デッサン

〜世界で一番優しい言葉〜
前編



ジリリリリリ!!!

「わッ!!」

枕元の赤くて丸い目覚まし時計のベルで飛び起きる水里。

昨日洗った長い髪も、はねるわからまるわの大爆発状態。

目を擦りながら、水里は壁に貼ってあるカレンダーを見た。

「あ。いっけない。今日は『太陽』が来る日だ」

急いで着替える水里。

水色のパーカーに白のジーンズ。

鏡の前で三つ編みをきゅっと結ぶ。

「うし。支度完了!んじゃ、太陽迎えにいくべ!」

スケッチブックの入ったリュックを背負い、水里はある場所へ向かう。

「〜♪太陽元気かなぁ〜♪」

鼻歌まで出る水里。まるで遠く離れた恋人に会うような喜びようだ。

バスで30分程の住宅街。

住宅街を抜けると細い坂道が。

坂道をゆっくり上ると・・・。

教会が見えた。クリーム色の建物。十字のマークの上には鐘が。

しかし、水里が入っていくのは教会ではない。

その隣に。

『風の唄』と表札がある門をくぐっていく水里。

入っていくと小さなグランドにいくつかの遊具があって、子供達が遊んでいた。

「あ、水里の姉貴だー!」

一斉に水里に駆け寄ってきた子供達。

「うぃーっす!元気にしてた?」

「そっちこそ。去年の冬で二十四になったってのに男、まだいねぇのかよ・・・って。はうッ!」

小生意気な事を言った少年に閉め技をくらわす水里。

「お前こそ、来年中学生なんだからその口癖なおせっての!」

手荒い歓迎をお返しする水里。

子友達に囲まれる向こうから一人のシスターの服を着た中年の女性が近づいてくる。

「相変わらず元気いっぱいですね。水里」

「シスター!護符沙汰してます!」

大原麗子似の品がある美しいシスター片岡。

この施設・『風の唄』の園長でもある。

「シスター。今日も変わらずキレイですね」

「もう私にお世辞いっても、子供の頃の様に三時のおやつのおかわりはないですよ。水里。うふふふ・・・」

本当に品のある艶のある声のシスター。

水里はシスターの笑い声が小さいときから大好きだった。

「あ、それでシスター。『太陽』はいますか?」

「ええ。今日、水里の家にお泊まりをするんだと昨夜から喜んで。あ、でも今は”あれ”に夢中で。裏庭の花壇にいますよ」

「あ、はい」

シスターの言われたとおり、水里は裏庭に行く。

ガッタンゴットン・・・。

裏庭には電車の線路がすぐ目の前に見えて、フェンスごしに一人の六歳ぐらいの少年がじっと線路を見上げていた。

ガッタンゴットン

貨物列車が通り過ぎると少年はつま先で立ち上がって首を伸ばして、列車をじーっと見つめていた。

「ガッタンゴットン。二番線、二番線、太陽列車はいりまーす!」

水里の声に少年は気がついて、水里に駆け寄ってきた。

「太陽列車、水里駅到着〜!」

そう言って水里は少年・太陽を抱き上げた。

「あはは。くすぐったいって、うんうん・・・きゃはは・・・」

太陽は嬉しそうに自分の頬を水里にすりすりとこすりつける。

「あ、ちょっと、髪の毛セットしてきたんだから。きゃは、くすぐったい!」

まるで喜ぶ子犬のように水里の髪の毛をひっぱったり、くしゃくしゃにする。


「すごい喜びようですね。太陽は」

シスターが裏庭までやってきた。

「私も嬉しいです!なにせ一ヶ月ぶりの愛する太陽との再会ですからね。会えない時間が愛を育てるのさ・・・です。ふふ」

シスターは太陽の着替えが入ったポケモンのリュックを水里に手渡した。

