デッサン
第28話 鼻につく煙草の匂い
寝返りを何度もうつ水里。 昼間の突然の和也の訪問が 睡魔を撃退させる。 『・・・一目見てわかったよ。太陽が誰の子かって。 ・・・目は陽子にそっくりだけど・・・顔つきは俺のオヤジにも似てた』 昼間、煙草を吸いながらなんとも落ち着いた声で和也は言った。 23だった青年も今年30になる。 落ち着いた物腰。 7年ぶり。 変わったところもあれば・・・。 『・・・学園に久しぶりに行って・・・。懐かしいなと思いながら 食堂に行ったら・・・。太陽君がいた。太陽はお前に一番似てるな。食い意地 はってるところなんか”ぴかちゅう焼きそば作るんだ”って いって顔中ソースだらけで・・・。ふふ』 優しい声は 変わってない。 『・・・。太陽のこと・・・。何も知らなかったとはいえ・・・。俺は 陽子一人辛い思いさせた・・・。いや・・・。水里お前にも・・・』 その時の和也の顔に水里はカチンっときた。 父親面しただけに見えて・・・。 『・・・。辛いなんていうな・・・。あたしは太陽が生まれてきてくれて すごく嬉しかった。太陽はみんなに祝福されて生まれてきた魂なんだから・・・』 『・・・。そう・・・だな。悪い・・・。俺、なんか気取ったいい方して・・・』 すぐ自分の非を認める素直さ。 変わっていないところ・・・。 『・・・。責任感は人一倍強い和兄・・・。まさか。太陽のこと、 引き取るために日本に戻ってきた・・・っていうの・・・?』 『・・・。まぁ・・・。法的な認知もきちっとして、正式に俺の子供として迎えたいと 思ってる・・・』 体の中でカァッとした熱い怒りの雪崩が巻き起こった・・・。 『今更、何だよ!!陽子が死んだときも来なかった癖に!! 女がどんな思いで子供を産んだ思ってんのさ!!嫌な部分は見ないで 全部出来上がってからのこのこ、父親なんて役演じるなよ!!』 『水里・・・』 『・・・。あたしがカッカすることないよね・・・。”当事者”じゃ ないんだから・・・。でも・・・太陽は陽子だけの子供だ。 会わせるなんて絶対反対だから・・・』 この怒りはなんだろうか。 男の身勝手さ、ずるさを目の当たりにして『人間』として 腹が立った、そういう『怒り』? ”昔つくった自分の子供を引き取りにきた男” への無責任さ? それとも・・・。 水里の心でフラッシュバックしたあの光景・・・。 稲光で一瞬見てしまった 7年前の雨の日の・・・。 今でも戦慄に生々しい・・・ 光景。 ”男”の和也と ”女”の陽子の・・・。 「・・・くそっ!!!」 バフッ!!! 行き場のない混沌としたイライラを枕にこめて 壁になげつけた・・・。 (・・・。イライラする・・・。太陽は・・・。あたしは・・・) こんなとき。 こんなときこそ 陽春のコーヒーが飲みたい・・・。 陽春のそばで・・・。 (・・・はっ。何を考えてるんだ。あたしは・・・) 陽春に迷惑かけることでもないし それに・・・。 (知られたくない・・・。昔のこと・・・) 時計は午前3時・・・。 水里はベットから出て台所にむかった。 (・・・。自分で淹れよう・・・) お湯を沸かし、 ちょっと早いモーニングコーヒーをいれた・・・。
次の日。 水里は店を休み、シスターの所へ相談しに行っていた。 教会の聖堂。 マリア像の前で祈りをささげるシスター。 「そう・・・。和也が太陽を・・・」 「・・・。そりゃ・・・。太陽の実の父親は和兄だけど・・・。私は母親でもないけど・・・ でも今更・・・!」 「・・・。水里。あなたの気持ちもわからなくもないわ。私だって 太陽と手放したくはない。でも・・・。決めるのは回りの大人じゃない。 太陽自身なんだから・・・」 「・・・」 水里はぎゅっと拳を握った。 「・・・。水里。ずっと・・・聞きたかった事があるの。貴方は・・・」 「何?シスター・・・?」 シスターは喉まででかかったことを、どうしてだか のみこんだ。 「ううん。何でもない・・・。とにかく・・・陽子の代わりに水里、貴方が 和也とよく話しなさい。何が一番太陽にとって幸せか・・・。 そして・・・」 シスターは立ち上がり、水里と向かい合った。 「水里。あなた自身の心とも・・」 「・・・」 水里はマリア像を見上げた・・・。 慈悲深いマリア像・・・。 ”応え”を教えてくれるわけもないけれど・・・ 『神』が本当にどこかにいるならば陽子に伝えて欲しい。 ”太陽の幸せは一体なんだろう” と・・・ 「・・・マスターいるかな」 今日ほど、ここに来たいと思った日はないかもしれない。 シスターに相談した帰り、水里は即効陽春の店に足が向いていた。 (うし。落ち込んだ顔はマスターの前ではなし!) ドアのまで自分の頬をパンパンとたたいて 気合をいれる水里。 カランカラカラン・・・ 「こんにちはー!」 