デッサン
第36話 陽春、水里宅、来る





ドッシャラガシャーン!






「イタタ・・・」








右足ギプスに重心をかけてしまい階段から
落ちる水里・・・





退院したものの、片足が思うように動かないというのは
予想以上に日常生活を壊す。





(・・・やっぱ・・・人間、そんな”立場”にならないと本当の
大変さって分からないもんだな・・・)




街では杖をついてゆっくり歩くお年寄りや車椅子の人やそれを介助する
人は良く見かける。




目に見えている光景だけでしか、その人たちの大変さは想像できないが
実際自分が体が不自由な状態になってみてやっと
少し”本当の現実”が分かる。



(骨折はいつかは完治するけど・・・。いつ直るか分からない病気だったら
きっと毎日が葛藤なんだろうな・・・)





落ちたバラの絵の具を
元の棚に戻しながら水里はそんなことを考えていた。






最後の青の油彩絵の具。




水里が拾うおうと手を伸ばしたら、誰かが先に拾う。





「・・・マ・・・マスター!」






「これはどこにしまえばいいですか?」






にこっと笑い、絵の具を一番高いところの棚にしまう陽春。






「あ、あの・・・」






「骨折は折れた部分が再生するまでの一ヶ月が重要なんです。
むやみに動けなく、家事などにも影響します。僕にできること、何かありますか?」





にこにこしながらエプロンを付け出す陽春。





「お店の掃除。あ、そうだ。お昼買って来たんです。よかったら作らせてください」



「え、あの・・・ちょ・・・」





陽春はスーパーで買ってきた材料を持ってすたすたと二階へあがっていく。






「ま、マスター。ちょ、ちょっと待ってって・・・っ(汗)」





突然の家政婦(?)陽春の行動に水里、ただ、慌てるばかり・・・







(そ、掃除もしてないんだよ〜!)





「なんかホコリッポイな。窓開けますね」





「あ、あの・・・。マスター・・・」





「水里さんはソファにでも座ってください。居間、掃除機かけますから」






「あ、あの・・・」





ウィーン・・・




陽春はてきぱきと掃除機をかける。




はたきで本棚をパタパタ。




窓を濡らした新聞紙でふきふき・・・





水里が感心してしまうほどに・・・




(・・・。”イケメンマスター”の知られざる一面を見た気がする・・・)





二枚目がピカチュウのエプロンをつけて
家事をそつなくこなす光景。水里はかなり貴重なシーンを見ている気がした。




「さてと。居間はこれくらいかな・・・。あ、じゃあ今度は洗濯を・・・」





(え!??せ、洗濯っておいおい〜!???)




昨日、脱いだまま放り込んだ服がそのまま洗濯機に・・・







「ま、マスター!!も、もういいですからーーー(汗)」






洗濯機に張り付いて陽春をとめる水里。







「あ、あの・・・。でも、洗濯物干すのも大変だと・・・」






「た、大変だけど、こ、これは自分でやりますッ(慌)。ま、マスター。
あの、お気持ちはありがたいけど、あの・・・。わ、私も
こ、これでも一応、独身の女なんです。な、なんいうか、
その・・・。プライベートがあるというか・・・」






口ごもる水里。







「・・・あ・・・。す、すいません。そうですよね。
勝手に一人で・・・。ただ何か手伝えることがあればと・・・。すみませんでした」





「い、いえ。お、お気持ちだけ受け取っておきます・・・」





まじまじと謙虚にわびられるとこっちが申し訳ない気がする。




(・・・マスターはやっぱり天然だ・・・。でもなんか
私・・・微妙に”一人暮らしの女”って思われてないのかと思うと複雑なものが・・・(汗))




「じゃあ・・・。僕にできることをさせてください。骨折して不便なことは何かありますか?」





「不便なこと・・・。階段が上ることとあと・・・トイレに手すりなんかあったらなぁと・・・」






にこっと陽春は笑った。






「わかりました。その位なら朝飯前です」






そう言うと陽春は一旦、自分の店に戻り
大工道具と木の板や日用雑貨その他もろもろ持ってきた。







ギギギ・・・!





