シャイン 〜みんな輝いてる〜 第49話 一欠けらの光月草 退院してからしばらく経って・・・。 光の怪我もすっかり治り松葉杖もとれた。 だが光の精神的な打撃は日常生活にも打撃を与えている。 「おはよう。ごめんお姉ちゃん寝坊して・・・」 「あ・・・おはよ・・・一恵」 笑顔で答える光。 だが声のトーンは低い 「お姉ちゃん・・・。大丈夫?」 「ああ大丈夫・・・。はい味噌汁」 (全然・・・大丈夫じゃないじゃない・・・) ご飯茶碗に味噌汁を善そう光・・・ 「あ・・・ごめん・・・。ぼうっとしてて・・・」 「お姉ちゃん・・・」 台所の食器棚にある薬袋 そこには『安定剤』の文字が・・・ 「昨日も寝られなかったの?」 「ああ・・・。でも大丈夫・・・また休むから・・・」 空ろな目・・・ 不眠状態が続いていて・・・ それでも朝、一恵が仕事に行くまでには必ず食事を作ってくれて・・・ (家の事だけはって・・・お姉ちゃん・・・) 「雅代さんがもうすぐ来るね・・・。洗濯物だけ でもやっておかないと・・・」 「お姉ちゃん無理しないで・・・」 「・・・何かやってた方が・・・。不安が和むんだ・・・。 ちゃんと休むときは休むから・・・。一恵は仕事行っていいから・・・」 洗濯物籠をもって風呂場へ行く。 (お姉ちゃん・・・) 目の下が隈が・・・光の状態を示している。 グリン! 「・・・!」 洗濯機のまわる音にビクっと肩をすくめて驚く光・・・ ピピ!ピピピ! 「・・・ッ」 電子音も耳に障る・・・ 全身の感覚が アンテナになって別のおとに聴こえてくる・・・ ”死ね死ね” ”バケモノ!” (・・・幻聴なんかに負けてられない・・・!られない・・・) バシャン!! ジャー・・・ 光は風呂場に入り シャワーを冷水で頭からすっかぶる・・・ (しっかりしなくちゃ・・・しっかり・・・) 心の中の悪魔 冷水と一緒に流れればいい・・・ 光の心は・・・ 湧き上がってくる不安感と恐怖感 幻聴 周囲のさまざまな”刺激”への警戒心 体中がアンテナになって 聴こえてこない 自分でコントロールできない心を・・・ (しっかり・・・しなくちゃ) 「しっかりしなくちゃ・・・しっかりしなくちゃ・・・」 ぐるぐる回る洗濯機・・・ ぐるぐる ぐるぐる・・・ 光の心も・・・ コントロールできない心が 渦を巻いていた・・・。 トウルルルル!! 炬燵で横になっていた光。 電話の音にビクっと顔をガクガクさせて 手を震わせながら受話器に出た。 「も・・・もしもし・・・」 「・・・光・・・?」 「・・・なんだ・・・晃か・・・」 ほうっと電話口で深く安心する光。 「・・・あ、ごめん・・・。ちょっと電話に出るの・・・怖くて」 「光・・・」 「あ、ああいや、ごめん全然平気だ。ホントホント・・・」 (・・・何言ってるんだ私・・・。晃を心配させる言葉しか 使えない・・・) 上手な言い訳もうそも つく余裕がない 「・・・ごめん晃・・・ごめん・・・ごめん・・・」 「光・・・」 「・・・光・・・。オレ・・・何をすればいい・・・?」 「・・・晃・・・」 「・・・オレ・・・。何もできい自分が・・・歯がゆくて・・・。 オレ・・・」 晃の気遣いが 伝わるようだ・・・ 互いに気遣いあって それが距離を生む。 (早く元気にならなくちゃ・・・。分かってる。 分かってるよ・・・) 晃の”ごめん” 罪悪感の塊 優しさの塊 光には嫌というほど分かる・・・ 分かりすぎて・・・ ・・・重い。 