シャイン


ザザン・・・ 今日は本当に波は穏やかだ。 優しいゆっくり吹く風に波が踊っているよう・・・ 『○×老人病院』 日曜日は見舞い客も少なく、病院の裏の外来の玄関から 光は静かに入っていった。 「あの・・・真柴さんの病室は・・・」 ナースステーションで 病室を訪ねて行ってみると・・・ 「真柴さんのおばあちゃんなら、お孫さんにいつもの”髪結い”だわ」 看護婦が海の方を指差した。 病院のすぐ前。 黄土の砂浜に車椅子に座り、ビニールのシートを 身に纏った小さな背中。 その横でハサミを持つ晃がいた・・・ 「ばあちゃん。今日は風が気持ちいいな」 晃の祖母は黙ってただ地平線を見つめている・・・ 「オレ・・・。信じてるんだ。きっと来てくれるって・・・。ばあちゃんもそう思うだろ・・・?」 「・・・」 祖母は少し微笑んだ・・・ 「そうか。やっぱりばあちゃんもそう思うか・・・。よかった・・・」 嬉しそうな晃。 晃は祖母の髪をそっと櫛でとかす 光は看護婦とともに窓から二人の後姿を 眺めていた・・・ 「真柴のおばあちゃんはもう・・・。ほとんどお孫さんのことも わからないの・・・。でもああやって海でお孫さんに髪を結って もらっているときだけは微笑むの。私達にもあの顔は 魅せてくれないけれど・・・」 看護婦はそっと 目じりの涙を拭って言った。 「・・・」 ”きっと信じてる・・・” 光のキーワードが心の中で響きだす。 光はそっと砂浜に出た・・・ サク・・・ 黄土の砂浜は柔らかくスニーカーの中に砂が まじりそうなほど・・・ サク・・・ 砂の足音に晃が気づいた。 そして微笑む・・・ 「ばあちゃん。ほら・・・。きてくれた・・・。オレの言ったとおりだろ・・・?」 晃は光を車椅子のそばに手招きする。 「ほとんど誰が誰かわからないけど・・・。海の風と匂いは わかるんだ」 祖母はただぼんやり・・・海を見ている。 「・・・ばあちゃん。この人が話してた光さんだよ。ばあちゃんに会いにきてくれたんだ」 チョキ。 チョキ・・・ 祖母に語りかけながら、襟足を揃える晃・・・ 地肌が見え、 生え際にはわずかな白髪しかない 細い髪を そっと労わるように櫛を通す・・・ 「さぁ・・・。綺麗になった。ばあちゃん・・・。光さんに見せてあげような」 祖母に手鏡を持たせる晃・・・ 「・・・」 何の反応もない。 「でもばあちゃんは喜んでくれてる。オレにはわかるんだ」 本当は少しでもいいから反応がほしい。 そんな気持ちが少し光に伝わった。 (あ・・・) 光はなんとなく足元に咲いていた昼顔の花に気がついた (・・・) 自分でも無意識的に体が動く。 光は静かに車椅子に近づき、祖母の視線まで腰下ろし・・・。 「・・・お花の髪飾り・・・」 祖母の耳にそっと昼顔の花を挿した・・・ 「・・・!」 祖母の顔が一瞬、変わった。 手鏡をくいいるように見つめ、 花飾りの角度を自分で変えた。 ほとんど感情がなかった祖母の行動に驚く晃・・・ 「ば・・・ばあちゃん・・・?」 「・・・めんこいなぁ・・・」 祖母は光の顔をじっと見つめた・・・。 しわだらけの・・・ 点滴の針の青白い痕だらけの両手が 光の顔をそっと花を持つように優しく包まれた・・・ 「苺の花みたいだぁ・・・。白くてめんこいなぁ・・・。こんなめんこい おなごっこ、みたことないっちゃ・・・」 目はほとんど・・・ 見えていないというのに まるで見ているように 光の顔を子供を可愛がるようになんどもなんどもなでる・・・ 「晃らぁあきらぁ・・・」 「!」 病で倒れてからずっと晃の名を口にしなかった祖母。 今、確かに晃と言った。 「はな・・・かざり、ありがと、あきぼんぁ」 「ばあちゃん・・・」 ”ばあちゃん。川原に蓮華、さいとった。これ・・・” 一人で。 友達と遊ぶこともなく、 祖母のために泥だらけになった花を探していた。 「あきら・・・めんこいあきあら・・・」 祖母は光の手をぎゅっと握って 頼んだ・・・ 「ばあちゃん・・・」 ハサミをぎゅっと握りめる晃・・・ 「ばあちゃん・・・。ほら・・・。