デッサン
〜ずっと待つ君の心の色・黄色のチューリップ〜
前編
「さーって。そろそろ店じまいすっかな」

店内の商品を一通り整頓し、今日の売り上げを金庫に入れる。

そして店のガラスのドアに木でできた看板を裏返しにして『コールド』にする。

「さて・・・。行きますか!」

自分の家はここなのに、店が終わっていく場所とは・・・。


『喫茶・四季の窓』

店が終わると必ず陽春のコーヒーを飲みいく。日課の様になっている。

「で、公園に保育所の子供達が散歩に着たんです。ほら、移動式ベビーベットに赤ちゃんいっぱい乗っけて・・・。すごく可愛くって思わず抱っこさせてもらって・・・」

いつものカウンターの一番右端にの席に座り、今日あった出来事を楽しそうに話す水里。

陽春もそれを笑いながら聞いている。

「赤ちゃんの寝顔ってすごくいい顔でスケッチさせてもらったんです。そしたら描いてるこっちまでなんだか眠たくなってきちゃって・・・。私だけまだ春みたいです」

「店の前の花壇のチューリップと同じですね。5月だというのにまだ頑張って咲いています」

美味しいコーヒーと、陽春の笑顔が一日の疲れを癒す・・・。

居心地がいいこのカウンターの席。

特に夕焼けが綺麗な夕方は特に眠くなるほどに・・・。

「ふあ・・・」

ほっとして。

安心して・・・。

瞼が重くなって・・・。

夕日に照らされて水里はカウンターに頬をつけるようにして眠った・・・。

陽春は白い毛布をそっと水里の肩にかける・・・。

この白いショールには黄色いチューリップの絵が描かれていて・・・。

”私、チューリップって大好き・・・。お店の花壇はチューリップでいっぱいにしましょうね。陽春”

亡き妻のショール・・・。

(雪・・・。すまないが今だけ借りるよ・・・)

水里のあどけない寝顔にくすっと陽春の顔が綻ぶ・・・。

柔らかくてあったかいショールに包まれて・・・。

眠った・・・。


そして次の日の夕方。

(・・・昨日は思い切り閉店間際まで眠ってしまった・・・。マスターに間抜けな寝顔みられたと 思うと恥ずかしいのだけれど・・・)

気がつけば喫茶店の前にいる水里。

足が自然にこっちに向いて・・・。

(マスターのコーヒー飲みたさに来てしまった・・・)

水里はふと花壇に眼がいった。

昨日、陽春が言っていた通り、チューリップはまだ蕾だ。

水里はしゃがみ、チューリップの花びらに触れた。

(もう五月なのに・・・まだ咲かないのかな・・・)

固く閉じたままのチューリップ。まるで何かを待っているように見える・・・。

「もう春は過ぎたよ?そろそろ起きたら?」

そうチューリップに声をかけていると、店の中から中年の男の声が聞こえてきた。

(誰だろう・・・。随分とマスターと親しそうに話してる・・・)

カウンター越しに中年の男は何か陽春に見せている。

「陽春君。雪をおもってくれる気持ちは親としては嬉しいが・・・。そろそろ自分のことも考えたらどうかね?」

「お義理父さん・・・」

話すの様子から中年の男は陽春の亡き妻・雪の父親らしい。

さらに陽春が手にしているのはどうやら見合い写真に見えた。

「君には唐突だと思ったんだが私の知り合いから誰かいい相手がいないかと紹介されてね・・・。年も君と同い年で気立てもいい・・・。こちらの事情も話したら相手の方も理解してくれて・・・。どうかね?一度だけでも会ってみたら?」

「・・・」

陽春はすぐさま写真を雪の父に返した。

「すみません。お義理父さん。お気持ちだけいただきます・・・。お見合いはする気はありません・・・。本当にすみません・・・」

「・・・。そうか・・・。無理強いはできんな・・・。だが、陽春君。これだけは言っておくよ。雪に義理立てすることはないのだからね・・・?それはきっと雪も願っていると思うのだよ」

「お義理父さん・・・」

雪の父はコーヒーをぐいっと飲み干す。

「相変わらず君のコーヒーは美味しいよ。じゃあごちそうさま」

雪の父が店から出てくる。

(や、やばい・・・)

水里は花壇の影にささっと身を隠すが思いっきり怪しい。

「・・・?」

雪の父は若い娘がこんなところで何をしているのかいった視線を送って店から立ち去った・・・。

(・・・何で私は隠れたんだろうか・・・?)

