デッサン
〜夕陽の子守唄〜
前編

ひとときでも


あの子に会えてよかった


一緒に笑って、おいしいものを食べて


昔、手放してしまった小さな手を


もう一度握られた


神様、ありがとう


わが子を捨てた母親に


神様、最後にこんな素敵なしあわせをくれて


ありがとう ありがとう・・・。



カラン・・・ッ。

「水色堂」に薄紫色の着物を着た上品なおばあさんが尋ねた。

画材屋におばあさん一人の買い物・・・というのは珍しい・・・。

おばあさんは一通り、店内を見て回ると水里に深々と挨拶を。

「あの・・・。はじめまして。あの・・・。絵の・・・依頼をこちらで受け付けていらっしゃるとお聞きして参ったのですが・・・」

「あ・・・。はい。承っております。どうそ、こちらにお座りくださいッ」

あわてて丸椅子を用意する水里。

おばあさんの礼儀正しさに水里の背筋もぴんと伸びる。

「あの、お番茶しかないのですがどうぞ・・・」

「これは恐れ入ります」

会釈するおばあさん・・・。

そのおばあさんの名は倉持玉江という。

玉江の描いて欲しい絵とは、生き別れになった息子の絵だという・・・。

「写真がないのです・・・。息子には記憶の中でしか会えなくて・・・。そんなとき、似顔絵の上手な描き手の方がいると聞いて・・・でもこんなに若い方くて可愛らしいとは思いませんでした」

