東条大学心理学科。 かすみが在籍している。 「久遠・・・!」 大学の事務所から出てきたかすみに月森が呼び止めた。 「君は休学届けだしたって本当なのか?」 「はい」 月森の別荘で一夜と向き合って一ヶ月がすぎた。 少しずつ、一夜にも変化はあるが まだまだ頑なところもあり、何より屋敷から出ようとしない。 (大学とかけもちなんて中途半端はできない) かすみはそう思い、半年の休学届けを出した。 「かすみ・・・。何もそこまでとは僕は言っていない・・・。休学しては君の 将来が・・・」 「教授・・・。彼の心は17年分の心の痛みを抱えてるんです・・・。 きっとそれなりの時間がかかると思うんです・・・」 「・・・だが・・・」 「大丈夫。教授。教授が気になさることないんです。これは私が決めたことだから・・・」 一夜の心を開いて欲しい・・・ そう頼んだことを月森は後悔していたが・・・ かすみの笑顔はそれを意に返さないほど明るい・・・ 「・・・僕の方から学長に言っておく・・・。君の単位はレポート提出のみですませてもらうよう・・・」 「月森教授・・・。でもそれでは他の生徒に悪いです」 「いいんだ。君に彼のことを頼んだのは僕だからな・・・」 月森の視線が優しくなった。 クールな心理学者だが本当は誰より 人の痛みに敏感な人だとかすみは知っている。 「ありがとうございます。月森先生には本当にお世話になりっぱなしで・・・」 かすみはぺこりと会釈した 「あ・・・。いっけない。もう時間だ失礼します!」 笑顔で事務室を後にするかすみ・・・ かすみの後姿を月森は複雑なまなざしていつまでも観ていた・・・ かすみが大学に行っているころ。 別荘の一夜は・・・ 玄関の絨毯を掃除機を走らせているカネコのまわりをうろちょろしている・・・ 「・・・。なんだい?ワンちゃん。あるならちゃんと言ってくださいな」 「ワンちゃんなんて言うな!!ばああ!」 「じゃあ私のこともばばあなんて呼ばないでくださいな。カネコって名前があるんですから」 「ふん・・・っ」 一夜はジーンズのポケットに手を突っ込んで 「じゃあ犬ちゃん。かすみ様はまだ帰ってきませんよ。午後になるって言ってましたから・・・」 「べ、別におれはあんな女待ってるわけじゃねぇッ!!」 一夜はパタパタと二階にかけあがっていってしまった・・・ 「ふふ・・・。コロや・・・。お前さん”も”かすみ様を待っているのかい・・・?」 カネコはコロを抱き上げる クワゥ・・・ コロが少し嬉しそうに鳴いた・・・ 「ただいまー!」 大学から帰ったかすみ・・・ 食堂に行くとカネコが作った夕食が並び煮物や味噌汁が湯気をあげていた 「わー・・・。おいしそう!カネコさんの料理に私、もう惚れちゃった」 「かすみ様ったら。お上手だわねぇ。ふふ」 味噌汁をよそうカネコ。 大きなテーブルにかすみ一人きり・・・ 「・・・。一夜はやっぱりまだ食事は部屋で・・・?」 「ええ・・・。たまに一階に降りてきたりコロと遊んだりは するんですけど・・・」 少しずつ、一夜はこの屋敷に慣れつつあるが・・・ 食事はまだ部屋で一人でとっている・・・ (・・・。道は険し・・・か・・・) ずっと味噌汁を飲むかすみ・・・ カタン・・・ 「あら・・・。犬ちゃん!」 ばつが悪そうに一夜が食堂に・・・ 「一夜・・・。どうしたの?食事・・・」 「・・・。お、オレはたくあんが嫌いだ」 テーブルの上にたくあんの皿をおく一夜。 「・・・ねぇ。あのさ・・・。よかったら一緒に食べようよ・・・。私 一人じゃ寂しくて」 「・・・」 「それに全部、ご飯、食べきれないの・・・。駄目・・・かな」 「・・・。大根の煮たやつなら食ってやる」 一夜はかすみの向かいの椅子に座ってガツガツとトンブリの ご飯をかきいれる 「あれまぁ。犬ちゃん。さっき二階に持っていったのはもう食べちゃったの?」 「まだ腹がへってんだ!」 (・・・もしかして・・・。