二階の居間にあがる階段。


その両脇にホームセンターで買ってきたプラスチック製の2mほどの
手すりをネジで取り付けていく。




それから階段に滑り止めのシートを貼り付ける。





「ホームセンターにあるもので結構色々、”バリアフリー”は
できるんですよ」






料理も家事も上手い。



イケメンで正確も〇ときたら・・・





(きっと・・・。独身女性のお見合いパーティーとか行ったら
女が群がるだろうな・・・)







陽春の突然の訪問。




嬉しいやら恥ずかしいやら。





(・・・。きっとマスターはただの”感謝の気持ち”なんだろうな・・・)





笑顔で作業をこなす陽春。




水里は嬉しさの反面。





少し戸惑う。







(マスターには分からないだろうな・・・。好意を持ってる男の人に
自分の部屋を見られる緊張感なんて・・・)





そんな思考がよぎる。



(”好意を持ってる”ってなんだ!ち、違うぞ〜。そのフレーズは
帳消しだ〜!!あたしは色恋沙汰なんて興味ないんだからな〜!)





一人、頭を抱えて問答する水里・・・(汗)





トイレや洗面所にも手早く手すりをつけ
2時間ほどで作業終了・・・









「ほんと・・・。つかまる所があるだけで、こんなにラクです」






階段を上がったり降りたりする水里。





「無理な体勢をしないだけでも負担が少なくなります。これからの
家にはかかせないですね」





まるで営業マンなような台詞。






紅茶をカップにそそぐ水里。




「ありがとうございました。本当に助かります」





「いえ・・・。助けられたのは僕の方ですから・・・。水里さんと太陽君に・・・
救われました」






「・・・」








水里は本当に陽春という男は真面目でまっすぐだと
思った。




そのまっすぐな心が



復讐という哀しい行動に繋がる・・・






(でもきっと・・・。マスターの痛みが完全に癒えることは
ないんだろうな・・・。田辺の”謝罪”がないかぎり・・・)








「・・・太陽君は元気ですか?」







「はい!ぴんぴんしてます!」




「よかった・・・。あんなことに巻き込まれてショックが残っていないかと・・・。
幼児期の辛い出来事は後々残るから・・・」





ピカチュウのエプロンを優しげに見つめる陽春・・・






「・・・。太陽君が必死に叫んだ・・・。僕は太陽君のあの声を一生忘れません・・・」









「・・・。私もです」











”ますたーだめぇー・・・”






太陽が声を絞って出したあの声。








必死になって叫んだあの声。








太陽の必死の心が陽春に届いたんだな・・・






そう実感できて水里は本当に嬉しい・・・








「・・・。水里さん。僕・・・。店を畳もうかと思うのです」







「・・・え・・・!??」








カップを思わず、カチャッと置いてしまう水里。










「・・・。色々考えました・・・。あの店を続けていくということは確かに雪の意志を
継いでいるけど・・・。しがみ付いていただけなのかもしれない・・・。
雪がいないという現実を受け入れられないだけなのだと・・・」










「・・・」









「・・・。災害地域への医療ボランティア募集していて・・・。行こうかと思っています」











琥珀色の紅茶の表面が揺れる・・・









「水里さんや常連さん達には本当に感謝しています・・・。でも向こうへ行ったら
一年・・・いや二年は帰ってこられないかも・・・」








「・・・。わかりました。マスターがお医者さんに戻って、
苦しんでいる人たちを助ける・・・。とっても大切なことだと思う・・・。だけど。
反対だ」






「え・・・?」





水里は陽春をまっすぐ見つめて







言い放つ・・・







「は・・・。反対ってあの・・・」









「”四季の窓”はマスターだけの店じゃない・・・」







「でも水里さん僕はいい加減なことはしたくない・・・。いつ戻れるかわからない
のに続けるわけには・・・」






「・・・私がやります。マスターが帰ってくるまで私がお店、続けます・・・!」






はっきり言い放った水里の膝に・・・


ミニピカがちょこんっと乗っかった・・・