元気な声で中に入っていくと、そこに・・・。 「よ・・・和兄・・・!?」 「オス」 何事もなかったような済ました顔の和也。 「な。なんでここに・・・」 「店に行ったら閉店で・・・。美容室の近所のおばさんが 多分ここだろうっておしえてもらったんだよ」 (・・・余計なことを・・・(汗)) 「水里。ここのコーヒーうまいな。藤原さんって人すごいよ」 「ま、マスターは・・・」 「買出しに行くって・・・。帰ってくるまでここ使っていいからって 言われたよ」 (・・・。マスターなんでそんなこと・・・) 自分がここに来るまでの間・・・。 和也と陽春が一体何を話していたのか・・・。 (・・・余計なこと、しゃべってないだろうな・・・) 「安心しろ。お前のの”憧れのマスターさん”には余計なこと言ってねぇから」 「・・・(ぎくり)」 「相変わらず顔にでやすい奴だな・・・。ふふ・・・」 少年のように笑う和也。 やはり変わらない笑顔だけど・・・。 「ともかく、座れよ・・・」 「・・・」 話をしなければと思っていたが。 よりにもよって陽春の店とは・・・。 (場所選んでよ・・・) いつもの席に座ると、水里専用のカップにちゃんと コーヒーが注がれ、湯気があがっている。 (・・・。マスター。わざわざ淹れてくれたんだ・・・) 「・・・。水里・・・。本題にはいりたいんだけど・・・いいか?」 「太陽を引き取りたいって話・・・。あたしは和兄を止める権利ないけど・・・。 あたしは反対だ・・・。突然やってきて突然引き取りたいなんて。 太陽はモノじゃないんだ」 「・・・だよな。誰がみたって・・・俺の身勝手だ・・・」 なんで自分がこんな会話をしているのだろう。 こどもをどうするか相談している離婚寸前の夫婦のような・・・。 (なんであたしは・・・) 水里の心は疑問と違和感と・・・ 鼻につく和也の煙草の匂いがきつかった・・・。 「・・・経済的な事とかを盾にするつもりはないけど・・・。俺は ちゃんと太陽を認知する義務があると思ってる」 「・・・陽子が生きていたとしてもたぶん絶対・・・。 太陽を手放さないよ。私も陽子と同じ気持ちだ」 「わかってる・・・。俺はお前の許しをもらわないと太陽を連れて行くことできない・・・。 陽子がいない今、太陽の母親はお前だと思ってるから・・・」 和也は決して、自分が決めたことだと言って強硬なことを する人間ではない。 それは水里もわかっているが・・・。 「・・・。太陽がどうおもうか・・・。それが一番大切でしょ・・・。 大人たちの勝手にはできない・・・」 「水里。太陽は・・・言葉がうまく話せないんだってな・・・。 それは病気なのか?それともただ、恥ずかしがりやなだけなのか・・・?」 「・・・。太陽は・・・生まれる時、大変だった・・・。そのせいかはわからないけど、3歳になったけどあんまり話さなくて・・・。いや、そうじゃない。うまく自分の感情を言葉にできないんだ。でも 太陽はそれを卑下したりしたことはないよ。太陽はちゃんと太陽の『言葉』があるんだから」 「・・・。でも・・・。子供の頃はそれでよくても来年小学校だろう? アメリカになら日本より専門的医療が進んでる。太陽にいろんな”可能性”を 与えてやれる」 水里の心はさっきから チクチクチクする・・・。 太陽のこと、何も知らないくせに・・・。 太陽の可能性がどうのって父親のような言い回し。 心の奥のチクチクがおさまらない・・・ 「太陽の幸せか・・・アメリカだろうがどこだろう と・・・。大事なのは・・・太陽がいつも笑っていられること・・・。太陽の 笑顔があたしは一番好きだから・・・。大好きなんだ」 「水里・・・」 穏やかに微笑む水里・・・ 和也は思い出した。 ”和兄ちゃんの椅子、大好きだもん。水色の空と おんなじくらいすき” そういった時の微笑を・・・。 「水里。一日だけ・・・太陽と過ごさせてくれないか」 「え?」 「それで太陽君の様子を見て・・・。決めて欲しい」 「決めるって・・・」 「・・・今度の日曜・・・。俺は太陽と心を通わすことができるか・・・。 頼む」 「・・・」 自分は太陽の母親でも肉親でもない。 本当の”父親”が我が子と共に過ごしたいと言っているのに 反対する権利は・・・。 (でも・・・) 「勝手なこと言ってると自分でも思ってる。でもな・・・理屈じゃないんだ。 目の前で自分と似た子供が笑ってる・・・。抱きしめたい衝動 に駆られる・・・。愛しいという気持ちが湧いてしまったんだ」 自分の両手を少しふるわせる和也。 その眼差しからはじわりと慈愛が感じられるけど・・・。 「水里・・・。どうしても駄目か?少なくともお前の許しが なければ俺は無理は言わない。言えない・・・」 (私は当事者じゃない・・・父親に会わせないなんていう 権利は・・・でも・・・) 「・・・。