自分でも分からない。

「あれ?水里さん、そんなところで何してるんですか?」

陽春にも見つかって水里は思わず。

「あ、そ、その、チューリップが早く咲かないかなぁと思って・・・」

と言った。

(わ、わざとらしい言い訳かな・・・)

「ええ・・・。本当に。毎日水はやっているんですが・・・。毎年植えたのに・・・」

蕾のチューリップをひどく・・・

切なげに見つめる陽春・・・。

「あ、すみません。コーヒーでいいですよね。水里さん」

切ない思いを振り切る。陽春はいつもの笑顔に戻って。

(・・・。あのチューリップ・・・。きっと奥さんと・・・)

そんな気がした水里だった。

カウンターのいつもの席に座ると水里はある物に目がいった。

雪の父が置いていった見合い写真・・・。

(・・・すごく・・・綺麗で優しそうな人だな・・・)

どことなく・・・。

雪に雰囲気が似ている・・・。


「・・・さっきまで雪のお義理父さんが来ていて・・・。って話し声、聞こえましたよね?」

「・・・。あ・・・。う、うん・・・」

隠れた意味がなかったなと思う水里。

「雪が亡くなってからもずっと僕のこと気にかけてくれて。でも・・・。お見合いだなんて・・・。びっくりしました・・・」

「マスター・・・」

「・・・。お義理父さんの気持ちは有難いけれど・・・。僕は・・・」

陽春の切ない視線の先には・・・。やはり窓の外のチューリップ・・・。

やっぱりあのチューリップは雪との思い出なのか・・・。

「マスター。咲きますよ。きっと」

「え?」

「花壇のチューリップ。ちょっと寝坊すけなだけですよ。相当寝坊常習犯な私が言うんです。間違いない。って自慢することじゃないけど・・・。きっと咲きますから・・・。ね!マスター」

「水里さん・・・。そうですね。きっと・・・」

たった一度しか会ったことはないけれど、水里は覚ええいる。

仲むつまじい夫婦の姿。

チューリップの様な愛らしい雪の笑顔を。

陽春の心の中にはずっと、雪の笑顔が在るのだと水里は感じていた・・・。

大切な人が突然・・・。

いなくなる・・・。


どんな気持ちだろうか。

この世で一番大好きな笑顔がなくなる・・・。


心は痛くて泣きたくなるだろうな。


辛すぎて食欲さえなくなるのかな。


マスターのコーヒーは・・・悲しい味になったのかな・・・。


「フゥ・・・」

ベットの中で何度も寝返りを打つ水里・・・。

その夜はなかなか寝付けなかった・・・。




それから数日後。

いつもの様に水里は店を終え、陽春のコーヒーを飲んでいた。

「マスター。この桜ケーキ、とっても美味しいです。きっと女性のお客さんは喜びますね!」

「ありがとうございます。じゃあ、メニューにいれてみようかな・・・。水里さんから太鼓判貰えたから」

「私の太鼓判なんて当てになるか分からないけど、美味しいのは間違いないですから。ふふ・・・」

新メニューのことで話が盛り上がっていると・・・。

カランカランカラン・・・。

甘い香水の匂いが漂う。

(あ・・・あの人は・・・)

ピンクのワンピース、ふわっとカールした肩までの髪・・・。

チラッと見た、見合い写真の女性だった・・・。

「こんにちは・・・。陽春さん・・・お久しぶりです。高野愛子といいます。突然、お伺いしてごめんなさい」

「一体どうされたのですか?お見合いの話は申し訳ありませんがお断りしたはず・・・」

「ええ・・・。分かっています。でもどうしても陽春さんのコーヒーが一度飲んでみたくて・・・。今日は『お客』としてきましたの。 座ってもよろしいかしら?」

「ええ。どうぞ」

水里の横になんとも女っぽく座る愛子。

「コーヒーでよろしいですか?」

「ええ。お願いします」

ピンクの口紅・・・。

気品の在るお嬢様・・・という雰囲気で・・・。


落ち着いた物腰の陽春。おしとやかな愛子・・・。

なんとなく・・・自分は浮いてるな。と感じる水里。

「あら・・・。こちらは・・・」

「あ、え、えっと私はた、単なる常連客の山野という者です。マスターのコーヒーにはいつもお世話になっておりまして・・・」

「そうですか。陽春さんのコーヒーって本当に美味しいんでしょうね・・・。飲むのが楽しみです」

(あ・・・)

愛子の顔が一瞬・・・。

二年半前にみた雪の笑顔と重なった。

(似てる・・・かも・・・)

「はい。お待ちどうさまでした」

「いただきます」

愛子はコクコク・・・と静かに一口含んだ・・・。

「・・・はぁ・・・。何だか心の芯まで温まります。本当に・・・」

「ありがとうございます」

なんとも美男美女で絵になる・・・。

「それに、このコーヒー豆は・・・。ブラジルの西部地方原産じゃないですか?」

「ええ。そうです。よくお分かりなりましたね」

「私、趣味で世界のお茶の葉をあつめているんです。陽春さん、他にどんな種類をお使いですか?」


何だかコーヒーについて話が盛り上がっている陽春と愛子。

(・・・。なんか・・・)

なんだか・・・。浮いている・・・。

「あ、マスター。私、そろそろお暇いたします〜。夕食の買い物あるから」

「え・・・。あの水里さん・・・?」

「じゃあ、また明日、マスター!」

カランカラン・・・。

少し、急ぐ様に帰ってしまった水里。

陽春は少しそれが気になった・・・。

『また明日・・・』

しかしそれが少し愛子の存在によって変化することを水里はまだ知らなかった・・・。