第9章 本当の痛み
夜。 洗い立ての濡れ髪をパチンとヘアピンで止め ディスクランプに照らされたパソコンを打つ。 『5月4日。晴れ。今日は一夜と部屋の大掃除をした。案の定、最初から 彼は「めんどくせぇ!」の一点張りだったけど私が重そうに机をずらそうとしたら 手伝ってくれた。嬉しかった』 ”一夜日誌” 記し始めてから2ヶ月が経った 一夜は守山の別荘での生活にも慣れ、かすみとも 普通に話をしてくれるようになってきた 『徐々に他人への不信感も和らいできてはいるみたいではあるが、私やカネコさん以外の 人間をひどく警戒している節がある。彼に聞いてみた。『ねぇ・・・。学校へ行ってみたいと思う?』と すると彼は・・・』 ”あんなところ・・・。トモダチなんていらねぇ!学校ってところは ちょっとでも自分達と違う奴を嫌がる・・・” 『彼の台詞から、学校での虐めがあったことが伺える・・・。考えてみれば 私は彼の17年間という時間を知らない。それを彼の口から無理に聞き出す権利は私にはない・・・。 自然に話してくれるようになるのがベストなのだけれど・・・』 (でも・・・。彼の”痛み”を私は・・・。知りたい・・・。彼は母さんの命が消えて・・・。 生まれてきた命だから・・・) 『私は彼のカウンセラーじゃない・・・。”ともだち”になりたいから・・・』 その日の日誌はそう締めくくった・・・ 「ふぅ・・・」 かすみは髪留めをはずし、濡れ髪をパサッと下ろした。 ”友達になりたいから・・・” そう言って携帯を渡した (簡単に言ってしまったけれど・・・私は知らない) ショッピングセンターで赤子の鳴き声に パニックを起こした 引き起こした 一夜の『痛み』 (一夜の痛みを知りたい・・・本当に彼の痛みに近づくために・・・) 「・・・」 ドレッサーの引き出しを開け、母の写真を取り出す・・・ (お母さん・・・。お母さんはどう思う・・・?私がしていること・・・。間違ってないよね・・・?) かすみの問いに”そうね”と堪えるように笑う・・・ 「・・・お母さん私、頑張る・・・!もっと一夜と仲良くなる・・・!」 鏡の前でガッツポーズを取るかすみ・・・ そして翌朝早くかすみは 車で一夜が最後に住んでいた町へと向かったのだった・・・ 『一夜へ。今日はちょっと用事があるのでお留守番おねがいします。 カネコさんとお庭の掃除と花壇の水やり、おねがいね♪』 「・・・。用事ってなんだよ。オレにだまってどっか行きやがって・・・」 朝、起きて携帯のメールを見る一夜。 「・・・だぁれが掃除なんか・・・」 ゴロンとベットに寝転がる。 (・・・かすみがいない・・・ってことは・・・) 一夜、起き上がりかすみの部屋の扉をじっと見つめる・・・ 「・・・」 かすみがいない。 部屋にも誰もいない。 一夜の心に妙な好奇心が生まれる。 (・・・なんかアイツの”弱み”みてぇなモン、見つけてやる) キィ・・・ かすみの部屋に入ろうとドアノブに手をかけたとき 「・・・!?」 一夜の背後にほうきとちりとりをもったカネ子の姿が・・・ 「ば、ばばあ!!」 「かすみ様から言われているの。さっ。庭のそうじするわよ!」 「は、離せッ。この怪力ばばあ・・・」 一夜の反抗も虚しく。 カネ子に首根っこつかまれ一夜 庭に強制連行させられた・・・ 北岡大学心理学部 月森が授業を終え、教室から出てきた。 「つ、月森教授ッ。あ、あのレポートなんですが・・・。 遅れてしまって・・・。実は実家の母が交通事故で・・・」 女子学生がわざとらしい口調で月森に言い訳をする。 「そうか。ならば君の実家まで見舞いをせねばいけないな。病院はどこだ?」 「い、いえ。あ、あの・・・そこまでしていただかなくても・・・」 「言い訳するくらいなら、潔くレポート遅れましたと言え!!そんな嘘で私を丸め込めると思っているのか?」 月森は女子学生を睨み、女子学生は萎縮して後ずさり・・・ 「・・・。す、すみませんでした・・・」 「レポートは明後日まで提出しなさい・・・。出すことに意義があるのだから」 コツコツ・・・ 廊下を颯爽と歩いていく月森・・・ 「瞬間冷凍男だわ・・・確かに・・・」 「月森教授。”彼”はどうしていますかね?」 月森が振り返るとそこには・・・ 嫌味な笑いを浮かべるのは学長の奈良岡だ・・・ 一夜のことを月森に委託したのは奈良岡だった。 「ご心配には及びませんよ。彼は着実に元気になっています」 「そうですかー・・・。さすがは月森教授だぁ。