久遠の絆 第39章 涙 どこへ連れて行かれるのか分からない。 何をされるのか分からない 底の見えない海へ放り投げられたように 不安の海に沈みそう 「・・・これから二人だけになれるところへ行こう・・・。 かすみちゃん」 「・・・」 「君は幼いのに・・・辛い経験をいっぱいしたね・・・? 僕はそんな君がすごく気に入ってね・・・」 車はゆっくりと人気の無い 路地裏へ入っていく かすみには地獄の一丁目の入り口に見えた かすみの思考は完全に止まって 「緊張すること無いよ。そうだ・・・。ジュースでも買ってようね」 大野の優しい笑顔が キモチワルイ。 「あ・・・。逃げたら追いかけるよ?ふふ・・・」 バタン。 (気持ち悪い気持ち悪い、怖い怖い・・・ッ) 押し寄せる吐き気と恐怖。 (逃げなきゃッ!!!) だが最後の力を振り絞って ガチャッ!!! かすみはドアを開け、飛び出した! 「・・・!??うがぁッ!!」 途端、大きな手のひらがかすみの口を塞ぎ、 大きな腕がかすみの左腕を掴む。 「・・・鬼ごっこ・・・はしたくないな・・・。 ジュース買ってあげたのに・・・」 (ひッ・・・) ポタリ・・・ 薄紅色の苺のジュース・・・ 抱えられた大野の手から滴り落ちる・・・ それはまるで・・・ ・・・生き血ように見えた・・・。 「あーあ・・・。ジュースついちゃったね・・・。 もっと可愛い服に・・・。着替えさせてあげるから・・・」 大野がかすみのブラウスのボタンをはずそうと手をかけた瞬間・・・ 「痛ッ!!!」 ドンッ!!! 「・・・待て・・・っ」 ・・・かすみは走った。 ピンクのキティのズックが脱げても 走って走って走って ・・・逃げた (コワイよコワイよコワイよ・・・ッ) 手に残る ”生臭い男” の臭い あのまま あのまま 腕をつかまれたまま 車の中に 引きずられていたら ・・・一体ナニをされたんだろう・・・? ゾクリッ ・・・本能的に分かった 幼い子供でも まだ知らない 汚い世界 汚くて臭くて 自分を踏みにじられる 腐った世界・・・ ”可愛い服に着替えようね・・・” (・・・ッ) 「・・・ゲボッ・・・」 きつ過ぎる 壮絶すぎる 汚さに 幼い心は耐え切れない 男の汚さ ずるさ 「ゲボッ」 消化したはずの胃のなかのものを 全て吐き出させる。 ”かすみちゃん可愛いね一緒にお空見よう” 「ゴホ。ゲボボッ」 優しい笑顔と ・・・笑顔に隠れた汚い顔。 そのギャップに 子供の心も体も全身で拒絶する。 「ワァアン・・・」 裏切られた衝撃と 手についたヌメリ。 他人の汚物を口の中に突っ込まれるより 吐き気がする。 ・・・気がついたら・・・ 見覚えのある 住宅街に・・・ (・・・!) ガサッ 電信柱の影から出てきた野良猫に 怯えて肩をすくめる。 (・・・追いかけてきたらどうしよう どうしよう) 「かすみちゃん!どうしたんの!!」 それはかすみの育ての母の菊枝おばちゃん。 「・・・!?どうしたの・・・!?どうしたの!?」 かすみの尋常じゃない様子に おばちゃんはすぐに異常を察知した。 ガクガク震える膝がカクン・・・ と折れた。 「ワァアアン・・・」 おばちゃんの胸に飛びついた。 ミルクをねだる赤子のように 大声でカンシャクをおこすように 泣いた 叫んだ 「ワァアアン・・・」 延々と泣きはらした後で・・・ かすみの口からポツリポツリと 汚らわしい事実が・・・ 語り始めて・・・ ・・・それからのことは かすみはあまり記憶に無い。 大野は姿をくらまし、 警察やら、学校の教師達やら保護者やら 大人たちが騒いで 事件だ、信じられないだ、騒いでいて・・・ 『うちの息子がそんなことするはずがない。 生徒さんとのスキンシップが少し”過剰”になっただけだ』 と、大野の母は言っていたという。 ・・・かすみは部屋の隅で縮こまっていたのに・・・。 『大人はみんな敵だ』 『特に大人の男はみんなキタナイばい菌だ』 毒だ。 獣だ。 卑怯だ 「・・・ゴボッ」 泣いて吐いて どん底のかすみに触れたのは おばちゃんだけだった。 女の人だけだった。 「かすみちゃん。だいじょうぶかい?」 