最近は、こういう事件がとても多いです。おばあちゃんはテレビから事件のことを耳にする度に心を痛めていました。
「小さな子の心と体についた傷は大人になってものこるもんなのにねぇ・・・」
朝食の炊きたてのほかほかごはん。とてもおいしいはずなのにはしが進まなくなってしまうおばあちゃんでした。
昔から、おばあちゃんは子供達に『人を信じる気持ちが大切だよ』とよく言ってきました。
しかし、最近では確かにそうだとは言えなくなるような事ばかり、世の中では起きています。
「琴音さん、回覧板、もってきたよ〜!」
「あら、徳江さん。こんにちは」
徳江さんはお隣のクリーニング屋さんの奥さんです。
となりにお店を構えてからもう、20年以上のつきあいになります。
「琴音さん、また、出たらしいよ。空き巣が!」
徳江さんが見せた回覧板には最近、この辺に出没している空き巣の事に注意して下さいと書いてあります。
「まあ・・・」
「物騒だわよねえ。商売やっているものとしては夜とか戸締まりが気になって気になってねぇ・・・。必要以上に用心深くなってねぇ・・・。なんとなく自分としても嫌なんだけど・・・」
「そうだわねぇ・・・。妙に警戒心がつよくなってしまうもの。昔は色んな人に気軽に話をしていたのに今はなかなかそうもいかなくなったしねぇ・・・」
お店に来る人、近所の人、たくさんの人との関わりがいつもありました。
しかし、こういう事件などが多いと、変に人を疑ったりしたりしがちです。
おばあちゃんはとても寂しいなぁと思っていました。
そして、そう言った空気は子供達の世界にも影響をおよぼしていたのです。
「あら、かずくん、もう学校終わったの?」
「うん。ねぇ、おばあちゃん・・・」
「なあに?」
「これ、見て」
そう言ってかずくんは後ろからおばあちゃんに何やらブザーらしいものをばっと見せました。
プアアアーーーッ!!
「わっ!!」
突然、お店にけたたましいおとがひびきました。
おばあちゃんはおもわず耳をふさぎます。
「かずくん!それ、止めて!」
「あ、ごっめーん」
かずくんはブザーのスイッチを切りました。
「はあ・・・驚いた・・・。かず君、それ、何なの?」
「これはね。痴漢撃退用ブザー。学校でね、みんなが持つことになったんだ。ほら、最近、小学生を狙った事件手多いからって」
「まあ・・・。そうなの・・・」
おばあちゃんはブザーをまじまじとみます。
大きな音が出て、相手が逃げ出すという道具ですが、学校でこれを勧めているなんて・・・。
「それにね、帰るときもできるだけ沢山の友達と帰りなさいって。ボク、それは嬉しいんだけどさ、何だか先生からお母さんまでみんなして気おつけなさい、気おつけなさいって言うから何だか、周りにいる大人がみんな怖く見えちゃって・・・。あ、おばあちゃんは違うよ。絶対」
かずくんはブザーを不安そうに触りながら言いました。
昔だってよく子供達には「知らない人にはついていくな」と教えてはいました。
しかし、今はそれ以上に小学生に護身用の道具を持たせなければならないくらいに、怖くて不安な世界になりつつあるのです。
子供の楽しくて明るい世界ではならないのに・・・。
おばあちゃんはとても心を痛めていました。
次の日。店の掃除をしていたら、どこからかおばあちゃんは視線を感じます。
「?」
おばあちゃんが振り返ると店の前の電柱の影に中年の男の人がこちらをじっと見てました。
おばあちゃんの視線に気付いた男の人はサッと逃げていきました。
おばあちゃんは首をかしげましたがあまり気にもとめませんでした。
しかし、次の日も・・・。
じっとお店をみています。きのうの男の人です。
男の人はおばあちゃんに気がつくとサッとまたまた逃げてしまいました。
「・・・。何かお店に用なのかしらねぇ・・・」
「ちょっとちょっと琴音さん!」
徳江さんが血相を変えて突然お店に入ってきました。
「ねえ!今、そこの電柱の所にいた変なジーパンの男、琴音さんもみたでしょう??」
「ええ・・・そうね。確かに」
「ほら、回覧板の空き巣の犯人の人相に似てるでしょ」
回覧板には40代の紺スーツを着た男で、髪型は七三分け。身長は160pくらいで白のポロシャツにGパン姿。
確かにさっきの男の人と似ています。
「でも徳江さん。そういう風貌の人はどこにもいるし・・・」
「まあ、そうだけど。でも、気をつけるに越したことないわよ。戸締まりとかね。琴音さん一人暮らしだから・・・特に心配なのよ。でもね、結局自分の身は自分で守らなくきゃ」
「・・・。そうね・・・」
徳江さんが心配してくれる気持ちはとてもありがたいです。でも、人をむやみに疑うのが嫌いなおばあちゃん。少し複雑な気持ちでした。
その日の夕方、台所で夕飯の仕度をしていたおばあちゃんはふと、店先で人の気配を感じました。