「なぁ光。オレに何か・・・」 ・・・重い 「光・・・」 「何もしないでくれ」 「え・・・?」 「・・・何もしないでいい・・・。気遣ってくれるなら 何もしないでくれ・・・。ごめん・・・じゃあ」 「ひか・・・」 ガチャン・・・! 乱暴に切ってしまった・・・ (・・・) 受話器を持ったまま うな垂れる光・・・ (最低だ・・・。私・・・。最低だ・・・最低だ・・・) 晃の気遣いが疎ましかった 突っぱねた・・・ 自己嫌悪と被害妄想の波が またやってくる・・・ (・・・最低だ・・・最低だ・・・) 自分で自分を傷つけ 傷つけることしかできない 光は再び部屋に戻る・・・ 暗い部屋。 全てを遮断した部屋。 唯一 心を守れる場所 ゴン ゴツン・・・ (晃・・・ごめんなさいごめんなさい・・・) 大切な人の声さえ 重たいと感じてしまう ゴツンゴン・・・! 額を壁に打ち付ける・・・ (晃ごめんな・・・晃・・・) ゴツンゴツン・・・ッ 不安不安不安 (最低だ・・・最低だ最低だ・・・) 自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪 どれだけ沸けば 治まるのだろう・・・ 「私は最低な人間だ・・・っ!!!」 ゴン!! 壁に血が染みる・・・ 血と涙が 絨毯に混ざって落ちる・・・。 「うぅ・・・」 マイナス思考の世界 そこでは”希望”は猛毒だ。 希望を唱える人間は ・・・悪魔 前向きだとか 乗り越えてとか そんな言葉を唱える奴は ・・・排除しろ 被害妄想 被害者意識 その塊の一方で ”被害者意識が強いだけのバカ野郎だ!” ”自分に甘ったれてんじゃねぇ!!” ”自分だけが辛いんじゃねぇだろう!!” 理性を持った自分が 頭の中で叫んでる もう何もかもぐちゃぐちゃ ”光・・・” 大切な人たちの声も 聴こえない 暗いくらい海の底の部屋・・・ すすり泣く光の声と 頭を打ち付ける音が むなしく響いていた・・・。 晃と俊也。 駅前の喫茶で男二人深刻な顔をしている。 俊也が晃を呼び出して、光の様子を聞いたのだが 何も喋らず・・・ 珈琲にも手をつけない。 「・・・晃。お前は・・・生霊か?」 「・・・。生霊になって・・・光の様子を見に行きたい。 行けるものなら・・・」 ”何もしないでくれ” 光から拒絶された。 いや、それが精一杯の応えだったのかもしれない。 「てめぇまで気が滅入ってどうすんだよ?ったく・・・」 俊也は頬杖をついて 窓の外をぼんやり眺めた・・・。 何人もの通り過ぎていく人間を見つめる・・・ 外見じゃわからない この通り過ぎていく人間たちの中にも 人には言えないわからない深い深い 心の痛みを持った人間は沢山いるだろう なのに心の痛みが分からない奴が多いのは何故だろう ・・・皆、自分の心で手一杯。 精一杯・・・? 寒い雪の中 殴られ蹴られ 焼けどおわされ ・・・臭い場所に置き去りにされ 助けを求めても見捨てられた 一人の女の子が居た。 新聞にも小さく載ったけれど 何人、そのことを知っているだろうか・・・? 「・・・あんな目にあって そう軽々と立ち直った・・・なんて奴の方が俺はなんか怖いね。 寧ろ光は正常なリアクションじゃないのか・・・?」 「そんな気楽なもんじゃ・・・。”辛いのは自分だけじゃない”って光の 健気さが余計にプラスされて光を苦しめてる・・・。