月森グループの御曹司だけあって 懐がでかいですなぁ・・・」 ネチネチの脂ぎった奈良岡の微笑が心地悪く・・・ 「では彼とのカウンセリング記録などもきっとつき盛り教授のことだから 明確なデータをとっておられるんでしょうなぁ」 「・・・何がおっしゃりたいのです?」 「今度の学会のテーマは『思春期における人格形成とその環境』について・・・。特殊環境 で育った『彼』の紹介を是非、我が大学にてご披露いただきたく・・・」 月森はメガネをはずし奈良岡を睨み返した。 「申し訳ない・・・。学生達のレポート添削が忙しいものでデータなどとっていません。それに私の役目は彼を 前向きにし、社会へ送り出すこと・・・。”大学の名声をあげるたにご協力など 断固としてするつもりはありませんので。失礼します」 奈良岡はむっとした顔でパタパタとハンカチで仰ぎながら 月森の後姿を見つめつぶやく・・・ 「フン・・・。月森グループのボンボンが・・・」 某県某市・・・ 山並みに囲まれた小さな漁村・・・ かすみは手帳に書かれた一夜が最後に住んでいたという アパートの前にいた。 「『飛鳥荘』ここだわ」 築30年ほどは軽くありそうなふるいアパート。 現在は誰も住んでいないのか1階の郵便受けは皆名前がない。 一夜の母・小夜子の日記によると一夜達家族が この町に来たのは2年前だという。 (2年前なら・・・。一夜は15歳か・・・) 二階の一番突き当たりの部屋・・・ 現在は完全に空き部屋だ・・・ (・・・湿気臭い・・・) 中は2畳の畳。 窓は閉め切られ砂壁にはカビが・・・ (2LDKに3人か・・・) ”私が昼は漁業組合。夜はスナック・・・。仕事をしていても 気になるのは息子の事・・・。今、殴られていないか。 今、蹴られてないか・・・。時計ばかり気になる” 母親の日記が浮ぶ・・・ ”同じ場所。学校は一年以上はいられない。 転校ばかりするせいか・・・。夜摩斗は友達さえ作れず・・・ ううん苛められている。この間・・・学生服が汚れていたのに・・・ でもそれを言わない・・・” 壁に 学生服がかけられたような針金ハンガーがプラン・・・と 一つかけられて・・・ ”日に日にエスカーレートする高岡の暴力・・・。一夜を逃がそうとしたけれど 高岡に見つかって・・・。高岡は一夜の頭を柱に打ち付けた。 「てめぇ・・・今度逃げて見やがれ・・・。小夜子の顔、つぶしてやる。 いいか。お前が逃げれば小夜子の顔が潰れるんだ・・・わかってるなぁ・・・?」 そう自分の息子に言いながら・・・   何度も何度も何度も・・・” 壁と壁の間の柱・・・ 漆が禿げ・・・気の地肌が肌蹴けて・・・ (ここ・・・) 一部赤く変色している・・・ 『柱が・・・赤く染まるほど夜摩斗を打ち付けて・・・』 日記の一文が浮ぶ・・・ ”ぶつな・・・俺をぶつな・・・” 震えていた一夜・・・ コツン・・・コツン・・・ かすみは柱の赤く染まった部分に額をうちつける コツンコツン・・・ 段々強めに・・・ ”ぶつな・・・俺をぶつな・・・” ゴツン!ゴツン! 「痛・・・」 額が赤くなる・・・ 確かに感じる”痛み・・・” (痛い・・・。けれどこれは一夜が感じた”痛み”じゃない・・・。 彼しかわからない”痛み”に近づけるには・・・) ”仕事から帰ってくると・・・。息子の姿が見えない・・・。 押入れから物音がするので明けてみると・・・。 足を抱えてぶるぶる震える一夜がいた・・・” かすみは小夜子の日記の通り、押入れに入って 膝を抱えてみる・・・ 暗く じめっとして湿気が強い・・・ (こんなところでずっと隠れていた・・・。一人で・・・) ”不幸な子供って顔してんじゃない!!馬鹿!!” ”同情されるの、当たり前だと思ってんじゃないの!??” 顔も知らない”親戚” 生きていること自体、 否定される言葉を雨のように降らせられ 暗い暗い夜道で 泣いていた 『自分は何処に 何処で 生きていけばいいの・・・?』 『私は生きていては・・・いけない命・・・?』 それを探して 小さなサンダルで 探して・・・ (暗い・・・。底のない海のよう・・・) かすみは押入れの天井に何か文字が書いてあるのに気づく・・・ 携帯を画面の光をあてて見る・・・ 『タスケテ・・・ダレカ・・・タスケテ・・・タスケテ・・・』 (・・・一夜が・・・書いた・・・?) 押入れの天井中に・・・ ぎっしりと ”タスケテ・・・タスケテ・・・タスケテ・・・” 震えた字・・・ 「・・・見つけた・・・。彼の”痛み”・・・」 手でなぞる・・・ 文字を・・・ かすみの瞳から雫が一つ・・・ こぼれる・・・ ”タスケテ・・・タスケテ・・・” 声なき声を かすみは確かに 聞いた・・・