私を待っていてくれたの・・・?) あまり好き勝手な解釈はしちゃいけないと 思いつつかすみは 一夜の変化を確かに感じていた・・・ 変化・・・を感じているはずなのだが・・・ 「うっせぇえ・・・ッ!!!なんでオレがてめぇと昼飯つくらなきゃいけねぇんだ」 「だってぇ・・・。カネコさんお買い物に行ってあたしとあなたしかいないのよ。 一緒につくろうよ!」 一夜にひき肉をこねていたボールをもたせるかすみ。 「ほら。ひき肉、こやってこねるだけよ・・・」 「・・・嫌だつってんだろッ!!!」 「きゃッ・・・」 パン・・・ッ かすみが持っていたボールを手で激しく払い、フローリングの 床にひき肉が飛び散った・・・ 「・・・」 一夜は一瞬、はっと申し訳なさそうな表情を浮かべた。 「・・・お・・・。お前が悪いんだッ!!お前が・・・」 「・・・」 かすみは何も言わず、ボールを拾いじっと一夜をきつくにらんだ。 「・・な、なんだよッ」 「・・・。私が気に入らないのはわかってる・・・。でも食べ物を粗末に 扱っちゃいけない・・・。拾って。貴方も拾って!」 「な・・・」 一夜は初めてかすみの怒った顔を見た。 どれだけ反発しても起こらなかったのに・・・ 「私ね。貴方に突き飛ばされたって何されたって構わない。けどね。 食べ物を粗末にする人だけは許せないの!」 「う、うるせぇ・・・」 今までと違うかすみに態度に戸惑う一夜・・・。 「そんなに作りたくないならいい・・・。もういいよ・・・」 飛び散ったひき肉をしゃがんで拾う・・・ 「・・・」 エプロン姿でしゃがむかすみの後姿・・・ 重なる。 小さなアパートの台所・・・ ”誰のお陰で飯食えると思ってんだ!!馬鹿野郎!!てめぇって女は・・・!” 夫が投げたコップの破片を拾う母の背中に・・・。 小さな背中に・・・ ”ごめんなさい・・・。お願い・・・。一夜には手をあげないで・・・” いつもかばってくれた母・・・ 「え・・・」 一夜もしゃがみ、ひき肉を静かに拾う・・・ 「一夜・・・?」 「・・・ハンバーグなんてガキみたいなくいモン、嫌いだ。違うモンなら 食う」 「・・・ガキじゃん」 ボソッとかすみが言ったのを聞き逃さない一夜。 「なっ・・・。オレはな、林檎の皮、むけるぞ!!ガキじゃねぇっ」 「じゃあ、キャベツぐらい切れるわよね。はい!」 冷蔵庫から林檎をとりだし一夜に投げる 「”お手伝い”は”ガキ”でもするわよ?子供じゃないんでしょ?」 「・・・」 一夜は痛いところつかれた・・・という感じ。 渋々一夜は夕食をかすみと共につくる・・・ 「きゃー!お肉焦げてる焦げてる!」 煙をあげながらワイワイ賑やかに過ぎていく・・・ ボーンボーンー・・・ 玄関の柱時計が鳴る 台所は騒がしい 一夜が知っている台所は冷たく寂しい台所・・・ 働きに出ていない一人きり。 台所で酔っ払う父親に怯え 冷蔵庫のかげに隠れ 小さくなって母を待った・・・ ”オレはなぁ・・・一夜。てめぇの母親のためにオレは人まで殺した・・。 だからアイツはオレから逃げられねぇんだ・・・ククク・・・” (母さん以外の人間なんて信じるか・・・。信じられるか・・・。信じるもんか・・・) 「ちょっとぉ〜!何ぼやっとしてるの?」 かすみの声にはっと我に帰る一夜。 一夜は箸をおいた 「どうしたの?食事、まだ途中だよ?」 ”一夜、今日、何食べたい・・・?” 「・・・!」 かすみと一緒にいると 戸惑うことばかり・・・ 母の微笑と重なる・・・ 「一緒に作るのって楽しいね」 ”楽しいね・・・” (・・・。ち、違う・・・。違う・・・この女は・・・) 「?どうしたの?」 「・・・」 思わず顔を逸らす一夜・・・ 「言っておくがな・・・。オレはお前のこと信じたわけじゃないからな・・・! オレは・・・。オレは・・・」 「一夜・・・」 「・・・。お前は・・・。母さんじゃない・・・。オレは・・・オレは・・・」 ガタン・・・ッ 「一夜・・・ッ!!」 椅子を倒して一夜はダイニングを飛び出した 追いかけるかすみ・・・ (一夜・・・) 一夜は自分の部屋で俯いて座り込んでいる 小さく縮こまるように・・・ 「・・・。