに 他の誰かのために何かしたい。 兄弟としての記憶があろうとなかろうと、陽春は陽春だ・・・ そう思うと嬉しい。 「兄貴。いい顔してる。うおおし。オレも執筆意欲がわいてきたぞー!」 「それはよかった。頑張ってください。夏紀さん」 「おうっ。でも兄貴は・・・”ほどほど”にがんばれよな」 「はい!」 陽春の笑顔が何より嬉しい。夏紀。 目標がある、 ということは張り合いがでるということ。 小さい目標でも大きな目標でもなんでもいい。 一日一つ、例えば、誰かにありがとう、言おう、 それでもいい。 「ねぇ。私、秘書検定受けようかなって思うんだけど・・・。いい 参考書とか知ってる?」 「ううん。私は簿記2級とあと他に何か資格取ろうって思ってるから・・・」 レジの隣で水里の同僚二人の会話が聞こえてくる。 「やっぱりさ、何か受かったときってすっごく嬉しいよね」 「うん。あ、自分は認められたんだなぁって思ったら」 ちょっと真面目な話で、水里はモップをごしごし動かしながら聞き入ってしまう。 「あ、ねぇ。山野さん、山野さんは何か資格とかもってる?」 「え、あーいや・・・。特にこれといったものは・・・」 「そう。でも何かあった方がいいわよ。履歴書書く時も有利だし」 「・・・」 ”資格”の時代だとテレビや雑誌は言うけれど、 履歴書に書くと、見栄えがいいから皆は取るのだろうか? 何でもかんでも無鉄砲に、とにかく持っていればいいものなのか? 「”就職対策女性に有利な資格100選”ねぇ・・・」 水里は仕事の帰り、本屋に立ち寄りそんなタイトルの本をぺらぺらとめくっていた。 「沢山色々あるもんなんだな・・・」 ぺらぺらと捲りながら、水里はふと思う。 (・・・資格ってそもそも・・・。自分の仕事に必要だから取ったりする ものだと思うのだけど・・・。私には特にはないはなぁ) 「・・・運転免許も欲しいとは思わないし・・・。うーん・・・。でも なんか、資格取る取らない関係なしで何か、勉強はしてみたいなぁ・・・」 そう呟きながら本屋をぶらぶらしていると・・・。 「水里さん?」 「あ、春さん」 レジで陽春とバッタリ・・・。 一緒に帰ることにした二人。 陽春は介護士になる勉強を考えていると水里に話した。 「すごい!すごいですよ。春さん、私、応援しますよ!」 「そ、そうですか」 水里の喜び様に陽春の心も躍る。 「・・・でも・・・。僕に務まるかどうか・・・。持病も克服してないっていうのに何だか 生意気かもしれないけど・・・。僕、何かしたいんです。 何かを・・・」 「・・・うん。私もそう」 「水里さんも?」 「はい」 二人は赤信号で立ち止まる。 「私も何かしたいです。何か・・・。”資格”とか”免許”そんな おっきな事じゃなくても、身近なもので・・・あ、そうだ!あれがあった」 「あれって?」 「私には・・・”あれ”しかないですよ。ふふ」 信号が青になった。 水里が少し先に渡る。 「私には・・・。真っ白なスケッチブックがあったんです。ふふ・・」 水里は何か、楽しいことを思いついたんだ、 陽春はそう思った。 「ね。春さん、みんなで”勉強会”しませんか?」 「勉強会?」 「はい♪」 (きっと何かやっぱり楽しいことを思いついたんだな) 水里の笑顔がそう物語る。 陽春は水里のこういう笑顔が一番・・・好きだ、と思った。 水里が言う”勉強会” 特別、何かを成し遂げる、という内容のものではない。 「こんにちはーー!あそびにきたよ!」 その週の休日。 お気に入りのピカチュウの手提げカバンを持った太陽と スケッチブックとパソコンをもった水里が陽春の家を訪ねた。 1階のリビング。 「いらっしゃい。水里さん。太陽君!」 太陽は陽春を見るなり抱きついた。 「しゅんさん、ボク、しゅくだいもってきたよ!」 「そうか・・・。僕も沢山勉強するんだ。一緒に頑張ろう!」 「ちょっと。私だけのけ者?仲間にいれてくださいよ」 太陽と陽春はこそこそとちょっと内緒話。 「あー!ちょっとちょっと。もう!春さんも太陽もー!」 「みぃーまま、あのね、あのね、おべんきょーが終わったら 春さんね、駅前のケーキ屋さんのケーキくれるって!わぁい!」 「え、ホントですか!?私あそこのケーキ大好きなんです。うおおし! 俄然やる気が沸いてきたー!」 「ふふ・・・よかった・・・」 笑い声が 1階のリビングを包む・・・ ガラスのテーブル。 太陽は算数ドリルの『引き算と足し算』の応用問題に苦戦している。 「えっと・・・。うんと・・・」 えんぴつを鼻と口の間に乗せて腕組みする太陽。 「ふぅ・・・。