ベットに寝転がる一夜。 かすみがいなくて結局家の掃除ばかりさせられご機嫌斜め。 「・・・!」 ポケットに入れた携帯がバイブした。 開くとメールが 『一夜へ。夕方までには帰るから、サクラソウにお水、またお願いします!』 「なっ・・・またかよ」 『初めてのメール・・・なんかちょっと照れます。じゃあね』 P・・・。 「な・・・何が照れますだ!たかが”文字”じゃねぇか!」 そういっている一夜が照れている。 ”この携帯で私と一夜は繋がってるだよ” 『私と一夜』 (・・・) そのフレーズが心地よく響く・・・ (かすみはまだ帰ってねぇ・・・) 「・・・」 今朝の困らせてやりたいという悪戯心でもなく・・・ なにか・・・ くすぐったいきもち 『かすみって女はどんな女なのか・・・?』 そんな想いが 一夜をかすみの部屋へと導く・・・ キィ・・・ こそっと入る。 何度か入ったことはあるが 部屋をまじまじと観察・・・ クローゼットを開ける。 スーツやワンピースがかけられていた その下にカラーボックスの引き出しが 一夜、ちょっとそのカラーボックスが気になるご様子 (・・・) ガサゴソガサゴソ・・・ 「!?」 (こ・・・これは・・・///) どうやら下着いれだったようです バタン! 一夜、クローゼット探索はやめた。 次は机。 机の上には可愛らしい小物入れやぬいぐるみが (ガキっぽいのはどっちだ) 机の引き出しをがさごそあさる一夜 中には文房具やお化粧道具など・・・ (おもしれぇモンはねぇな) 一番下の引き出しに手をかけたが鍵がしまっているようで開かない・・・ (余計気になるじゃねぇか。ん・・・?) 机の上の写真たてが目に入った・・・ (これは・・・) 少女と若い母親の・・・ (かすみの・・・オフクロか) ”親がいないのはお前だけじゃない!!” 月森の言葉が過ぎった・・・ 「・・・」 ”ヒトリはつらいでもフタリなら悲しみもはんぶんこできる 。だからフタリボッチね” 「・・・けっ・・・。結局は・・・同情かよ」 写真立てをじっと見つめる一夜・・・ とても幸せそうな笑顔・・・ (きっとかすみは・・・) 母親と笑いあう日々だったんだろう・・・ (オレは・・・。オレは・・・) 「何ーしてるの?」 「!!」 かすみの声に一夜、思わず写真をばっと背中に隠す 「”かすみの居ぬ間に部屋の探索”ですか?居ぬ一夜君」 「と、と、突然あられるんじゃねぇッ」 「突然ってここ、私の部屋よ。ったくー・・・。油断もないわね」 一夜の背中の写真を取り上げるかすみ。 「あ・・・。開いてたんでいッ」 「・・・ふうん・・・」 一夜はかすみに怒られると思い、ちょっとビクビク・・・ 「ね。一緒にたこやき。食べない?買ってきたの」 二人はベットにすわり爪楊枝でたこやきをつまむ。 「おいひーv」 口元にソースをつけながらたこやきをほおばるかすみ・・・ じいっと眺める一夜・・・ 「・・・なによ?」 「・・・。お前って・・・。どういう女なんだ」 「どういう女って・・・。こういう女よ。見たまま」 「・・・」 (たこやきをやたら旨そうに食ったり 赤ん坊を泣き止ましたり・・・。・・・分からん) 一夜は不思議そうに首をかしげる・・・ 「・・・あ。もしかして・・・」 「な、なんだよ(焦)」 かすみは一夜を覗き込む。 「貴方・・・私のこと、そんなに知りたいの?」 「なっ・・・。馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ言ってんじゃねぇよ・・・っ」 一夜、どうしてだかドキドキ・・・。 たこ焼き、いっぺんに3こほおばる。 そんでむせる。 「大丈夫?」 「う、うるせえ・・・」 自分の背中をさするかすみの手が優しい・・・ 「お前は・・・。本当に・・・訳がわからねぇ・・・」 「そうだね・・・。私自分でも自分のことってわからない・・・。貴方はどう・・・?」 「・・・オレは・・・オレことなんて」 一夜は爪楊枝を持ったまま俯く・・・ 「・・・。じゃあ・・・。一緒に探してくれる・・・?」 「・・・は・・・?」 「貴方”らしい”と私”らしい”一緒に見つけよ」 「・・・。言ってる意味がわからねぇ」 「それでいーの。今は・・・」 かすみは最後の一個をぱくっと食べた 「てめぇ!!オレは3つしか食ってねぇぞ!!5個くいやがって!!」 「男が細かいこと気にしないのー」 かすみの部屋越しに笑い声が響く・・・ かすみは一夜を見つめながら思う・・・ (お母さん・・・。最近やっと彼が私のことを名前で呼ぶようになってくれました・・・) ”本当の痛み” まだ心の奥は見せては暮れないけど・・・ (私の痛みもいつか・・・。癒えると信じて・・・)