デッサン
第37話 私にできること
"私がお店やります"
自分でも思わぬ言葉を発してしまったと
水里と後悔してが後には引けない
「・・・お気持ちだけで充分です。そこまで店のことを思ってくださってありがたいですが・・・」
「でも私・・・」
「・・・いいんです。水里さん」
陽春は水里の言葉を遮るように
強い口調で言った。
「・・・。水里さん・・・。貴方には本当に感謝しています・・・。貴方に出会って・・・。
貴方を取り巻く人たちと知り合えて僕は・・・
雪が死んでからずっと張り詰めていた僕の心は・・・。緩んでとても穏やかになれた・・・」
琥珀色の水面に映る陽春・・・
本当に穏やかな言葉で
表情で話す・・・
だが水里にはどこか
陽春の微笑みに深い疲労感を感じられた・・・
「僕はやっと雪の死を・・・
自分自身で見つめられるようになった・・・。”卒業”しなくちゃいけないんです・・・。
そしてもっと強くならなくちゃいけないんだ・・・」
雪を奪った田辺を追い詰めて・・・
田辺と雪の元へ逝こうと思ったとき・・・
陽春の足が
微かにすくんだ
「・・・。水里さん僕は・・・。怖かったんです。田辺と飛び降りようと
したとき僕は・・・。雪の”死”を・・・受け入れられないのに
自分は死ぬのが怖い・・・なんて・・・。ズルイ自分の本性を見た気がした・・・」
「・・・」
ぐしゃっと前髪を掻き揚げる陽春・・・
「・・・そんな僕に・・・。人の心を癒すコーヒーなんて・・・。
申し訳ないじゃないですか・・・。僕自身がもっと強くならなくては・・・
自分の人生に前向きになれるように・・・。だからそれまであの店は閉めます・・・」
「じゃあマスターが”前向き”になるまで私が留守番します・・・
マスターが自分自身に納得がいくまで・・・。だからお願いです。閉めないでください」
「水里さん・・・」
陽春は申し訳なさそうに首を横に振る・・・
「・・・マスター・・・」
「本当にありがとう・・・。でも・・・。すみません・・・。僕はもう・・・。決めたんです・・・。
僕は・・・。”卒業”しなければいけないんです・・・」
(そんな・・・哀しい声で言わないでください・・・)
陽春の頑なな決意に・・・
水里はそれ以上何もいえなかった・・・
その夜・・・
水里は考えた
ギプスの右足をさすりながら
ミニピカが水里の膝にちょこんとのっかって・・・
沢山 沢山考えた・・・
(マスターは・・・。探してるんだ・・・。きっと・・・。雪さんがいないこの現実
で生きていくという『きっかけ』を・・・)
陽春にとって雪が人生の全てだった
店を続けていくことが支えだった
だけど・・・
”僕は卒業しなければいけないんです・・・。弱い自分から・・・”
陽春はあの店が
『雪の思い出』しかないということに気づいた・・・
「・・・でも・・・。あそこは雪さんの思い出箱ってだけじゃない・・・。あたしにとっては・・・
あたしにとっては・・・」
あの店で。
色々な人と出逢った
出逢って 関わって・・・
関われたことに喜びを感じている自分を知ることが出来た・・・
新しい自分を見つけたンだ・・・
(・・・新しい・・・自分・・・か・・・)
手鏡をじっと見つめる水里・・・
同じ顔の自分に尋ねてみる
「ねぇ・・・。・・・。私に何ができるかな・・・。
どうしたら・・・。どうしたら・・・」
鏡の中の自分・・・
何も応えてくれない・・・
(新しい”私”なら・・・教えてよ・・・)
自分にできること・・・
”私”に出来ること・・・
(・・・私・・・?)
水里は起き上がり、
松葉杖をついて屋根裏へ続く細い階段を
手をついてあがる
父・水紀のアトリエだった屋根裏・・・
カチ・・・
ランプをつけ、父が残した絵を見つめる・・・
(『私』にしかできないこと・・・。『私』)
自分にしか出来ないこと・・・
水里にあるもの・・・
それは真っ白なキャンバスと
絵の具たちと筆だけ・・・
心模様を
絵に託す・・・ということだけ・・・
「・・・父さん・・・。私・・・」
真っ白なキャンバスを手に取る水里・・・
「・・・私・・・。試してみる・・・。マスターが新しい自分を探すように・・・
自分の心を・・・」
※
次の日・・・
水里は美術館の事務室の扉の前にいた。
「あの・・・。すみません。ちょっと伺いたいのですが・・・」
事務所の扉には張り紙が風に揺れている・・・
『第45回●●県美術展覧会参加作品募集』
と書かれたポスターが・・・
カラン・・・
陽春の店のドアが開く
半月ぶりの陽春の店・・・
最初に見えたのは松葉杖。
「わっ・・・」
バランスを崩した水里は思わず床に手をつく・・・
「水里さん・・・!」
「大丈夫です。一人で立てるから・・・」
駆け寄る陽春だが・・・
水里は自力で立ち上がった
そして一枚の紙を陽春に見せる・・・
「・・・県展応募要項・・・?」
「”人に見せる絵”なんて私・・・描くつもりは今も昔もありません・・・でも・・・。
私も探してみたくなったんです。試してみたくなったんです
『新しい自分』を・・・」
「・・・水里さん・・・」
「もし・・・県展で私の絵が入選したら、このお店・・・。閉めないでください!お願いします・・・!」
陽春に頭を下げる水里・・・
水里に、
迷いはなかった・・・