結構複雑な問題もあるんだな・・・」 陽春もほお杖をついて考え込む。 「うーん。太陽、いいポーズだな」 「みぃママは何をかいてるの?」 太陽は水里のスケッチブックを覗き込む。 「んー?太陽と春さんを描いてるんだ」 「わぁ・・・ 水里は描きかけのスケッチを二人に見せる。 鉛筆描きのラフ画。 「水里さんはやっぱり絵がお上手なんですね」 「いえ・・・。でもせっかくなので・・・。そのお恥ずかしい話なんですが これに出してみようかな・・・って」 水里は一枚のパンフレットを陽春に見せた。 『集栄館絵本挿絵コンテスト』 「これに・・・応募されるんですか」 「はい。へへちょっと恥ずかしいんですけど・・・。私の取り柄っていったら 絵しかないし・・・。その絵で何か、挑戦してみたいなって思ったんです」 「すごい・・・。僕、水里さんの絵、見たいです」 「入選するかもわからないけど・・・」 「それよりも僕は・・・。貴方が描く絵が・・・見てみたいんです。僕は・・・」 (春さん・・・) 見つめあう二人・・・。 その二人の間をじーっと眺める太陽。 「みぃママとしゅんさん、にらめっこ?」 「・・・!」 水里と陽春はハッと我に返る。 「ねぇ。みィママ、お顔赤いよ。どーして?」 「ど、どうしてって・・・。あ、た、太陽。宿題の続き、しなさい」 「どーして。ねぇどうしてどうして??」 「・・・それはね・・・。太陽が大好きだからだよ〜。こちょこちょこちょ・・・」 水里は太陽を膝の上に乗せてくすぐる。 「きゃはははは・・・!」 「太陽。宿題がんばりますか。ならやめますよ〜」 「はあい。キャハハハッ」 太陽は元気よく手を上げる。 「ふふふ。水里さん”も”でしょ?」 陽春はイラストコンクールのパンフレットをチラチラ見せる。 「あ、そですね(汗)はい。うおおし!みんな、それぞれ、目標、 がんばりましょ〜!」 「キャハハハ・・・」 リビングから笑い声が絶えない。 一緒にいることが楽しくて。 心が解放されていく・・・。 あったかい気持ちに満たされるから・・・。 何気ないことで 一緒に笑い会える。 そんな誰かがいてくれたら。 いてくれることが・・・。 勇気をくれる。何かに挑戦しようと思える・・・。 「・・・って。水里と太陽は勉強しに来たのか、遊びに来たのか それとも昼寝しにきたのか?」 呆れ顔の夏紀。 スケッチブックを枕にしてすやすや夢の中の水里と太陽です。 「・・・。水里さんはきっと僕を元気付けようとしてくれたんだと 思います。だから自分も絵のコンクールにと・・・」 陽春はそっと水里に毛布をかける・・・ 「なんか水里って。案外すごい奴だよな」 「え・・・?」 「体は小さいのになんか妙なパワーがある、つーか・・・」 「ええ・・・。そうですね・・・。僕は彼女さんから色々なものを 貰っている気がします。とても大切なことを・・・」 陽春は果てしなく優しい眼差しを水里に送る・・・。 何かを感じた夏紀。 「・・・兄貴。太陽オレの部屋でねかせてくるわ」 「え、あ、はい・・・」 夏紀は眠る太陽をだっこしてリビングを出た・・・ (いい雰囲気を・・・太陽が目を覚ましたらあれだからな) リビングには陽春と水里の二人きり・・・ 陽春は水里にそっと毛布を肩にかける・・・ スースーと寝息をたてる水里。 無邪気な寝顔に陽春は 穏やかな笑みを浮かべて見つめる・・・ (水里さん、ありがとう・・・) 陽春の脳裏に”記憶喪失前”の日記の一文が浮ぶ。 ”彼女の寝顔を見ていたら 可愛らしい三つ編みに触れたくなった” (・・・) 今の在るがままを受け入れてくれる人。 在るがままの自分を見せてくれる人・・・ ・・・一緒にいて・・・やさしい気持ちになる人・・・ そんな想いが 水里の三つ編みに触れられた・・・ その様子をドアの隙間から眠る太陽を抱いた夏紀が除き見・・・ (兄貴はやっぱり三つ編みフェチか・・・。うーん肩を引き寄せる まではいかないか。つまらんな) 「・・・ふみゃ・・・?」 太陽が目を擦って目覚めた。 「あれ?みぃママハ・・・」 「しー・・・。今、みぃママと兄貴、ラブラブ中だから」 「らぶらぶ?」 「そ。仲良しさんしてるんだ。だから静かにしてよーな」 「うん。しー、ね」 人差し指で太陽もシー・・・。 (しゅんさんが、みぃママをとってもやさしーお目目でみてるなぁ・・・) そして太陽もこっそり覗き見。 (そうかぁ。みぃママとしゅんさんらぶらぶかぁ。じゃあ、 きっとけっこんするかもしれない。そしたらボク、二人のこどもになるんだ) と、密かな野望(?)を胸にこめて 太陽は思ったのだった・・・