きっとそうだ」 「・・・。はぁ。恋する男は繊細なこと言うねぇ・・・。でも 光以上に精神的に参ってるやつは五万といるだぜ」 「・・・。光はもう・・・辛い思いしすぎてる・・・」 奥歯をかみ締める晃。 「・・・駄目だこりゃ。恋は盲目ってか。あ、おねーさん。 もいっぱいちょーだいな」 俊也は手を上げて、珈琲のおかわりをウェイトレスに頼んだ。 「・・・ストレス社会。今この瞬間にもあの世に行こうとしてる 奴だっているだろうぜ?」 「おま・・・ッ何がいいたいんだ!!」 俊也は自分の手首を晃に見せた。 「・・・オレみてぇな”真似”はしねぇよ。光は」 「・・・お前・・・」 「どれだけ心が弱っても・・・。光は”それ”だけは しねぇ・・・。お前が一番知ってるはずだ」 ”あんたの写真・・・見たいからそんなこと絶対にするな!” 光が言った言葉が俊也の礎になっている。 「晃。寧ろな・・・。今って世の中はな・・・精神的に参ってる奴を・・・ ”毛嫌い”する奴の方が多い」 「え?」 「”癒してあげる”とか言ってな。上っ面じゃいい人ぶってんだ。 腹では異質なもの受け付けねぇくせに」 (・・・。そういえば・・・。一恵さんから聞いたな・・・) 光の近所。 同情する声の中に ”光の方がどこか変なんじゃないか” ”事件のショックで気違いになって変なことしないか” そんな声も聞こえてきたり。 心の健康なんて 誰にも分からない。 善良な笑顔の下で 見下し笑っているかもしれない 疑心暗鬼。 誰も信じられなくなる。 「じゃあ・・・。俺は・・・光に何が出来るんだ・・・」 「光が言ったとおりだ。何もできねぇ」 「でもそれじゃあ・・・!」 「・・・待ってるしかねぇだろ」 「・・・そんな・・・」 晃は俯く・・・。 珈琲に映る自分の顔・・・。 何も出来ない歯がゆさ。 その歯がゆさは光も同じなのだと分かっているけれど・・・。 「”光って名前の花はなぁ・・・。茎や花は・・・他の人間に比べりゃ弱い。 でも根っこは人一倍強いはずなんだ・・・。葉や茎が折れても 根っこはくさらねぇ・・・」 「・・・。根っこ・・・」 晃の脳裏に光月草が浮かぶ・・・。 光月草。 強風や虫に弱く育てるのも難しい弱い花。 だが、根を残してやれば必ず”種”つける 「・・・。ありきたりだけど・・・。待ってやるしかねぇんだよ・・・。 待つしか・・・」 「・・・。光・・・」 淡い黄色の花。 晃の脳裏にその花と光の笑顔が 揺れていた・・・。 ・・・その日の朝は 放射冷却で寒かった。 (・・・。朝か・・・) 朝陽を浴びるのが怖い。 カーテンを開けることが・・・ だけどガタンガタンと庭で物音がして (昨日の嵐で・・・庭の物が散らかってるな・・・) 光はそっとベットから出て・・・ 帽子をかぶって庭に出た・・・。 (この時間帯なら誰も会わないだろう・・・) 怖いけど気になることがある・・・。 ・・・夢の中で・・・ 光月草が出てきて・・・ まだ薄暗い・・・ 朝。 (・・・だれもいないな・・・) 半天を羽織った光がそっと勝手口から出てきた 雪に埋もれた・・・ 花壇。 蕾をつけてもうすぐ咲くはずだった・・・光月草。 雪の重みで葉も蕾もつぶれ 枯れはてていた・・・ (全滅か・・・) 根も葉も・・・ 虫に食われ・・・ ただの泥しかない・・・ 猫の糞やら・・・ 誰が投げ捨てていったかタバコの吸殻・・・ あまりの荒れ放題に・・・ 座り込む光・・・。 