「水里。この週末、くれぐれも太陽のこと、頼みますよ」

「はい。命をかけてこの二日間、太陽を愛することを誓います!なーんちゃって」

「ハァ。水里のその元気が心配なのです・・・」

少し心配げなシスター。

「シスター。私に出来ること、いっぱい太陽にしてあげたいんです・・・。陽子のためにも・・・」

「水里・・・。きっと陽子は喜んでいますよ。水里のその優しい気持ちを・・・。神の元で・・・」

「シスター・・・」


水里とシスター。二人、遙か高い空を見上げた・・・。

空の向こうにいる水里の親友・陽子の魂を・・・。


「ほら、太陽。自動車、いっぱいはしってるねー」

バスの窓から、目下に走る沢山の自動車をじーっと眺める太陽。

赤い車、尾っぽがながい車、トラック・・・。

様々な車に、自動車や電車大好きの太陽は目を輝かせる。

「すごい数の車だね。あ、あの車は、にっこしのトラックかな?」

太陽は思い切り首を横に振った。

「ごめん。違ったね。じゃあ、花屋かな」

さらに太陽は激しく首を振って、手をグーの形に握りしめた。

どうやら、太陽は怒っているらしい。

「え?もっと勉強しろって?はいはい。車の絵本よんで勉強します。太陽先生」

太陽は水里の言葉に納得したのか、ポンポンと水里の頭を撫でた。そしてまた、窓を見つめ走る車観察に戻る太陽・・・。

そんな水里と太陽の不思議なやりとりを周囲の乗客達は自然と注目。

一番後ろの買い物帰りのおばさん達のひそひそ声が聞こえた。


”何を話しているのかしら・・・?”


しかし、水里は全然気にしない。

むしろそのおばさんたちににこっと笑って挨拶した。

おばさん達は自分たちの声が聞こえたのかと吃驚したような顔をした。

おちょぼ口のおばさんのびっくりした顔が何だか一瞬、水里には鶏に見えた。

「ふふっ。ふふふ。ね、太陽、今晩、鳥の唐揚げにしよっか」

太陽は親指を一本たてて『賛成』と言った。

「その『太陽語』オヤジっぽいね。相変わらず。ふふっ。うし。んじゃお肉屋さんに寄ってかえろうね!」

もう一回、親指をたてる。太陽。

これは太陽語では『賛成、はい』という気持ちなのだ。

太陽は自分の気持ちを上手く言葉にするのが苦手。

片言は時々言葉にするが、滅多に声は出さない。

だから、太陽は自分の気持ちを動作で表すことが多いのだ。


それを水里は『太陽語』と呼んでいる。

「はーい。水里さんち到着ー!」

太陽は水里の家につくなり、画材店の店の中から二階の住居までとにかく行ったり来たりと散策。

水里が台所で唐揚げを焼いていると・・・。

「おお!太陽君、君もキッチン立つのか。そうだよ。これからは男も料理が出来なくちゃ!」

お気に入りのポケモン(ピカチュウが特に)のエプロンを装着し、太陽もりっぱな『料理人』だ。

太陽は何事にも積極的な性格の男だ。だから料理も率先して参加する。

「じゃあ太陽、戸棚から白いお皿を2枚出してきてください」

”分かった”と親指を立てる太陽。

小さい体で、椅子を運び、乗っかって白い皿を2枚ゆっくりと取り出す。

危なっかしいが、水里は止めない。

太陽が転んでも受け止められる位置に立って、側にいて、見守る。

そう、生前の太陽の母・陽子から頼まれていたからだ。

”なるべく、太陽には色んなことを沢山挑戦して欲しいの。すぐ、誰かに頼ることを知って欲しくない。少し危ないことでも私が側で見守っていてやりたい・・・”