綺麗だな・・・」 手鏡を持つ祖母の手にそっと手を添える晃・・・ 「綺麗な髪飾りだな・・・。よかったな・・・」 晃の声に 祖母は久しぶりに 微笑み返す・・・ 晃の大好きな笑顔だ。 「ばあちゃん。一秒でいいから。一秒でいいから。 長く・・・生きてくれ・・・」 「綺麗なはなだわねぇー・・・あきぼん・・・」 会話がかみ合わなくても 「ばあちゃんの髪・・・セットさせてくれよな・・・。ばあちゃん」 その人が 自分を忘れても 生きて 生きていてくれるだけで幸せ 「あきぼん・・・。はな、ありがとうね・・・」 「ばあちゃん・・・」 地肌が見え 後頭部にしかない髪。 抗生物質やたくさんの薬の副作用 梳かせば梳かすほど 抜け落ちていく 「ばあちゃんの笑顔は最高に綺麗なんだ・・・。な・・・?君もそう思うだろ・・・?」 だけど 微笑みに勝る ”化粧”は 他には・・・ ない 「ばあちゃん。もう一つ。 綺麗になろう・・・。光さんに、一番綺麗なばあちゃんを見てもらおう・・・」 晃は白い木綿の肩掛けをそっと 羽織らせる・・・ 「世界一・・・美人だよ。ばあちゃん・・・」 世間は・・・この晃の祖母の姿を見てなんていうだろう・・・? 『老婆』 『病人の高齢者』 『72歳の老女』 どの形容詞も間違い。 「ばあちゃん。ばあちゃんはばあちゃんだ。 オレの大好きなばあちゃん。ずっとずっと変わらない・・・」 孤独な晃の心を包んでくれた祖母。 真柴登世子という人間だ。 点滴の針で青白く内出血している手の甲をぎゅっと握り締める 晃・・・。 「オレはばあちゃんのこのしわくちゃな手が一番スキナンダ・・・」 いっぱいいっぱい自分を 抱きしめてくれた手・・・ 今度はその手を・・・。 光の手に繋ぐ・・・ 「光・・・。君は君のままで・・・。」 繋がれた手を晃がそっと さらに包む・・・ 「一緒に笑おう。な・・・?」 登世子の髪の昼顔の花びら 海の風にゆれて・・・ 「おばあちゃん・・・。私に綺麗な笑顔をくれて・・・。ありがとう・・・」 2年ぶりに 光は心の底から 笑った・・・
あんなに穏やかだった海が 少し荒れてきた 小雨が降ってきて 青い海に跳ねて飛び落ちる 「今日は・・・。本当にありがとう・・・。ばあちゃんの笑った顔、 久しぶりにみれて嬉しかった・・・」 静かにうなずく光 バス亭の前。 晃は青いパラソルを光に手渡す。 「・・・ごめんなさい」 「・・・。どうして君が謝るんだ・・・?」 「私・・・。真柴さんにひどいこと言った・・・」 ”自己満足を満たす糧になんかなりたくない” 「お店・・・。辞めたって聞いて・・・」 心配そうな顔。 バス亭のそばの水溜りに光の顔が映る。 「辞めたのは君のせいじゃない・・・。ばあちゃんのことも あったし・・・。それに。オレ・・・新しい美容室作ろうと思ってるんだ」 「新しい美容室・・・?」 晃はバス亭の横のベンチに腰を下ろした。 「世の中には・・・。綺麗になりたくても病気なんかで化粧や散髪ができない 人たちがたくさんいる・・・。だから”移動美容室”ってね。ちょっと 気障だけど・・・」 「そんなこと・・・。素敵だと思います」 光は首を振って言った。 光は晃の隣に座った。 黄色と水色のカサが並ぶ・・・ 静かな海の音しか聞こえない 光は妙に緊張した。 (な、何か話さなくちゃ・・・) 「・・・。晃さん。ノートルダムの鐘・・・って知っていますか・・・?」 「あのディズニー映画のやつなら・・・」 「・・・。私ね。最後のシーンが一番好きなんです」 話すネタが子供じみたアニメの話。 でも他に思いつかなかった。 「最後のシーン・・・」 暗い教会から 陽のあたる元へ一歩踏み出す・・・ 外の陽の光が注がれるが 一瞬、カジモドはそのまぶしさに思わず手をかざす・・・ 「・・・。カジモドと同じで私・・・。昼間は嫌いだった・・・。 明るくてまぶしくて・・・。生きているみんなが活動的で・・・」 「・・・」 「でも本当はずっとカジモド同じで私も・・・。 ずっと光の中に行きたかった・・・。