長いことかけて 手をかけて 育てた光月草・・・ (・・・ごめんね・・・。枯らせちゃって・・・) 光月草の花言葉は ”希望を忘れない” だが目の前の花壇は・・・ 希望などなく・・・ 臭い泥だけ・・・ 希望などない・・・ 臭い泥と枯れた 枯れた茎しかない・・・ 鼻に付く泥臭さ・・・ ・・・蘇る ゴミ袋の中に頬利投げられた時の 臭さ・・・ (・・・臭くて冷たくて・・・) 光はぐっと拳を握る・・・。 わずかな希望も なにもない・・・ 光月草が咲いたら・・・ 咲かせたら・・・ 晃に気持ちを伝える筈だった・・・ (咲いたら・・・咲いてた・・・。え・・・) 白い・・・ 雪の中に・・・ 薄っすらと・・・ 黄色の花びらが見えた・・・ (・・・) 光は何かに執り付かれたかのように 泥と雪がまじった花壇を素で掘った。 奥に見える薄い黄色を探して・・・。 ザ・・・っ ザッ ザッ 冷たい雪を 掻き分けて 掻き分けて・・・ 「あ・・・」 薄い黄色の一株の苗を・・・ 見つけた・・・。 「あ・・・あ・・・」 花は既に咲いて枯れかけていたが・・・ その根には・・・ 小さな球根が・・・ 実っていた・・・ 小さな根の先に出来た球根・・・ 「あ・・・」 球根が・・・ ・・・たったひとつ・・・ たったひとつ・・・ たったひとつ・・・ 「あ・・・うぅ・・・」 小さな球根を 光を静かにすくう・・・ 腐った泥の中で 生きていた球根 「うぅううあああ・・・っ」 堰を切って・・・ 心に堪っていた 想いが 痛みが 悔しさが 滝のようにあふれ出す・・・ 吐き出す 体が毒を出すように 「うわぁ・・・。助かりたい治りたい 強くなりたいよ・・・ぉ」 大声をあげて泣く。 ずっとずっと泣きたかった 赤子のように 感情を全部ぶちまけて 吐き出して・・・ 「強くなりたい・・・。ささやかでいいから・・・ 笑いたいよ・・・」 元気印じゃなくていい 普通に ありふれてていいから 笑いたい 「笑いたい・・・笑いたい・・・」 手の中の光月草 もう一度育つだろうか 花を咲かせられるだろうか 暗い土の中はもう嫌だ 太陽の光を浴びて 咲いてほしい 光はそっと根を傷つけないように 土の中から出した。 「・・・芽をだして・・・育って・・・」 一欠けらの光月草 寒い朝 雪の絨毯の上で 一欠けらの光月草を両手に包んで 光は泣いた 思いっきり泣いて・・・ 解けた雪と一緒に 涙も消えてしまえ・・・ (・・・咲く・・・また咲くから・・・) 真冬の太陽。 雪に照らされて 光っている・・・ コトン。 晃の郵便受けに 淡い黄色の便箋が投函された。 (・・・光からだ・・・!) 仕事から帰った晃はカバンも放り投げて 封筒の封を切った。 封筒と同じ色の便箋一枚・・・。 優しい文字で2行だけ書かれてある・・・ 『晃へ・・・。この前はごめん・・・』 (光・・・) そして二行目・・・ 『・・・私を信じて・・・待っててほしい』 「光・・・」 『光月草が咲いたら・・・。会いに行く』 ”光月草が咲いたら・・・” 光月草の花言葉・・・。 『希望を忘れない』 ”待つしかねぇだろう” (・・・。わかった。光・・・待つから・・・) 光月草色の手紙 晃は何度も何度も読み返して・・・ バックに入れていつも持ち歩く。 同じ頃。 光の部屋の窓に小鉢。 一欠けらの光月草の球根が 大切に植えられ・・・ 小さな芽を出していたのだった・・・。