デッサン
〜夕陽の子守唄〜
後編

梅雨入りしたと天気予報で言っていたが、今日は朝から30度ちかくあって真夏日だ。

薄紫と水色の日傘が二つ並んで歩いている。

「玉江さん、大丈夫ですか?今日、もっと暑くなるっていってたけど・・・」

「私はね鹿児島生まれよ。暑いのには慣れているの。この位はまだ肌寒いぐらい」

水里の方が早くもだれている。

「よし!まずは一軒目だ!」

気合を入れて玉江の転居先探し。

下手な鉄砲数打ちゃあたりの論理でとにかくあたっていけばきっと見つかるだろうと水里は踏んでいたが・・・。

『申し訳ないのですが高齢者の方の入居はお断りしております』

『どなたかお身内の方がおられないとなると・・・少々難しいですね』

『どのアパートも若い人向けでねぇ。ましてや希望する安い家賃のアパートなんてもうないよ』

色々と難癖つけて断ってくる。中にはこんなたちの悪い店も。

『え?アパートないかだって?冗談じゃない!年寄りなんて!!この間、小火(ボヤ)騒ぎ起こされたばっかりなんだ!!さ、帰った帰った!!』

と、門前払い。

二十件近くまわってみたがどこも結局紹介はしてくれなかった・・・。

「くっそー!!どーなんてんの!日本の国は!お年寄りを避けるみたいなことばっかり!!」

オカカおにぎりをばくばくほおばる。

お昼になり、公園のベンチで玉江がつくってきたお弁当で昼食を取っていた。

「水里ちゃん、あんまり怒りながら食べるとつまっちゃうわよ」

ゴホゴホッ。

玉江の忠告の前に噎せる水里。

「ほらほら言わんこっちゃない・・・。はい、お茶よ」

水筒の冷えたお番茶を水里はごくごく飲んだ。

「す、すいません。つい興奮しちゃって・・・」

「うふふ・・・。でも水里ちゃん、保証人のことだけど、やっぱり申し訳ないから遠慮するわ」

「え?でも・・・」

「私の知り合いに頼むことにしたの。だから水里ちゃんにはアパート探しをお願いしたいの」

「はい!頑張ります!あ、お稲荷さん、もう一つもらっていいですか?」

「どうそどんどん食べて」

お重のお稲荷さんを全部平らげた水里。

久しぶりの陽気におなかも膨れたら眠くなる・・・。

「まぁ・・・」

体を九の字瞼を閉じて寝息をたてる水里・・・。

「寝冷えしたらいけないわ」

玉江は自分が着ていたカーディガンをそっと水里に着せた・・・。

あどけない水里の寝顔・・・。


ピンクの頬は昔、自分が手放した息子と同じで・・・。


青空が大好きだった。


雲の形に夢中になって。

空を指差して数を数えていたっけ。

”青色が大好きだよ。お母さんの次に”


そう言った楓のような手を忘れない。

ぬくもりを忘れない。


そのぬくもりにまた出会った。


その奇跡に・・・。


(神様・・・。素敵な贈り物をありがとう。奇跡をくれてありがとう・・・)