受け入れてもらえるか 怖かった・・・」 街の人々の前に姿を現したカジモド・・・ 静まり返る街の人々に一瞬、カジモドはそれ以上進むことを 躊躇する 「一歩・・・。一歩頑張って踏み出せばきっと 街の人たちと中に行けるのに。その”一歩”ができなくて・・・」 そんなカジモドに街の花売りの少女が 近寄りカジモドの顔にそっと触れた 「一歩・・・一緒に踏み出してくれた・・・。わ、私も 一歩・・・。歩こうって思った・・・」 「もう光は一歩踏み出してる・・・。今日来てくれた。それが証拠だ・・・」 「・・・真柴さん・・・」 「・・・晃でいいよ。あ・・・。バス、来た」 バスのドアが開く。 傘を閉じ、バスに乗ろうとする光・・・ 「光」 振り向いた光に差し出されたのは・・・ 小さなガラスの結晶。 「ばあちゃんから貰ったお守り・・・うけとってくれねぇか」 「・・・」 「・・・。いつか・・・。いつかまた・・・。髪が伸びたら・・・。 カット・・・。させてもらえるかな・・・」 「・・・そのときはよろしくおねがいします」 二人は握手を交わす・・・ 何かのドラマで聞いた台詞が光の心に浮ぶ。 ”誰かを許したとき・・・。嫌いな自分自身も許される・・・” 「お客さん早く乗ってください」 運転手の声に ドアが閉る。 数人しか乗ってない車内。 光は前の方に座る。 曇ったバスの窓を擦り、晃に視線を送る。 (・・・) ガチャッ。 光は窓を開け、晃に向かって一言こう言った。 「私・・・っ。信じてみる・・・。本当の自分を・・・っ。絶対・・・。信じてみる・・・っ」 光の言葉に・・・ 晃は最初に感じたときのクールな微笑みではなく 穏やかな海のように優しい慈しみに溢れた微笑みが 返された・・・ ”がんばれ・・・がんばれ・・・” エンジン音でかき消された晃の言葉。 でも光には晃のメッセージがちゃんと伝わる・・・ ブロロロ・・・っ 雨の国道をバスが動き出す。 晃はバスが 米粒までになるくらいに見続けた・・・ 「・・・ガンバレ・・・。光・・・。ガンバレ・・・。きっと・・・光は 大丈夫・・・。ガンバレ・・・。ガンバレ・・・」 そう・・・ 祈るようにつぶやきながら・・・ 雨が晴れて 青空が顔を出す。 ”ガンバレ・・・” 晃のメッセージ。 光の心に刻まれたメッセージ・・・ 車窓に映る自分の顔。 これが今の自分。 現実・・・。 「・・・?」 光の足元に小さなうさぎのぬいぐるみが転がってきた 光が拾うと後ろの席に座っていた少女が光の前に立っている。 「はい。これ、貴方のでしょ?」 「・・・」 少女はじっと光の顔を見ている・・・ 少女の背後にいる親がかなり慌てた表情を浮べ、声に出さずに ”早く拾ってこっちにきなさい、じっと見ちゃ失礼よ!” と言っている・・・ (・・・) 昔なら こんな場面に出くわした時、心はピリピリ痛んだ・・・ ”絶対信じる・・・。自分を信じる・・・!” でも今は・・・ 「私の顔・・・?怖い?」 「・・・。ちょっと」 少女は幼いながらも光に気を使っているのか申し訳なさそうに 言った。 少女の気遣いが返って可愛らしいと思う光・・・。 「私も怖い・・・。でもね。これが私なの・・・。大事な大事な 私なの・・・」 少女の髪を撫でながら光は 呟く・・・ 「・・・怖くないよ」 「え・・・?」 「お姉ちゃんの手・・・。ママの手より暖かい・・・。 あったかい・・・」 少女は撫でられた光の手に頬を摺り寄せる・・・ 「あったかぁい・・・」 その少女が あのカジモドを包んだ少女とだぶる・・・ 光の中に出てきたカジモドを包んだ少女に・・・ 「あったかいのは・・・。貴方の心だね・・・。ありがとう・・・」 少女のぬくもりがあまりにも優しくて 無垢で・・・ 光の頬に一筋 流れた雫・・・ 「・・・信じる・・・。絶対・・・私は自分を・・・」 今の光のキーワード。 窓の外雲から 透明な光が海に差し込む・・・ 誰かを力づけるように・・・ 辛い現実を 受け入れる、受け止められる強さを持とう。 そしてその自分が持つ『底力』を信じよう 貴方が輝ける力を信じて・・・