久遠の絆 第三十八章 ヌメリ ヌメリ 一度つけられたヌメリは どんなに洗っても 拭っても 取れしない まだ人を信じることが大好きだった頃。 希望が心に溢れ、満ちていた頃。 どんな大人も信じられた 信じたかった。 ・・・けれど・・・※「オオノユウジ」 青年が黒板に自分の名前を書いた。 三年三組。 かすみ9歳。 かすみのクラスに教育実習生が一ヶ月、実習にやってきた。 (・・・優しそうなおにいさんだなぁ) 笑顔がまぶしい二十歳前後の青年。 端正な顔立ちで、子供の視線に立って物を話す。 直ぐに男子からも信頼を得、ことさら女子からは ”ユージセンセイ”と慕われた。 「ユージ先生のお嫁さんになりたいな」 と女子からの人気は絶大。 「大野先生は将来有望よ。すぐにでも 学級担任になってほしいくらい」 と、教師の間でも大評判の青年だった。 (今日もお空が青いなぁ・・・。白い雲を船にして 冒険に行きたいな) ぼんやり 想像力の豊かなかすみは休み時間、時々窓でぼうっとすることがあった。 「かすみちゃん。何がみえる?」 気さくに実習生の大野が声をかける。 「うん。今日はいっぱい船が泳いでる」 元気で明るい子供。 だがその胸のうちには重たいものを抱えている 『久遠かすみは複雑な環境に育った子でしてね』 担任教師からかすみの事情を聞かされていた大野。 「・・・。かすみちゃんは、いつも笑ってるね」 「え?そう?」 「ああ。とっても明るい笑顔だ。まるで電気みたい」 と、蛍光灯を指差す大野。 「・・・」 じっと一瞬大野を見つめるかすみ。 (・・・なんか不思議な大人の人だなぁ) ”かすみちゃん可哀相に” とって付けたボタンのような言葉を投げる大人は沢山知っている。 大野のようなタイプの大人は初めてな気がする。 「でも私は電気じゃないよ。かすみだよ」 「そうだね。君は一人しかいない。かすみちゃんの 笑顔は世界で一つだけだ」 と、くしゃっとかすみの前髪に触れる少しゴツイ手。 (あったかいなぁー・・・) 太陽みたいな温かさのような気がした。 この”くしゃ”が大好きになった瞬間だ。 「かすみちゃん!一緒にドッチボールしよう!」 「うん!」 「かすみちゃん一緒に折り紙しようか」 「うん!!」 なにかとかすみのことを気にかけるようになった大野。 「・・・ねぇ。なんで大野先生、かすみちゃんばっかに かまうわけ?」 「え?」 小さくとも女の子。 王子様を独り占めするお姫様には容赦が無い。 クラスメートの女子達に囲まれるかすみ。 「私・・・知らない。笑ってて言われたから 笑ってるだけだけど・・・」 「何ソレ。大野先生に媚売ってるって 言うんだよ。そういうの」 「カビ?カビは生えてないよ」 「・・・(汗)」 天然さはこの頃すでに所持していたかすみ・9歳(笑) 「いいから大野先生あんまりくっつかないでよ!」 「くっついてないよ。私、接着剤じゃないから」 「・・・(汗)とにかくかすみちゃんは今日から仲間はずれね!」 「・・・」 分からない。 女心と級友の空。 どうして女子達が怒っているのか分からない。 (・・・仲間はずれ・・・。私がなにか悪いことを したのなら仕方ないのかなぁ) 女子達のシカトは陰湿。 男と違い、精神的な攻撃が巧みな女子。 「かすみちゃんと一緒に遊んだ人、全員無視、決定。 ぞうきんなめる刑。決定」 ジョーク交じりだが、リーダー格の女子の言うことが いつのまにか法律化している。 (・・・。一人・・・か) 休憩時間。 ひとりぼっち。 先生の見えている所では、かすみを仲間に入れ、先生がいなくなれば 「あっち行ってよ!邪魔くさい!」 かすみを輪の中から追い出す。 (・・・。お母さんが死んだ方が・・・辛い。 このくらい大丈夫) 邪見にされることより 大切な誰かを失うほうが数十倍痛い。 でもひとりぼっちはやっぱり寂しい。 ひとりぼっちは寂しい。 かすみの小さな背中を大野は見逃しては居なかった。 「・・・オレは仲間はずれする子が一番嫌いだな」 帰りの会の時間。女子達にいや、クラス全員に向かって 容赦なく言葉を発する大野。 「どんな理由があったとしても。 誰かを悪い気持ちで傷つける事は許されない」 「で、でも・・・。お、かすみちゃんが大野先生ばっかり にいい顔するから・・・」 女子のリーダー格がおびえながら話す。 「・・・。かすみちゃんの心を君たちが殺してるんだ。 もし、明日の朝・・・。かすみちゃんがこの世からいなくなっていたら 君は生き返らせることができるかい・・・?」 「・・・」 「心を殺すということは命まで奪う。子供だろうが大人だろうが 絶対に許されないことなんだ・・・っ!!!」 バンッ!! 黒板を叩く大野・・・。 穏やかな大野の豹変振りに子供たちはただ驚いて 肩をすくめる・・・ 「・・・。ごめん。オレはまだまだだな・・・。 でもね。知っておいてほしいんだ。