大好きなおじちゃんがつくってくれたオムレツ。 けど・・・ ”おじちゃんは男の人・・・!” そう思った瞬間・・・ 「ゲボッ」 大好きな黄色のオムレツに 吐いてしまった。 「おじちゃんごめんなさい。おじちゃんごめんなさい」 泣きじゃくって謝るかすみが 痛々しく・・・ 二ヶ月ほどして・・・ かすみも少し落ち着いてきた頃・・・。 (お花は大丈夫かな) ずっと休学していたかすみ。 植物係のかすみは学校の花壇に植えた花が 気になっていた。 白い花。 その白い花が 血に染まった・・・。 ドン! 「キャアアア!!」 子供たちの悲鳴が校庭に響いた・・・ 『ボクは決してやましいことはしていない。 哀れな生徒を愛そうとしただけだ。僕は間違ってはいない・・・』 メモを残して ・・・大野は花壇へ飛んだ・・・。 「このことは、絶対かすみちゃんの 耳には入れちゃいかん」 おじちゃんとおばちゃんは必死で隠そうとしたが 子供の耳はなんでも聞き取る。 (大野センセイが・・・死んじゃった。ワタシのせいで しんじゃった) 自分が大野から逃げたから 逃げたから・・・。 ・・・植えつけられた罪悪感 幼い心に 病巣を作ってく 巣食っていく 「・・・おばちゃんごめんなさい」 それからかすみには 大人の男が近づくと 激しい嘔吐と震えが襲って ・・・症状との闘いは今でも続いている。 「・・・。綺麗な花が・・・。汚い血に染められたんだ。 それでもかすみ君は自分の心と向き合っている。逃げずに」 「・・・」 「・・・分かるだろう?彼女が何故お前を拒絶したか。 いや・・・拒絶などしていない。お前が彼女の中で”男”と 受け止めてしまえばそれは・・・」 (・・・) ”触るんじゃねぇ!” ・・・あの声は 獣のような声は (・・・”助けて”だったのか・・・) 心に巣食った闇の声。 「”心の闇”ってよく言うが・・・。 闇なんて本当はないんだ。オレ達が気がつかない、 みようとしてないだけで・・・」 月森はふと自分の足元に視線を送った。 月森にも かがんで花壇を見つめる一夜にも ”影”がある。 当たり前に。 闇はすぐ近くに必ず存在する。 誰しも 誰にも 「・・・。人間はこの影と一生付き合わなきゃいけない。 影とどう向き合うかで違ってくる・・・ってな」 説教臭い台詞は止めよう。 「・・・怖かったかな・・・」 「・・・怖かっただろうな」 「・・・気持ち悪かったかな・・・」 「気持ち悪かっただろうな」 「・・・泥水を飲むくらいかな」 「飲むくらいだろうな」 備わっているだけの想像力で 感じてみる。 考えてみる。 「・・・この花壇の臭い土くらいかな」 「臭い土くらいだろうな」 実際に手で土の臭いを嗅いで見る。 生ゴミが腐って汁がでているような 臭さ かすみはこの臭いから離れられないのか 頭に 鼻の奥に感じているのか ・・・備わっている想像力で感じてみる・・・ 「・・・。オイオイ・・・。デカイ図体 から涙か?」 枯れた葉が混じった土に 一夜の涙が沁み込む。 「・・・。感情表現豊かって・・・。いいな・・・」 哀しみも喜びも 感じた量だけ 外に出せる。 (・・・お前なら・・・。かすみ君と一緒に泣けるか?) もう自分には流す涙が無い。 出ない。 (一緒に泣いて泣いて・・・笑えるまで待てるか・・・?) 無垢な心 少女のかすみが植えた白い花のように まっさらな心で 包み込めるか・・・? 一際広くなった 一夜の背中に・・・ 願いを託す 「・・・」 かすみの苦しみは 痛みは どのくらいか? 考えろ 感じろ ・・・全身で想像してみろ・・・ (・・・かすみ・・・) ・・・涙が止まらない 想像しても 多分、 かすみの苦痛の一パーセントも分かっていないだろう。 そんな自分が歯がゆくて (オレ・・・。女に生まれてきていたら・・・。 よかった・・・な) 同じ女性な分だけ かすみの苦しみが分かったかもしれない。 恋や愛じゃ 救えない ・・・涙が止まらない 何を どうしていいのか分からない ただ泣くだけ 花壇に花がない。 緑が無い。 せめて涙がしみこんで 芽が出ればいいのに。 涙が止まらない。 寂しい花壇を ただ見つめていた・・・