「い、いえ・・・」

水里は少し照れくさそうに鼻の頭をかいた。

「ふふ・・・。もし息子が生きていて・・・。その息子がけっこんして女の子が産まれていたら貴方ぐらいかしら・・・」

手放した息子の事を話す玉江・・・。

優しい、わが子に対する想いで満ちた顔だ・・・。

優しくて・・・慈悲深い・・・。

「そう・・・。息子は目がもっとくりっとしていて・・・。右目の付け根にほくろがあるんです。でもその代わりに髪はとっても綺麗なの」

亡くした息子の特徴を嬉しそうに話す玉枝。

その柔らかな表情は『母』の温かさに満ちている。

戦争が終わって、まだ日本が貧しかった時代。

食料も少なくて栄養失調でなくなっていく子供達は少なくなかった。

玉枝の息子もわずか4歳で、風邪と栄養失調でわずか4歳で幼い命を落しそうになり・・・。育てられなくなって養子に出したという・・・。

「今の時代は・・・。有り余るほど何もかもが豊かだけど・・・。心が栄養失調なのね・・・」

「そうですね・・・」

「初対面なのにごめんなさい。こんなにおしゃべりして・・・。どことなく水紀に貴方が似ている気がして・・・」

「・・・。でもきっと息子さんはもっと玉江さんに似てきっと素敵な大人なんじゃないかな。玉江さん見ていたらそう思います」

「うふふ・・・。ありがとう・・・。あら。もうこんな時間」

時計は午後三時半を過ぎている。

「ごめんなさい。この続きはまた今度でいいかしらねぇ?あの・・・。明後日またうかがってもよろしいかしら?」

「あ、はい。お好きな時間にまたいらしてください。また、お番茶用意して待ってますから」

水里の”待ってますから”の言葉に玉江はにこっと目じりのしわをくしゃっとさせて笑った・・・。

そのときの笑顔が水里も嬉しくて。

それから、玉江は買い物時の二時から三時になる水色堂にたずねるようになった。

依頼した絵の作業もそうだがおしゃべりが水里も玉江も楽しくて。

「えー。わー!玉江さん、上手ですねぇ!これ、本当にもらってもいいんですか?」

「ええ。水里ちゃんに似合うかどうか分からないけど・・・」

薄紫の綿の生地でできた、可愛いポーチ。

和裁の得意な玉枝は水里に色々なものを作って持ってきた。

「水里ちゃんは小柄ね。でもとっても色が白いから着物がきっと似合うわ」

「着物かぁ・・・。私、着物って着たことないんです。成人式とかもしなかったし・・・」

「じゃあ、もしよかったら、私の若い頃の着物だけどもらってくれないかしら・・・」

「え、で、でも着物って高価なものじゃ・・・」

「箪笥の奥で眠っているより、誰かに着てもらったほうが着物も喜ぶわ」

というわけで、水里は玉枝の着物を貰い受けることになった。


「えーっと・・・紫陽花荘はこの角を曲がって・・・」

玉枝に書いて貰った地図を頼りに隣町の住宅街を歩く水里。

「あ・・・ここだ・・・」

古びたアパート。木造でアパートの前の空き地にはたくさんの紫陽花が群生していた。

(だから紫陽花荘っていうのか・・・)

玉江の部屋は二階の一番端の部屋。

階段を登るとき、ふと気がつく。

郵便受けの名札が全て真っ白。住人の名前が書いてない。少し変だなと思いつつ水里は玉江の部屋を訪ねた。

コンコン。

「玉江さん、いらっしゃいますか?水里です」

ガチャ。

クリーム色のブラウスに灰色のズボンを履いた玉江が出てきた。

「水里さん、いらっしゃい!お待ちしておりました。さぁ狭いところだけど入って入って」

玉江は喜んで水里を迎え入れた。

「おじゃまします」

部屋の中は2LDK。たたみの部屋が二間ある。

こじんまりとした部屋。小奇麗ですっきりとした部屋だ。

「ちょっと待っていてね」

早速玉江は桐箪笥から何枚かの着物を出してきて、水里に見せた。

「わ〜。綺麗・・・」

藍色、赤、深緑・・・いろんな色の着物。

「見てるだけじゃ分からないから。水里ちゃんちょっとこっちにたってみて」

鏡の前にたった水里。

玉江は着物を水里の肩にあててみたりした。

「やっぱり色白だから似合うねぇ。水里ちゃん。どの色がいい?」

「どれも綺麗で・・・。でも藍色がいいかなぁ・・・」

「そうねぇ。いいわね」

玉枝が選んでくれた着物を着てみる水里。

「まぁ!とっても綺麗よ。よく似合ってる」

「そ、そうですか?なんか恥ずかしいな・・・。歩きずらいし・・・」

「ふふ。慣れよ。昔は着物は日常着だったんだから。ねぇどうせならお見合い写真でもとっておいたらどう?」

「え、い、いいですよ!そんなのまだ私早いし」

「そう?それとも水里ちゃん好きなひとでもいるのかな?」

ドキ。

一瞬、陽春の顔が浮かぶ。

「い、い、いません、そんな人は断じていませんッ」

慌てまくる水里。

「うふふ・・・。水里ちゃんたら・・・。さ、もう一枚いい色のがあるの着てみて」

自分の背中に着物を合わせてくれたりする玉江の匂いを感じていると不思議に甘えてみたい気持ちなる。

あったかくって・・・。

”母親”というのはこういうものなのだろうか。

自分は『母』を知らない。

生まれたときから父親しかしらない。

生きているのか死んでいるのか。

どんな女性だったのか。

父に一度だけ尋ねたことがある。

”私のお母さんはどんな人・・・?”

すると父親の『水 紀』は一言だけ・・・。


”空の色、水色の様に澄んだ目をした人だったよ”