たった一言の 言葉でも人を殺すってことを・・・」 熱く語る大野 その真剣さは自然と子供たちの心に伝わったのか・・・ 「・・・かすみちゃんごめんね」 手のひらを返したようにかすみを無視していた女子達が 謝ってきた。 「いいよ。私も気をつける。 みんなが傷つかないように」 (大野先生ありがとう) かすみの大野への信頼は確定した。 『たった一言が人を殺すこともある』 この言葉が幼いかすみに実感しようとは・・・ かすみはまだしらなかった・・・ ※ 「かすみちゃんかすみちゃん」 子供たちは切り替えが早い。 女子の間に生まれた小さな嫉妬はすっかり消えて、かすみに対しての 攻撃はなくなった。 (これもユージ先生のおかげだなぁ) 素直にそう思って感謝していた。 他の生徒たちからも一層、慕われるようになった大野。 ことに女子からの信頼は厚く・・・ 「ゆーじ先生!なわとびしよう!」 「ゴム段しよう!」 大休憩となれば、おおモテの大野。 「・・・かすみちゃんも一緒に遊ぼう」 かすみへの気配りが強くなった。 (いい先生だなぁ・・・) かすみの中でも大野は”信頼に値する大人”と認識されてきた・・・ だが同時に・・・。 微妙な”異変”をかすみは感じ始めた。 「かすみちゃんは・・・。なんてかわいいほっぺを してるんだろう。ふふ。かわいいねぇ」 「え?そうですか?」 手のひらの甲で頬をさすってくる。 最初はなんとも思わなかったのに・・・。 (なんか・・・。たくさん、なでてくるなぁ・・・) 朝、おはようの挨拶をしたときにさわり、 「かすみちゃん。髪が崩れているね。直してあげる」 と、休憩中も体のどこかしらに触れてくることに かすみは気がついた。 (・・・。少し・・・。いやだなぁ・・・) だが相手は先生だ。 しかも、とてもいい先生だ。 (先生をこまらせちゃ。いけない。がまんしよう) 子供ながらに 相手の行為に”悪気が無い”ことを察していた。 しかし、一度感じた不審感はかすみの心のアンテナを敏感にして・・・ 「かすみちゃん。かすみちゃん」 (・・・。なんか・・・。目つきが変だ) 優しい笑顔がどこか ”異常”に見えてきた。 ・・・笑顔の奥に潜む薄汚い闇が・・・。 (あんまりユージ先生とくっつかないでおこう) 人間には、自己防衛反応が備わっているといわれるが 少女のかすみにもそれが働いていたのか 少しずつ、大野と距離をとるようになった。 「かすみちゃん。みんなとオセロしようか」 「いいです。私、図書室で本読みたいから」 (ごめんなさい。ゆーじ先生) 心の中でごめんなさいを言いつつ、かすみは大野を避けるように・・・。 「・・・かすみちゃん。僕、何か嫌なこと言ったかな?」 「え、いや・・・別に・・・」 「・・・そうか・・・。ならいいんだけど・・・。僕・・・。 かすみちゃんのこと大好きだから、寂しいよ」 「・・・」 ”ダイスキ” 子供の耳にはきっと、心地よい響きの言葉だろうが・・・ 大野の声はそうは聞こえない。 (・・・コワイ・・・) 大人たちには見抜けない 闇を かすみは確かに感じていた・・・ ・・・そんな或る日。 下校途中・・・ (早く帰って、おじさんたちのお手伝いをしなくっちゃ) 足早に家路を急ぐかすみ。 だがかすみを曲がり角で待っていたのは・・・ プップー 「?」 振り返ると。 「かすみちゃん。急いでどこへいくの?」 「ゆーじ・・・せん・・・せい・・・」 嫌な人と会った・・・ 直感でそう思った。 ガチャリ。 大野は路肩に車を止めて降りてきて・・・。 「走っちゃ・・・転んじゃうよ・・・?」 避けようと歩くかすみの前に立ちふさがって・・・。 「・・・お、お手伝いしたいから・・・。か、帰る・・・」 「・・・。僕がおくってあげるよ・・・。ほら・・・おいで」 「!!」 ヌメッ・・・ かすみの楓のような小さな手を・・・ 大野が掴む・・・。 (・・・き・・・。気持ち悪い・・・) 汗ばんだ大野の手 かすみにヌメっとした感触を与えて・・・ 「か、帰る・・・。私、帰る・・・ッ」 抵抗して手を離そうとするが・・・ 「・・・オイデ・・・。オレと一緒に・・・遊ぼ・・・?」 「・・・」 (い、いやだ・・・。こ、この人は・・・ やさしいユージ先生じゃない・・・) キモチワルイ笑顔 悪意と嫌らしさ 大野の手の”ヌメリ”を かすみの顔面に塗りだくられていくような・・・ 「・・・行こう」 大人の男の力は 少女の身動きを完全に止めた 怯えあがるかすみを 助手席に乗せ・・・ 吐き気と恐怖で 言葉が出ない・・・ なぜなら・・・ 車の中でかすみが見た光景・・・ ”私が・・・いっぱいいる” かすみの写真 幼い少女達の写真が ダッシュボードの中に入っていた・・・ 「さ・・・。アソビにイコウ・・・。とっても・・・ タノシイ世界が・・・まってる・・・ヨ・・・?」 ・・・異常な笑みを浮かべ・・・ かすみを乗せた大野の車は・・・ 何処かへ走っていった・・・。