わかった。日曜日、ここに太陽連れてくるよ・・・。でも和兄のことは ”私の友人”として紹介する・・・いいよね。それで」 「ああ・・・」 PPPPP! 和也のスーツから携帯の音が。 「はい。もしもし・・・。あぁ。え?そうかわかったすぐ戻る・・・。 悪い。水里。俺仕事が・・・」 「いーよ。店番はあたしがするから・・・」 「悪い・・・。じゃ、日曜日・・・」 カラン・・・。 一人、店に残された水里・・・。 「ハァー・・・」 深い、深いため息がいくつも出る・・・。 太陽を引き取る引き取らないってことだけじゃなく・・・。 和也を見ているだけで思い出す。 7年前の・・・ 記憶。 (・・・) ドン・・・! 水里の拳が・・・カウンターに激しく打ち付けられる・・・。 太陽の事だけじゃない。 和也に対して嫌悪にも似たこの感情・・・。 生々しい嫌な黒くて重い憎しみにも似た感情・・・ 7年前、突然消えて、突然現れた・・・。 なんて勝手な なんて都合よく・・・。 男の身勝手さ。 男の偏った理屈・・・。 イライラする・・・。 和也のたばこの残り香さえ気持ち悪く感じる・・・。 (・・・あたし・・・。あたしは・・・) 「水里さん」 陽春の声にびくっとさせる水里。 「あ、ま、マスター。お、お帰りなさい」 気持ちを立て直すように笑う水里。 (いつもの私に戻れ・・・いますぐ戻れ・・・) ドロドロした気持ちが顔に出ないように 必死に・・・。 「お店番させてしまってすみませんでした。あれ・・・高橋さんは」 「仕事あるって帰りました・・・。こちらこそ、私の個人的なことに お店をつかわせてもらって・・・。すみませんでした」 「いえ・・・」 (マスターは・・・全部知ってるのかな・・・) 康宏から、陽春や夏紀に話してしまって悪かった・・・と 誤りの電話があった。 できることなら、知られたくなかった。 自分の昔のことなど。 誰にも・・・。 「何だか色々迷惑かけてすみません・・・本当に本当に・・・」 「・・・。どうして謝るんです・・・?」 「えっ」 陽春はどさっとスーパーの袋をカウンターに置いた。 「水里さん。この前言ってくれましたよね・・・。 この店は”居場所”だって・・・。」 「はい。でも・・・」 「ここはあなたの場所なら、 遠慮なく・・・使って欲しいんです。来る人が・・・。笑顔になるように・・・。 元気になるように・・・ここは・・・そういう場所であってほしいから・・・」 「マスター・・・」 苛苛した もやもやした すうぅっと・・・ パンパンに張った風船の空気がぬけるように 軽くなった・・・。 「あ・・・ありがとうございます・・・」 「どういたしまして」 なんとなく。 陽春の顔を見るのが 照れくさい・・・。 「あ、あの・・・。日曜日。太陽と和兄・・・父親が会うことになったんです。 それで結論だすって・・・。太陽には私の友達って紹介するつもり で・・・そ、それであの・・・」 不安だった。 太陽が和也になついて、もし、 アメリカに行ってしまったら・・・。 「・・・。大丈夫ですよ。太陽君は」 「え・・・」 「太陽君はしっかりした子です。なんたって天下の水里ママ がそばにいるんだから何より、太陽君が大好きなのは水里ママなんだから ピカチュウよりも・・・ね」 「・・・マスター」 陽春の淹れたコーヒーと 陽春の言葉は 弱った心には覿面・・・。 破裂しそうな風船もふわっと空に飛ばしたような 柔らかい感じがする・・・。 「こんなときに何なんですが、ケーキの試食・・・お願いしていいですか?」 「え、あ、はい。丁度、お腹の時計がなったばっかりなので、 大丈夫だと思います」 「ふふふ・・・。じゃあお願いします」 甘い砂糖の匂い、 シフォンの香ばしさ。 暖炉の薪がパキっと割れて、店内があたたまり 窓を曇らせる。 (本当にこの場所があってよかった・・・) 深く深く思った・・・。 そして週末。 恒例の『水里宅お泊り』の日。 太陽はいつものようにピカチュウのリュック持参で 朝からにこにこしていた。 「太陽・・・。あのね・・・。今日。お出かけしない・・・?」 ”お出かけ” 太陽の顔は輝いた。 ”する!おでかけする!!どこいくの??” にこにこして水里の膝の上にのっかる。 「あのね。お出かけ、私、お仕事があるんだ・・・。 だから、私の”友達”のお兄ちゃんと行って欲しいんだ・・・」 ”えー?水里ママの友達?” というような顔で首をかしげる太陽。 「うん。陽子ママの友達なんだ。いいかな。初めて会う 人だけど・・・大丈夫かな、太陽」 「・・・」 太陽は少し間をおいて、ちょっと自信なさ気に頷いた。 「うん。じゃあ、行こう」 太陽より不安そうな顔で水里は、店の鍵を閉め、太陽を連れて行った・・・