薩摩のかくれ念仏【 浄土真宗 参宝院 】
竹林のかくれ念仏洞(がま)
江戸時代、念仏を禁止した藩主はほかにもいるそうですが、薩摩藩ほど長きに渡って厳しく念仏を弾圧した藩はありませんでした。念仏といっても浄土宗などはその対象ではなく、一向宗といわれた人たちの 「南無阿弥陀仏信仰」が目の敵にされたわけです。

往時を伝えるものに、西本願寺鹿児島別院の正門右に置かれている「涙石」があります。囚われの身となった念仏者が取調べを受ける際、正座させた両足の上にこの石が乗せられ、自白を強要させられたのだそうです。

念仏停止の嵐が吹き荒れる中、一向宗(現在の浄土真宗)の信者たちは、タバコを楽しむ会とか、木綿の着物を裂いて細い紐を編む会(細布講)などと称して隠れてお念仏の会合を開いていたといわれています。なかには上の写真のように竹林の斜面に大きな横穴を開けて、その奥でこっそりご本尊を拝んでいた人たちがいました。このほかにも家の柱や船の帆柱をくりぬいて、隠して拝んでいたという阿弥陀立像などが残されています。

面白いものでは、「牧永野の盗人穴」といわれるものがあります。これは、岩場の穴を利用して近くの小川のせせらぎが念仏の声が掻き消すように作られており、盗人穴の由来も子供たちを近づかせないために、あえて名付けられたのだということです。一向宗徒による、命がけの信仰の様子が偲ばれます。

※写真は最近になって町の文化財として整備されたもの。
参考文献:『さつまのかくれ念仏』桃園恵真 鹿児島大学名誉教授著(国書刊行会)
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