玉江は何度も空に向かってつぶやいた・・・。


そして。

午後も少し遠くの不動産屋もまわってみた水里と玉江。

ちょうど25軒目で玉江が希望する内容にぴったりな物件があり、紹介してくれるという不動産屋を見つけた。


「え!?ホントデスカ!?」

「ええ。築45年の年代物のアパートですが、充分住めますし近くには商店街もあるから買い物も便利ですよ」

実際に、そのアパートを見せてもらった。

そこは今住んでいるアパートとよく似たつくりで日当たりもいい。

「どうですか?ここなら商店街も近いし、即日入居可ですよ」

「玉江さん、どう?私、結構いいと思います」

「・・・そうねぇ。決めようかしら・・・」

玉江はにこりと笑った。

「玉江さん、よかったね!やったー!!」

「あ、ちょ、ちょっと水里ちゃんっ」

玉江と手を取ってジャンプして喜ぶ水里。

ミシッと音が。

「あー、あんまり跳ねないでください!何せ築45年なんですから」

「あ、いっけない・・・。えへへ・・・」

「水里ちゃんたら。うふふ・・・」

やっと見つかった玉江の転居先。

あちこち回ってやっと見つけた陽の当たる部屋・・・。

水里も玉江も本当に嬉しかった・・・。


「ねぇ水里ちゃん。まだ時間があるわよね。ちょっと行きたい場所があるんだけどつきあってくれるかしら?」

「あ、はい・・・。いいですよ!」


玉江が水里を連れてきた場所それは・・・。

「わぁ・・・っ」


古い鉄橋。

下を覗けば川面にオレンジ色の夕焼けが。

空も赤く染まって暖色系の絵の具を流したよう・・・。


「すごい・・・。オレンジの絵の具一色だぁ・・・」

「ここが一番好きな場所なの・・・。昔・・・。息子と一緒によく夕日を見たの・・・」

”今日の夕食は何がいい”

”お芋ににっころがし”


手をつないで夕日を眺めた帰り道。

あの手のぬくもりは今も残っている・・・。

「はー。なんか太陽見てたら急にオレンジ食べたくなってきたな」

「ふふ・・・。そんなに好きなのオレンジ」

「はい!」

「じゃあ、今度美味しいオレンジ用意して待ってるわね。新しい部屋で」

「はい、お腹すかせて伺います!なんて。ふふふ・・・ッ」

赤い夕日が二人の笑顔を包む・・・。

「ねぇ水里ちゃん。手、つないでもいい?」

「ちょっと恥ずかしいけど・・・。いいですね」

オレンジ色の鉄橋をゆっくりと渡る・・・。

ずっとアパートに着くまで手をつないだままの水里と玉江だった・・・。


その夜・・・。

浴衣をきた玉江。

水里から完成した幼い頃の息子の似顔絵をじっと見詰める玉江・・・。


「ほんとうに・・・。そっくり・・・。貴方がよみがえったみたいよ・・・。水紀・・・」


玉江が見た夢・・・。

夕陽の川原で息子と手をつないでいる・・・。


”ねぇ、水紀・・・?どこにいきたい?”

”あの夕陽の向こうに行こう・・・”

”あの夕陽の向こうには何があるの・・・?”

”うん・・・”


少年の姿はいつのまにか青年になって玉江をおぶっている・・・

”かあさん・・・”


”水紀・・・。”


いつも影から見守っていた。

小学校、中学校、高校・・・。


入学式、卒業式。全部・・・。そして。


息子に娘が生まれたときも

”水紀・・・。ごめんね・・・。母さん・・・”


”あやまらないで・・・。もういいから・・・”

”水紀・・・”


広い、広い息子の背中・・・。


夢の中なのにあたたかくて・・・。


幸せすぎるくらいに・・・。


ゆっくりと歩く・・・。オレンジ色の川原を・・・。


白髪混じりの小さな母を負ぶさって・・・。


”水紀・・・。あの子に会ったの・・・。とっても元気で・・・。子供の頃の貴方にそっくりで絵が大好きな子だった・・・”


息子の背中のぬくもりは・・・。


自分の手を握ってくれたあのぬくもりと同じで・・・。


”一緒に夕陽を見たの。とっても綺麗だった・・・。忘れない・・・。私忘れない・・・”


ずっと想っていたぬくもりに包まれて・・・


目を閉じる玉江・・・。



そしてオレンジ色の大きな陽の光が二人を包んでいく・・・。


”母さん・・・。僕を産んでくれてありがとう・・・。そしてこれからは・・・一緒に見守っていよう・・・。水里を・・・”





