怨  憎  会  苦
(おんぞうえぐ)

私は九州の果ての田舎から18歳の時上京しました。その時、隣のおばさんから 「東京は生き馬の目をくり抜く処だと言うよ。頑張ってね」 と言われて少々不安を覚えながらも、田舎でくすぶっているよりマシと思ったものです。
また 「男は玄関を出たら100人の敵がいる」 とも教えられました。 此のことは決して人間不信を煽ったわけではなく、 「親元を離れるにはそれなりの覚悟が必要だよ」 「都会で暮らすには苦難の連続を乗り越えなさい」と教えてくれたものだろうと思います。

さて仏教が教える 「四苦八苦」 のなかで、まず当面するのがこの 「嫌いな人とも会わなければならない苦」即ち、自分(我)に執着してして他を差別する心・ この苦から解放されなければならないということでしょう。

おそらく都会に限らずどんなところで生活するにしても、必ず付いて回る人間の「業」です。此のことは皆さん経験の中からよく理解されることと思いますので、多くを書きませんが人間関係の永遠のテーマでもあることは確かです。

釈尊が此のテーマを「四苦八苦」と教えられたことは、釈尊の時代にも大きな悲しみの一つであったことと思われます。仏伝の中にも多くの物語が創作されて伝えられております。教団内の争いや妬みの構図がいたるところに出てまいります。

お経として伝えられているもので、最も有名なのが王舎城という宮殿で王子が父王を殺す悲劇が『観無量壽経』というお経の中の主題です。
そこには、人間の貪り、ねたみ、愚痴(貪・瞋・痴・の三毒)から生じる悲劇が描かれています。

お経の世界を語るまでも無くこの「苦」は我々の世界で最も社会的なものともいえます。
釈尊はこの 「四苦八苦」 をどのように調御するかという救いの手立てを述べられているものです。