それだけ応えた・・・。水里もそれ以上聞かなかった・・・。聞いちゃいけない気がした・・・。応える父親の顔が辛そうに見えたから・・・。

「あーおいしかったぁ。満腹満腹」

ジャガイモの煮っ転がしを全部平らげた水里。

夕食までご馳走なってしまった。水里は帰ろうとしたのだが、『是非夕飯も食べていって』

と、もう今日の朝から水里の分の夕食を作っていた。

「私もジャガイモのにっころがし好きです。あ、まぁ、イモ類、豆類は何でも大好きなんですけどね。ふう。本当に美味しかったです」

「うふふ。よかった。ねぇまたこうして時々夕食食べにきてくれないかしら?ほら・・・。一人だとどうしてもつくりすぎちゃうのよ」

「いいんですか?うれしいなぁ。あたしって遠慮ってもの知らないから本当にまた、ぺろっと食べちゃいますよ」

「お安い御用よ!私のほうこそ嬉しいわ」

二人は食事の後もたわいもない話で笑い合った。

まるで母子のように。

「あっともうこんな時間だ。そろそろお暇します」

「あら。そう・・・。ねぇまた是非きてね!これ、持っていって!」

玉江は煮っ転がしをパックにつめて水里に渡した。

「ありがとうございます!明日の夕食にまたたべますね!じゃあ・・・」

水里がドアを開けようとしたとき。

コンコン。

「倉持さん。こんばんは」

中年の男が尋ねてきた。

その男を見たとき、玉江は怪訝な顔をした。

「倉持さん・・・。そろそろ次の転居先のめどつきましたか?」

大家という男はズズうしくどかっと玄関に座ってどすの利いた声で言った。

「あ・・・大家さん。それが・・・」

「まだなんですか?まったく・・・。困るんだよなぁ。一週間後にはもうここ、取り壊しの工事始まるんですよ。二ヶ月も前からお伝えしたはずでしょ?もう、残ってるの倉持さんだけなんですよ」

大家はぷかぷかとタバコまで吸い始めた。

「でも・・・。どこのアパートも高くてみつからないんです・・・」

「・・・。まぁね、倉持さんのご事情も分かるからだから私の紹介した老人ホームいかがですかって言ってるんですよ。なのにそれもいやだって言う・・・。こっちはね、慈善事業じゃないんだからねいい加減にしてほしいなぁ・・・」

「・・・」

大家の言葉に萎縮してビクビクする玉江。

「まぁ老人の一人暮らしなんてどこのアパートも相手にしないのは当たり前だけどねぇ。ハハ・・・!」

なんとも鼻の穴をヒクヒクさせて不快な笑いをする大家


プッチン。


水里の怒りのスイッチが入った。

「ちょっとあんた!!さっきから聞いてりゃそれでも大家なわけ!?一方的なことばっかり言って!!おもいやりってもんがないのか!!」

大家にかみつく水里。

「な、何だ、あんたは」

「なんでもいいだろ!いい大人が!ずっと玉江さんはここに住んできたんでしょう!?だったらもう主みたいなものじゃない!その玉江さんを追い出そうなんてどういう了見よ!」

「水里ちゃん、もういいから・・・」

「でも・・・」

「大家さん、来週中にもし見つからなかったら私、大家さんの言うとおりにしますから・・・」

「本当ですよ!」


バタンッ・・・!

大家は荒々しくドアを閉め帰っていった・・・。

「玉江さん・・・。本当にこのままでいいんですか?」

「・・・。仕方ないのよ・・・。この年で新しいアパート探そうと思ってもどこも断られて・・・。年寄りなにが起こるかわからないからって・・・」

「そんな・・・」

在る不動産屋では入り口のアパートの広告を見ていただけで門前払いされたところもあった。

「年寄りの上にアパート借りるときの保証人もいないんじゃ誰も貸してくれなくて当たり前なんだけどね・・・」


「そんな、あきらめちゃいけません!!」


水里はがしっと玉江の両手をにぎった。

「保証人なら私がなります!こんな不条理な現実ってありますか!?お年寄りだからなんて理由でアパートが紹介してもらえないなんて!!徹底的に戦いましょう!うん!今度の日曜、町中の不動産屋まわりましょう!私、あきらめませんよ!よっしゃ!!」

拳をぐっと握って戦闘態勢万端の水里。

あの大家の高飛車な笑い声を思い出すとふつふつと怒りがわいてくる。

「じゃ。そういうことで。日曜日迎えにあがります!ではッ」


一人、やる気満々の水里は紫陽花荘を後にした・・・。


玉枝は水里に握られた手をぎゅっと握り締める・・・。


宝物を握り締めた子供のように・・・。


(まだあったかい・・・。水里ちゃん・・・)

紫陽花荘の紫陽花が・・・。

嬉しそうに風に揺れていた・・・。