コンコン。

玉江のアパートをノックする水里。

「玉江さん!玉江さん!!」

今朝・・・。不思議な夢を見た水里。

自分の亡き父・水紀と玉江が出ていていた。

何だか妙に不安になった水里は朝一でアパートをたずねた。

「玉江さん!!どうしたの?いないの!?」

返事がない。水里がドアノブを回すと・・・ガチャッと開いた・・・。

「玉江さん!!」

ポチャン・・・。ポチャン・・・

不気味に水道から落ちる水の雫の音が響く・・・。

「玉江さん・・・」

今のこたつの上の夕食が手をつけられていない・・・

ゆっくりと奥の部屋のふすまをあける・・・。


部屋の中は静まり返り、カーテンも閉め切って薄暗く・・・。

微かにカーテンの隙間から入る光・・・。


水里はゆっくりと視線を足元に下ろす・・・。

敷いたままの布団・・・。


その上に横たわるのは・・・。

水里が描いた息子の絵を大切そうに抱いて玉江は仰向けに横たわっていた・・・。


「た・・・た・・・玉江さん・・・ッ」

玉江を抱き起こし、体を揺らす水里。

「玉江さん!玉江さん!!ねぇ目をあけてよッ!!玉江さんッ!!」

何度呼んでも目を開けない・・・。


「玉・・・っ」

玉枝の右手が・・・。

ぶらりと力が抜け・・・。

水里の絵が布団に落ちた・・・。


「嘘・・・。嘘だ・・・っ。玉江さんッ玉江さんッ」


何度名を呼んでも玉江は目を開けない。

小さな体が冷たく・・・。


軽く・・・。


切なくなるほど小さかった・・・。


BR>救急車をよんだが玉江は明け方に既に息を引き取っていたという・・・。



その後のことは水里はあまり覚えていない。

病院・・・。

警察・・・。


ただ・・・。


自分が描いた玉江の息子の絵だけを持ち帰っていた・・・。

次の日の新聞に小さく、玉江の記事が載っていた・・・。



それから三日経って・・・。

警察で事情を聞かれたりでこの三日間落ちつかなかった。


「・・・。それは・・・。大変でしたね・・・」


「・・・」


陽春のコーヒーを一口飲む・・・。

あんまりおいしくてあったかくて。

「美味しい・・・」

「今日は僕のおごりです。元気だしてください・・・」

「ありがとう。マスター・・・」

陽春の優しさがコーヒーの味にしみこんでいく。

「・・・。でも・・・。あんまり突然で・・・。哀しいっていうより・・・ただ・・・何だか力が抜けて・・・。また会おうねって・・・。約束したのに・・・」

約束した・・・。また夕陽を見ようねって・・・。


「・・・。時間が経てば経つほど・・・。哀しみが深くなる・・・。その人がもういないと・・・肌で実感していくんです・・・」

「マスター・・・」


拭いていたグラスに・・・。


哀しみが満ちた陽春の顔が映る・・・。


妻の雪を亡くした悲しみが・・・。


二年、三年経っても。


失くした痛みはまだ・・・。


「ご馳走様でした。マスター・・・。私、少し元気でました。じゃあまた・・・」

「水里さん、とにかく元気、出してくださいね・・・」

水里は深く頷いて店を後にした・・・。


帰り道・・・。

ふと、夕焼けを見つめる・・・。


水里はあることがとても気になっていた・・・。あの夢。


自分の父・水紀が玉江を母と言っていた。

玉江をおんぶして・・・。


もしかして・・・。玉江は・・・。


「玉江さん・・・」


今となっては聞けない。誰にも確かめられない。


玉江と見た夕陽を眺めながら水里が家に戻ると・・・。

「あ、山野さん!よかった!さっきね、貴方宛の荷物をあずかっていたのよ」

隣の食堂のおばさんが段ボール箱を水里に手渡した。

家に入って、差出人を見ると・・・。


「た・・・玉江さん!?」


日付が三日前で、玉江の名前が描いてあった。

水里はすぐさま、ガムテープをはがし、ダンボールをあけてみると・・・。


甘酸っぱいいい香り・・・。


「オレンジだ・・・」


新鮮なオレンジがいっぱい入っていた。

中には手紙が・・・。


『水里ちゃんへ。オレンジが大好きだっていっていたから近所の果物屋さんで売っていたの、思わず全部買っちゃったの。ふふ・・・。こんなに沢山食べきれないわよね。でも、ご近所にでもあげてください。きっと美味しいから。あの夕陽の味がするかもね・・・。じゃあ、また、一緒にお弁当食ようね。玉江』


「玉江さん・・・」


オレンジ色がいっぱい。


共に見た夕陽の色。


大好きな色。


玉江の笑顔の色・・・。

「玉江さん・・・」


聞きたかった・・・。


聞きたかった・・・本当のことを・・・。


”もしかして・・・。玉江さんは私の・・・”


「おばあちゃん・・・。だった・・・の・・・?」


今はもう応えてはくれない・・・。

水里はオレンジ一つ、ぎゅっと握り締めた。


そしてひとつ粒・・・。


オレンジが涙で濡れる・・・。


甘酸っぱい香り・・・。


”また・・・。一緒に夕陽見たいの・・・。水里ちゃんと・・・”


窓から指すオレンジ色の光・・・。


水里を見守るように注がれていた・・・。