その陽子の言葉を心がけなさい、とシスターからも強く言われていた。

「お、皿準備完了〜♪じゃあ、唐揚げとキャベツを添えます。太陽シェフ、お願いします」

太陽は思い切りシェフになった顔つきで、唐揚げを菜箸で皿に盛っていく。

かなり太陽は芸術的にもうるさい男。盛る角度やキャベツの量など微妙に調整しながら持っていく。

グー。

水里の腹の虫が鳴ってしまった。唐揚げを盛るのに二十分も経過・・・。

「ねぇ。太陽。お腹減ったよ。もう食べましょう。シェフ」

水里の言葉も聞こえてないのか、太陽シェフ、食の彩を一心に製作中・・・。

「はぁ。食べるのに夜になっちゃうよ」

唐揚げがすっかり冷めてしまった。

ようやく夕食タイムの山野家。

「では、いただきます」

小さな手を合わせ、ちゃんといただきますをする太陽。

シスターは施設の子供達皆に必ず、基本的な挨拶、行儀、作法、そういった事は徹底的に教えている。

勿論、卒業生である水里も・・・。

「ふぁーあ・・・」

食事中に大きなあくびをする水里の手を軽くつねる。

「え?お行儀悪いって?あはは・・・。すいませんすいません。太陽先生」

大人になったがいまいちお行儀が悪い水里だった。


食事が終わり、入浴タイム。

「よし、20数えるから、それまで体浸かるんだよ。いーち、にーい・・・」

おかっぱ頭にやっぱりポケモンのタオルを頭にちょこんと乗せてなんとも気持ちよさそう。

6歳児の風呂好きのという渋い感性の太陽だ。

「さんじゅーう。さんじゅうしー・・・」

まだまだ余裕の表情の太陽。

「五十、五十一・・・」

水里の方がさきにゆでだこに・・・。

太陽はまだまだ湯を満喫していたのだった・・・。

「さーて。寝るぞー♪布団しくから手伝ってー」

やっぱりポケモンのパジャマ姿の太陽。

ふかふかの干したての布団に二人でダイブする水里と太陽。

そして早速、太陽は大好きな『働く車大全集』という取り出した。

「うっし。この間はどこまで読んだっけ?あ、そうかダンプカーのページからだったね」

太陽は親指をたてて『そうだよ』と言った。

「えーと。ダンプカーは・・・」

太陽が水里の家にお泊りに来たときは必ず寝る前に絵本を読み聞かせる。

これもシスターから頼まれていることだ。

来年小学校に上がる、太陽に少しでもいろいろな言葉を慣れさせたいというシスターの心遣いだ。

「じゃあ、太陽。この車はなーんだ?」

「・・・。きゅ、きゅ・・・しゃ」

「ピンポーン!!大正解です〜!太陽、10ポイント正解すれば明日の朝の目玉焼き、双子にしてあげますからがんばりましょー!」

オー!と太陽はこぶしを上げて、やる気満々。

順調に太陽は問題をクリアしていき、そして10問目・・・。

「さてラスト問題・・ってあら・・・」

あらら・・・。どうやら太陽、明日の朝ごはんの双子の目玉焼きはおあずけのようだ。

すやすやと寝息をたてる太陽・・・。


久しぶりの外出で、はしゃいぎ疲れたのか・・・。

水里は、そっと太陽に掛け布団をかけた・・・。

本当に気持ちよさそうに眠る太陽・・・。

水里は静かにどこかへ電話をかけた。

「あ・・・。もしもし。水里です。シスター。太陽、今寝ました・・・」

シスターに今日一日の事を報告する。

「ええ。もう、夕食も唐揚げペロリ食べて、御飯もお代わりしましたから・・・。育ち盛りです、太陽。ふふ・・・」

心配するなとシスターには言ったが、心配性のシスターを安心させるため電話・・・。

「はい。月曜の朝には帰ります。じゃ、シスターおやすみなさい・・・」

静かに電話を切る水里・・・。

太陽はこうして、月に一度ぐらいの割合で水里の所へ遊びに来る。

殆ど、太陽は施設の中で過ごす。

4歳の時に水里の親友で母の陽子が亡くなり・・・。

水里や陽子も世話になった『風の唄』に預けられた。

本棚からアルバムを取りだし見つめる水里・・・。

二年前の写真だ。

太陽4歳で、陽子と水里の三人で近くのお城の春のお祭りに行った・・・。

「陽子・・・。太陽、また体重増えたんだよ・・・。もう抱っこするのキツイくらい」

18で結婚して母になり・・・。でもすぐ離婚。そして、太陽が四歳まで一人で育てた陽子。

『太陽』の様にでっかくて丸いどっしりとした人間になって欲しい・・・と陽子がつけた名だ。

若いのに気っ風がよくて。下町の肝っ玉母さん的で・・・・

本当に陽子こそ、『太陽』みたいだった・・・。

太陽が、引っ込み思案で上手く人に気持ちを伝えるのが苦手なのをずっと気に掛けていた。


”大丈夫・・・。きっと太陽が頑張ればきっと太陽の気持ちは相手に伝わるわ・・・”

陽子の言葉・・・。

そして陽子はこうも言っていた・・・。

”太陽の言葉はね・・・。必死に伝えようとしている言葉はねきっと世界一優しいの・・・。ふふっ。親ばかって言わないでね。水里・・・”

「充分親ばかですとも。陽子。ふふっ・・・。ねぇ。天国から太陽はどんな風に見えてる?ポケモン好きなんだ。特にピカチュウ。ねぇ陽子・・・」

ベランダに出て、夜空の星を見上げて話す水里・・・。

人との関わりが苦手で、保育園でも太陽は一人で居ることが多いとシスターに聞いた・・・。

だから、出来る限り太陽を色々な場所に連れていって色んな物を見たり人と出会ったりしてほしいとシスターが水里に頼んだ・・・。

まだ半分子供の様な自分がしっかり者の陽子の様には振る舞えないかもしれない。でも・・・。

「あたしは、太陽の『ともだち』だ。大親友。一緒にお風呂も入ったし、まさに『裸のつきあい』だよ。あたしと太陽の友情は固いんだから。ふふ・・・」


「あ、流れ星・・・というお約束的な夜空ではないけど・・・。ちっちゃい星だけどとっても綺麗だ。太陽みたいに・・・」

小さな星でも一生懸命に光っている。

「さて・・・。明日は太陽とどこへ行こうかな・・・。そういえばお城跡で祭りがやってたっけ・・・」


日曜日。ちょっとした事件が起こることを水里は思いもしなかった・・・。