もう、子供達は既に家に帰っている時間。おばあちゃんはガスを止め、そうっと静かに暖簾からお店の様子をうかがいました。
(あ、あの人は・・・)
お店にはあの、ポロシャツの男の人がいました。
男の人は狭いお店の中をぐるぐるとあるいてみまわしています。
(お客さんではなさそうね・・・。何をしているのかしらねぇ・・・。それにしても・・・あの顔はどこかでみたことがあるような・・・)
おばあちゃんはなんだかなつかしい気持ちがしていました。
おばあちゃんの頭の中で男の人の顔がゆっくりと小さな少年になっていきます。
『ことねおばしゃん、ラムネ、ちょーだい!』
「・・・。あ!もしかして・・・あっくんかい?!」
「!!」
男の人は驚いて店を出ようとしました。
「まって!!あっくんでしょう?!」
「・・・。お、おばさん・・・」
おばあちゃんは男の人に中へ通してお茶をだしてあげました。
「本当に何年ぶりかしら・・・りっぱなおじさんになって・・・。あら、ごめんなさい」
「い、いえ・・・。もうすっかりおじさんですよ。白髪まじりの・・・。それよりすみません・・・。おばさんにめいわくかけたみたいで・・・」
ラムネ大好き少年のあっくん。いつも、小銭を手にラムネを買いに来ていました。
「めいわくだなんてそんな。それより、どうして、毎日電信柱から覗いたりしていたの?」
「・・・。おばちゃんの笑顔が昔と変わってなかったからです・・・」
「・・・。何か、辛いこと、あったのかい?」
「・・・。ホントにかわってないなぁ・・・。おばちゃんのその優しい一言・・・」
男の人はそれからせきを切ったように、自分のことを話し始めました。
会社がうまくいかなくて沢山お金を借りたこと。そのせいで、家族が離ればなれになったこと・・・。
おばあちゃんはじっくり、ゆっくりときいていました。
「それで、何だかなにもかも嫌になって町の中をふらふらと歩いてました。気がついたらおばさんのお店の前に来てたんです。昔の楽しかった頃のことを思い出してたのかもしれません・・・」
「でも、しわは増えたでしょ?」
おばあちゃんは自分の顔のしわを指さして言いました。
「はは・・・。おばさん・・・。すみませんでした」
「?」
男の人は土下座してスーツのポケットの中から1万円札2枚を差し出しました。
「す、すみませんでした・・・。懐かしさのあまり、お店に入ったら・・・。レジが開いているのに気がついて・・・。本当にすみません。すみません・・・」
男の人は肩を震わせています。
「・・・。この年で・・・娘が生まれて・・・。産着ぐらいかってやりたくなって・・・。でも、今の俺にはそれすらできな状態で・・・私は・・・私は・・・」
「・・・」
おばあちゃんは突然立ち上がり、お店の方へ行って何かをとってきました。
そして、それを男の頬にあてました。
「つめたっ・・・」
「あっくんは大人になってもわるいくせがなおてないね!」
「おばさん・・・」
「おばさんの目はごまかされないよ!あっくんは昭和43年の8月にラムネ一本、失敬したでしょう。でも、私は何も言わなかった。あっくんがきっと自分でいいに着てくれると信じたから。信じたとおり、あっくんは自分でごめんなさいを言いにきた。そして今も・・・」
半べそをかいておばあちゃんにごめんなさいを言いにきたあっくん。おばあちゃんはとても嬉しかった。
「おばさん・・・・」
「あっくんは、ちょっぴり気が弱くてすぐいじけてしまうけど、ちゃんとこころの奥には勇気をもってる人だよ。琴音おばあちゃんが保証します。だから、自分を信じて。ね!」
おばあちゃんは男の人の手をぎゅっと握りました。
「おばさん・・・」
そのあたたかさはしっかりと男の人に伝わりました。
その後、男の人はおばあちゃんに何度も頭を下げてお店を跡にしました。
帰り際、おばちゃんは男の人に紙袋を手渡し、ずっと見送りました。
近くの公園のベンチ。男の人は紙袋を開くとラムネ一本入っていました。
そして、そのビンのうらのあるおばあちゃんのメッセージに気がついたのです。
『産着は赤ちゃんの肌は敏感なので綿100%がいいです。これで何か買ってあげてください。琴音』
マジックで書かれたそのメッセージの下には2万円札が2枚がテープで貼りつけられていました。
「・・・。おばさん・・・」
男の人はそのラムネのビンをギュッと胸に抱きました。そして、地面がポタっと濡れたのでした。
がちゃ。おばあちゃんはお店の鍵をしっかりと締めます。
用心のためです。
窓越しにおばあちゃんは月を見ました。
月はどこからみても同じなのにその下の世界では一方では小さな命が簡単に奪われたり、傷つけたりしている一方で、どん底でもがいている人もいて・・・。
ただ、願うのはみなが笑顔でいられますように。誰の命も大切にされますように。おばあちゃんのその日の日記はそう締めくくられたのでした。