一夜・・・」 「・・・お前・・・。なんでそこまですんだ・・・。なんでオレにかまうんだ・・・」 「・・・」 「・・・。オレは・・・ヒトリなんだ・・・。ガキの頃からずっとずっと・・・」 母から貰った首飾りを見つめながら一夜は話す・・・ 「・・・。お前はオレになにがしたんだ・・・。家族でもないのに・・・。 なんで・・・どうして・・・」 かすみは一夜の隣にすとんと足をもって座る。 「家族でもないのに・・・。確かにそうよね・・・」 「・・・」 「・・・でも・・・。貴方の心が元気になってほしい・・・。 元気になって・・・。それをサポートしたいだけ・・・」 「・・・」 一夜はかすみの顔を避けるように斜めに顔を俯ける・・・ 自分の言葉は届いているか・・・? 重い重い心の扉。 他人に簡単に開けられるほど心というものは 浅くない 軽くない 生まれた時から 世の中から逃げて逃げて 人を避け、 人と距離を置いてかかわらず 生きて育ったきた心。 ”ありがとう” 人の素直な感謝の言葉さえ 裏に邪心があると勘ぐってしまう 誰かに おはよう 声をかけられるだけで 怒鳴られたのかと思い、心を震わせる・・・ 「・・・。”ヒトリじゃない”なんて簡単に言えないけど・・・。 あたしは・・・。あなたが元気になるまでそばにいる・・・ 笑顔がみられるまでそばにいる・・・。絶対・・・。そばにいる・・・」 「・・・」 訴えかける。 言葉だけじゃ伝わらないかもしれないけど・・・ ”待つ” そのことが一番の優しさだから・・・ 「・・・。お皿洗わなくちゃ・・・。私、行くね・・・。また気持ち、落ち着いたら 食堂降りてきて・・・」 部屋を出ようとかすみは立ち上がる・・・ 「・・・!?」 「・・・」 かすみのエプロンに・・・ 縋りつく一夜・・・ 迷子が母を見つけたように・・・ 背中を震わせて・・・ 「・・・。ヒトリはイヤダ・・・。モウ・・・ヒトリは・・・っ」 「犬・・・夜叉・・・」 「コワイんだ・・・。ドウシテイイカワカラナイ・・・。オレはこれからどうなるんだ・・・? どこへ行くんだ・・・?オレは・・・オレは・・・」 「・・・。一夜・・・」 ”あたしはどうなるんだろう・・・?お母さんがいなくなって あたしはどこへ行くんだろう・・・?” この世でたった一人になった瞬間 広い広い真っ暗闇に ほうりだされた 何の武器も持たず、 一人っきり・・・ 「・・・大丈夫・・・。大丈夫・・・。絶対貴方は大丈夫・・・。 貴方は一人じゃない・・・。大丈夫・・・」 竦める肩をそっと包むかすみ・・・ 不安で不安で不安で 壊れそうな心 壊れないように 崩れないように 誰かに包んで欲しかった そして言って欲しかった・・・ ”あなたは大丈夫・・・” 「・・・。あなたも私も家族はいないヒトリぼっち・・・。だったらさ・・・ ”ふたりぼっち”ね・・・」 「・・・フタリ・・・ぼっち・・・」 かすみは深くうなづいた・・・ 「ヒトリボッチは辛いけど・・・。ふたりぼっちならはんぶんこできる。 つらいのも不安なことも・・・」 かすみの心臓の音・・・ 一夜は目を閉じて聞いている・・・ 「ゆっくりがんばろう・・・?ゆっくり・・・。前を見よう・・・。焦らなくていいから・・・。 ゆっくり・・・きっと・・・ あなたは強くなれる・・・きっと・・・」 ”一夜・・・。ヒトリになっても強く生きていきなさい・・・。 ヒトリになっても・・・。生き抜いて・・・。それがお母さんの願い・・・” かすみの微笑み・・・ 包まれたヌクモリ 母とは違うけれど・・・ (・・・不安が・・・。怒りが・・・。消えていく・・・) 淀んだ心が 落ち着いていく・・・ 「一夜・・・?」 「・・・スー・・・」 寝息が聞こえる・・・ かすみはそのまま自分の膝に一夜を寝かせた・・・ エプロンをぎゅっと握り締める一夜・・・ 「・・・。お願い・・・。あなたは強く・・・ 生きて欲しいの・・・。私の母のためにも・・・」 一夜の髪を撫でながら・・・ かすみは切なく呟いた・・・